縁紡ぎ青満たす玻璃

 眼前に迫るのは大量のゴブリン。
 その中に、二体だけスプリガンと呼ばれる岩を集めたような巨躯の敵が混ざっているのが見て取れる。
 遮蔽物が一切無い荒野では伏兵を心配する必要はないが、こちらが逃げる隙も無い。
 なし崩し的に戦闘状態に移行したため、止める暇もなく突っ込み、槍をふるって敵集団の注意を引いたのは狂王とも呼ばれるバーサーカークラスのクー・フーリンであった。
 出遅れたとぼやいた少年が、一斉に狂王の元に向かっていった敵の注意を引かぬように小声で名を呼ぶだけの指示を出す。
「なんでこうなるかなあもう。ロビン、シェイクスピア!」
 ぐるりと見渡して表情を確認すれば、出遅れたと悔しがったのは全員であることが分かる。
 もっとも、彼らが出遅れたというよりは、狂王の反応が早すぎたと言っていい。
 マスターの護衛役を務める白百合の騎士は少年の体を抱え上げ、おおよそマスターに対する扱いではない乱暴さで敵の真っ只中から離脱を図りながら、あまり喋ると舌を噛むぞと忠告する。
 そうして運ばれていくマスターにただ一度名を呼ばれた二人は、己の役割を正確に把握していた。
「ほいほい。しっかし、オレの手持ち札は乱戦向きじゃねぇんで誰かさんに任せたいんだがねぇ」
「やれやれ、吾輩のほうこそ荒事には向いていないのですが、仕方ありませんな。最も、押しかけ舞台ならもっと刺激的でなくては!」
 シェイクスピアの持つ本が勢いよくめくれ、ばらばらと乾いた音をたてる。続いたのはロビンフッドの言葉に対する返答であった。
「この劇の主人公はむしろ彼、そして舞台装置の要はあなたですぞ!」
 シェイクスピアの能力が展開されるのにあわせて、ロビンフッドも弓を構える。
「哀れ、敵は死棘を視認できても対応できず、ただただ力無い小鳥のように貫かれるばかり……」
 シェイクスピアは作家であり、魔術が使えるわけではない。だが、役者であり、劇作家でもあるその存在が周りをすべて巻き込んでひとつの舞台を生む。
 周りを圧倒する戦士と、それに哀れにも薙ぎ払われていく有象無象。狂王の槍の一振りでいくつもの体が両断されていくが、それを上回るかのように敵は押し寄せる。だがゴブリン達は気付いていなかった。黒子が役者にそっと耳打ちするように彼らに寄り添った影の形をしたもの。それが示した立ち位置を。
「こんなときまで遊んでんじゃねえぞ!」
「無論、我輩は真剣ですとも!」
 すでに狂王と斬り結んでいた者を除き、固めるように移動させられたゴブリン達が、我に返ったところで束の間の舞台の幕は下りる。
「そういうことかよ! くっそ……まとわりつけ棘の茨、牙を剥け、冥界の門に連なる木々よ!」
 先に言えと文句を零したロビンフッドが構えていた矢を放つ。
 そこは、森である。
 突如として荒野に出現した幻のように頼りない、それでも確かに存在する概念。
 それは、森と一体であるという繋がりを持つ者から放たれた矢によって、瞬く間にその場にイチイの力を満たしていく。
 限界まで満たされた力は強力な毒霧となり、固まっていた敵全体を覆うと、次の瞬間には霧散した。
 強力な上に進行が早い毒は巻き込んだ対象全体に速やかに回り、その毒性をもって敵を場に縫い止める役割を果たす。
 纏めて無力化した敵たちと、乱戦になっている少数の敵集団、その間は狂王が振るう槍の全長ほども離れていない。
 その隙を逃すような面々ではなかった。
「エミヤ、お願い! そして全員安全圏まで後退よろしく!」
「あいよ」
「はい! ではマスターは私が!」
「承知した。シェイクスピア!」
 マスターである少年の指示に従う声が重なる。軽い頷きは緑衣のアーチャー、少年に手を伸ばしたのは白百合の騎士。そして場を任された赤の弓兵は、即座に次の舞台を整える作家に声を投げた。
「猛者の一人舞台は閉幕ということですかな? よろしいでしょう」
 エミヤと呼ばれた赤い弓兵の口から、今は彼の宝具として在る、ある魔術を開放するための旋律が流れはじめ、シェイクスピアの筆が滑らかに走る。
「それでは盛大に描くとしましょう、この戦いの結末を!」
 ここに成るは終わりなき鋼の嵐。
 その切っ先からは何人も逃れられず、ただ無力に地に臥すのみ。
 舞うは花弁ならず、唾棄するような血飛沫と悲鳴。
 白茶の平坦な荒野は色と形を変え。
 後に立つはただ、それを成した本人のみ。
 息をするかのように紡がれた文字たちは、魔力を纏い、力となってシェイクスピアが舞台と定めた場を支配する。
 物語というものは、時として誇張を多分に含んで描かれるものだ。
 彼の筆で描かれるのは、まさにその究極。エミヤが展開しようとしている宝具、無数の剣によって敵を討つ、その威力がもたらす結果への概念付与。
 その一部は緑衣のアーチャーの元にも届く。
「へいへい。オレも働けってことですか、ね!」
 軽い口調とは裏腹に、彼の視線が鋭さを増す。すばやくつがえられた矢は、迷いなくスプリガンの一体を狙っていた。
「オルタ、一旦退いて!」
「無理だな。オレが退けばこいつらがオマエらの元になだれ込むほうが早い」
 なに、そこの弓兵ならうまくやるだろうよ。
 オルタのクー・フーリンの言葉は、今まさに宝具を展開しようとしていた赤の弓兵の耳にも入った。
 最後の一音。
 彼にとってのあり方を語る呪文が完成し、白んだ荒野は炎に舐められた赤茶けた大地へと塗りつぶされていく。
 心象風景の具現化、固有結界と称される大魔術。
「まったく、無茶を言ってくれる」
 口元に笑み。そこから呆れたような独語が落ちる。
 それでも、一人、敵を押し留める姿を否定することはできなかった。
 立ち位置が違えば、たとえば今回のメンバーに彼が居なかったら、己も同じことをするだろう自覚がエミヤにはある。それは自分がやるのが一番効率がいいという損得計算と、己の懐に入れてしまった庇護対象を守らなければならないという無意識故だ。
 だが狂王の場合は、戦士たる自分にその能力があるからやる、というだけの単純な理由で、本気ですべてを相手にできるとと信じているのだ。
 彼はクー・フーリン。かつてコナハトの大軍勢を一人で押し留めた男。
 いくら歪んでいようが、そのありかたは、カルデアに現界している他のクー・フーリン達と何ら変わらない。
「だが、せっかくだ。期待には応えなくてはな」
 エミヤは詠唱の際に紡がれることばにもあるように、定義された心のありようを示す仕草として、心臓の位置にてのひらを置く。
 普段は攻撃時に離されるそれをそのままに、視線を上げた。
 すべてを見通す鷹の目はいくら敵の影に埋もれようと目的の姿を捉えることができるが、それだけでは足りない。
 己ができることは、ただ幻想することのみ。
 過去の因縁と、カルデアに召喚されてから触れることが増えて馴染んでしまった青の魔力を強く思い描く。
 それは今立っている己の原型を形作るものの一つであり、離れていても同じものなのだと自分自身に誤認させることで対象を絞り込む。
 剣の丘に立つはそれを成したもののみ。
 なれば。今から放つ刃は、己の敵のみを刺し貫く。
 ゆらり。
 まさにその名の通り無限に思えるほどの刃が切っ先を定める。
 青年の顎がわずかに引かれ、細められた瞳が見開かれる。それが合図だった。
 一斉に降り注ぐ苛烈な鋼の雨に耐え切れず、大量のゴブリンが姿を消していく。
 直後、無限の刃を追うように、一本の矢が宙を駆けた。同時に低い位置から朱槍が走り、毒と刃にもがいていたスプリガン二体は別々の力に同時に引き裂かれる。
「合図くらいしてほしいもんですねぇ!」
「君にそんなものは不要だろうに」
 分かっていて文句を零す緑衣のアーチャーに肩を竦めるだけで答えて、エミヤはそっと固有結界を閉じた。
 赤茶けた大地は元の荒野に戻っていくが、視界に映る景色は同じにはならない、引き裂かれた大量の敵によって地面は別の色に塗りつぶされ、重なり合って倒れた体は小さい丘となって平坦だった場所の印象を変えている。
 そこに、死のごとき黒の影が立っていた。
 朱槍を立て、表情を浮かべず、ただ戦闘が終わったことを確認していた彼は、即興で作られた丘の上から弓兵達を見下ろす。
 それはシェイクスピアが描いた舞台の終幕の光景。
 心象風景に重ねられたそれを、本来ならありえない視点で見ているなと苦笑を落として、エミヤは視線を外した。
 狂王が戻ってくるまでの間に周囲を見渡し、安全を確認する。
「すごいね、エミヤ。あの状況でエミヤを信頼して任せられるオルタもすごいけど!」
 感嘆の息を吐いたマスターの少年がきらきらした表情で見上げてくるのに、青年は眉を顰めて苦笑を落とす。
「だからといっていつでもできるとは思わないで欲しいものだがね。今回は条件がよかっただけだ」
 ちらりと見遣ったシェイクスピアは涼しい顔。まったく食えない男だと思う。
 少し離れた場所であたりを見渡していた緑衣のアーチャーが戻ってきたのを機に、白百合の騎士がとにかく移動しようと提案する。
「そうだね。せめてちょっと姿を隠せる場所があるといいんだけど……」
 頷いた面々は速やかに移動を開始した。
 血の匂いは獣を呼ぶ。連戦はご免被るとばかりに移動速度を優先してマスターを抱えたまま走る白百合の騎士と、それを囲むように一定の距離を保って走る面々が、破棄されたらしい小屋に辿り着いたのは日が傾いてきた頃合いであった。
「デオン、ずっと抱えてもらってごめんね」
「いいえ。サーヴァントの身ではさほどのこと、負担にもなりませんよ」
 やっと地面に降り立った少年の謝罪に、白百合の騎士はにこやかに言葉を返す。
 その間に分担して周囲と小屋の様子を確認した赤と緑の弓兵達は、とりあえず問題無しの判断を下した。
「それなりの量の麦藁が残っているのを見ると、なにかの拠点か休憩所だったのかもしれませんねぇ……天井が一部崩落してますが、そのあたりは無事でした。乾いてましたから、今晩のマスターのベッドはあれで決まりですぜ」
 やった、と。無邪気に喜んだ少年は、すぐに慣れた様子で周囲の偵察に行っていたエミヤから話を聞き、先の戦闘で敵を一手に引き受けたオルタのクー・フーリンを気遣う。
「通信のほうはどうですかな?」
「やっぱり繋がらなかったよ。とりあえずもう日が暮れちゃうし、明るくなってから移動かな。霊脈地の近くなら回復するかもしれないし」
 対処も慣れたもので、シェイクスピアの質問にはすでに試した後だという答え。その場の全員が同意して、今後の方針が決まった。
「食事は一緒に持ってきた携行食で我慢したまえ」
「大丈夫だよ。オルタ呼んでくるね」
 明かりを灯せるものが無いため、日が落ちきる前にすべてを済ませる必要がある。青年が食事の支度をしていると、マスターに続いて、のそりとした影が近付いてきた。
「狂王、随分と魔力を消費しているようだが大丈夫かね?」
「……メシ」
「ああ。皆と一緒に食べてくれたまえ」
 ロビンフッドは小屋の屋根にのぼって見張りをしているため、残り二人にも声をかけて一緒に食事を済ませてもらう。
 自分も簡単に食事をすませた後で交代のために屋根に上がった。
「交代だ。君も食事をしてくれ」
「いや、このまま夜半まで見張りは受け持つ。どうせ携行食だろ? ここで食うさ」
「ではこちらに運んでこよう。何か気になることでも?」
 つられるようにエミヤもロビンフッドの視線を追う。
「いや、特に何が見えてるって訳じゃあないんですけどね」
 どうにも落ち着かないのだと語る。
「ま、こっちは適当にやっときますから、他連中全員マスターの側に誘導頼んますわ」
「……承知した。夜半過ぎに交代に来るよ」
 マスターとの距離が近いほど、魔力の供給は容易になる。つまり、交代までに多少でも回復しておいてくれ、と。そういうことだ。
 エミヤは一度ロビンフッドに食事を運んでから、全員を小屋の中に誘導する。
「みんなココで寝るの?」
「私は外で構わないのですが……」
「そう言わずに。見張りならロビンがしてくれているから問題無い。その彼も明日の移動距離を考えれば少しでも回復に努めるほうがいいだろうと言っていたからな」
 抱えていくのが二人になる可能性もあるからと笑えば、何人かの目が細められる。
「……そう言うことでしたら仕方ありません。では私はここで」
 少年が眠るはずの最奥の位置と、入り口から向かって左手に大きく開いた天井、その両方がよく見える反対側の壁際のあたりを指定した白百合の騎士は剣を抱えたままでその場に蹲る。続くように狂王も無言で入り口とマスターの中間あたりに腰を落ち着けた。
「ふむ。そうなると吾輩はマスターと共寝ですかな」
「なぜそうなるのですか!」
 軽い言葉に大げさに反応したのはデオンで、当の少年は苦笑するのみ。
「何故と言われましても、万が一襲撃を受けた場合に一番役に立たないのは吾輩ですからなあ。それならばマスターの毛布にでもなっていたほうがまだマシというもの」
 この通りマントもありますしな、と。
 ひらひらと己の装備を振ってみせる劇作家に、デオンは盛大な溜息を落とした。
「毛布がわりはともかく、その言い方はなんとかならなかったのですか」
「あー……デオン、俺なら気にしないからさ。とりあえず寝てしまおう? 礼装の助けがあっても夜はなんだかんだで冷えるから誰かが側にいてくれるのはありがたいから歓迎するよ。まあ、今回は下がふかふかなだけ恵まれてるけどねー」
 あはははと笑う少年は、なんならデオンも一緒に寝てくれるかなどと言って、かの騎士を困らせている。
 まるで漫才のようなやり取りを横目に、エミヤは狂王の側に立った。
 戸が壊れて外れている入り口と、大きく口をあけた天井から外が見える絶好の場所であることを確認してその場に腰を下ろす。ちらりと視線を投げただけの男は何も言わず、そのまま目を閉じることで、弓兵が隣に並んだことを黙認した。
 ゆらりと一度だけ尻尾が揺れ、それに微笑んだエミヤも同じように目を閉じて休むことに専念する。
 マスターと二人のやり取りはすぐに収束し、寝息が聞こえ始めた。
 感覚で目を覚ましたのは夜半過ぎ。
 静かに目を開けた彼は、部屋の中の面々が全員眠っていることを確認すると、開かれた穴から屋根に上がった。
「交代だ」
「はいよ。今のところは何にも無い、というのが逆に怖いというか……このまま杞憂であってくれればいいんですがね。んじゃ、たのんますわ」
「ああ」
 青年の脇を通って音もなく着地した緑衣のアーチャーは一番入り口側に近い壁に背を預けて腰を下ろす。
 それを確認したエミヤは遥か荒野に視線を巡らせた。
「……煙草」
 そういえば、と視線を流す。よく喫煙している姿を見る彼のことだ。一人で見張りをしていたのなら吸っていてもおかしく無いだろうに、すれ違った時にそんな匂いがしなかったことに気付く。それだけでも警戒を強めるのに十分だと判断した青年は、できる限り注意深くあたりを観察することに決めた。
 日が暮れるあたりではまだ空にあった細い月の姿はすでになく、灯りらしいあかりが無い荒野は闇に包まれている。吹き抜ける風の音と、かすかにそれに混ざる寝息を除けば静かな夜。
 月も時計も無いこの状況では正確な時間を知る手段はないが、辛うじて星の動きでおおよその検討をつけて、もうあと三時間強すれば月も昇ってくるだろうと予測を立てる。
 ロビンフッドが告げた通り、現在のところ何かがおこるという気配はない。それでも気を抜かずに彼方を見つめ続けていると、視界の端に注意を促すものが触れた。
 体感ではそろそろ二時間を超え、三時間になろうかというところ。
 深く息を吐き、青年は闇を見据える。
 数キロは離れているだろうか。何もないはずの荒野のど真ん中。光が存在しないはずの場所に、最初はなにかがゆらめいている、という程度の違和感だった。
「……何だ?」
 無視できぬ違和感に青年の瞳が細められる。
 その手にはすでに己の中から生み出された黒い長弓が握られており、警戒を強めた彼は違和感が強い箇所を中心にぐるりと視線を巡らせた。
 揺らぎは徐々に大きくなり、ひとつの影を形作る。
 夜の闇よりもさらに濃い、漆黒の異形。それがいくつも生み出され、ゆらりとこちらを認識する。
 かなりの距離があり、まして相手には目などあってないようなものだというのに、視線が絡んだ気配で背筋が凍った。
 近付けさせてはいけない、と警鐘が響く。
「……ッ!」
 考える前に本能で選んだ矢をつがえ、放っている。
 呼び水だったのか。それとも必然だったのか。一斉に移動を開始した異形に向けて、エミヤはたて続けに矢を放った。
「数が多いな……ゴーストの類か」
 数をこなすために投影の矢は負担の軽いものを選び、途切れさせずに射ることで敵を近付けない手法を取る。
 馬鹿正直に正面から向かってくる相手を貫くのにはさほど苦労しないが、問題はその数であった。
 一人では正直きつい数だというのはすぐに把握できたが、同行者に助けを求めることもできない。
 もう一人のアーチャーはその戦闘スタイルから近距離から中距離向きであることは明確で、長距離の狙撃を得意としない。騎士と狂王は近接戦向き。キャスターは本来なら陣地防衛と遠距離攻撃に秀でているクラスのはずなのだが、今同行している彼は、おそらく数をこなす狙撃においては何の役に立たないというのが何もしなくてもわかってしまう。
 明日の移動時にマスターとともに抱えられるのが自分になるかもしれないが仕方ないだろうと割り切って、連射速度を上げる。
 どれだけの矢を消費したのか。空にはいつのまにかうっすらとした月が姿を見せていた。
 同時に背後に気配。
「起こしてしまったか? だが君の手を煩わせるまでもないよ。敵は遥か彼方だ。遠慮なく休んでいてくれたまえ」
 姿を見せたのは休んでいたはずのクー・フーリン。
 視線を送ることもせずにエミヤは気配の主に話しかける。
 手助けをするつもりも邪魔をするつもりも無いと告げた男は、その言葉通りエミヤの邪魔にならない位置に立った。唯一、尻尾だけが動きを阻害しない程度にゆるやかに片脚に絡まる。
「なんのつもりかね」
「てめぇが魔力切れでぶっ倒れた時に落ちたら処理が面倒だろう。そのストッパーだ」
「なるほど。それは助かるな」
 くつくつと笑って再び矢を射るのに集中する。月の位置はだいぶ高くなってきており、あと少しすれば空は白み始めるだろう。
 直感が、それまで耐えろと告げていた。
 マスターからの魔力提供は滞りなくおこなわれているし、絡んだ尻尾からもゆるく沁みる慣れた青の魔力を感じる。だが、それを加味しても魔力が足りない、いや、ギリギリか。
「……オレが」
 キャスターだったら良かったか。
 ぽつり、と。
 唐突に落とされた呟きに動揺する。それでも放った矢は違わず敵を貫いたことに胸を撫で下ろした。
「突然だな。そして意外でもある。君からそんな言葉が出るとは思わなかった」
「別になんの不思議もないだろう。オレよりもキャスタークラスのオレが居たほうが勝算が高い上に負担が軽いというだけだ」
 どうあっても近接型になる自分では、孤軍奮闘する弓兵の手伝いはできない。槍を投げるという手段も無くはないが、効率が悪すぎる。
 淡々と告げる狂王は、いかにも効率を考えた結果だと言わんばかり。
 キャスタークラスのクー・フーリンがこんな時にどれだけ頼りになるかなど、あえて言わなくても一番良く知って居るのはマスターである少年だろう。今晩のことが耳に入れば、もしかしたら自分の人選を一瞬でも後悔するかもしれない。
 かといって、仮定の話を考えるのは無意味だと、二人も、おそらくは少年も分かっていた。
「変わらんよ。もし君がキャスターだった場合、先の戦闘の際に私はすでに戦線を離脱しているだろうからな」
 あれは君だったからこそうまくいったのだろう。
 告げる弓兵は、自分がその立場になった時のことを容易に想像できてしまう。自分と狂王の立場を置き換え、さらに狂王がキャスターであった場合の予想は、どう頭を捻っても自分が魔力切れ以外の要因で戦闘不能になっている。
 そして、その流れでこの場にキャスターのクー・フーリンが居た場合、おそらくこんな風に魔力をすり減らして敵を迎撃などせずとも、結界やら魔術的なトラップやらの魔術師らしい手札を駆使してもっとスマートに夜を乗り切っただろう。
 魔力は休めばある程度回復するものだ。怪我が無い以上、多少回復すれば戦闘は無理でも自分で歩くくらいは容易にできる。重傷を負って、放出した魔力の回復と傷の治療とで二重に手間をかけ、その間ずっとお荷物になるよりはよほどいいだろう。
「だからこれでよかったのさ。まあ……日が昇ったら否応無しに君の世話になるかもしれんがね」
 それくらいは勘弁してくれたまえ。
 声だけでかすかに笑って、次の矢をつがえる。
 限界が近い。だが、視界に映る闇は急速に薄くなっていく。
 うっすらと空が白みはじめ、さらに赤が混じるのを横目に、弓兵は最後の矢を放つ。
 最初の光が大地を染めた。
 瞬間。それまで無限かと思われていたゴースト達が一斉に霧散する。
「やれやれ……とんだ重労働だ、な……」
 意識せずとも光に還った弓をわずかに追った視線は途中で闇に引き込まれた。
 我慢できずその場に落ちた膝を掬い、するりと腰に回された尻尾が転落を防いでくれる。
 抗うこともできずに屋根の上に座り込めば、背に温もりが触れた。視界はもう開かなかったが、落ちる心配はしなくていいことに安堵の息を落とす。
「マスターが起きるまでにはまだ時間がある。少し休め。テメェが転がり落ちない程度には見ていてやる」
「ああ」
 ありがとう。
 礼を言おうとしたのだろうが形だけで音にはならず、最後まで紡がれないままに青年は意識を沈めた。
 必然的に見張りを引き継ぐことになったクー・フーリンは先ほど己が発した問いを忘れたかのように強い視線で彼方を見遣る。
「真似事程度なら可能か」
 握りこむのは探索のルーンを刻んだ小石。だがまだ使う時では無い。
 小屋の中では、わずかに漂うシェイクスピアの魔力がまだそこに居る者達の目覚めを阻害させていた。

   ※

「ただいまぁ。よかった。今回も無事に戻ってこられた……」
「本当に……先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、うん。ありがとうマシュ」
 みんなもおつかれさま。
 今回のレイシフトメンバーひとりひとりを労った少年の言葉で今回のメンバーは解散となり、戻ってきたメンバーは思い思いの方向に散っていく。
「エミヤは大丈夫? 部屋戻れる?」
「ああ。日常生活の範囲で動くのには支障はないから問題ないとも。むこうでもそうだっただろう?」
 あの夜以降、戦闘禁止を言い渡され、さらに少年にくっついていることを強制された青年は何度目かもわからない苦笑とともに大丈夫だからと言葉を紡ぐ。
 改めて自分に問えば、通常通り歩行するのに支障が無い、という程度の状態であることがわかる。ついでとばかりにカルデアから供給される魔力で通常通りになるのにかかる時間をざっと計算して悟られないように溜息を落とした。こればかりは足掻いてどうなるものでもない。
 でも、と。渋る様子の少年の様子に、このままではずっと言われ続けると察し、この後は戦闘も訓練も誰かの手伝いもしないでしっかり休むからと告げる。明後日いっぱいまでは復帰できないとキッチン担当に伝言を頼めるかと話を逸らせば、少年は素直に頷いた。
「それくらいはもちろん! 本当に無理させてごめんね」
「君の人選も指示も間違っていなかった。それは全員無事に戻ってきたことからも証明されているだろう?」
「うん……」
 もう一度頷いた少年の頭をくしゃくしゃにして、エミヤは目を細める。
「ならば君が次にすべきことは?」
 問いには、とりあえず起きるのを許してくれなかったシェイクスピアをシメる、と。物騒な冗談が返った。
「せ、先輩、それは……!」
「冗談に聞こえないぞ」
 二人から突っ込みをくらった少年は、朗らかに笑う。
「それは置いておいて……うん。俺は俺のしなきゃならないことをするよ。マシュ、行こう」
「はいっ!」
「ああ。そうしてくれ」
 元気に出て行った二人を微笑ましく見送ったエミヤは、自分も部屋に向かって歩き出した。
 途中何人かのサーヴァントや人間達とすれ違うが、今回のレイシフトが過酷であったことはカルデア中が知るところになっているらしく、さっさと部屋に戻れと追い立てられる。
 方々に苦笑いを残しながら部屋に戻った青年は軽くシャワーを浴びると、さっさとベッドに潜り込んだ。
 回復するにはとりあえず眠るしかない。だが、しまったと思ったのは目を閉じた後。消耗しているとはいえ、いつもと違い動くのに支障は無かったのだから食事を貰ってくればよかったかと思うがもう遅い。
 余裕があれば誰かが配達に来てくれる可能性はある。
 改めて出ていく気にはならなかった彼は、仕方ないと諦めてそのまま眠りに入る選択をした。
 
 
 コツリ。
 どのくらい眠っていたのか。
 物音ともに名を呼ばれた気がして青年は目を覚ました。
 扉前のモニタを起動させても何も映っていないが、なんとなく予感があってそのままロックを外す。
 電気は不要だろう。特に困りはしない。
 反応して開いた扉に、少しだけ躊躇するように足を踏み入れた影は、予想通り白い毛玉姿の来客だった。
「君が持って来てくれたのか」
 ベッドのすぐ傍までやってきた一匹の白い犬の背に、ラップに包まれたおにぎりと漬物。スープジャーの中身はおそらく味噌汁だろう。
 相手がすぐに食べられない可能性を見越した軽食は作った人物の心があらわれているようで、エミヤの表情が緩む。
「いつかと同じメニューだな」
 思い出すのは犬達が一番最初にこの部屋に逃げて来た時に、キャスターのクー・フーリンが夕飯を食べそびれた自分のために持って来てくれた軽食。
 もぞもぞと起きだしてわざわざ運んで来てくれた食事を受け取る。
 犬がそのままその場に伏せたのを確認して、エミヤは渡された食事を口にした。
 ぎゅっと米がつまったおにぎりは、粒が押し潰されてしまっていておにぎりとしては失格だが、込められた気持ちは伝わる。
 いつかと同じだと思ったのは本当に最初の一瞬だけだった。一番最初ならいざしらず、今となってはこんなめちゃくちゃなおにぎりを作るキッチン担当は居ない。
 くつくつと笑みが零れる。足元で伏せてた犬が怪訝そうに頭を持ち上げて弓兵を仰ぎ見た。
 ゆるりと頭を撫でれば、気持ち良さそうに目を細めた犬が、ぽすんと青年の膝に鼻先を落とす。
「ごちそうさま。運んでくれてありがとう」
 もっと撫でろと言わんばかりの仕草に苦笑して、食事のトレイを退避させる。片付けは後回しでも構わないだろう。
「君さえよければもう少しこちらにこないか。その……ベッドの上に」
 いつものように言葉を理解しているらしい犬は、青年の誘いに一瞬きょとんとした表情を見せる。
 今まで一度もエミヤのほうからベッドに誘ったことはない。
 そんなに切羽詰まっているのかという仕草をされて、青年は自嘲気味に笑みを乗せた。
「たしかにあれば有難いが、そういうことではなく……ただゆっくりと君の毛並みに触れたいだけだ」
 少し疲れているかもしれない。そんな風に零せば、察しのいい犬は軽くベッドに飛び乗って、どうぞとばかりに青年の肩口に懐いた。
 礼を口にしたエミヤは、食事のために下ろしていた脚をベッドの上に引き上げて向き合う体勢。犬のほうも心得たもので、胡座を中途半端に崩したような脚の間に座り込み、ぱたりと尻尾を振った。
 慣れた感触。
 もふもふの体を抱き込むようにしてその毛並みを堪能する。
 ふわりと絡むのは青い魔力。
 休息を取るために寝ていたこともあり、いつもの戦闘用礼装ではなく、適当に見繕った黒のシャツとスラックス姿でいるエミヤは、相手が持つ魔力の濃さと神性の高さを忘れていた。いや、忘れていたというよりは礼装の恩恵を受けていた分を失念していたと言うべきか。
 純粋に毛並みに触れたいと先だって告げた通り、受け取る気がなかった彼だが、慣れているものよりも格段に強く滲んだそれに不意をつかれ、乱れた息を逃す。
「今日、は……随分と、主人の気配が強いのだな」
 何かあったのか、と。問うても答えが返るわけではない。
 ベッドの上でよかったと思うべきなのだろう。
 ずるずると崩れ落ちてシーツの海に沈んだ青年は、気遣わしげに鼻先でつついてくる犬を一旦遠ざけた。
「私、の、ほうから、誘ったのに……すまない。少し待ってほしい」
 意図せずに受け取ってしまった相手の魔力は青年の体にじくりとした熱を篭らせる。いつものことだから大丈夫だと油断していたのは事実ゆえに責める相手も居ない。
 青年の意を汲んで少し離れた場所で伏せた犬が心配そうに様子を伺っているのがわかった。
 色々な要因が重なっての不幸な事故だとは思う。急激に濃い魔力を取り込んだのが原因なら吐き出してしまえばいいだけだとはわかるものの、保有量に対する魔力量は全然足りていない、という状態な上、どうにもふわふわする頭では、集中が必要な魔術の行使など不可能に近い。
 正しく酔っているのだろうなこれは。
 どこか冷静に分析して溜息を落とす。
 これではまるでこの場にいない相手に魔力の気配だけで抱かれているようだと苦笑を零し、迷った挙句、青年は抵抗を諦めた。
 相手ならそこに居る。彼の分身とも言えるものが。
 じっと待っていた犬に手招きをして強く抱き込む。今度は犬のほうから離れようとしたのを押し留めて、体を丸めるようにすると、豊かな毛並みに顔を埋めた。
「……ッ!」
 礼装やその他の防御なしで感じる強い魔力に、篭っていく熱を煽られる。
 ますます上がる熱。
 乱れた息をすべて抱き込んだ毛に吸わせて、触れているすべてからゆるりと滲み染み込む魔力を甘受する。
 それはまるで決定打のない愛撫にも似て、じりじりと青年の理性を炙った。
 時折体を震わせ、わずかに堪える声を上げながらも、犬を抱く腕の力が緩むことはない。
 もはや罰かなにかのように頑なに耐える弓兵だが、よくよく観察すれば、ただ魔力を受け取るという行為に対して許容しようとしているだけなのだと知れる。
「頼みが、ある」
 掠れた声が触れて、抱かれたままの犬はひくりと耳だけを動かした。
 今から何も聞かず何も見なかったことにしてくれ、と。熱に浮かされた要請に応えるように、犬は青年の胸元で目を閉じた。構造上塞ぐことは難しいだろうが、どれだけ乱れた息を吐いてもぴくりとも動かない耳を見れば、意図するところを完全に理解していることがわかる。
 安堵の気配が零れた。
 ゆる、と犬の体から離れた片腕。忙しなくなる息と、堪えきれずに溢れる喉に引っかかったような声だけが暗闇の部屋に降り積もっていく。
 犬は約束通りぴくりとも動かない。
「く……ッ」
 ぐりぐりと犬の体に額を押し付けた体が硬直して長い息とともにゆるゆると弛緩していく。
 ひそり。鼻先に触れた雄の匂いにつられるように、それまでぴくりともしなかった犬が思わずくしゃみを散らした。
 ぼふん。
「え……?」
 もふもふの毛並みが消えた。
 代わりに青年の指先に、額に触れるのは清流のような青の髪。
「うげっ……よりによって今かよ!」
 上がった声はよく見知ったもの。まだ青年の頭は酔っ払いのようにふわふわしており、現実に対する対処が遅れた。
 チャンスとばかりに腕の中を抜け出した元わんこは、つい先刻までとは逆に青年の頭を自らの胸に抱え込む。
 参った、と。落とされた響きは本当に予想外だったことを如実に告げる。
 突然犬の姿から本来の姿に戻った男は、顔を合わせなくて済む体勢のままで先手必勝とばかりに早口に言葉を紡いだ。
「アーチャー、とりあえず言い訳をさせてくれるか。その後なら殴られようが追い出されようがメシ抜きになろうがかまわねぇよ」
「……言ってみたまえ。キャスター」
 一瞬だったが、しっかり存在を把握されていることに、キャスターと呼びかけられた青の魔術師は盛大に溜息を吐く。
 声は氷点下だが、拒否はされなかったことに安堵して、わずかに力を抜くと、それだけで多少息が楽になったのだろう青年が長く呼気を零した。
 こんなヘマをするならさっさと退散しておけばよかったんだが判断ミスかね、とぼやいた男は、淡々と言葉を落とす。
「今回のレイシフト先の出来事は聞いてる。まあ、いつものごとくあいつらがソワソワしてたからオレは特に何をしようとも思わなかったんだが」
 送り出そうとした直後に、突然オルタの自分に部屋に踏み込まれて、犬二頭は攫われて行ったのだと語る。悲痛な表情で後を頼むと言わんばかりの目をされれば無視するわけにもいかない、と。
「は……?」
 内容は予想の斜め上だったのか、青年が間抜けな声を漏らす。
「そういう反応になるよなあ……オレだって直後はそうだったわ。その後、詳しく話を聞いたら、アイツもまだ相当足りねえんだろうから行動自体はまあ分からなくもないんだが、そうなるとそれよりヤバかったらしいお前さんの様子は当然気になってくるわけだ。アイツらに頼まれもしたしな。直接部屋に戻ったっていうからまあせめてメシでもと思ったんだが、さすがにオレのまま出向くと、お前さん意地になって平気だと言うだろ? 余計なやりとりで消耗させるかと思ってちと化けてきたんだよ」
 結果的に裏目に出てしまったが。自重気味に落とされた笑いは虚しく響いてベッドの端まで転がっていった。
 純粋に自分を思っての行動だったことを理解した青年は、ほんの少し肩の力を抜く。
「前回で妙な知恵つけらちまったかねぇ……オレの犬達はてめぇの魔力タンクじゃねぇっつーの」
 元を辿れば同一存在の魔力だ。さぞ馴染みがいいのだろうとは理解できるが、無条件に許容した覚えはない。
「……その理論でいくと、私のことはどうなるのかね?」
「あ?」
「私の方が彼よりもだいぶ君の犬達に世話になっているのだが」
 足りない時にそっと寄り添ってくれる犬達の存在はありがたいと思う。サーヴァント達も増え、人理が修復され、余剰な電力などほぼ無い中で、翌日に響くかもしれないと思っても、多少のことでは魔力配分の優先順位は変わらない。
 そんな時の彼らの行動は、人の時分であれば、弱っている時にそっと触れられた掌の温もりのようなものだろうか。
「お前さんはアイツらの意思を無視して魔力を強請ったことなんざねぇだろ」
「む。いや……まあ、そうか」
「そういうこった。アレはあいつらが好きでやってんだよ」
 嫉妬しちまうよなあ。言葉とは裏腹にからからと笑う男に、首を傾げながら抱き込まれた腕を軽く叩く。
 要請に応えるようにさらに緩んだ腕から抜け出した青年は、やっと乱れた着衣を整える機会を得た。
 そういえば。妙な疑問が脳裏に浮かぶ。
「化けていたというなら、同じものなんだな」
 さきほどの犬と。
「ああ。ドルイドの杖の能力でな。なんか違うかい?」
 起き上がった青年に対し、まだシーツと仲良くしていた男は、突然ぺたりと背に触れられて驚きを隠さず振り返った。
「犬の時はあんなに強く感じていた君の魔力の気配が薄いと思って」
「おま……そりゃ今のお前さんには毒みてぇだからこっちが抑えてんだよ。変身してるときはそんな気が回らなかった……というか形状に引っ張られてたからどっちにしろ無理だっただろうな。まあ、化けてくるなんてこれっきりだ。今後はねぇから犬達を警戒する必要はねぇよ」
「それは助かる」
 ぺたぺたと背に触れていた手がそっとシーツに散らばった髪を掬う。
 慎重に流された髪はベッド下に向かって一筋の滝を描き、代わりに男の背に触れたのはおそらく額だろう。
「今のほうが私が知っているあの子達の気配に近いな」
「そうかい」
 唐突な行動の理由が思い当たらず、男はそっけない言葉を投げた。
「もふもふしないのが寂しいが、まあ、そこは妥協しよう」
 腰に腕を回して深く接触すれば、触れる温度が広がって、慣れた魔力が沁みた。
 先程とは違う、抑えられた緩やかな供給。
「お前さんな……オレがクー・フーリンだってわかってんのか?」
「分かってるつもりだよ。大体、私だってそこまで馬鹿ではないつもりだが?」
 犬達が勝手にやってることだと言いながら、彼らが実体化する魔力を途切れさせることはせず、自分は前面に出ないようにしていたのを知っている。
 部屋の中など、ありえないはずの場所に唐突に現れること。世話をかけてばかりだと気にするだろうからと、たまには世話をやかせてみるトラブルを目の前で起こすところまで、おそらくは主人の意向が入っているだろう。
 何度も繰り返されれば、嫌でも甘やかされているのがわかった。エミヤという存在が、クー・フーリンという存在と顔を合わせるとつい皮肉を言いたくなる性分もわかっていて、それを避けながら懐に入り込むのにちょうどいいと使われた白い犬達。
 随分と回りくどい手段を取るものだとは思うが、欲しいものを手に入れるために労を惜しまないというのは聞きかじった知識にあり、おまけにわざわざそれを警告してくる相手もいた。
 緊急用の仕込みに利用されるのも、多少複雑な気持ちにはなるものの、いざという時に任せられる相手だと認識されているのは悪くはないと思ってしまっている。
 エミヤは己を振り返る。
 一番最初から、己にとってのクー・フーリンという存在は、自分が自分になるために必要だったものであり、できればどんなに月日を重ね、研鑽を重ねても勝ちたいと強く願った相手。
 槍兵である彼とは顔を合わせすぎて慣れてしまったが、今目の前にいる男は自分の知らない戦い方をする。それは、歳若い姿や、バーサーカーとして存在しているクー・フーリンも同じだが、彼らは主に槍を使うという点で、戦い方自体はさほど大きく変わらない。
 一人だけ大きく異質なのが彼であった。それでも、中身は変わらないと思えるだけの材料が手元にあるから戸惑う。
「君は、私の知らない戦い方をするだろう」
「そりゃあまあ、オレにとっちゃ面倒極まりないキャスタークラスなんぞで召喚されたからなぁ」
「勝手な話だが、それを見るのは私にとって楽しい部類に入る。君は不本意かもしれないがね」
 男の背中に、青年の穏やかな声が触れる。
「君の魔術師としての在り方に興味があるとも言えるが……最終的にはどんな君にでも勝つ手段を探してるんだよ、私は」
「そりゃ当然だな。じゃなきゃ面白くねえ。それに、オレにとってもそのほうが長く楽しめるってことだろ?」
 例えばここではないどこかで。
 必ずと言っていいほど顔を合わせるなら、今の経験を持った弓兵と見える可能性はゼロではない。
 槍兵としての召喚だったとしても、別に使えないわけではないのだから戦闘中にルーンを織り交ぜる可能性はある。それに初見から対応してくる相手がいるかもしれないというのは、ただ漫然と呼び出されて使い潰されるよりも随分と心踊る想像だった。
「……ただ、それとは別に今の君に触れられるのは嫌いではない。私側のメリットも十分にある。随分と慣らされたものだと自分でも思うが、思惑通りなのだろう?」
 本人でも。犬でも同じだ。
 触れるたびに優しく馴染んでいく魔力は、元の因縁を補強し、次の因縁を呼び込むための布石。
 同時に頑なな心を溶かそうとするものでもある。
「そこまで分かってんならホイホイとベッドに上げんじゃねぇよ」
 んなことしてっと酔い潰すぞ、と。脅し文句は呆れと警告の色。
「後始末まで完璧にするなら君の好きにすればいいさ」
 返答には素直ではない挑発が滲む。
「言ったな」
「それが何か?」
 挑発に乗るようにくるりと器用に向きを変えて弓兵を覗き込む男の目は熱を押し込んだ焔を思わせる。
 後悔するなよ、と。
 掠れた囁きとともに抑えていた熱を渡された青年は喘ぐように呼気を逃した。

おさまったキャス弓。 今回も魔力の設定、戦闘時のスキル効果や演出描写などに妄想・捏造が多分に含まれております。 誰かさんが全く引用して喋らないですが許してください…… ゲームシステム上だと射程や拠点防衛の要素が薄いので意識することはあまり無いのですが、そういう戦闘があったら多分オルタニキやアニキよりはキャスニキが向いているよなあと。そして多分ブツブツ言いながらも能力全開に使って切り抜けてくれるかと思うととても萌えます。

2018/04/22 【FGO】