温度
ぐったりと意識を失っている青年の、きざまれた眉間の皺あたりを眺めて、男はくすりと笑みを落とした。
探った限り、外は落ち着いていて人の気配も無い。
「危機一髪、かな」
安堵の息を落とすと、それが伝わったのか、少しだけ苦しそうな息が闇を揺らす。
男は、宥めるようにそっと青年の肩を撫でて、溜め息を吐いた。
「まったくいくらなんでもちょっとやりすぎだよねぇ」
勢いって恐いな。
誰に聞かせるでも無く呟きを落として、上着を脱がせるという重労働にとりかかる。ついでにベルトを抜き取り靴も脱がせてからきちんとベッドに寝かせるところまでを終えると、深く息を吐いて、きしむ体を伸ばした。
さすがに寒いかと、薄手の毛布をかけてやれば、乾いた息に微かな声が紛れて届く。
「ああ、ちょっと待ってな」
内容は分からずとも要求を察した青年は、温めのお湯をコップに入れて戻ってくる。
「飲めるか……っていうのも野暮か。んじゃちょっと失礼」
なんのてらいもなく、口に含んだそれを唇を合わせて流し込む。
嚥下しようとあがく青年の喉が震えて次をねだるのに苦笑しながらも、男は何度か行為を繰り返した。
おそらく無意識だろう。そうでなければとっくに拒否されている。
それでもからかいたくなるのは悪い癖だと自分を戒めて、最後の一滴を送り込んだ。
「キング?」
試しに呼びかければ、反応しようとして失敗した目尻が動く。
「ああ、よかった。戻っては来てるみたいだね」
まだ薬が抜けてないだろうからそのまま寝てなよ。とりあえずここは安全だからさ。
ふわり。目元を覆って告げてやれば、安心したように弛緩した相手を見て苦笑を落とした。
「これは誰かと間違えられてるかな」
いつか似たようなことをして、速攻で振り払われたのを思い出す。
「こうしてるとかわいいんだけどなあ」
目元を覆った手をずらしてそっと髪間に指を差し込む。
普段は綺麗に後ろに撫で付けられた髪は今は少し乱れていて。指を遊ばせれば、はらはらと動いて額に落ちた。
まだ少年少女と言ってもいい年齢の多い0組の中で、青年はかなり落ち着いている。
どちらかというと保護者側の役割を果たしている彼は、とうの昔に誰かに甘えることを止めたのだろう。
まずい、と。男が手を引いたのは己のため。
誰かに甘えるのをやめたのは男も同じだった。仕事と割り切らない温もりは、決意を鈍らせる。
「あーあ。まいったなぁ」
そもそも大人しく倒れてるほうが悪い。責任転嫁で逃げて、男は立ち上がった。
薄い扉ごしに人の気配。ここに来ることが出来るのは同じクラスの仲間しか居ない。
ひょいと顔を出すと、すぐにこちらを見付けた少女が近寄ってきた。
「ナギ! やっぱりここに居た」
「やあ。どうしたんだ?」
「どうしたじゃないよ。0組の子連れてたって聞いて……まさか?」
「そのまさか」
隠し立てをしたところで仕方が無いという判断であっさりと頷けば、少女は苦い顔。
「ちょっとー、まずいよー。一応ここ、9組しか入っちゃいけないことになってるんだから」
「見逃してよ。後でリフレでなんか奢るからさー」
いつものお調子者の顔で手を合わせれば、それをよくわかっている少女は溜め息を吐いて腕を組んだ。
「気付くのが私だけだと思う?」
「……うっ」
「うそうそ、冗談よ。はいこれ」
差し出されたのは一枚の紙と細い布切れ。
「さすがに今回はやり過ぎだと思ったんでしょ。特別措置だってさ。気付くまでちゃんと見張って、気付いたら目隠しして外に出せって」
添えられた軽いウィンクに満面の笑顔でありがとうと告げて、ナギは差し出されたものを受け取った。
じゃあねと手を振って去っていく少女を見送って部屋に戻る。
「これは軽く拷問かな」
ことり。
ベッドに背を預けて床に座ると、自嘲の混じった呟きを落として渡された紙に言い訳を並べ始めた。
2011/12/30 【FF零式】