てのひらの流星
コツリ。床を叩くような硬質な音に振り返る。最初に捉えた色彩は、あお。
「なんだマスター。眠れんのか?」
掛けられた声がよく知ったものであることに気付いて少年は首を傾げた。
彼らが立つこの場所は人理継続保障機関フィニス・カルデア。人理の灯を観測する天文台はただ静かに夜の闇に沈んでいる。地上部最外郭に位置する廊下には天井まで届く巨大な窓が設えてあるものの、外は年中吹雪に遮られており、晴れ渡った空を目にする機会は今のところ訪れていない。
その夜も、そんな風に普段と変わりのない日だった。
「眠れないというななんというか……」
「ああ、嬢ちゃんが心配か」
黙ってしまえば肯定したも同じ。だが、それなりに長い時間を過ごして信頼を交わした相手に対してそれ以上言い訳を探す気にもならなかった少年は諦めて息を吐いた。
一歩。窓の傍に近付けば少しだけ体に触れる空気の温度が下がる。
冷えた分だけ近くなる楽しそうな気配に脱力して、彼は改めて首を傾げた。夜気を乱さない程度に抑えられた小さな声が空気を揺らす。
「ランサーこそ、こんなとこで何してるの?」
「オレか? オレは単なる時間潰しだ。なんか知らねぇがケルト勢の飲み会に突然太陽の方の王様が押しかけてきてなぁ……杖持ちに押し付けて逃げてきたんだよ」
からりと笑って示された先には確かに空になったグラスがひとつ。それの底が床に触れた音が先ほどの硬質な呼びかけの正体だと気付く。
窓に寄りかかり、段差部分に腰掛けている男は、非常灯程度しか点いていない廊下にあってひどく神々しく映った。どこぞの弓兵が黙っていれば鑑賞するのに申し分ないと皮肉るのもわかる。だが、次の瞬間にはその面が崩れ、なんかわけわからねぇこと言ってたなあとぼやく姿に繰り広げられただろう惨状を察した少年は思わず遠い目になる。
「……ありゃなんだったんだ?」
「あー……うん。ちょっと今回のレイシフトでね、クー・フーリンの話になって」
「うん?」
レイシフトに赴くメンバーは機密でもなんでもない、むしろ赤の弓兵が同行しているか否かは全員の食生活に関わる問題に発展するため、機械に弱いサーヴァントですら操作に問題がないよう、接近反応式の親切設計専用端末を食堂やレクリエーションルームなど複数の共有部に備え付けることで対応している。それの表示メンバーを思い出していたのだろう。深呼吸する程度の間を置いて首を傾げた男は疑問が解消されなかったらしく、単刀直入にあのメンバーでどこをどうしたらそんな話題になるんだと目の前の少年に問いを投げることを選択した。
「その前に一つ質問してもいい?」
「構わんぞ。なんだ?」
一瞬だけ言葉を選ぶように目を伏せて。なんて言ったらいいかなと苦笑を混ぜ込みながら瞼を持ち上げて、こちらを刺すような焔揺れる瞳と真っ直ぐに向き合う。
少年の態度の変化に合わせるように窓に寄りかかっていたはずの男の背が伸びた。
「今、守りたいって思う人いる?」
「いや、いねぇな」
男の応えには迷いも戸惑いもない。文字通りの即答。呆然と見返した少年に対して続けられた言葉は、守ると決めたヤツならいるがというもので。思わずその場にしゃがみこんだ彼はその体勢のまま必死に声を殺して爆笑した。
「おいおい。真面目に聞いてるんだと思ってコッチも真面目に答えれば、なんだその反応は」
「いや、うん。ごめん。大真面目……なんだけど」
ちゃんと説明するから待ってくれと手振りで示して、少年はそれからしばらく笑い続けた。
見守る男のほうも特に急かすことなく待つことを選択したらしい。空気が不規則に揺れる気配だけが静まり返った廊下に響く。
投げ出していた足を引き寄せて胡座に座り直した男は眼前の少年が笑い死にそうになっている理由を考えた。レイシフト先で話題になったと言っていたから、原因はそこにあるのだろうとあたりをつけ、もう一度本日のメンバーを思い出す。急遽更新され、追加された名前がゲオルギウス、あとは最初から表示されていたアーラシュ、エミヤ、オジマンディアス、ジークフリート。そのうちの二人は先ほど飲みの席に乱入してきた。厳密に言えば乱入してきたのはオジマンディアスのほうで、アーラシュはどちらかというとそんな彼を心配してついてきたのだろう。当然のようにニトクリスもいたが彼女は今回のレイシフトメンバーではないため除外する。となると当然原因はそれ以外のメンツということになるがゲオルギウスやジークフリートとはそこまで深い仲ではなく、必然的に残るのは腐れ縁の赤い弓兵ということになった。
またしても疑問がひとつ。
「アイツがオレのことをなんて言ったのか知らんが、それと今の質問が繋がらねぇな……お、そろそろ落ち着いたか?」
言ったのがエミヤだとわかるのかという疑問には、ただの消去法だと応えを返す。
「そもそもオレぁさっき、あの王サマに値踏みされてたんだぞ。一緒に付いてきた嬢ちゃんは話がわかっていない様子だったが、黒髪の兄ちゃんの方は明らかに同意してたからな」
貴様がアレの言うクー・フーリンとやらか。
そんな一言と共に現れた強烈な個性の塊のような人物は、一人勝手に納得したように頷いて、太陽の気配がするが神として支配するものではなく戦の先鋒に立つのが相応しい戦士の趣だ。確かに似ているとするのも納得できよう。などと宣った。
横で苦笑する黒髪の偉丈夫が視線で気を悪くしないでやってくれと訴えていたため、文句は思いとどまったが、おそらく隣に居た杖持ちの自分も同じだろう。まさにポカーンというやつだ。
その後も何か色々と言っていたが、早々に逃げ出してきた男には与り知らぬところである。後から一発くらい殴られるのは覚悟すべきだろう。
「んで、結局その爆笑の原因はなんだよ?」
「あー……うん。エミヤって、なんだかんだ言ってクー・フーリンのことよくわかってるし、好きなんだなあっていうのが改めてわかったからというかなんというか……」
しゃがみ込んだまま顔だけあげた少年の口元はまだ緩んでいる。なんだそりゃと凄んでみても元に戻りそうにないそれを何とかするのは諦めて、代わりにアイツがオレを好きだという発想はどこから出てきたと変化球。
「今、守りたい人はいない、でも守るって決めた人ならいるって答えたでしょ? それ、エミヤがレイシフト先でクー・フーリンのことで語ったことまんまなんだ」
そんなことがわかるくらい憧れてたんだなあっていうのがわかってしまったという言葉に、男はどこか苦い表情を見せた。
「んで、その話からいくとオレが守ると決めた相手はアイツだって?」
「ううん。それは思っていない。多分ランサーがそう言う相手はマスターである俺、でしょ。順当にいくなら」
「そこまで考えなしじゃなかったか」
即座に表情を緩めた男は妙な誤解がなくて何よりだと続ける。だが確かに、今少年が指摘したことも事実なのだとわかってしまう。
巧妙に話題を逸らしながら、男は内心で笑みを落とした。
「ところで坊主、おまえさんソコに何を持ってる?」
「え? あ、ああ……これのこと、かな」
少年のポケットから出てきたのは半透明な深い水の底、あるいは明け切る前の空を思わせる色を持つ半貴石。燐灰石と言われるそれの表面は削られて丸いが、お世辞にも平滑とは言えず、ところどころに自然にできたものだろう凹凸が見て取れる。ただ、それを気にさせないほど強く、中心を貫くようにひときわ鮮やかな一筋の光が走っているのが印象的だった。
「今回、マシュがいなくて俺が不安がってたから、エミヤがくれたんだ。縁を……絆を強める成長の石だからって」
石の中心に光が流星を描いているのだと少年は嬉しそうに語る。それでなくても綺麗だから今回同行できなかった少女に見せたいと告げた表情はどこまでも柔らかかった。
本人が気付いておらずとも、てのひらに無数の流星を抱えて放つ彼に、それは相応しいだろう。
「なるほど。とりあえずアイツに一つ文句を言ってやらにゃならんな」
喧嘩はダメだと慌てる少年にそんな真似はしないと笑って完全に身を起こすと、くしゃりと頭を撫でてやる。誰かに見つかったら秘密の探索は終いだろうから今日はもう部屋に戻って休めと告げれば、しぶしぶながらも頷いた。
大人しく自室に足を向けた少年を見送り、さてと息を逃す。考える相手は先の会話にも出ていた腐れ縁の赤い弓兵。
レイシフト後だ、当番からは外れているし食堂には居まい。ならば部屋か。
幸い予想は裏切られず、部屋の前まで足を運び、マスターについて聞きたいことがあると来訪理由を告げた男をしぶしぶ出迎えた弓兵はいつもと変わらぬ仏頂面で対応してきた。予想通りすぎてもはや笑うしかない。
「よぉ、アーチャー。手の届く流星はお呼びじゃねぇか?」
「な、にを……」
「今更誤魔化しても無駄だぜ」
巧みに部屋に踏み込みながら笑みを深める。
流星ってのは思わぬところに落ちるものだろうと告げながら無防備に見える唇にそっと触れた。
2019/05/04 【FGO】