笑顔の意味
「まったく……意地はってんじゃねぇよ」
「そんなことねーって……ッ!」
突然の重心移動に耐えられずバランスを崩した小柄な体を、とっさに伸びた手が引き止める。
にやりと。髭面の男の顔が歪んだ。
理由は明白。掴まれた腕に金色の尻尾が絡んでいる。
とっさの行動に彼自身も混乱して目を見開いたきり、止まってしまっていた。豪快な笑い声が遅れて響く。
男が掴んだ少年の上腕をぐいと引き寄せて体勢を整えさせると、少年の尻尾はするりと解けた。
行き場に困ったようにふらと揺れる。
「そうやって頼りゃいいんだよ」
「……でも、あんたは一応敵だろ」
ジェクト、と。
言葉とは裏腹に声には笑いが滲んでいた。
呼びかけられた男のほうも、つられるように声を上げて笑う。
「そんなことは関係ねぇよ」
「ちょっ……うわ!」
ひょい、と気軽に持ち上げられて少年は思わず悲鳴を上げた。
彼は元々パワーで押し切るタイプだ。それは持っている剣の巨大さからもよくわかる。
しかし一応それなりに成長した男一人を軽々と肩に乗せてみせるというのはどうなのだろうか。
しかもこれでは。
「オレは肩車されて喜ぶほどガキじゃねーんだけど」
「あぁん? 文句の多い奴だな」
荷物は黙って乗ってろ。
乱暴な言い方に、やはりと笑う。
身の軽さが身上の盗賊は高いところを飛び移るのもよくあることで。視界の広さが変わることなど慣れているはずだったのだが、それとは違う感覚に戸惑いを覚える。
本人はちょっと重い荷物を肩に担いだだけなのかもしれないが、見方を変えればまるで父が子に対して示す愛情表現のようで。そんな風に感じるのは、木や建物の上では感じることの無い温もりの所為なのだろうか。記憶の端を何かが掠めるような気配がする。
「荷物じゃねーよ! オレにはちゃんとジタンって名前、あるんだからな!」
「あーもう。悪かったから上からぎゃんぎゃんと怒鳴んなよ」
片手でジタンの大腿を押さえているジェクトは苦笑を浮かべて視線をずらした。見下ろしてくるジタンと目が合う。
「わかったらちゃんと呼べよ」
以前名乗っただろうと文句を言うジタンに、ジェクトは己の髪をかき回して苦笑するしかない。
「その……なんだ……」
言葉を濁した後で、少しだけ照れくさそうに笑った。
思いがけない表情を見てしまったジタンのほうが驚いて、所在なげに背中で揺れていた尻尾が一瞬だけピンと伸びる。
「他人の名前を呼ぶのは慣れねぇんだよ」
「はぁ!?」
返ったのは表情よりも意外な答えだった。
「なんだよそれ」
「深く聞くなよ。オレ様だってわかんねぇんだ」
ゆらりゆらり。
歩く度にわずかに揺れて、筋肉が動くのが分かる。
「うーん……納得は出来ないけど、いいじゃん。名前くらい」
慣れだろと告げてぺしりと尻尾で背中を叩くジタンに、ジェクトはそんなもんかと返す。足を怪我していても、尻尾は元気だなと笑った。
「しかし便利そうだな、それ」
反対側の肩越しにちらりと振り返って、いましがた自分の背中を叩いたものを見遣る。ジェクトの目の前で揺れて、遊ぶように腕に絡んだ。次の瞬間、ジェクトが気軽に飛び上がって大きな割れ目を超える。
「……あぶね」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ」
ぐらりと揺れた体を巻き付けておいた尻尾と咄嗟に手を伸ばして掴んだジェクトの頭で立て直して文句を言いかけたジタンに先制して、ジェクトが謝罪を零す。
おうい、と遠くから声が響いた。
「あれ……バッツ?」
真っ直ぐに近付いて来るのはジタンと仲の良いコスモス側の仲間の一人。
ジェクトのほうも以前ジタンと一緒に話をしていたことを覚えていたため、特に構えることも無くその場で足を止めた。
全力で駆けて来たらしいバッツは、少し手前から緩やかに減速して、二人の目の間で止まる。
「ジェクトは久しぶり!」
「……おう」
そう久しぶりでも無いのだが、朗らかに言われれば思わず頷いてしまう。
どうしたんだと問う彼に、ちょうど良かったと告げて、ジェクトは抱えていたジタンを示した。
「めんどくせぇことになってたからつい割って入っちまったんだが、こいつ足やっちまっててな」
「そうだ。ジタン、その足!」
ほとんど無い距離を詰めたバッツがジタンの足を取る。きつく巻かれた布には血が滲んでいた。
「オレじゃどうしようもねえからよ。あと頼むわ」
出て来たのが息子じゃなくて良かったと笑うジェクトに、ジタンもバッツも微妙な表情を見せる。
「アイツと会ったんじゃ話がややこしくなるからな」
笑いながらバッツの背にジタンを預けたジェクトは、軽く肩を回して剣を取った。
そのまま、止める間もなく去って行く。
「じゃあな」
そんな呟きだけが後に残った。
「ちぇ……言うだけ言って……」
お礼も言いそびれたと背負われながらむくれるジタンに、また次があるだろうと告げて、バッツは歩き出す。ジェクトの時とは違うが、それでも心地よい体温と揺れがジタンを満たした。
「……うん。なんかやっぱり違うな」
「ジェクトが?」
「ああ。あいつ、多分本当はオレじゃなくてさ……」
「どうかな?」
纏めかけた思考を覆すようなバッツの声に、思わず反論する。
「おれはそうは見えなかったけどな」
「どういうことだ?」
首をかしげたジタンに、バッツはもうちょっと考えてみろよと笑った。
「ジェクトの表情の意味をさ」
出されたお題を真剣に考え始めたジタンに気付かれないように苦笑しつつ、彼を背負ったままバッツは他の仲間の元へと歩く。
着くまでに答えを見付けるといい。
そんな風にひっそりと願って。バッツはわざと速度を落として残りを歩いた。
2009/05/06 【DFF】