朝靄の間谷
思ったよりも深く眠ったようだ。
傍に置いてあった携帯電話のアラームに促されて、瞼を押し上げる。
あたりはまだ暗くはあるが、時間を確認すれば、そうゆっくりもしていられない事が分かった。
半身を起こす。
最初に確認するのは己の牙。寝る前と同じ場所で指に触れる、慣れた温度。
手早く身支度を整えて、カーテンを引きあけると、すでに開けられた向かいのカーテンとの間に昨晩も一緒だった、主任の姿が見えた。
こちらに気付いた彼が、薄く笑う。
「おはよう、シリル」
「……おはようございます」
おきまりの、朝の挨拶。
それだけなのに、苦いものがこみ上げるのは何故なのか。
理由など分かり切っているから、改めて問う気にもならない。
起きてすぐ同じ部屋に人が居るということに違和感を感じるのも、同じ。
「ユリアが来たら作戦を説明する。先に本部に戻って待機していてくれ」
「了解」
そんなシリルの内心を余所に、淡々とした口調で喋るヴェルドは既に仕事の顔。
シリルもそんなところで時間を浪費することもなく、仮眠室を後にした。
+++
本部に戻ると、誰も居ない部屋は、冷え切っていた。
空調はビル内で総合的に管理されている。
決してこの部屋だけ温度が低いというわけでは無いのだが、全く人気が無いというだけでそこは他のフロアよりも温もりに欠けていた。
もっとも、今更取り立ててそれを重視するわけでもない。
仮眠室と同じ花枝が、寒さに身を縮こまらせながらも部屋の一角を彩っている。
だが、この部屋では、誰も愛でる者はいないだろう。
それくらい人の出入りが激しく、余裕が無いのだ。
自分のデスクにつき、銃を取り出す。
手早く分解しながら横目で時計を見ると、集合時間まであと10分ほど。
時間に余裕を持って動くユリアがまだ来ていないのは珍しい。
チェックと掃除をこなして、組み立て直したのがほぼ集合時間。
本部の扉が開いたのも、同時だった。
入ってきたのはユリアとヴェルド。
「すいません。ぎりぎりになってしまいました」
開口一番、飛び出したのは予想通りの謝罪。
「問題ない。時間通りだ」
「シリルの言うとおりだな。始めるぞ」
「はいっ」
そうして聞かされた内容を一通り頭の中で繰り返して、ユリアとシリルは本部を後にする。
揃ってビルを出れば、冷えた空気が二人を包んだ。
夜半から出ていたらしい霧が強風に遊んで、気紛れに視界を遮る。
時間の所為もあって他に人影は無い。
駐車場に停められた車のロックを、預かったキーで解除する。
「行くぞ」
頷いたユリアも乗り込んでくる。
車のエンジン音は、思ったよりも大きく響いた。
すぐに高速道路に乗る。
「夜明けまでは?」
「あと二時間弱、というところですね」
端末で時間を確認しているユリアに問えば、即座の返答。
「少し急いだ方がいいな」
他に車影は無い。
シリルは、アクセルを踏み込んだ。
霧がある分だけ速度は制限されたが、それでも十分に制限速度オーバー。
危なげなく車を操り、目的地へと向かう。
予定の場所に車を停める頃には、濃くわだかまる霧がすべてを覆っていた。
「すごい霧ですね」
前が全然見えません。
「だが仕事はやりやすい」
「……はい」
秘密裏に動くには絶好の舞台。
同士討ちの危険を避けるように、ほとんど距離をおかず並走する。
予定の侵入ポイントは視界が利かなくてもすぐに見つかった。
頷きあって、忍び込む。
火の気の無い倉庫。
非常口を示す微かな光だけがぼんやりと浮かぶ。
明かりらしい明かりも無いが、外の暗さに慣れた目に、不自由さは感じない。
よくもこれだけ集めたものだな。
口腔内で呟きを押し留めて、息を吐く。
趣味の悪い、と言ってしまって差し支えないだろう。
モンスターの破片が樹脂に埋まって並んでいる。
そして奥には、巨大な試験管のようなカプセルに入れられて並べられた、まだ生きたままのモンスター。
ここの主の嗜好は、神羅の科学部門統括といい勝負かもしれない。
正直、あまりのんびりと見ていたい光景でもなかった。
それはユリアも同じらしい。
モンスターだからといって怯むことは無いが、それでもこの数と何が行われているのか想像しただけで気分は悪くなる。
さっさと済ませてしまおう。
言葉にしなくても、意見は一致する。
あらかじめ決められた通りに爆薬を仕掛けていく。
ユリアが一階。シリルが二階。
一階ほどの量を設置しなくてもいい二階はすぐに済む。
倉庫内の物も一階と比べて少ないから、余計に仕事はやりやすかったのかもしれない。
ぐるりと見渡してから、階段を下りた。
「シリルさん、避けて!!」
突如響いた切羽詰まった警告の声。
頭よりも体が先に反応した。
横に飛んで階段の手すりに手を付き、くるりと回転して乗り越えると、1メートルほど下の床に着地する。
そのまま間をおかず並ぶ樹脂の影に入り込んだ。
固い音と共にあたりの破片を巻き込んで、大きく階段が抉られる。
人の体程度なら安々と輪切りに出来るだろう。
第二撃に注意して移動しながらユリアを探す。
声が聞こえた位置から推測して追えば、必死に攻撃を避ける姿が確認出来た。
タイミングを計って引き金を引けば、丁度攻撃しようとしていた所に横槍を入れる形になる。
向きを変えて突進してくる相手に、マテリアを握った手をかかげた。
光が走る。それはそのまま微細な氷の粒に姿を変えて、目標にからみついた。
動きが止まったことで、少し生まれた余裕。その間に合流する。
「武器はどうした?」
ユリアは反撃していなかった。それに気付いて問いかける。
「最初の攻撃で、やられました」
言葉に苦いものが混じった。
手の中には、中ばからすっぱりと切断された銃。
理由が判れば、シリルの声も苦くなる。
「輪切りにされたのが銃だけでよかったと、思うべきなんだろうな」
「ええ……」
もはや役割を果たさなくなった銃からマテリアを外しながら、ユリアが応じる。
相手が人間なら現地調達といくところだが、この場にあるのは生きているものも、死んでいるものも、モンスターばかり。
ピシリ。
氷の悲鳴。
もうあまり時間がない。
「……使え」
己の銃の片方を差し出す。
迷ったのは一瞬。
反動がきついから気をつけろ、とだけ注意して一丁になった銃を構える。
少しだけ遅れて、ユリアも渡された銃を構えた。
派手な音をたてて氷が割れる瞬間、揃って銃弾をたたき込む。
二人分の正確な射撃。
時間を確認すれば、そろそろリミットが近付いていた。
一瞬で片をつけて、素早く残りの作業にかかる。
「シリルさん、いけます」
「ああ。下がれ」
身を翻して、扉をくぐる瞬間に最期の爆薬のスイッチを入れる。
設定された爆発時間までは僅かに数秒。
そのまま駆け抜けて、近くのビルの陰に入った。
朝に不似合いな轟音。
薄くなってきた霧に爆煙が混じる。
外壁が崩れ落ちる重い音を背に、簡単に成功の連絡をして、素早くその場を去った。
乗ってきた車に戻り、息を吐く。
「本部に戻るまでは気を抜くな」
「はい」
借りた銃を返そうとするユリアに、首を振って答える。
辺りを伺ってから、なるべく不審な動きにならないように、ゆっくりと車を発進させた。
来た道とは違う道を通って、高速道路に乗る頃には、すっかり霧も晴れて、太陽の光が世界覆っている。
正面から入る光が瞳を灼く、遮る物の無い道路。
その中でミラーの端に、影が映った。
ものすごいスピードで近付いてくるそれは、走る鉄の塊。
軽い舌打ち。
カーブが多い場所だということも災いして、遠からず追い付かれる事は明白。
車の傍を背後からの攻撃がかすめていく。
「左へ! 道路端に目一杯寄って下さい!」
丁度、直線に入った所で、ユリアが半分窓から身を乗り出した。
強い声音に、言われたとおりハンドルを切って、反対車線に突っ込む。
直後に銃声。
「……ッ」
「無茶を!」
ユリアが放った弾は、見事にフロンドガラスを蜘蛛の巣状にしてのけた。
視界を失った車が急ブレーキの音とともに回転する。
「やっぱり、私にはまだきついですね」
側面の窓からという体勢上、ユリアは片手で撃つしかなかった。
今彼女が持っているのはシリルの銃で、利き手ではない左での射撃。
普段両手撃ちの彼女には相当な負担だろうことは想像できる。
「痛めたか?」
「……少し。でも、平気です」
それよりも今のうちに。
言われて、車を端ぎりぎりから引き戻すと、深くアクセルを踏み込んだ。
夜が明けた所為か、次第に走る車の数も増えてくる。
少しだけ迷って、紛れるようにスピードをおとした。
一転して追っ手を気にしながらの帰路となったが、幸いそれ以上の追求はなく、無事に本部にたどりつく。
曰は既に高く、気粉れに雲に隠れながら、無機物のピザを蒸し始めている。
外からビルの中に入ると、明暗差に一瞬目が眩んだ。
「医務室に行って来い。報告はしておく」
「いえ、報告が終ってから行きます」
銃、ありがとうございました。
差し出された己の武器を今度はすぐに受け取って、だが言葉に対しては首を振る。
「いつ次が入るか分からない。行ける時に行っておけ。報告は一人でも出来る」
「……わかりました」
すいませんがお願いします。との言葉に頷いて、別れる。
本部に戻れば、出発前よりも僅かに暖かく感じる部屋。
話をしていたらしいツォンとヴェルドが振り返る。
「ああ、おかえり。シリル」
シリルの姿を認めたツォンが僅かに笑む。
「ユリアは医務室に行かせている。報告は俺が」
「怪我をしたのか?」
眉を顰めて問うヴェルドに、反動で少し痛めたらしいと返す。
ツォンも、僅かに驚いたような表情を見せた。
「めずらしいな」
ぽつりと洩れた感想を、苦笑で誤魔化して。
ツォンはシリルに向き直った。
「報告をしてくれ」
要請に応えて、口を開く。
どうせあとで纏めて紙で提出するため、要点だけを簡潔に。
「……以上だ」
「分かった。爆破までは予定通りだな。問題はないだろう」
頷くツォンとヴェルド。
ふと、なにか考え付いたようにヴェルドが顔を上げる。
「……シリルも疲れているだろうが、ひとつ頼みたい」
「問題ない。次の任務か?」
「そうだ。彼女を家まで連行してくれ。その後はお前も帰宅していい」
丁度戻ってきたところらしい、ユリアが突然の指名に目を瞬かせて、扉の前で硬直する。
話が見えていない証拠。
命令を出したヴェルド以外の男二人は苦笑い。
わざわざ事情を説明するような真似は誰もしない。
「了解」
短く返事をして、扉に向かって歩く。
その前に立ちっぱなしのユリアに行くぞ、と声を掛けて扉をくぐった。
わけも分からぬまま、それでも任務だと思ったのだろうか。ユリアがついてくる。
ついでに、今のうちに彼女の新しい武器を調達しに行った方がいいだろうか。
任務の内容を勝手に作り出すのも、多分ユリアを動かすには楽だろう。
エレベータに乗り込んだところで、任務の内容を聞きたそうな彼女の視線とぶつかる。
苦笑は隠して。
今捏造した任務を伝えるべく口を開いた。
2006/04/23 【BCFF7】