孤独の距離
気が付いた時にはすでに身体は別の世界の一部となっていた。
別な世界、という意識があるのは全身の細胞を巡る流れが違和感を訴えるためで、明確な裏付けがあるわけではない。それでも、男はその声に逆らうことなく、現在居る場所を異世界だと認識していた。
知っている顔は少なく、また、印象も曖昧。
「なあ、疲れないか?」
不意に降った声は、ここ最近でよく聞くようになってしまった風の青年のものだと気付いて眉を顰める。
自らを旅人と称し、風のように気の向くままふらふらと行動する彼が纏うのは光の気配で、対する男が纏うのは闇の気配。
「……何の用だ」
「別に用なんか無いけどさ。あんたが自分を殺してるように感じたから」
予想通り、身軽く現れたのは飄々とした青年の姿。
瞳に大地を写し、風に愛された彼は、その性をあらわすようにいつも軽装。彼と最初に会ったのはどこまでも続くような草原だったと、男は思い返す。
「なっがい刀だなー」
それが第一声。胡散臭そうに眺めやった男に対し、全く怯むことなく近づいて来た彼は、にっと笑って自分の名を告げた。
「おれはバッツ。旅人だよ」
「……セフィロス」
友好的に名乗られてしまえば、自分も名乗らないわけにはいかず、どこかぼんやりとした頭を抱えたままで、男はしぶしぶ口を開いた。
「ふーん、セフィロスって言うのか。で、その刀って飾りなわけじゃないよな?」
纏う気配は対極。それは違う陣営に属していることを示している。
記憶などなくてもそれは分かった。そして、理解したからこそ、セフィロスは下げていた刀を持ち上げ、顔の横に構える。
この男がきちんと構えることのほうが珍しいことを、青年は知らない。
「試してみるがいい」
「ちょ……ちょっと待てって! おれにはそんな気は無いって!!」
慌てて首を振るがすでに遅い。一瞬で戦闘体勢に入ったセフィロスは一拍の間を置いて。次の瞬間、青年に向かって突進した。
男の体を追って長い銀の髪が翻り、中空に光の軌跡を描く。
見とれていれば果てに待つのは無惨な姿となった青年の体だっただろう。通常の人間ならば目視するのが不可能な速度で繰り出されたそれは、男が本気であることを示していた。
「うわわわわ!」
問答無用だと言わんばかりの攻撃に、バッツがたたらを踏む。それでも冷静に切先を見てかわしてみせたことにセフィロスは軽く目を見開いて驚きを示した。
目標を失った先は、地面を抉り、千切られた草が屍を晒す。
「いきなりなんて危ないなー。おれはそんな気は無いって言ってるだろ」
「おまえに無くてもオレにはある」
これが一番手っ取り早いと告げて、男は再び刀を構えた。相手をするまで止める気は無いとの意思表示に、青年の唇から溜め息が落ちて。仕方ないというように彼は己の手に光を集めていく。
形作られたのは、セフィロスが持つ刀と同じもの。
不機嫌になった男に対して、彼はけらけらと笑みを零した。どういうつもりだと問えば、一筋、大きく手にした刀を振る。
「つまりはおれのことが知りたいんだろ?」
先ほどのセフィロスと同じように、生み出した刀を顔の横に構えて、バッツは笑う。
これがおれの能力だよ。
明るく笑って。男が繰り出した太刀筋を寸分違わず再現してみせる。セフィロスは余裕をもってかわしたが、内心平静ではいられない。
「きさま……」
怒りももっともだろう。分かっていて、青年は男を煽る言葉を選んだ。
「そんなに怒るなよ」
知りたかったんだろ? おれのこと。
悪びれなく告げられる言葉に、いちいち相手をするのも面倒になって、セフィロスは溜め息を吐きながら刀をおさめた。青年の言動に対して、意図を探るのも不毛だと悟る。
そんな出会いから数日、彼はよくセフィロスの元を訪れるようになった。特に何をするでもない。ただ傍に座り込んで、ぽつぽつと世間話程度の言葉を交わす。
喋るのは主にバッツ。セフィロスはそれをただ聞き流しているだけで、あまり反応するようなことはしない。
ただ、今回は珍しくセフィロス自身に関することだったために、いつものだんまりを通せなかったのだろう。不機嫌に吐き捨てる声色には、苛立ちが多分に含まれている。
「余計なお世話だ」
「そう言うなよなー。人がせっかく心配してやってるのにさー」
ぷう、と。
子供のように頬を膨らませるバッツに、セフィロスはやれやれと肩を竦めた。
今二人が立っている場所は彼らが最初に出会った草原ではなく。
セフィロスが好んで立ち寄る、不思議な緑とも青とも白とも黄とも言えるような色の光が岩場の下から沸き上がり、うねるように周囲を取り巻いている空間だった。
揺れる光は刻々と色を変え、薄暗い空間を浮かび上がらせる。
本来の色が分からなくなりそうな空間に、かつて英雄と呼ばれた男は立っていた。
どこかの世界で。
英雄と呼ばれ、最高のソルジャーと呼ばれ、友人と自らを失って狂った彼は。記憶はなくとも己の存在が虚構なのだと感覚で理解していた。
風の旅人は、その名をあらわすように、絡み付く光に捕われた英雄を掻き回す。ひょこりとセフィロスの前に立ったバッツが首を傾げた。
「何だ」
「いや、風が……来る」
ざわり。
空気が揺らいだ。