白い世界で夜闇を、君と。
瞳に映るのは果てまで続く白い大地。
今では世界のどこであろうとも同じ光景が広がっていた。
首から下げていたタグを眺める。表示されている数字が二組。片方は動かないが、もう片方は移動するたびに数字が変わり、ふたつが揃ったところで画面全体が青く点灯した。
「ここか」
声は誰に届くこともなく空に消える。
果てしなく白い景色の中で、手にした数字だけが目的地に到達した合図であった。
「……本当になにもないな」
立ち尽くしたまま青年は声を空に逃す。こんな状況でも空だけは蒼く。時が過ぎ、日が傾いて赤く、そして闇に染まっていく様は変わらないのだろう。
サーヴァントの身には昼夜の寒暖差も空腹も睡眠も無意味で。自主的な里帰りではなく霊基調整のためにと言われて出てきたため、目的もありはしない。
本当に何も考えていなかった己に苦笑して今更のようにどうするかと思考に沈むも、そうそう目的が浮かんでくるはずもなかった。
手慰みに投影をするというのも魔力量を考えれば現実的ではない。調整具合を見るために何本かというのなら構わないだろうが、魔力不足で強制送還というのは笑えない話だ。
規定の時間を過ごすだけでいいのなら、いっそ寝てしまうのもいいかもしれない。そんな考えが頭を過った時だった。
「これは……エンジン音?」
空気を揺らす音は車よりも僅かに軽く、バイクだろうかと予想する。
音を頼りに見回した先、遠くに白く烟る筋が見えた。障害物もないため見晴らしはいいが、土煙で塞がれた場所は見渡せない。一瞬音が止まり、直後それまで以上に派手に上がった土煙の先から一台のバイクが飛び出して行った。遠目ではあるが、金色のバイクを持つ人物はおそらく坂田金時だろうと予想ができる。
日本出身である彼が通り過ぎるのは別に不自然ではない。そもそも里帰りの方法もサーヴァントの能力にものをいわせたかなり強引な手段であったのだ。高度を落としているとはいえ、飛行中のストームボーダーからの自由落下。魔術的なパラシュートともいえるものは持たされており、無事に地面に到着した際には魔力リソースとしての回収も可能であったため全く考えられていないわけではないというのが恐ろしい。
飛行コースから大幅に外れている場合、いつかの時に使用したポットに詰めて射出されるという手段で里帰りさせられた例もあったようなので、両方を経験した身としてどちらがマシかと問われれば沈黙を選ぶしかなかった。
己の乗機を使えるライダークラスならある程度自力で移動可能ということで、少しだけ羨ましいと思っても仕方がない。実際は相乗りや送迎も発生するので良し悪しだという事実を青年は知らなかった。
音と土煙が遠ざかったところで意識を外した彼は、手にしていた座標計の側面スイッチを押して時刻表示に切り替え、本日何度目かの溜息を逃す。
何もしないということがひどく落ち着かない。今からでも戻れないか打診してみようかと考え始めた時であった。
「溜息ばっか吐いてると幸せが逃げるぜ?」
あまりにも聞き慣れた声が近く。完全に腑抜けていた己に驚きながら振り返った先には、空にも負けない蒼を翻した男が立っていた。
一瞬視界がぶれて瞬きを繰り返すが、何度目を開いても目前の人物が消えることはない。
派手な色のアロハシャツに黒のボトムス。背中にある大型のバックパックを除けば見た目だけならいつかのこの場所でテント暮らしをしていたときのそれだが、どこか違和感があった。
来ちゃった、と。告げる語尾にハートマークが見えるようで頭を抱える。
「なんだよアーチャー。幽霊でも見たようなツラしやがって」
「……なんのつもりだ、キャスター」
呼称を否定しなかったということは事実だということだ。その場で背負っていた荷物を下ろした男は特に隠しておきたかったわけではないんだがと苦笑した。
せっかくだから雰囲気を出してみたかっただけだと続けて、下ろした荷物をつつく。
「君の故郷はここではないだろう」
「まあそうなんだが……白紙化しているとはいえ、どうにもオレは帰りにくくてな」
確かセタンタは帰省組だと記憶している。ランサーもプロトも調整に必要があればという反応だった。ならば彼の言葉はキャスタークラス故ということだ。
「それでここかね? 君にはなんのメリットもないだろうに」
「いんや。どこぞで随分と長く過ごしたからか縁みたいなモンができてるらしくてな。お前さんが一緒なら尚更だ」
この状況で効率を最大化するための策ならちゃんと用意してきたと下ろしたまま放置していた荷物をぽんぽんと叩く。手伝えと告げられ、ポンポンと手渡されるものはグランドシートに始まり、各種キャンプ用品と食材、そして自立式のテントと小さな折りたたみ椅子が二つ。
自然な流れで広げたシートの上に並べられたそれらは今度はアーチャーからキャスターへと必要なものが手渡され、あっという間に前室付きのテントが組み立てられたかと思うと、その前に焚き火台と椅子がセットされていた。
開口部に赤のハイピングが施された深い海色のテントはどこか彼らしい。
「まあこんなモンか。とりあえずコーヒーでも淹れるかね。お前さんも飲むだろ?」
「あ、ああ……」
焚き火台はあるが薪はない。そこに灯る炎は魔術で作られたものだ。手慣れた様子でケトルに湯を沸かし、その間にカップとドリッパー、豆を用意する。いつの間にかミニテーブルも出現しており、並べられたカップがかちりと笑う。
周辺にコーヒーの良い香りが漂う頃には戸惑っていたアーチャーも折りたたみ椅子に腰を落ち着け、男の手元を見ながらただ待つという時間を過ごしていた。
「贅沢だな」
「醍醐味の間違いだろ。ほれ、熱いから気を付けろよ」
即座に言い換えられるのが可笑しくて少し笑う。肯定を返してから礼を告げ、差し出されたカップを受け取った。
ほんの少しだけウイスキーの香りのするコーヒーは酒の代わりだろうか。誘われるようにどこか張り詰めていた意識が解れて、息を吐ける余裕が生まれる。自然と吐き出された息は穏やかにコーヒーの香りと一緒に空に昇って行った。
何もせずに居るということが難しかった身に、自然と寄り添う男が憎らしい。
少し前まで何もなかったはずの世界に唐突に飛び込んできた蒼はこんなにも鮮やかに周囲を染めていく。
現在も。そしていつかのどこかでも。
「キャスター……いや、クー・フーリン」
一度言葉を切って、空を見上げる。
傾きかけた太陽を追うように空の色は濃さを増していた。夜が近い。
今の地上はどこも砂漠のようなものだ。完全に日が暮れてしまえば、遮るものがない分だけ夜闇は凍える。
「この後は少し冷えるかもしれないな」
「狭いテントだが、外で寝るよりマシだろうさ。それでも冷えるってんなら温めてやるよ。いつかのどこかのようにな」
「そうだな。それもいいか」
遠回しな誘いを仕掛けたのはどちらか。口の端だけで笑った彼らは、同時にお互いの体に手を伸ばした。
白い大地か夜に呑まれ、僅かに届く星明かりすら冷えていく空気ごと薄布一枚で遮断して。
熱を分け合いながら夜を越えていった。
2024/01/14 【FGO】