小さな足音

 全力疾走の足音が響く。
 やれやれまた新しい子供サーヴァントでも召喚されたかと溜息を落としながらも無視をするという選択肢はなく。
 作業が一段落する頃合いだったことも手伝って、エプロンを外したエミヤは音でなんとなく位置を把握しながら食堂を後にする。
「ふむ。こちらか」
 青年は足音からルートを予想し、先回りできる場所を弾き出すと、足音を忍ばせて移動を開始した。
 かつり。時折わざと足音をたてて存在を主張したりもする。
 そもそも足音を立てないようにと思ったのも移動中に相手の音を聞き逃さないようにという理由でしかないため、気配を消しているわけでもない。単純に危ないから注意しておくかという程度の動機なので、相手が気付いて止めればそれもよし、という打算もあった。
「……方向を変えたな」
 急角度での旋回、いや宙返りでもした上に天井を蹴って加速したか。随分と卓越した判断と技能の持ち主らしいと音と気配で判断する。
 そちらがそのつもりならば、と。青年も少々大人気なく本気になった。
 気配までを消して移動し、音をたてては足音を忍ばせ。相手の出方を見て次の行動を決める。あくまで優雅に、己がルールを破っては元も子もないと知っているエミヤは走ることはしない。
 気配と音だけを頼りにした追いかけっこのようなそれが唐突に終わりを告げたのは角を曲がった瞬間にぶつかりそうになった相手と位置を入れ替えるようにして回避したためだ。
「悪い、急いでたんだ……って、オマエかよ」
「見ない顔だな……と言ってもいいのかこれは。それにしても私だとわからないとは、随分と余裕がないじゃないか、クー・フーリン」
「わかってんなら見逃してくれよ。ってかさっきから邪魔してたのテメェだろ」
 出会い頭の喧嘩もいつものことだ。その口調も、態度も。ついでに言えばおそらく中身も、知っているはずの槍兵と変わらない。唯一違うのは姿のほうである。
「見逃すもなにも、ルールを破って全力疾走していたのは君の方では? 何を追いかけていたのかは知らないが、注意に来たのがまだ私だっただけマシというものだろう」
 言外に風紀委員の存在をチラつかせれば苦い顔をしたところを見ると、一応禁止事項に抵触していた自覚はあるらしい。
「あー……くっそ。いつもと勝手が違うから面倒だな。なんつーか、普段と同じやつを前にすると違和感がすげぇ」
「なんとなく予想がつく気もするが……とりあえずその姿の理由から聞こうか」
 普段からのくせで正面から視線を合わせようとしては違ったと僅かに悔しそうにしながら見上げる様子はなんとなく可愛らしいということは黙っていようと口を噤む。少しの間を空けてから、青年は無難な話題を振った。
 もちろんと頷いた青の槍兵らしい男は、直接見てはいないが打出の小槌だろうと端的に原因を口にする。
「ちょっと前にオルタのオレがやられて縮んだ時に騒ぎになっただろ」
「ああ、鬼一法眼氏の。確かに彼女の持ち物であり失われてはいないのだからそういうこともある……のか?」
 オルタのクー・フーリンは見た目がミニクーちゃんになったが、ジャンヌ・オルタ・サンタ・リリィはジャンヌ・オルタになっており、当然のようにジャンヌ・オルタはサンタ・リリィになっていた。持ち主によるとその際は同じ英霊同士で奪い与えたという話だったというから今回も同じなのだろう。
 勝手に装備も変わっていたという報告があるところとも矛盾はしないが、クー・フーリンの若かりし姿はプロトタイプと呼ばれている彼以外、今のところこのカルデアにはないはずである。
 とりあえず廊下の真ん中で立ち話もないだろうと合意した二人は近くの休憩スペースに向かって歩き始めた。
 普段よりも低い身長となっているため、エミヤのほうも顔を横に動かした直後に下を向くという動作を繰り返してしまい、違和感がひどい。
「それにしても不思議な姿だな。幼少期……というには育っている気もするし」
「それはオレも思ったな。オレの幼少期ってーとまず思い浮かぶのはセタンタだが、そう名乗るには成長しすぎてる……が、犯人は予想していたらしいぜ」
「というと?」
 会話をしながらも休憩所の自動販売機から水のボトルを選び、近くの椅子へと腰を落ち着けた。
 殴られた際に一瞬意識を手放したのは不覚だったが、その時に残念そうな声を聞いたからだと続ける。
「やっぱりその姿なんだ、ってな。まああと他も同じなのかみたいなことも言ってたからもしかしたらオレの他にも犠牲者がいるかもしれん」
 だからこそさっさと捕まえたかったのだと唇を尖らせた男は水を一気に飲み干して大きく伸びをした。
「なるほど。それに関しては私の行動が邪魔となったのなら謝罪しよう」
「いんや。悪いのはオレだし謝らんでもいい。いきなり縮んだせいもあるのかどうも感覚に慣れなくてな。槍もねぇしよ」
 己の手を眺める槍兵の言葉に驚いたのはエミヤのほうである。
 よく見れば腰に剣。現状他の武装は見当たらないが本人が申告するのなら本当に槍を持っていないのだろう。普段から槍がないことを嘆いているもう一人のクー・フーリンを思い浮かべたその時、わふんと元気の良い声が響いた。続けて予想通りかと今し方話していたのと同じ声が少し遠くから響く。振り返って飛び込んできた姿もそっくり同じだが、足元に子犬が侍っているのだけが違う。
「よぉ、槍持ち。槍を持てない気分はどうだ?」
「……最悪だな」
 二人の会話を聞いてすぐに声をかけてきた方がキャスターのクー・フーリンであることに思い当たったものの、頭を抱えたくなる要因が増えたことも同時に悟る。
 ケラケラと笑う姿はどこか幼さを残す外見に不似合い。まるで鏡に映したようにそっくりな姿が眼前に並び、弓兵は勘弁してくれと本当に頭を抱えた。我関せずで足元に丸くなった子犬はいつも連れている使い魔の犬なのだろう。その犯人の興味とやらのせいか、犬ごとやられたらしい。
「気配があったから辿らせたが被害者その一にぶちあたっただけか。やり直しだな」
 オレの方が先かよとの反論に自分がやっぱり君もかと言われたということは自分は二番目だと返す同じ顔。そのまま軽口の応酬を始めた彼らは唐突にくるりとエミヤに向き直った。
「な、なんだ?」
 ずずいと顔を近付けられて思わず身を引く。立っている時であればさほど脅威でもなかったかもしれないが、残念ながら休憩所の椅子に座っている身では逃げ場がない。紅顔の美少年二人分の破壊力は絶大だ。
「ちとオレらのやる気のために協力しろよ、アーチャー」
「犯人をとっ捕まえたほうが今晩部屋に行くからな。ご褒美ってやつを用意しておいてくれ」
 言いたいことだけ言い放った二人はあからさまに火花を散らして。
 なんでさという青年の叫びを合図にそれぞれ別方向に早足で廊下を移動していった。

2022/09/04 【FGO】