体温
闇の気配が強くなり、それに伴って冷えた空気がもう終わりに近付いた戦争の匂いを隠す。
恐ろしいくらいに物音のしない夜だった。
建物の中はどこも人気が絶え、空の部屋も多くなったそこは、必然的に静寂が力を振るう場所となる。
夜半も過ぎた院寮で起きているのはただの物好きか、その他諸々の理由で眠れないものたちだけだった。
寝返りを打った拍子に、それまでぼんやりとしていた意識が冴えてしまった男は内心で舌打ちを落とす。
元々そう深く眠れる方でもない。
諦めたようにそっと息を吐いて、身体を起こした。
明かりを落とした部屋は行動するには暗いが、男にとってそれが障害になることはない。
ベッド下に手を伸ばして、散らばった制服の中から自分のものと思われるシワだらけのシャツを引っ張り出すと、そのまま袖を通した。
くしゃりと髪をかき回すと、ああ、バンダナはどこにやったっけと無駄な方向に思考が回る。
すう、と。それまで穏やかだった息の流れが変わったのに気付いて、彼は目を細めた。
「……ナギ?」
低い掠れ声で紡がれるのはぼんやりとした呼びかけ。
お互い、非常時には一瞬で目が覚めて行動できるが、今はまだ穏やかな時間の中にあって、自分よりも体格の良い同衾者の意識は半分眠りの世界に留まっている。
「悪い。起こしちまったか?」
「問題ない」
取り繕わない返答に苦笑する。ナギと呼びかけられた男は呼びかけた青年と枕との間に探していたものを見付けて引っ張り出した。
「何をしている?」
「部屋に戻るんだよ。さすがに男二人が一緒に寝るにはこのベットは狭いし、おまえさんだってゆっくりできないだろ」
「それだけか?」
答えた男の内心を見透かすように真っ直ぐに視線を合わせた青年は、簡潔な質問だけを返す。普段なら、舌が何枚あるんだと言いたいほどすぐに明確な答えが返る男が、珍しく返答に詰まった。
溜め息が落ちる。続けられたのはもうすこし具体的な問い。
「いつも俺が寝るまで待って部屋に帰ることと関係があるのか?」
「あらら。キングさんってば狸寝入り?」
おどけて返せば、そうでもしなければずっと休めないだろうという至極真面目な言葉が返って、ナギは笑みを深くした。
過去にあった何回かの機会で、帰るときに相手が寝ているかどうかを判断することくらい、男にとっては雑作も無いことだった。もちろん、彼は分かっていてなお、極力気付かれないようにしている振りをしながら部屋を後にしたのだ。
今日に限って引き止められたことに驚いて一瞬答えに詰まった、というのが先のやりとりの真相。
戦争は終わりが近づいている。これまでお互い生き延びてきた事実には感謝するべきだろうが、今後もそうであるとは決して言えない状況でもあった。
特に次の作戦は首都への侵攻作戦だと今や朱雀の全候補生、全兵卒が知っている。
蒼龍も、白虎も、今までの戦いでかなりの兵力を失っているとはいえ、次回が最後の総力戦になることは子供でも予想出来る事実。だからこそ今回は引き止めたのかとは聞かないまま、ナギは視線を外した。
「……慣れないんだよ。誰かの体温を感じることも、すべてを忘れて深く眠ることも」
今更何を言っていると言わんばかりのキングの表情はナギの任務をわかった上でのこと。手段を選ばずにとってきたその内容は、必要だったこととはいえ、あまり表立って言えることでもない。
「だから……って、分かって言ってるだろ」
気分を害したように目を細めて睨むのも、慣れた表情の一つ。対するキングは予想していたように口端を上げて、腕を伸ばした。
「うわっ」
抗議する間も無く腕を引かれ、背中から抱き込まれたナギは軽い叫びと共にベッドに沈む。男のちょうど頭の上あたりに顔を寄せ、わざとらしく笑った青年は、思い出を大切に開くようにして声に乗せた。
「昔、エースあたりが夜眠れないと言っては誰かのベッドに入り込んでいた。ぬくもりがあると安心して眠れるのだと」
「ああ、そういうやつは多いよな」
一般的にはそうだという認識はナギにもあるから、迷うこと無く同意する。キングは頷くと、続きを紡いだ。
「態度には出さないが、皆結構甘えたがりだ。家族だという意識もあるのだろうな」
なんのてらいもなく抱きついたり、全力で喧嘩しても次の瞬間には笑っていたりする。
年齢を重ねても家族の甘えが抜け切らない面々を思い浮かべて、青年は更に深くナギを抱き寄せる。
「ちょ、キング……!」
抗議の声は無視して、彼は遊ぶように散らばった髪に顔を埋めた。
「あんたは0組になったんだろう」
「……形式だけな」
「あいつらはそう思っていない。だから、少しくらいこういうのにも慣れろ」
紡がれた言葉に硬直した男は、その意味を考える。
エースの、デュースの、ジャックの、クイーンの……0組全員の呆れたような声が重なった気がした。
作り笑いをして、遠慮などしなくてもいいのだと告げる声は、想像の中だというのにさも直接言われたかのように響く。
何が幻の朱だ甘っちょろいバカばっかりだと声に出さないように笑って。
与えられる温もりに甘んじた男は、背後の寝息を聞きながら、己も休む努力だけはしようと目を閉じた。
2012/02/08 【FF零式】