間の邂逅

「まいった」
 零れ落ちた呟きを戻す術はないが、耳にしたのは横で鼻をひくつかせた子犬のみ。
 ばたりとその場に倒れ込んだ少年はもう一度まいったと口にした。無造作に投げ出された尻尾のような後ろ髪を踏んで、怪訝そうに近付いた子犬が濡れた鼻を頬に押し当ててくる。
 どうするかね、と。元々相談のはずの言葉は、子犬の吐き出された息に吹き飛ばされていく。
「……だよなぁ。戻るにしても、とりあえず知り合いを探すっきゃねぇってことか」
 ふすん。
 溜息の肯定にからりと笑って。行くぞと告げながら起き上がった。
 周囲は見渡す限りの森で、近くには人の気配も動物の気配もない。
 ちらりと足元の子犬を見下ろせば、自分に頼るのかとでも言いたげな視線とかち合った。
 何かわかるかと話しかければふんふんと鼻をひくつかせて周囲を探る子犬は少し進んだあたりでぴんと耳を立てる。
 わふ。主人を呼ぶように一声上げてから走り出す。
 即座に反応した少年は視界の悪い森の中をものともせず、子犬の後ろにぴたりと付くと、そのまま速度を落とさず駆け抜けた。
 森は深く、果ては見えない。
 不意に感じた気配に子犬が振り返ったのと少年が身を屈めたのは同時。
 お互い気配を消してあたりを窺う。
「アーチャー、何か見つけたか?」
「いや……どうやら気のせいらしい。猪とは言わずとも何か食材になるものがいればよかったのだがな」
「まあ食べなくても問題はねぇんだが……オルタのオレとおまえさんは心許ないか」
 カルデアとも連絡がとれないままなんだろ。
 葉擦れと風の音に所々が搔き消されるものの、聴き慣れた声に思わず安堵する。
 連絡が取れない事実は改善しないが、バラバラになっているよりはましだろう。
 無言で腕を広げれば、隣の子犬は仕方ないというように近付いてきて大人しく抱き上げられたものの、あからさまに呆れたような声を落とす。
 少年は慌ててしーっと子犬を牽制した。
 会話からして相手はアーチャーのエミヤと、キャスターのクー・フーリン。前者はともかく後者には小言を喰らいそうだなあと頭を掻きながらも勢いをつけて飛び出す。
「エミヤ、やっと会えた!! 気付いたら一人だしなぜかコイツは付いてきてるしどうなってんのかと思ったぜ」
 わざとらしい大声だが、これも作戦だ。
 一息で己の状態を説明してから自分が犬になったかのごとく最短距離で駆け抜け、驚いて振り返った拍子に翻えった腰布を物ともせずに素早く腕を回し、がっちりと抱きつく。
 直前で少年の腕を脱出した子犬は、主人が抱きついた赤い衣のアーチャーの腕の中。
「ええと……」
「もー腹は減ってくるし連絡は取れねぇし……でもアンタと合流できてよかった!」
 ぱあ、と顔を上げた瞬間、光が散らんばかりに全力のスマイル。援護射撃とばかりに腕の中の子犬もきゅうと鳴く。少年と子犬の同時攻撃にうぐ、と声を殺したエミヤに呆れた溜息を落としたのは存在を黙殺されていたもう一人の男だ。
「言いたいことは山ほどあるが……とりあえずソイツから離れろ」
 首根っこを掴まれて引き剥がされる手付きに遠慮は一切ない。インナーが引っ張られて潰れた声を出した少年は直後に飛んできた子犬をキャッチした。
「何すんだよ! って……あれ?」
 なんで槍を持っているんだ。
 続けられた問いに視線を交わし合った男二人は、座り込んだ膝の上に子犬を乗せたままの少年を見下ろして片や頭を抱え、片や盛大に溜息を吐く。
「なんなんだよ!」
 唇を尖らせる少年に対し、先に行動したのはエミヤであった。
「……すまないが、私は君が知っているエミヤではない、と言えば伝わるだろうか」
「あ? いやだって一緒にレイシフトして……」
 そこまで言ってから考え込む。もしかして違うカルデアのエミヤということか。告げられた結論におもむろに頷いた青年はおそらくそうだと声に出した。そんな予定だったかと続けられた囁きは些細なことだろうと黙殺されたが、ランサーの表情は厳しい。
「君にとっては知った顔かもしれないが、あいにくと私は初対面なんだ。クラスはセイバーのようだがそう呼んでも?」
「セタンタだ。そっちで成長したオレが睨んでんのに真名隠す意味もねぇだろ?」
「あぁ? いくらチビ犬だっつってもそんな年齢じゃねぇだろテメェ」
 和やかな会話に割って入ったのは先程溜息を落とした男だ。少年が成長したと言い放ち、男がチビ犬と返したことでいやでも同じなのだと実感させられて、間に挟まれた青年は再び頭を抱える。気まずい沈黙の中を険悪な視線が飛び交うが止める者はいないかと思われた。
「なっ!」
「あぶねっ!!」
 均衡を崩したのは妙な鋭さで飛来した槍だ。同時に行動した男と少年が飛来物をかわして距離を置いたところへ、のそりと近寄った黒い影が眼光鋭く周囲を睨め付ける。
 開かれた唇から落ちたのは苛立ち混じりの遅いという文句。すまないと謝った青年に伸びた尾が問答無用でその身を拘束した。
「獲物なら若いヤツが仕留めた。杖持ちが火の用意はしているが、あとはテメェの仕事だろう」
 歩けるから下ろしてくれないかと声を上げた青年を却下の一言で切って捨て、尾で絡めとったまま、他の二人を無視して歩いていく。
「おいコラ待てよオルタ!」
「アイツ今杖持ちって言ったよな。ってことはやっぱアンタ見かけ通りゲイ・ボルク持ってるランサーなのか。そっかー、オレこんなんになるのかー」
「うっせえわ!!」
 もはや構っていられるかとばかりにオルタの後を追うランサーの後ろに続きながら、セタンタはチラリと背後に視線を投げる。同じように付いてきている子犬が、こちらは気にするなと視線で伝えてきたのに頷き、スピードを上げた。
「随分と賑やかな帰還だな、アーチャー」
「……獲物は」
「向こうだ。若いオレが解体中。しっかし、妙なのが混ざってるが……そのチビどもはおまえさんが拾ったのか?」
 ついと動いた杖の先が見知らぬ少年と子犬とを指し示す。まずいと思った瞬間に彼らの脚はルーンに絡め取られ、動きを封じられた体はその場に倒れ込んだ。
「捨て犬みたいに言うんじゃない。どうせ君ならなんとなく予想はできているのだろう?」
「まあな。だがまあ、とりあえずメシ頼めるか。森とは相性いいが、さすがに全員分は賄いきれんし、こっちのサーヴァントじゃねぇチビどもにも必要だろうしな」
 二つ返事で承諾したエミヤがプロトを手伝うと離席すれば、その場には蹲って動かなくなったオルタと、強制的に地面と仲良くさせられたセタンタ、興味深そうにそれを眺るランサーとキャスターのクー・フーリンという謎の組み合わせの四人が残った。
 うわぁと嫌そうな声を上げるセタンタ。それはこっちのセリフだと返すランサー。
 声音がエスカレートすれば、うるさいとばかりにオルタの尾が地面を叩く。じゃれてんじゃねぇと制したキャスターがひょいと子犬をつまみ上げてふむと顎を撫でた。
 ぐる、と威嚇する姿も可愛いものだと笑い飛ばす。
「可能性、ってのはなんとも不可思議なモンだわな。とりあえずおまえさんの相手はコイツだ」
 するり。いつのまにかキャスターのローブの影から姿を表したのは大きな白い犬だ。
 よろしくと宙に放られた子犬を鞠のように頭と背中で弾ませて受け取り、前肢と尻尾で囲い込むようにして丸くなる。ふんふんと鼻先を突き合わせて匂いを嗅ぎあう楽しそうな様子を横目で見ながら、キャスターは改めて少年に向き直った。横からランサーが口を出す。
「杖持ち、そいつは他のカルデアと言ったぜ。予定外だともな」
「他の、か。もちろん可能性としてはありうるが、少なくともオレらはその存在を観測していない。だが、コイツが召喚された場所はそうじゃねぇらしいな」
「ちょっと待てよ。カルデア同士で連携しなかったら特異点は奪還できねぇえだろ」
 ランサーとキャスターが顔を見合わせ、少年が牙を剥く。無言のまま少年にずいと近付いたキャスターは黙れと冷えた声を落とした。
「口まで無理矢理塞がれたくなければ、この件についてそれ以上喋るな」
「なんでだよ!」
「観測されると面倒だからだよ。これ以上お互いの詮索もなしだ。気休めかもしれんが、向こうと連絡が取れないのは幸いだな」
 男の口調は真剣。おまえらもそれでいいかと振り返った彼に尾の先と手、それぞれを振って応えるクー・フーリン達を目の当たりにしたセタンタは、それ以上の文句を飲み込んで息を吐くと、無言のまま頷いた。
「さて、そろそろ火が入り用な頃か。アーチャーに説明がてらオレも手伝ってくるわ」
 あとはよろしく。
 声が流れる頃には子犬とセタンタの戒めも解けている。
 動けるようになったにも関わらず、その場で大の字になった少年は見慣れぬランサーの己を見上げた。手元には呪いの朱槍はない。
「なあ。詮索は無用って言われたが、どうしても気になってることを聞いてもいいか?」
「あん?」
 怪訝な顔をしつつ言ってみろと促した槍兵にどこかキラキラとした目を向けて、少年は口を開いた。
「槍って蹴るんだろ? どんな感じなんだ?」
「なんでだよ!?」
 ランサーの声が響き度り、ノーモーションで振られたオルタの尾に殴り倒される。
 なんだ蹴らないのかと残念そうなセタンタの呟きが落ちて、戯れている犬二匹がふすんと溜息を落とした。

2021/05/22 【FGO】