odd – Record:000
傍迷惑な事件は何時如何なる時にも起こり得ることではあるが、今回は極めつきだった、と。全てが終わった後に感想を求められたランサーのクー・フーリンは魂が抜けかけてげっそりとした表情で語った。
追いつかないツッコミと二転三転する目的に振り回されたのが堪えたのか、ぐったりとテーブルに突っ伏したまま微動だにしない子ギルの姿もある。
「さすがのボクも疲れました。せめて後処理は全部大きいボクに丸投げしたい」
「同感だ。オレだって他のオレに投げてぇわ」
さすがにそういうわけにもいくまい。いや、どう考えても向こうが面倒ごとを察知しないわけがないのだから逃げられて終わりだろう。
ダ・ヴィンチは後処理をしておくと請け負ったが、状況を考えると見回りくらいはしておく必要がある。
元凶である擬似サーヴァントの神霊は、男二人に施設中を案内させるという名の引き回しをして満足したのか、今は食堂の一角でジャンヌやヴラド三世とお茶をしていた。
不思議な組み合わせだが、宗教的な意味では合っているのだろう。少なくともインド勢が混ざっているよりはよほど違和感はない。
疲れているところ申し訳ないがと声をかけられたのはそんな時だった。覚えのありすぎる声に嫌々顔を上げた二人は少し眉を寄せて困った様子の赤い弓兵を目にする。
「あいよ。おまえさんがオレらにわざわざ話しかけてくるくらいだ、また問題か?」
「……あ、ああ。とりあえず君達にもお茶を。その上で頼みがある」
「ありがとうございます。どれどれお茶請けは……たい焼きですか。いいですね、このくどくない甘さが沁みます」
疲れた時には甘いものとは言うが、この時期どこもかしこもチョコレートの香りが漂っているため若干食傷気味にはなる。
そんな中で出される控えめなあんこの甘さは実に好感度が高かった。
ランサーはほぼ二口。子ギルは上品に端から齧っていってぺろりと指についたあんこを舐めとる姿が対照的。
濃い目に淹れられた緑茶を啜ればそこだけチョコレートのことなど忘れたかのようだ。
「さて、少し落ち着いたところでエミヤさんのお話を聞きましょうか。どうしました?」
素直に子ギルが勧める椅子に座り、口を開いた弓兵の説明は明快だった。今回の元凶がカルデアのリソースをちょろまかしてチョコレート作りをしてたため、元々使うはずだったリソースに影響が出ていること。
これは電力もそうだが、主に原料となるカカオについてと考える方が自然だろう。そのため少しでも回収できるものがあればありがたいとのことで、今回の騒動収束に貢献した二人に話を持ちかけたという流れだ。
「場所自体はわかってるが……あそこ、途中であいつが暴走する段階でなんか異界化してなかったか?」
「ええ。ですから回収できるものが残ってるかは……」
どのみち確認に行くつもりではあったため、同行したいなら案内くらいはすると告げる二人に、少し考え込んだ弓兵は頼むと口にした。
「あいよ。そんじゃ行くとするか。嬢ちゃん達の楽しみを奪うのも酷な話だし、マスターがお礼と称してせっせとお返しを用意していたのも知っているからな」
「それではボクは何人かに声をかけてビター・シャドウから回収していた素材をどうにかしてみますね。今までの経験からすると多少は足しになるはずですから」
助かると嬉しそうに笑うエミヤは棘がなく素直すぎて怖いが、純粋に楽しみにしていた者達の心配をしているだけなのがわかってしまって、顔を見合わせた二人は軽く肩を竦めて立ち上がる。
「はいはい、消去法で案内役はオレってことね」
「……よろしく頼む」
ひとつ伸びをして、ランサーはついてこいと視線で弓兵を促した。
二人は子ギルのいってらっしゃいとにこやかな声に送られて食堂を後にする。
目的地は区画の突き当たりにあるスタッフ用の未使用部屋だ。並んで廊下を歩きながら純粋な疑問として、余裕がないわりに空き部屋がある理由を問えば、主に依代側の人格が表に出ている擬似サーヴァントや、ほぼ人と変わらない精神構造をしたサーヴァント用だと答えがあった。
「あー……なるほど。その場合、基本人間と同じ生活になるもんな」
人間を依代とするため食事睡眠を必要とし、霊体化という概念が薄くなる。厳密に言えばデミ・サーヴァントであるマシュと違い、依代が生きている人間というわけではないため、他のサーヴァントと同じように行動することは可能なはずだが、どちらかというと感覚的な問題であった。
エルメロイⅡ世やグレイ、両儀式、イリヤスフィール、美遊などが当てはまり、同じ擬似サーヴァントでも神霊が顕現するのに必要だったために姿を借りているだけで、人格が表に出ていない場合はこの限りではない。
また、現代寄りで精神構造が人間と同じであっても、自分が既に死亡している存在だと認識しているエミヤなども明確に己がサーヴァントであるという認識があるため除外される。
今回騒動を起こした人物も、どちらかというと精神構造は神霊寄りのため、部屋を必要とはしないだろう。
つまり件の部屋は今後再度空き部屋になることが決定していた。
「そいや、おまえさんもアレ食ってたんだったな。その後問題ねぇのか?」
「言うな……と言いたいところだが事実は事実だ。例え話題の品の味が気になったとはいえ、軽率だったと反省しているよ」
エミヤの声は苦い。どうせ相談事の解決に役立つかもしれないとかで手を出したのだろうと苦笑しながら告げられれば返す言葉もなかった。
この槍兵に理解されているならば、マスターをはじめ他の面々に対して意地を張るのも無意味だろう。
「年々相談者が増えて大変なこったな」
「まったくだ。まあ、ブーディカやタマモキャットも協力してくれているがね」
大変だと言いながら、どこか楽しそうなのは他人の助けになれるのが嬉しいからだろう。
無駄にそれ以上話題を続けることはなく黙り込んだ彼らは、せっせと足を動かして問題の部屋の前に到着した。
「鍵は掛かってねぇはずだが……横に寄った状態で開けられるか? 先にオレが確認する」
「承知した」
万が一ということもある。守りの力を巡らせ槍を構えたランサーが扉の前に立って頷くと、横から手を伸ばしたエミヤが扉を開いた。
即座に突入したランサーに絡みつくのはチョコレートの甘い香り。カルデア全体よりは濃いが、特に害があるような濃さでもない。以前は魔術的に拡張されて工場として使用されていたとはいえ、経緯を考えればあり得るだろうという範囲を出ていなかった。
見回しても何も残されているようには思えない。他の部屋同様、簡素な寝台とテーブルがあるからっぽの室内が広がっているだけだ。
元々空き部屋であるためかリネン類もなく、寝台には裸のままのマットレスが鎮座しているのみ。
「ふむ。何もないな」
「予想通りだけどな。若干魔力の残滓はあるが、さて……ちと離れてな」
とりあえず試してみるかといくつかのルーンストーンを放って魔力を通す。彼が使ったのは場を固定して成果を刈り取り、凍らせるもの。
何があるにせよ、部屋の外には出さず、内側だけで完結させようとした選択は正しい。
槍兵の指示通り数歩後退し、入り口近くの壁に寄ったエミヤは、徐々に男の体にピンク色のモヤが集まっていくのを見た。
「ランサー!!」
「……くっ、そ! 待て……ッ」
無理矢理手繰り寄せたモヤを釣り上げるように石に集めて凍らせようと試みるも、突如として暴れ回る魔力の渦を押さえ込むには力が足りない。
先に部屋全体を指定して場を固定していたため、外に出ることはできないだろうが封じ込めることも難しいという状況になってしまって溜息を吐いた。
「私が集中を乱したせいか……すまない」
「いや、それがなくても厳しかったさ。最初から杖持ちを連れてくるべきだったな」
これはもうリソースとして再利用するのは諦めた方がよさそうだ。
判断を誤ったと軽い後悔が滲んでいたはずの声。次の瞬間には綺麗さっぱりそれらが消え去り、やってしまったものは仕方ないと告げるところに男の生き方を見る。
「問題はどうにかしねぇとオレらもこの部屋からも出られねぇってことだが……」
可視化されてしまったモヤのため、ピンクの空気が部屋中に充満しているようでいたたまれない。
上にいくほど濃い気がして、気分的に姿勢を低くしながら槍兵の近くに寄る。
同じことを考えていたのか、男の方もその場に座り込むようにして天井を見上げた。
「あからさまにアレだが……害はないのか?」
「今のところはな。完全な封じ込めはできなかったが機能自体の凍結は成功してる。ただ、もう一度封じ込めに挑戦するにしろ、いっそ消滅させるにしろ、凍結解除は必要だろうなぁ」
最初から自分には手に余る状態だったと認めた男はもう一度溜息を逃す。当座相談する程度の時間が確保できたことで落ち着いた二人は寝台の横に揃って寄りかかるようにして対策会議を開くことにした。
誰かが今後使うはずの裸のままのマットレスに頭を預けるのはなんとなく座りが悪く、投影したシーツを適当に広げたことで笑われる。
見ていると麻痺してくるが、モヤの正体はゴッド・ラブ作成時に込められていた魔術成分の欠片だ。
「つまりアレはハッピーラブ成分っつーことか?」
「その名称はやめんか!」
あまり聞きたくないと顔を顰めるエミヤにけらけらと笑うランサー。
ダ・ヴィンチにも気付かせなかったのは偶然か、それともわざとなのか。とりあえず時間が経って忘れた頃に悪用されなかっただけよかったのだろうと自分達を納得させるしかない。
「いっそ食うか……」
「それは許可できない。あれを君に味わせるくらいならもう一度私が摂取するとも」
「オマエなぁ……」
呆れ声を遮るように、気持ち悪いんだと告げる表情はどこか痛々しい。
「あれは……少しでも幸福だったと思ったことを無理矢理増幅させられている状態とでも言えばいいのか」
強制的に与えられる幸福、満たされたと錯覚する感情など拷問なだけだ。
目的のために感情を昂らせ、人生の全てを焚べて邁進する炎のような情熱にとっては戦うための牙を抜くも同然の残虐さ。神の愛がたとえ尊いもので、それを信じるものが善い行いとしての信念があったのだとしても、押し付けられる謂れはない。
「やれやれ。なんぞ最近は幸福の押し売りをするやつが増えてる気がするな。そんだけ痛々しいってことかね、ウチのマスターは」
「さててどうだろう。それでも彼はそれこそ己の幸福……愛のあり方は己で決めるだろうさ」
どんなに不要だと思う感情、欲望が渦巻いていても、最後に彼が手に取るものはそれらが全て人生という旅の一部なのだと許容するもの。
それこそ、あり方は誰よりも人間そのものだと、人理の影法師たる身にはあまりにも眩い。
違いないと笑った男の手が不埒に動いた。
赤の外套から覗く首元に指先を滑らせ、そのまま服の上から胸、腹を遊ぶように擽って太腿へ触れる。
「まあもう一つ方法があるにはあるんだが……」
「いいだろう。のってやる」
「詳細聞かずに即答かよ」
するり。今度は弓兵の手が男の腹を擽った。
神々の無償の愛に対抗するのならば対極にあるものをぶつけるというのは説明されずともわかる。
つまりは自己中心的に求める、情欲を含めるそれだ。
「指だけで雄弁に語っておいてよく言う」
どうせならひどくしてくれ。
愛でも囁くように青年は告げる。
余計なことは告げず、肯定を返した男は、そのまま身を寄せて心臓の上に唇を落とした。
服越しのそれが強い熱を伝えることはない。伏せられた目が持ち上げられた瞬間に灯った情欲に引き寄せられるように青年の身が傾ぐ。
唇同士が薄く触れ合ったのは一瞬。直後にどちらからともなく伸ばされた舌が絡み、絡んだ唾液を啜って水音を散らす。
お互い少し首を傾けただけの、与えられるものでも与えるものでもない口付け。
吐息で名を呼んで。啄むような触れ合いを繰り返し、息継ぎの合間に触れた場所から礼装を魔力に解かしていく。
ふつりとボトムスのボタンが外されたところで下着ごと解け消えた。
「おいこら、脱がせる楽しみを奪うなよ」
「そこまでサービスしなくてもいいだろう」
腰布だけ残してあるのは直接床に肌を付けることに対する葛藤の現れ。くつりと笑った男は膝裏を掬い、軽々と青年の体を寝台上に乗せた。
シーツの波へ重なるように残されていた腰布が広がる。
濃色の肌と腰布の赤、シーツの白が対比になって視界を楽しませた。
名を呼ぶ声は咎める響き。
「さすがに硬い床でやるのは情緒がねぇだろうが」
汚れ物の心配をしているならあとでどうとでもしてやると笑う。
少しだけ折り畳まれた腰布の端を広げ、寝台からはみ出した足の先を擽りながら乗り上げて。残っていた礼装を消しながら覆い被さるように密着する。
唇は相手の同じ場所に触れた。
触れるだけで深くならなかった口付けの代わりに、密着した心音が重なる。
「……貴様は妙なことにばかりルーンを使いおって」
「戦闘中じゃねぇんだ。多少面倒はあるがまあ……許容範囲だろ。出力差はともかくルーンは杖持ちだけの専売特許じゃねぇよ」
「知っている。文字通り身をもってな」
クー・フーリンである以上、どんなクラスに押し込められていても使えるということも、普段は面倒がっていることも知っている。キャスターが例外的にルーンを主力として使うのは他の攻撃手段を奪われたからだ。
その彼ですらよく身体強化を施して杖で殴りかかるのだから筋金入りだ。キャスタークラスという足枷にも見える現界を逆利用して油断を誘う様はいっそ清々しい。
戦闘時以外で接することが多いからか、この現界では新鮮な側面をいろいろと見ている気がする。
青年の手はゆると男の背に回されて彷徨うと、髪留めにかかった。
偽装されてはいるが触れる魔力の色は焔中の鋼。
少し意識すれば礼装を解かすように解け消えて押さえこまれていた髪が流れ落ちる。
「おいおい、何度も奪うなよ」
「後でまた返すさ……本当に私が投影したものなのか興味を持つくらいにはうまく偽装している」
「何を言ってる。本物はココにあんだろうが」
熱が離れ、指先が触れるのは心臓の位置。
再召喚されてすぐ奪われたランサーの髪留めはその後正式にエミヤに取り込まれた。
何も言わずに許したのは他の自分に対抗したというのはもちろんあるが、以前のカルデア時代からいつかを考えて縁を束ねるという種をまいていたキャスターの意図に同調したからでもある。
ものを残すことはできないが、己の一部を相手に預けた事実として縁は残る。
魔力も同様で、だからこそクー・フーリンは魔力の融通をする際にエミヤを抱くことを良しとした。
幾度かの行為を経て、体を重ねる理由はもはや魔力供給ではなく。より強く縁を束ねて引き合う先にあるのがお互いが見た夢であればいいと。
交錯した視線が言葉を飲み込ませる。
色のない会話はここまでだというように重ねられた唇は深く、深く。舌先を暴れさせ、水音を散らし、息継ぎの合間に浮かんできた快楽を飲み下す。
槍兵が頸を辿れば、弓兵は耳朶を擽るように指先を遊んで熱の籠った息を逃がした。
「……ん」
唾液塗れで半開きの唇がもう一度と素直に男を乞う。
咄嗟に言葉が出なかった。
音によって返事をする代わりに軽く唇を触れさせればやわと噛んで、伸ばされた舌が歯列を舐っていく。
反射で溢れた唾液は重力に引かれるまま青年の舌を流れ落ち、半分は喉奥に。もう半分は口端から顎、首筋へと線を描いて落ちていく。
「舐めてぇ」
「いいとも」
線を追うように男の舌が伸びる。首まで落ちたそれは汗の匂いを追って耳後ろまでを舐め上げた。
犬に舐められているようだぞとの文句は無視。
何度か甘噛みされる首の筋と耳朶とに身を震わせた青年は、丁寧に男の髪を払ってから、もっと強く噛んでほしいと口に出した。
「痕が残っちまうぞ」
「構わない。正直に言えば、どうもあのモヤを見ていると落ち着かなくてな。私が一度摂取してしまったからかもしれないが、植え付けられた多幸感とやらが這い上がってくるようで……ッ」
最後まで言わせず、槍兵は即座にエミヤの頸を力一杯噛んだ。
痛みを噛み殺しながらも安堵したような息を逃す青年を真っ直ぐに見下ろして、これは現実だと告げる。
「……ああ、私も」
端的な求めに応じて首を下げた男の頸に同じように歯を立てる。苦鳴すら漏らさなかった男は舌に乗った血を混ぜるように口付けを求めた。
血に溶けた魔力が熱を持ちながらお互いの腹奥に落ちていく。
足りないと喉を鳴らすさまは獣だなと己を笑うも、僅かに身を起こしながら腰を引いた青年の意図を察する。
しわくちゃのシーツを足先で蹴って引き伸ばし、上下が逆になるように体勢を変えながら横に転がった。
立てた膝を引き寄せ、兆し始めた欲に先だけ出した舌を触れさせる。
先端を、張り出しを。ちろちろと擽ってから口内に引き込み、手と唇で全体を扱くようにしながら刺激すれば、同じように刺激を返そうとしていた弓兵の口が外れて控えめな声が上がった。