着付け狂想曲

 目の前には仕上がりたてほやほやの浴衣が四つ。
 同時に同じ顔が三つ、同じように首を傾げてこちらを見ている。
 時間は迫り、悩んでいる暇などは無いのだが、腕組みをしたまま等分に三人を眺める赤の弓兵には悩みがあった。
 それは浴衣と帯、襷の組み合わせが決まらないというものだ。
 唯一サイズが違うために赤の浴衣だけは自分のもので確定しているが、問題は眼前の三人に着せる残りの浴衣である。
 手渡してきた玉藻の前は生地の都合上、選択の幅も狭く希望は聞けないが、なるべく色は別にしてみたので好きに合わせてくれと告げられていた。
 浴衣自体の色は濃灰、青、薄水灰。
 帯の色は黒に白の菱縞、白に濃灰の縞、紺と濃紺の市松。
 襷用にと渡されたものは自分用も決まっていないため選択肢は四つに増える。白に黄の矢絣、濃紺に灰の籠目、臙脂に白の七宝。枯野に濃緋の麻葉。
 組み合わせは青年の裁量ひとつ。
「さっきから眉間の皺がどんどん深くなってるが、どうしたよ?」
 むに。
 真剣に悩んでいるところに落とされた軽い問いにぎろりと相手を睨みつけてしまってから、それが歳若いほうだと気付いて、青年は困ったように眉を下げた。即座になんか若いのにだけ甘くないかとの突っ込みが入るが黙殺する。
「すまない。色の組み合わせを考えていたのだが、少し真剣に考えすぎたようだ」
「どうせおまえさんのことだ。色や模様の意味がどうのとかめんどくせぇこと考えてたんだろ」
「選択肢はそんな多くねぇんだ。理由なぞ見てみたいとかで十分じゃねぇの?」
 笑って内容を当ててくるのはキャスター。それを受けて雑な感想を落としたのはランサー。だがその言があまりにも的確だったからこそ反発する気は起きなかった。
「……君達は本当に迷わないな」
 羨ましい限りだと苦笑して浴衣を三つ並べ、その上に帯と襷を乗せていく。
 普段からの印象の問題だとは重々承知しているが、やはりランサーには青の浴衣をと思うと、合わせるのは黒……いや白帯、あとは差し色として矢絣の襷とするのがいいか。
 歳若い彼には話の流れから彼だけが身に着けることになっている半顔面に合うように濃灰の浴衣に黒帯、黒系だけでは寂しいため、濃緋の入った麻葉の襷を合わせる。
 見た目が涼しい冷菓類と親和性が高いようにキャスターには薄水灰の浴衣に紺帯、上半身の色の締めとして帯と同じ濃紺を地としている籠目の襷を選択した。
 残る七宝の襷を自分のものとして、ひとところに重ねたそれらを眺めて頷くと、青年は三人の男達を手招く。着付けは一人ずつになるが、とりあえずは礼装を脱いで浴衣を羽織った状態で待機して欲しいと要請しながら重ねられた山から浴衣だけを手渡した。
 快く頷いた彼らは、それぞれ丁寧に畳まれていた浴衣をばらりと広げる。
 先ほどサイズを見るために一度やっていることから、歳若い彼は手順をわかっているだろう。ならばそちらから取り掛かるかと青年は黒の帯を片手に足を向け、そのまま硬直した。
 眼前にあるのは裸体だ。しかも三人分。
 元の肌色の薄さとも相まって、それもう眩いばかりの白である。
「なぜ脱いだ……」
 眉間を押さえながら、青年は苦い声を絞り出した。
「なんでって、脱がなきゃ着れねぇだろうが」
「そうではない。こんなところで全裸になるなと言っている!」
「あん?」
 首を傾げて疑問の声を上げたのはランサー。それに続くように、ここはエミヤの部屋であり、自分達しかいないのに問題があるかと問いを投げたのはキャスターである。
 歳若いほうも大きく頷いて同意を示す。
「若い君も先程はあんなに恥じらっていたのに、なんで今はそんなに潔いんだ……」
「あ? なんでって、あんときは玉藻が居ただろうが」
 さすがに恋人でもない女性の前で全裸になる趣味はないと続ける歳若いクー・フーリンと、それに大いに頷く残り二人。その様子を見ながら、もはや溜息しか出てこなかった青年は諦めた。呻くようにせめて下着を身につけろと声を絞り出す。
「あの礼装の下にパンツ履いてたらおかしいだろうがよ」
 ラインが丸見えだろうと笑うランサーに、思わず想像してしまって吹き出しかけるのを必死に堪えた。ぴっちりとした礼装から下着の線が見えているなど、そんな大英雄は嫌だ。いや、今の論点はそこではない。
「だから! そういうことではなく!!」
「別にいいじゃねぇか。なんだっけ。浴衣の時はパンツ履かないとかなんとか……あっただろ、そういうの」
「どこでそんな知識を身に付けたんだ君はそもそも下着を身に着けないのは本来の用途である夏用の寝間着として使用する場合であって現代日本の祭り時に外出用として着用するという今回の件には当てはまらない」
 突っ込みは長かった上に一息だった。
 各々浴衣を広げたまま、ぽかんとした表情で弓兵を見る。
 その様子に気付かない青年は本格的に説教体勢なのか、腕組みをしながら目を伏せて盛大な溜息を吐き出した。
 そもそもラインがどうこうというのなら若い方とキャスターの君は関係ないだろう、などと言葉がその口から出てきたのに気付いて、クー・フーリン三人は同時に視線を動かし、時間を確認してからアイコンタクト。頷き一つで分担が確定する。
「……ということだ。聞いているのかね」
 あいにく三人の男達の耳にはそれらの言葉は一言たりとも入っていなかったが、滔々と続く説教の間に彼らは素早く位置を入れ替えていた。
 するりとエミヤの前まで進んだ一人はキャスターだ。
 とっておきとして選択したのは少しだけ屈みこんで下から見上げるような体勢。さらり、青の髪が肩から流れ落ちて中空で遊ぶ。
「あのな、アーチャー。そもそもオレらは時代的にそういうものに馴染みがねぇんだ。だからよ、必要だってんならおまえさんが用意してくれないか」
 この着付けとてそう余裕があるわけではないことを男は知っている。
 万が一時間に遅れた場合、それを気にするのはクー・フーリン達ではなく、この目の前の面倒くさい弓兵の方だ。決して説教を回避したいわけではないと笑みを噛み殺して彼は口を開く。
「おお! それなら解決するよな。予備くらいあるだろうしよ」
「待てよ若いの。カルデアの備品を使うってのはコイツの性格的に無理があるだろ」
 キャスターの言葉に続くのは残る二人の会話だ。意図はもちろん援護射撃としてエミヤに聞かせるためにある。
 まだまだ続きそうだった説教はぴたりと止まっていた。
 うぐ、というような呻きが空気を震わせる。もう一押し。
「時間がもったいねぇ。場所さえ教えてもらえればオレが取ってくるが……」
「きっ……貴様らに使う予備などあるか! これでも履いていろ!!」
 ぺぺぺいっと投げつけられたのは男性用下着が三つ。ちゃんと浴衣の色に合わせてあるのはこだわりなのか、おそらくは突っ込まないほうが無難であろう。
「おう、ありがとよ!」
 満面の笑顔で礼を言った三人に、エミヤは拳を握って何かに耐えていたが、彼らがそれに気付くことはなかった。そそくさと下着を身に着ける三人を見ながら青年は乗せられた感が強いと眉を顰めるも、指摘されたことは間違いではなく、今更覆すようなものでもない。
「あー……その帯は若いオレのやつだったか。んじゃそっちから頼む」
 一度重ねた際の色合わせをちゃんとチェックしていたらしいキャスターの声が追加で飛ぶ。
 溜息をひとつその場に置き去りに、青年は当初の予定通り歳若いほうから着付けを開始した。
 三人分の着付けをしている間に動作の注意事項を伝達し、終わった者から襷を渡していく。こちらは自分でやってもらうためだ。
「……なんだ?」
 じ、と。三対の視線が己に集まっているのに気付いてエミヤは首を傾げる。
 当然最後は彼自身の番だろうということでの注目なのだが、視線の意味を取り違えたらしい青年はああと息を逃がし、その紐に関して疑問はあるだろうが少し待ってくれ今説明すると告げながら己自身の浴衣を手に取った。
 反対側を向いたままで、ばさりと広げられたそれが肩に回しかければ、男達からエミヤへの視線は遮られる。印象的な赤が肢体を包む頃には見慣れた元の礼装は解けており、迷いのない指先が手早く帯を締めていく。
 うぐぅ。思わず洩れた呻きに、一体何なんだと、またしても疑問の声が上がった。
「いんや。おまえさんが全裸になるなって言った意味がわかったってだけさね」
「ああ。鮮やかなもんだ。そんな発想すらなかったわ」
「だからさっき玉藻が居たときはどうのって言ってたのか。悪いことしたな」
 それぞれ、キャスター、ランサー、若いのから出てきた言葉がこれである。そこで初めてエミヤは何かに気付いたように眉を下げた。
「どうした、アーチャー?」
「……すまない。現代の感覚でいた私のほうが無粋だったようだ」
「まー、それはもういいって。ホラ、時間ねぇんだろ。コレの使い方、教えてくれよ」
「あ、ああ。これは襷といって、袖を留めておくために使用する。浴衣のゆるい袖は作業の邪魔になるからな」
 まずは見本を、と。説明しながらつけて見せてから一度外して、今度は全員で。一度見ただけで覚えたのか、特に迷うこともなく男達は紐を繰って綺麗に留めてみせた。
「三人とも一発とは……さすがだな」
「そんな難しい手順でもなかったしな」
 確かにこれなら邪魔にならないと喜ぶ面々に苦笑して青年は時刻を確認する。そろそろいい頃合いだった。同じように時刻を確認したらしいランサーが行こうと声を上げる。
「アーチャー?」
「……悪いが付き合ってもらうぞ、クー・フーリン」
「おう。元々はオレから言い出したことだ。今日はトコトンまで付き合ってやるよ」
 代表して応えたランサーに呼応して、戦闘に赴く時のように凶暴に笑った彼らは、実に楽しそうに廊下に飛び出した。
 足早に向かった会場では機材調整の準備が始まっている。
「おや、随分と雰囲気のある面々ですね」
「あー……天草か。手伝いって感じじゃねぇな。だとするといくらなんでも早すぎねぇ?」
「そんなことはありませんよ。場所取りは保護者の役目ですから」
 ランサーの問いには笑みさえ含んだ穏やかな声が返った。それだけで恐らくはいつものお子様組のためなのだろうことが理解できる。
 その自称保護者の視線がつ、と逸れて興味深そうに男三人を眺めた。
「オレらの浴衣、なんか変か?」
 着慣れないからどこが変でもおかしくは無いがとぼやきながら髪を掻き回すキャスターに対し、いいえと否定の声がかかる。
「ただ、珍しいものを身に付けていらっしゃるな、と。勝負用ですか?」
「……おう。まあ、そんなとこだ」
 にこにこ。
 どうにも裏のありそうな笑みを交わす男達の横で、唯一話に付いていけていないエミヤが首を傾げる。その様子に、前途は多難そうだがと笑う天草は、ひらりと手を振ってそれ以上は深入りしないと態度で示したため、クー・フーリン達のほうも矛を収めた。
「んじゃ、はじめますかね」
「よろしく頼む」
 表面上は穏やかに別れて最後の準備に取り掛かる。玉藻に着付けてもらったブーディカも合流したところで軽く打ち合わせも済ませた。
 さあ、準備は万端。
 花火大会の開催まではあと少し。

2019年スパークのクーエミ本のおまけでした。書けなかったところを供養、です。

2019/12/09 【FGO】