くるみ割りキャスリン
ころり、ころ。
籠から零れ落ちたのは殻付きの胡桃達。
ひとつ息を零して、青年は調理台に置いたそこの浅い籠に広げたそれらを検分する。
食糧庫にしまい込まれていたらしいそれらを見つけたのは偶然。確かに殻付きであれば保存期間も長い。しかし、ざっと探した限り近くに殻を割る道具は見当たらなかった。
さて。道具を投影するべきかそれともこの場にあるもので代用するべきか。何が一番効率がいいかと考えながらとりあえずひとつ、包丁を使って割ってみる。
「まだるっこいことしてやがんな」
突然落ちた言葉とともにひょいと持ち上げられた胡桃が数個、纏めて殻を砕かれ、ぱらりと欠片が落ちた。
「……手は」
「ちゃんと洗ってきたっての。ああ、こいつは土産だ」
男が小脇に抱ええていた布を結んで袋状にしたものが調理台の端に載せられる。
完全に閉じてはいない隙間から見えた中身は数種のキノコだ。確か彼は本日のレイシフト組だったと朝に確認した情報が脳裏を掠める。
わざわざ君が置きに来たのかと問えば、ついでだと応えがあった。
「ついで?」
「ああ。嬢ちゃんに頼まれてな。医務室に引っ張り込まれていく際にコレをおまえさんに渡すようにって言付かった」
怪我をしたのか、と。少し焦った声には大事ないと笑いが返った。
「キノコ採りに夢中になって触っちゃならんもんに触れた程度だ。普通のやつならかぶれて酷いことになるんだろうが、嬢ちゃんは平気だったな。だがまあ念のため検査はするって話だ」
「そうか。ならよかった」
青年が胸を撫で下ろす間にも男の手で割られた胡桃が増えていく。それらを横目に、青年は渡された紙片をひらいた。そのまま撃沈する。
「なんだ、どうしたよ?」
ぷるぷると肩を震わせる弓兵の手から紙片を攫った男も、それを見た瞬間に作業台に突っ伏した。コレをわざわざ届けさせたのかと恨み言のような言葉が洩れる。
「……いやはや。流石はマスターだ、と言うべきなのだろうな、これは」
「それでいいのかよテメェは」
「いいもなにも……文句を言ったところでどうにもならないだろう」
どちらかというと可愛い悪戯程度のこと、と思うほうがいいだろう。なにせ、神妙に渡された紙片に書かれていたのは『甘味』の一言のみ。揃って脱力する二人組は、しばらく作業台に懐いたまま笑い転げた後でむくりと起き上がった。
それでは癒しを求めるマスターのために中断していた菓子作りを再開しようか。そんな風に告げた青年は男が割った胡桃の中身を回収していく。手を出してしまったからには途中で止めるという選択肢が無い男は、籠から胡桃を攫っては割る動作を再開した。
小気味よい音の合間にゆるりとした疑問が立ち上る。
「これ、なんに使うんだ?」
「ああ。ブラウニーを……作ろうと思って」
「ブラウニー……?」
どこか引っ掛かりのある疑問の声にはチョコレートを使った菓子だと答えてやってから、天板に並べた胡桃をオーブンの中へ。
「丁度良く今のマスターが求めているもののようだからな。本当は一晩くらい置くほうが味が馴染むのだが、すぐにというのでは仕方がない」
「なるほどな。で、そいつはオツカイに駆り出されたオレにもくれるのか」
ぱきり。最後の胡桃の殻が砕かれる。視線を上げた男の先では、取り出した材料を手にしたまま硬直した青年の姿があった。どうしたと続けて問えば、まさか君が甘いものを欲しがるとは思わなかったと応えがある。
「キャスター。その……代わりのものではだめだろうか」
「あん? あー……まあ、事情があるなら別に何でもいいけどよ」
「すまない。材料があまりなくてな」
子供達を優先にしたいと理由を告げてボウルに用意しておいたチョコレートとバターを入れて溶かす作業に入る。迷いながらも口にした問いにはなんとなく状況を把握したのか苦笑が返った。実際のところ、足りないのは胡桃ではなく、卵のほうだ。動物由来の生鮮食品は貴重品である。
流れるような動作でオーブンに格納するところまで済ませた青年は、男が持ってきた袋の中からいくつかのキノコを取り出す。
「おやつにしては重いが……まあ君ならば余裕だろう」
ほう、と。言葉を洩らしたものの、頬杖を付き直しただけでその場に留まることを選んだ男の前に用意されたのは余った胡桃と持参してきたキノコを使った和風パスタだ。ふわりとニンニクや醤油、オリーブオイルが香る。
甘いものを得意としないクー・フーリンへ。彼自身が手伝ってくれた胡桃を使ったものをと青年が考えた結果がそれであった。
「いいじゃねぇか。酒が進みそうだな」
「そちらは出さんぞ」
「今日のところはいいさ。ん、うめえ」
座って食べたまえと呆れ声を響かせる青年は僅かに口端を緩めて。これはただ味見のためだと言い訳をしながら、心なしか浮かれた様子でお菓子と一緒に出す予定の紅茶を淹れた。
2019/11/03 【FGO】