独房と残香
「ここか」
辺りを確かめたところで電話のベルが鳴った。
相変わらずいいタイミングで来る連絡にほんのすこしだけ口の端を上げる。
通話ボタンを押すと、状況を問う声がノイズの混じった受話口から聞こえてきた。
「侵入ポイントに到着した」
短く現状を告げる。
電話口の声も事務的。
二、三言やりとりをして通話を切ると、そのまま電源を落とす。
中で呼び出し音が鳴り響いて全アバランチを敵に回す愚は冒したくない。
今の任務は拘束されている同僚を助けること。
自分に言い聞かせる。
告げられた名は、記憶の端に残るくらいには聞いた名前。
ゆっくりと両手の先、銃口を上げた。
耳朶を打つ不快な金属音。
出来た隙間に足を突っ込んで蹴り開ける。
スピード勝負なのは最初から承知の上。
全力で走り出す。幸いまだ侵入には気付かれていないらしい。
警報装置が鳴り出す様子が無いのに少しだけ安堵する。
いつでもトリガーを引ける体勢で大広間に突入した。
情報ではこの先が牢。
扉が六つ並んでいる通りに飛び込む。
それぞれの扉には高い位置に鉄格子つきの小窓がひとつ。
間違いなくこのうちのどこかだろう。
どの牢も静まり返っているために、外側からどれがダミーか判断するのは難しそうだった。
それでも息を殺して様子を伺う。
ふと、違和感に気付いた。
こんな、湿った建物の牢に似合わない、女物の香水の香り。
やれやれ、と思う。
華やかな彼女らしいとは思うが、任務中には命取りになるのではないだろうか。
「それでも今回は余計な戦闘を避けられて助かるか」
牢のひとつに近付き、ロックされている扉を開ける。それでも片手はトリガーにかかったまま。
中を覗けば、遠目に見知った姿が見えた。
「ミーナ」
小声で呼びかければ、相手が瞳を眇めてこちらを確認しようとしているのが分かった。
辺りを見回しつつ牢の中に足を踏み入れる。
「シリル! いいところにきてくれたわ」
あまりにも辛気臭いからそろそろ扉をぶち破ろうとしていたところだと告げるミーナの言葉に、流石に苦笑する。
「とりあえずは無事のようだな。なら帰るぞ。そろそろ気付かれる頃合だ」
「ええ。こんなところ、もう沢山」
「なら少しは大人しくしておけ」
「……努力してみる」
少し不満そうに告げられた言葉に、あまり期待は出来ないなとひとりごちる。
もっともそれは、直後に鳴り響いた警報の音にかき消された。
「気付かれたか」
「何冷静に呟いているの! さっさと行くわよ」
牢のある通路の奥に無造作に置かれた武器の小山の中から己の愛銃を見つけたらしいミーナが身をひるがえす。
「言われなくても」
大広間に飛び出そうとした彼女を制して己が先に立つ。
とたん、その場にいたアバランチ兵が走りよってくるのが分かった。
壁を盾に、矢継ぎ早にトリガーを引く。
銃弾を再装填するのは既に無意識。
それでも僅かには出来る隙に、敵の接近を許してしまう。
「どいて!」
声と銃声がほぼ同時。
すばやく身を引いた傍を複数の子弾が通り過ぎて行った。
近付いてきていた敵が押し戻される。
少しだけ距離がある。銃を所持している敵が居ないのを見て取って、再び連射をしながら、今度は飛び出した。
ダブルアクションに設定してある銃は、違う事無く次々と銃弾を吐き出す。
全弾打ちつくす直前でリロードし、再び火線を描いた。
「ミーナ!」
「心配無用よ!!」
半分叫ぶような声と、派手な銃声。
それでも、意図は伝わったらしい。
こちらに走ってくるミーナを視界の端で捉える。その先に追いすがる敵の姿。
銃の重さか、基礎体力の差か。ただでさえ牢に入っていて体力の落ちている彼女に無理はさせられない。
迷っている暇は無い。
銃口を上げると、目が合った。
その口元が笑みを作る。
絶妙のタイミング。
ミーナが僅かに横にそれたその空間を、シリルの銃弾が掠めていく。
派手に悲鳴と血飛沫が上がった。
「まだ走れるか」
「当然でしょう」
「上等だ」
通路に飛び込むミーナを横目に銃弾を撃ちつくす。
追ってこないのを確認して、自分も通路に入った。
角の傍で壁に背をつけたミーナが振り返る。
「片付いたのね? じゃ、行くわよ」
「ミーナ、場所をかわれ。俺が先に行く」
言いながら追いついくと、不満そうな声が返った。
「心配無用だと言ったでしょう。私は全然戦えるわ」
「そんなことは心配していない。単に効率の問題だ。道を知っている俺が先に立つほうが早く脱出できるだろう」
言い争う声は小声だが、そのうちにも時間は過ぎていく。
睨み合ったのは、ほんの僅かだったに違いない。
それでもお互い、遠く無い距離に、敵の気配を察知した。
「分かったわよ。今回は譲ってあげるわ」
「ああ。そのかわり、後ろは任せる」
「ええ。まかせてちょうだい」
薄暗い建物の中でも分かる極上の笑み。
眩しい。
僅かの間、自然と笑みを返す。それも精々瞬きの間。すぐにいつもの無表情に戻る。
頷き合って、走りだした。
狭い通路で足音がこだまする。
角ごとに立っている敵を鮮やかに躍らせて通り過ぎる。
「シリル、右!」
鋭い声を聞いた瞬間、反射的に銃口を向け、トリガーを引いていた。
影からこちらを狙っていた男の肘から先が消える。
半秒遅れて悲鳴が上がった。
戦意を喪失した相手には構わずに通路を進む。
出口はもうすぐそこだった。
入るときにこじ開けた扉
急いでくぐって二人同時に辺りに銃を向ける。
とりあえず追っ手がないのを確認して、腕を下ろした。
「今のところ追っ手は無いようだ……とりあえずうまくいったな」
詰めていた息を吐く。やわらかい、外の空気。
「今回はありがとう」
もし捕まったら助けに行くとの申し出に苦笑して、期待している、と返した。
「それでは、ごきげんよう」
反対方向に去っていく彼女と別れて帰路につく。
ふと、彼女の香りが鼻腔を掠めた気がした。
そういえば指摘してやらなかったな、と思う。
次に会うのはどこかなどと考えることはせずに。
伝える機会があればいい、と。
それだけを思った。
2006/02/14 【BCFF7】