明けを臨む水音
ミディールに吹き抜ける風はただ心地良く、酒精で鈍くなった思考を優しく撫でていく。
「シリルも一緒に入ろーぜ」
すでに酒が入っている所為で、ほんの少し頬を染めて笑ったカイルがシリルを誘う。
自らも手にしていた杯を置いてシリルは首を振った。
「いや……俺はちょっと酔いすぎた」
「そうか? そうは見えねーけど……」
「本人がそう言っているんだ。無理させるもんじゃないさ」
食い下がろうとするカイルを止めたのはレガートの上機嫌な声。
「それもそっか……じゃーツォンさんも一緒に行きましょー!」
本当に酔ってるのは少しだけか、と問いたくなるようなセリフ。
苦笑したツォンが助けを求めるようにヴェルドを見た。
「こいつらだけ行かせるとどうなるかわからん。付いていってやってくれ」
「……ですね。了解しました」
女性陣はすでに男どもに見切りをつけて、連れ立って湯殿に向かっている。
それに続くようにカイル、レガート、レノ、ルード、ツォンが席を立った。
しかも酔っ払いだ。確かにこの面子ではヴェルドが心配するのも納得出来る。
「……主任は行かないんですか」
「俺も大分酔っているからな」
もともとさほど強くないのだと笑ってヴェルドは飲みかけのグラス干す。
皆直接床に座って車座になるようにして飲んでいたのだから当然のようにグラスも床の上。
壁に背を預けて息を吐く。
目の前に用意されていたチェイサーの水だけをグラスに。
同じように息を吐いて頭を振っている部下に気付いて手招く。
「シリル」
意図を量る思考も鈍いのか、それとも相手がヴェルドだからか、素直に近付いたシリルが隣に腰を下ろした。
水を差し出したヴェルドに礼を言ってほぼ一気に飲み下す。
少しだけクリアになった思考も一瞬で、すぐに半分ほど瞼が落ちていた。
小さく笑ったヴェルドがシリルの腕を引く。
「主任……?」
ぽす、とその腿の位置に側頭部を着地させて疑問の声を上げたシリルの視界を塞いだ。
「少し休むといい。あいつらが居ない今のうちくらいだからな。静かなのは」
シリルの口から洩れたのは謝罪の言葉。
返事のかわりに軽く髪を撫でてやればさらに重く、体重がかかった。
浅い眠りに落ちた部下を見る瞳は優しい。
今しがた出て行ったメンバーが帰ってくるまでだと分かっているからこそ、静かな時間が貴重に思えた。
+++
夜明け近く。
他に人が居ない湯殿に水音が上がった。
湯場の半分は外に向かってせり出しており、夜が明けきる前の冷たい空気が肌に触れる。
水音を上げたのは前日の夜に湯に入ることを辞退したシリルだった。
半身を湯の中に残したまま、上半身を湯船脇の岩に凭れさせるように横たえる。
お湯に触れて張り付いていた髪が岩の上に流れた。
空は次第に明るくなりつつある。瞳と同じ色になった空の境目を映してシリルは僅かに口端を上げた。
ぱしゃり、隣に水音が上がって、僅かの間放心していたのを知る。
「大丈夫か、シリル」
「……ヴェルド主任?」
覗き込むようにしていたために影になっていた表情は目にする事が出来ず、シリルは声だけで相手の名を呼んだ。
応えるように笑った声はやはりヴェルドのもの。
「迷惑だったか?」
「いえ……」
ぱしゃり。近くお湯を掬って暖められた手が頬に触れる。
「中に。そこは冷える……」
「ああ、大丈夫だ」
そう答えたものの、すぐに並ぶように湯に沈んで夜明けを臨んだ。
年が変わって最初の大陽が昇る。
この場に通常の任務が追いかけてくることはない。
シリルがあえてこの時間を選んだのは一人で入るためだったのだが、静かな時間を邪魔されなければ別にどうでも良かったらしい。
隣に来たのがヴェルドだったからこそ思うのかもしれない。
「夜明けか」
「ああ」
蒼から緋へと色の変化を帯として留め、移ろう空を臨んで。
ぱしゃりと軽く水音をたてた。
2007/01/04 【BCFF7】