甘い花弁
「花を丸ごと模ったチョコなんて、本当にあるんだね」
そんな感想を洩らすジェイドの手元には綺麗に箱に収まった、大輪の花咲いたかのように見えるチョコレート。
花弁の一つ一つをチョコレートで作り、花の形になるように箱の中に立てて納められていると言う方が正しいだろうか。
くすっという笑い声。
「物好きだね」
「いいじゃない。綺麗だったんだ」
自らのデスクから呆れ顔をよこすヨルグに、ジェイドも満面の笑みを返す。
そもまま箱の中身に手を伸ばした。
紙のような薄さというわけでもなく、チョコレートの花弁はジェイドの指先に乗る。
「そうだ。シリル!」
呼びかければ、仕事に没頭していた頭が上げられて怪訝そうな表情が覗いた。
まるで無関係で居させてくれと言わんばかりの渋面に笑みを深くする。
言葉が発せられる前に半開きの唇に手にしたチョコレートを押し付けた。
文句の言葉が薄い壁に遮断されて行き場を失う。
「チョコレートの花弁にキス、なんて素敵だと思わない?」
食べて。
告げる言葉は遠回しな命令。
逆らうことの愚かさを知っているシリルは大人しく唇に触れていた固形物を含んだ。
舌に乗る甘さは思ったほどではなく。
だがそれでもシリルの眉を顰めさせるには十分だったらしい。
構わずジェイドは体温で僅かに溶けたチョコレートが残る指を差し出した。
「こっちもだよ。貰ったものは残さずに食べなきゃ。」
「誰が」
「もちろん君が」
「勝手にやってろ」
ふいっと視線を逸らして仕事に戻ろうとするシリルを見て、ジェイドは笑った。
うっかりまともにそれを目撃してしまった隣のデスクのカイルが硬直する。
「仕方ないなぁ」
呟きを洩らしたかと思うと、差し出していた方とは逆の腕を伸ばして、シリルの頭を引き寄せる。
後頭部にしっかりと回った腕で固定して、睨んでくるシリルの唇にまるで紅でも引くかのように半分溶けているチョコレートを移した。
「何を考えてるんだお前は!」
引き絞られた眼光を受け流してジェイドは笑う。
「相手が君だからね。これくらいはやらないと」
ね。とジェイドが同意を求めた先はいまだ硬直したままのカイル。
「あっ。ずるーい。そういう事ならボクもやりたいな」
いつの間に回りこんだのか、カイルの後ろからヨルグの恐ろしい声も聞こえてくるに至って、シリルは深く溜息を吐いた。
舌先を伸ばして移されたチョコレートを舐め取る。
差し出されたままのジェイドの指先に付いている分も仕方無く舐めとった。
「有難う」
「何をやらせたいんだお前らは」
なんとなくその行動の意味は理解は出来る。
だが、馬鹿だと一蹴してやるためにシリルはわざと問いを投げた。
「分かってるくせに……って言っちゃうけど、分かってない人も居るんだよね」
「それってもしかしてボクの目の前の人のこと?」
さらに距離を詰めていたヨルグがカイルの肩をぽんぽん、と叩く。
未だに硬直からは立ち直れて居ないらしい。
もっとも、硬直の理由はジェイドの笑顔からシリルの行動へとシフトしているだろうが。
「じゃあヨルグは分かってるんだ?」
「もちろん。じゃなかったらボクもやりたいなんて言い出さないよ」
「だったら君の目の前の人物で試してみたら?」
にこにこと一見邪気の無さそうな笑顔が交錯する。
「えー。どうせならボクだってシリルがいいなー」
カイルにそんな色気があると思えないし。
何気無く酷い言葉を零してヨルグはカイルの肩に顎を乗せた。
まだカイルは硬直が解けないらしい。ここまで来るとちょっと憐れに思えてくる。
二人を見て、ジェイドは鮮やか過ぎる笑みを零した。
「残念。早い者勝ちだよ」
勝ち誇った笑み、と見えたのは気のせいでは無いだろう。
「何が早いもの勝ちだって?」
水を注すような声が響いた。
それまで誰も気に留めていなかった空間から腕が伸びて、ほとんど無理矢理ジェイドの腕からシリルを引き離す。
「シリルが困ってるだろうが」
「レジェンド……助かった」
ジェイドの腕から逃れることが出来て、シリルは安堵の息を吐く。
あのままではカイルとヨルグの目の前で何をされるか分からないと思っていただけに第三者の乱入は有難かった。
「いいや。まだ助かってはいないぜ?」
「は?」
背後から抱き取る恰好になっているシリルの顎に手を添えて上を向かせる。
シリルは体勢を崩したままの状態で、きちんと向かい合うには一度手を離さなければならない。それを見越しての動作だった。
何かまだ顔についているのだろうかとシリルも素直に顔を上げる。
レジェンドが顔を近づけたのに身を引こうとして中途半端に椅子に乗ったままの体勢に阻まれた。
濡れた感触が唇の端に触れる。
「チョコ、ついてるぜ」
一瞬後に降ったのはそんな言葉とにやりとした笑み。
「なっ!」
「ずるい!」
「あーあ。一本取られちゃったかな」
ギャラリーに回されてしまった各々から不満の声が上がる。
「早い者勝ち、なんだろ?」
先ほどジェイドが言った言葉をそのまま繰り返して、レジェンドは三人を見渡した。
同じように見渡したシリルが口を開く。
「……で、俺の意思はどうなるんだ」
もはや半分諦めの極致であるのか、声まで投げ遣り。
「もちろん、その気があるなら抵抗してくれて構わないよ。その方が僕は楽しいしね」
「そうか」
もとより長く拘束するつもりは無いのか、緩んだレジェンドの腕を抜け出したシリルが自らの銃を抜いた。
「こんなトコで振り回すのは危ないと思うよ?」
相変わらず天使の微笑みのまま。
ヨルグがのんびりと外れてるのか当たっているのか分からない反応を返す。
「言う事はそれだけか?」
「やべぇ。あいつマジだぞ」
やっと我に返ったカイルが恐怖の叫びを上げる。
ジェイドとヨルグは笑んだまま。
「後悔なら墓の中でしろ」
「ちょっと待てっ。シャレになってねぇっての!」
「あはは。そうでなくちゃね」
「ジェイドも煽るな!」
落ち着け。というカイルの声を無視して最初の狙いを真っ先に行動に移してきたジェイドに定める。
「覚悟はいいな」
本気で込められた殺気を心地よく感じながら、ジェイドは笑みの形のままの唇を開いた。
2007/02/11 【BCFF7】