電像

僕が僕というものを分からなくなったら、僕は存在しなくなるのだろう。
僕が僕の言葉を紡げないなら、僕が存在している意味はなくなるのだろう。
僕が僕として存在しないのなら、貴方は僕を必要としないのだろう。
僕はもはや、自分を必要としないだろう。
認識時間27:00
目の前に灯るパソコンのディスプレイ。
頭上からの明かりは夜中だと言うのに昼間のような輝きをもって、部屋を支配している。
今日もまた同じ時間。誰も居なくなった事務所の中。
トークを求めるメッセージが入る。
相手を確認して、返信を返した。
『お互い夜中までご苦労様』
『僕はこの時間が仕事時間だから。君の方こそ残業で? ご苦労様』
『そうでもしないと弱小事務所はやってられなくてね、でも上には秘密さ。光熱費がかさむって怒られるからね』
文章では苦笑までは伝えることは出来ない。だから出来るだけおどけた調子で文章を打ってみる。
……ただの気分転換だ。
怒られても終わらないものは終わらないし、間に合わせなきゃならないものは仕方がない。そもそも鍵を自分に任せた上司が悪い。
それでも夜中に一人きりで作業をしているのは気の滅入る事だった。だから、ついネットワークで起きている仲間を見つけたくなってしまう。
天災とでも思って諦めてもらうしかなかった。
『大丈夫。僕は口が堅いから』
どこにいるかも分からない相手は、まるで直ぐ傍で内緒話をしている友人のような答えを返してきた。再び、苦笑が口端にのぼる。
『そりゃありがたい。見つかったのが君で助かったよ』
真っ黒い画面に出現する文字を追いながら、返信を待つ。返信にさらに返信して、会話になった。
自分も相手も個人情報なんて気にしない。そこにはただ今の時間に起きているという仲間意識があるだけ。
『それじゃあもうずっと同じ仕事をしているの?』
『そりゃな。やり直しって言われれば逆らえないのはしがない下っ端の悲しささ』
『大変だね。そういえば月末になるといつもだもんね』
『そうそう、提出締切が毎月月末でね。おかげでさんざんさ』
なんでそんな事まで知っているんだと思わなくはなかったけど、せっかくのってきた仕事と会話に水を差す必要性は感じなかった。
『そういえばお前さんは夜勤だと言ったけど何をしているんだい? まさか俺がパソコンを立ち上げてるのを監視しているわけじゃないだろう?』
『うん。でも似たようなものかも。コンピュータの調子を見てるんだよ。昼間は仕事の人が使うから僕が使えるのは夜って訳。まあ、それだけじゃないんだけどね』
『おそろしく夜型だとか?』
『痛いところを付くね。まあ、そうなんだけど。まともに昼間の仕事が出来なくてさ』
『へええ。まさかホントにそうだとは。こうなってくると世の中何が役に立つか分からないな』
そんな仕事があるとは思わなかった。
『僕は特殊なんだ。あまりそんな仕事に期待しない方がいいよ』
僕は世界に要らなくなった存在の、断片なんだ。
彼が送って来た言葉は、文面という形をとって無表情になる。
『イキナリ話が飛んだな。お前が要らなくなったものなら俺とこんな風に話したりしていないだろ』
『分からないよ、そんなこと』
画面が、自嘲気味に笑った気がした。
聞き分けのないやつだ、と思う。自分は夜中の話し相手に感謝しているのに。
『でも、ありがとう。僕は存在していると思っているから存在していられるんだ』
『どーいたしまして。良かったら、また付き合ってくれよな』
『あ、仕事終わったの?』
『おかげさまで。あとは帰って寝るよ』
椅子を軋ませて大きく伸びをすると、最後の文を送り出した。
『おやすみ』
『おやすみなさい。気を付けて帰ってね』
返信を受け取って、小さく笑みを洩らすと、ソフトを落とした。
「俺はガキかい」
夜中まで仕事していたのは結局上にばれて、大目玉を食らった。
ウチのネットワークが外には繋がっていない事も初めて知った。
その時間、自分以外に人は居なかったという。
じゃあ、俺が会話をしていたのは誰だったんだ?
僕は存在しているだけ。電子の海に沈んだ、昔のゆめの欠片

某イベントの文字コン用でした

2005/01/01 【Original】