残雪に咲く
りん、と。
涼やかな音色が響いた。
扉横に置かれた看板に踊る文字はフラワーアンドカフェ。
不定休な上に基本的に平日昼間だけの営業のため、今のところ噂は色々流れているが、若いお嬢さん達が大挙して押し寄せてくるような事態にはなっていない。
準備中となっているが、来訪者はそれを無視して扉をくぐる。
カウンターの端に並べられた包装紙とリボンが風に煽られてころころと揺れて。ちょうどカウンターの陰になるあたりから手が離せないから少し待ってくれと声が上がった。
一度見ていないはずなのに、相手がわかっているような声音。
「それはいいですけど、アーチャーさんはどうしたんです?」
「ちと非常事態でな。買い物に出てる」
アイツに用だったか?
特に張ってもいないというのに落ち着いた男の声はよく通って、扉を入ってすぐのところで立ち止まったままの少年の元に届く。
「すぐに戻ってきます?」
「新都まで行ったからそこそこかかると思うが……そっちも非常事態かい?」
「うーん……そうとも言えるかもしれませんし、個人的なことと言われればそうですね」
肩を竦めて苦笑しながらやっと足を踏み出し、とことこと店内を横切った少年は、ひょいとカウンター席に腰を下ろした。
「アイツ目当てってことはデザートの依頼でもしにきたか?」
「そうやってすぐ決めつけるのよくないですよ。事実ですけど」
正確にはデザートと軽食の中間だと細かすぎる訂正が飛び出したところで、なんじゃそりゃとカウンター向こうに見えていた青髪の先が揺れる。
まるでカウンター越しに突然大男が生えたかのような状況に少年は苦笑した。
男の手にはコールドドリンク用のプラスチックコップが入った袋が握られている。
持ち帰りをしていないはずのカフェには不要なもので、少年は首を傾げてそのまま疑問を口に出した。
「どうしたんですか、それ」
「オレも詳しくは知らんが、そろそろ暑い日もでてきたからな。新作はゼリーでも作る気なんじゃねぇのか?」
男は出しておいてくれと頼まれただけなのだと笑う。今は目の前の少年に頼まれて雇われ店長の立場になっているアーチャーはなんだかんだ楽しそうに働いている。
少なくとも店長という立場を投げ捨てて座に戻ろうとは考えていないだろう。そういう意味で利害の一致した少年と赤の少女の思惑はうまくいっていると言えた。
聞いておいてふうんと流した少年はぐるりと店内を見回す。
包装紙とリボンが寄せてある場所とは反対側の端。手作りらしい木の棚には、普段焼き菓子が並べられているのだが、今日に限ってそこを占拠しているのはミニクロワッサンのようだ。
作りすぎたのだろうか。
少年の視線に、試作品らしいと男の声が応えた。
「どうも甘いものが苦手な常連のためにパン系を少し増やすか考えてたらしくてなー」
仲睦まじく、散歩がてらいつも立ち寄ってくれる老夫婦がいるのだと目を細める。
ミニサイズなのも手軽さを優先した結果なのだろう。きちんとした食事としてサンドイッチなどにするには向かないが、お茶と一緒につまむには丁度いい大きさ。
「ねえ、ランサーさん。あれとそれを使ってなにかアレンジできません?」
少年が指差したのはクロワッサンと男が出してきたプラスチックカップ。
「唐突だなオイ」
外に持っていってなんかするのかと問われた少年はぱちくりと目を瞬かせた。
「ランサーさんって意外と鋭いですよね」
ぴくりと目端を上げた男に、純粋な感想だと付け足してから、このあとわくわくざぶーんに行くのだと告げる。
唐突な話題転換だが、ランサーは気にしない。それで、と先を促すだけで静観の構え。
「お客さんが来るんですよ。呼ばれもしない相手ですが、邪険にできないのも確かなので気を逸らすためにここで何か調達できないかと考えまして」
なにせ持ち帰りはしていない。なんならいつオープンしているかもよくわからず、都市伝説のようになっている店のスイーツだ。希少価値は高かろう。
「っても、アイツが居ねぇ状態だと出せるモンにも限りがあるからなぁ」
もちろんケーキ自体はいくつかあるが、おそらくそういうものを求めているのではないと男の直感が囁く。
ならばと指定されたクロワッサンをいくつか持ち出してから冷蔵庫を確認。
「何人分?」
「可能なら四個ほどあるとありがたいですね。お相手は親子なので」
「ならなんとかなるか」
とんとんとん。軽快な音とともにカウンターから一段下がったところにある作業台に並べられたプラスチックのカップは六つ。
いつのまに引き寄せたのか、細めの赤いリボンをくるりと巻き付けてシールで止めれば華やかな器に早変わり。
続けてまな板の上に並べられたミニクロワッサンはほとんど欠片を落とすことなく見事な断面でランダムな輪切りにされ、冷蔵庫から出された生クリームと交互になるようにカップの中に落としていく。
クリームに少し埋めるようにしながら、クロワッサンの端を綺麗にカップ面から立つようにして盛り付け、上から軽く粉砂糖を振りかける。手前に少し盛り上げておいたクリームへ砕いたナッツを載せ、小さなミントの葉とエディブルフラワーを飾れば完成だ。
雪が残る山を臨む麓の丘で。残雪の中から小さな花が咲いたようなカップデザートが出来上がったのを見て、少年は思わず手を叩いた。
小さなパフェのような見た目だが、アイスクリームを使っているわけではないため即座に溶けるということもない。
「基本アイツが作ったものの組み合わせだから味は問題ねぇと思うが、保証はできねぇな」
蓋はないため、空きカップを逆さにしてテープ止めすることで蓋とした。
紙のケーキ箱などないのだから仕方ない。倒れないように余りの包装紙を詰め物がわりにした紙袋に並べて入れれば、数が多くとも持っていくのに問題はないだろう。
「こっちは味見用だが、食ってくか?」
「いいえ。アーチャーさんの作るものは信用していますから大丈夫ですよ。味見ならお二人でどうぞ」
ご馳走様。
くつりと笑った少年は、アーチャーにもよろしくとわくわくざぶーんの招待券をカウンターに置くと、礼を告げて紙袋を受け取った。
りん、りりん。ほぼ間を置かず扉のベルが鳴ったのは、少年が出て行った音と、入れ替わりで店主が帰ってきた音だ。
「おう、おかえり」
「突然任せてすまなかった。もしや来客だったか?」
「その話もせにゃならんが……とりあえず一息つけよ。ちょうど茶を淹れたところだ」
座れと示したのはつい先ほどまで少年が座っていた場所。
カウンターの上にはミニパフェもどきとわくわくざぶーんのチケットが置かれたままだったことで、青年は状況をなんとなく把握する。
「来客は小さいほうのギルガメッシュだったか。しかしこれは……君が?」
準備中の時間に少年が来ること事態は珍しくないため驚きはない。
ただ、今回は見慣れぬものに驚いて、カップを手に取りしげしげと眺めるアーチャーの前に出されたのは生のミントをふんだんに使ったミントティーだ。
「来客については当たりだぜ。んで、お前さんが居なかったもんでアイツからの無茶振りで作らされたのがそれな。オレは組み合わせただけだから味見ってのも変な話なんだが、どうせなら感想が聞きたくてよ」
ぱちんと片目を瞑って見せた男に苦笑して、差し出されたフォークを受け取った青年はちょんと飾られた花を突いてから、クリームごと突き出たクロワッサンの端を刺して口に運んだ。
バターの風味が抜けていくパンと、少し緩めに立てた甘さ控えめのクリームのやさしさが口に広がり、そこに控えめにナッツが主張する。
「……美味いな。それにこの残雪に一輪咲いた花を切り取ったような見た目がいい。君は存外こういうのが得意なのだな」
私には真似ができない。溜め息を零す青年の表情は柔らかい。
考えてみれば。頼まれて作る花束の見た目も、控えめに飾られたテーブルの小さな装花も等しく男の作なのだ。今更と言われればそれまでの話である。
「……手放しで褒められるってのは想定してなかった。が、悪くねぇ。お前さんをイメージして作ったんだぜ、ソレ」
自分が口にした言葉を急に意識して気まずくなったのか、ミントティーに口を付けて誤魔化そうとする青年の耳が赤い。
そんな様子を見ないふりした男だったが、しれっと爆弾を投下して盛大に咽せさせた。
「なっ……!」
慌てた様子を横目に、男は魔力を融通した際に垣間見た風景を思い出す。
世界のために己をすり減らす青年が立つ場所には何もなく、あるのは血と剣ばかりかもしれない。だが。
荒野だろうが砂漠だろうが雪山だろうが。そこに彼が立つならば、こちらに見せる背中の強さはおそらく変わらない。
「んで、どうだい。いっそアンタが居ない時にも出せるものとしてメニューに加えるかね?」
「……そんなことできるか!」
アーチャーの叫びとランサーの笑い声が同時。
カウンターに突っ伏した青年がその後なかなか復活できなかったため、結局その日の営業は再開されなかった。
2025/05/07 【FGO】