Slit

ジュノンの街を染める夕暮れは赤く。
染め上げられた街は更に緋。
水平線の彼方に半分ほどまで落ちた太陽に物々しい砲台が首を伸ばしている。その先は今は神羅の中枢であるミッドガルに向けられていた。
一歩遅ければ残酷な死の光は街を吹き飛ばしていたかもしれない。だが幸いそれが現実になることは無く。停止コードを流された砲身は静かに沈黙を守っていた。
丁度その影が描いた闇に、満身創痍といった体を引き摺りながら歩く人影があった。
特徴的な夜闇色の髪は乱れ、血と一緒に固められて顔の半分を覆っている。すらりとした長身は半ばで痛みを堪えるように折られ、足跡を追うように血の跡が尾を引いていた。
砲台のコントロール・ルームから扉一枚で繋がっている台座の部分。まるで砲台を臨むように設けられたような場所だ。ジュノンの街の他の箇所同様、水際まで人工的に埋め立てられてた地面には砲身の影が落ちて、救いなど無いというように冷えていた。決してそのままの実感では無いだろうが、それを受け入れなければならないと言われているような絶望感がある。
地面が続くギリギリまで寄って、その人物は意を決したように踵を返した。
背後で、地面の果てにぶつかった飛沫が上がる。
身を折りながらも上げた視線の先に、長剣を下げたもう一つの影。姿は女性のものだが、眼光は鋭く、殺気のこもった眼差しには優しさは見当たらない。仲間の仇だといい、神羅よ散れと叫んだ彼女は圧倒的な力の差で、もう後が無いところに立つ青年を追い詰めた。
気力だけで立っている青年には己の武器である二丁の拳銃を持ち上げる力もすでに無い。かろうじてまだ掌に収まっている己の銃を見て彼は本当に微かに唇の端に笑みをのせた。
どの道、残弾はゼロ。
予備のマガジンに手を伸ばす余裕も、また空のマガジンを落とす余力も無い。
そうでなくてもこの実力差なら、銃口を持ち上げた瞬間に距離を詰めて叩き切られるだろう。
これまでか、と青年がらしくもない覚悟を決めたときだった。
「そこまでだ」
突如、第三者の声が割って入った。
はっと振り返った彼女に、常識では考えられない長さの刀が迫る。
かわすような余裕もなく、彼女は自らの剣を頭上に渡した。そんな彼女の体を囲むようにわずかに光が舞う。
十分な体重と勢いを付加されて振り下ろされた刀は、向かう力を圧して鉄の地面に亀裂を刻んだ。中心付近は陥没して、表面のコンクリートが捲れ上がっている。
初めて彼女の口から呻きが洩れた。
「ほう、受け止めたか」
純粋に感心しているのか、単なる揶揄なのか判断に困る呟きが響いた。
「やはり貴様は……白銀のソルジャー……」
セフィロス。と彼女は、優雅に刀を持って立つコートの男の名を口にする。己の名が誰に知られて居ようが気にしないらしい男は、軽く刀を揺らして目を細めた。
「名は?」
「……エルフェ。アバランチのリーダーだ」
堂々と名乗る姿は伝説の英雄を前にして尚高らかに。決して屈することの無い色を見せる。体を支えることすら辛くなってきていた青年は、片膝を付きながらも放たれた言葉を反芻した。
リーダーが自ら出てくることも驚きなら、それが若い女性であることも十分驚くに値する。
自分が追い詰めた男の意識が飛びかけていることに気付いていたのか。エルフェと名乗った彼女は目の前に英雄がいる事を感じさせない滑らかさで後退し、青年の脇をすり抜けていった。
刀を下ろしたまま立つセフィロスも手を出すことはしない。
亀裂を越えて近付いてくるセフィロスを影の落ちる視界で捉えて、青年は危機を脱したことを悟った。唇から安堵の息が洩れる。
「おい、おまえ」
セフィロスが自らに話しかけてくると思わなかったらしい青年が思わず目を瞬く。手が差し伸べられることはなく、ただ忠告の言葉だけが降った。青年が頷いたのを確認することも無いままにセフィロスは踵を返す。
一度だけ立ち止まった彼が洩らした呟きは風に流されて、錯覚と思われるほど淡くしか届かない。
恐ろしい、と。残された陥没跡を眺めて青年はひとりごちた。
「く……っ」
痛みを堪えて無理に歩けば捲れていたコンクリートに足を取られて無様に転んだ。そのまま動く気も潰える。
感覚だけで携帯電話のボタンを押したまでは良かったが、腕を持ち上げることはかなわなかった。
まあいいか、と思う。死に対する覚悟は、今も昔も変わらないはずだ。
実際、ここで果てても良かったのかもしれない。それでもあの心配性のリーダーなら異変に気付けば誰かをよこしてくれるだろうと一日前なら思いもしなかったような事をぼんやりと考える。周囲に敵が居ない事が確認できている青年は、ひどく揺れる視界に抵抗をあきらめて瞼を下ろすと、意識を闇に踏み込ませた。
故に彼は気付けなかった。英雄と呼ばれる彼が気紛れに引き返してきたことを。
繋がりはしたものの、誰も出ない電話の向こうから声だけが何度も青年の名を呼ぶ。
「部下の躾くらいちゃんとしておけ……ツォン」
携帯電話を青年の手から奪ってセフィロスは冷たく告げた。
「セフィロス?! やはり到着していたのか!」
「呼び出したのは貴様達だろう」
さっさと救助をよこしてやれ。このまま死んでも知らんぞ。そんな風に続けて通話を切る。
ふと、以前ジュノンの街であった過去を思い出して、セフィロスは口端に笑みを乗せた。
「あいつといい、こいつといい……無茶をするな」
青年の上に気休め程度にしかならない癒しの光を投げながら、わずかに浮かんだ笑みは苦笑に変わる。戯れのように一瞬だけ血の付いた髪に触れてセフィロスはその場を離れた。向かう先はエアポート。
その道すがら。電話向こうのツォンがしきりに繰り返していた、青年のものと思われる名を音にのせた。