Pale Lips

 ワタシは幽霊である。名前はもうない。ついでに脚もない。
 幽霊といいう存在であるからには当然であるのだが、ふよふよと日がな一日浮いているのはどうにも座りが悪い。
 よってたまにこうして適当な場所に正座をしているふりなどをしているものである。
 今日の座布団はちょうどよく積み重なったダンボール箱。
 側面の文字には『ハヌマーンバナナ』とあるからおそらくはチョコバナナ用だろうか。
 眼前に広がるのは華やかな横幕と電灯のあかり。
 色とりどりのそれらは祭りの浮かれた気分を盛り上げて、通り掛かりの少年少女を惹きつけていた。
 ラムネ、かき氷、チョコバナナ、りんご飴、わたあめに焼きそば。フランクフルト、焼きとうもろこし、いか焼き。そしてビール。
 遠くからは祭囃子と風鈴の音色が流れてくる。
 『いいですねぇ、日本の夏!』
 おや。失念していたが、どうやらこの身には声帯も存在しないか機能しないらしい。
 発したはずの言葉はただの思念となって周囲に溶けた。
 そもそも話し相手などいないのだからしゃべれないならしゃべれないで特に問題はない。
 今はただ実に風情だと思うこの光景を楽しむのみだ。目的もない幽霊などをやっていると刺激が足りなくていけない。
 しばらく雰囲気に浸りながらぼんやりしていると誰か近くまでやってきた。
 店の囲いを剥がし、備品を確認した彼は、慣れた様子で準備をすすめていく。
 明かりの点いた屋台に下げられている横幕に書かれた文字はかき氷。
 流れ落ちる清流の髪を雑にくくり、法被と前掛けを身に付けた彼の第一印象は青。
 どうやら雇われ店主らしい、と推察する。
 遠くで爆竹の音。祭囃子が近付き、行き交う人が増えて。
 空には大輪の華がいくつも咲いた。
 たーまやー。
 かーぎやー。
 お決まりの掛け声は高く、子供のものだろう。
 ほっこりしている間にも眼前には人がひっきりなしに行き来し、青の店主が一人で奮闘しているかき氷屋も大盛況の様子だ。
 最近では夜になっても暑いから行列は予定通りというやつだろう。
 まあ、ワタシには皮膚がないので暑いも寒いもないのだが。
 かき氷屋は一人だというのに随分と手際がいいと思ったら、いつの間にか氷を削る作業を木でできたゴーレムが担っていた。なるほど考えたな。
 メインの花火が始める前にということだろう。かき氷を手にした人々は嬉しそうに場所を移動していく。
 ゴーレムを操りながらシロップをかけ、代金を受け取り。くるくるとよく動く店主はさすがに暑いのか、途中何度か氷をつまんで噛み砕いているのが見えた。
 売り物らしいシロップとソーダも適当に混ぜて合間に飲んでいる様子からも慣れているのは伝わる。
「どこにいくの?」
「お師匠様が場所を取ってくれているので大丈夫のはずです! メインの花火が始まる前に行きましょう!」
「急ぐと転んでしまうわ。はぐれるといけないから手を繋ぎましょう?」
 かき氷を持っていては手を繋げない。
 最終的にかわいく着付けられた浴衣の袖を掴むことにしたらしい少女たちが塊になって通り過ぎていく。
 徐々に人通りが引いて。夜空には連続でひらく華が轟音を響かせ始めた。
 花火が終われば再びごった返すだろうが、今は不思議なほど人が絶えた道を眺めると、それぞれの屋台が一息ついているのが見える。
 だからこそ、歩いてくる人物は目立った。
 渋い消炭色の浴衣に少しだけ薄いがほぼ同色の帯。肌の色も濃色のため、うっかりすれば闇に溶け込んでしまいそうなのに、髪だけが屋台からの光を受けて万華鏡のように様々な色に染まっている。
 抜き身の刃のようだ、と。気を抜いてしまったため、ダンボールをすり抜けて頭だけ上から出している格好になってしまった幽霊は感嘆の溜息を落とす。
「よぉ、アーチャー。見回りかい?」
「ああ。迷子がいると困るからな。君のほうは……だいぶ盛況だったらしい」
「おうとも。ま、今回が初めてじゃねぇしな。慣れたもんだ」
 歩いてきた人物と気安く会話をはじめた店主が今は動きを止めている隣のゴーレムを叩きながら笑う。
 花火の音でかき消されるためか、二人の距離は近い。
 しばらく人数がどうの動線がどうのという話をしながら氷を削り、色とりどりのかき氷を作り上げた上で、店主は器用に袋を捻りながら倒れないようにおさめてしまう。
「持ってけ。どうせこの後本部に戻るんだろ? 多少でもお楽しみがなきゃ裏方なんてやってらんねぇだろうが。新撰組の面々も、ケルト勢もこういう時は真面目だからな」
「マスターのためだ。彼らも警備役に否やなどないさ。ところできみ……」
 唇の色が悪くないか?
 少し前のめりで首を傾げた浴衣の青年が、店主に観察するような目を向ける。
「あん? あー……さっき暑すぎて氷噛んでたからじゃねぇかな」
 他人に指摘されて初めて気にした、というように目を瞬かせた彼は、つい、と己の唇を指先でなぞった。
 何気ない仕草に他意はない。だが、覗き見していた第三者にはクリティカルヒットした。
 『反則! 反則です!! そんな仕草は危険すぎます。色気、最高!!』
 一部始終を目撃することになった幽霊の声は音にならないまま。
 興奮しすぎて高速縦揺れをおこしている。
 もし見えているものがいたら、バナナのダンボールからひょこひょこ首から胸のあたりが出現するという、樽の中でパーツがひっかかって壊れた黒ひげ危機一発のような様子で、さそ怖かったことだろう。
 幸い目撃者はなく、眼前にいる二人も気にしている様子はない。
「なに、あっためてくれんの?」
「ふざけるな……随分と慣れないことをやっていたようだから気になっただけだ。魔力不足になるくらいなら追加人員を要請してくれ」
「今のところは問題ねぇよ。心配だっつーなら確かめてみればいいだろ」
 誰が心配など、と。告げようとした青年の唇は店主の唇に塞がれ、同時に逃げられないようにと後頭部に回った手がしっかりと相手を固定した。
 くちゅり。音が見てわかるほどのディープキス。それでも水音は花火の音にかき消されて響かず、見ていた幽霊の揺れが激しくなったが、周囲になんら影響を与えることもない。
「……つめたい」
「ははは、悪ぃ悪ぃ。疑いは晴れたか?」
「もっと普通にしてくれ。さて、では私は行くよ」
 ふわり。離れる瞬間にもう一度軽く口付けて。またあとでと口にする。
 屋台の前を離れた青年が、近くで崩れかかったダンボールの山を直してから何事もなかったように袋に詰められたかき氷を受け取って歩いていく。
 彼らを見守っていたはずの気配はもはやどこにもなかった。

夏コミ(C104)無配でした。 その前のイベント中、8周年キャスニキのコスプレイヤーさんの仕草にあまりにも萌えたのでお願いしてネタに書かせていただきました。溢れるパッションのあまり幽霊化してお送りしております(笑) この場を借りてお礼申し上げます。素敵な妄想のネタをありがとうございました。

2024/08/31 【FGO】