あめのおと

絶えず窓を伝って室内に響くのは、温い雨音。
雨ほど強くなく、かといって霧雨ほど弱くない。
それが強弱をつけながら、低く窓を鳴らす。
不意に外に飛び出して行きたい衝動に駆られて、そんな自分にヴェルドは苦笑した。
まだ仕事も残っている。
ここで何の目的もなしに外に出て行くなど馬鹿なことだが、どうにも温い雨は誘っているようで。
夜に激しさの大部分を削られているのかもしれない。
一人仕事と向き合うだけの部屋で思う。
思考がどうにも雨に囚われて、現実に帰って来ない。そんな錯覚。
「どうしようもないな」
呟きも、雨と同じ温さ。
未練があるのだと。言葉に出してしまえば感情は如実に伝えてくる。
一度目を向けてしまえば振り払うことは困難で、溜息と共に諦めた。
軽く片付けて、部屋を出る。
傘など持ってこなかったが、元々濡れて困るようなものもほとんど持っていない。
強いて言えば携帯くらいだろうが、この程度の雨で壊れることも無いだろう。
上着の内側に入れてある小さな機械は、ずっと使って馴染んでいる所為もあってか、触れると心地よい冷たさを伝えてくる。特に何も連絡が入っていないことを確かめて、元の場所に収めた。
歩き出すとすぐに、さっき窓ごしに聞いた音が耳元に降ってくる。
暗い空に明かりはなかったが、人口の明かりは健気にも通りに光をふりまいて、その役割を果たしていた。
雨の所為もあってか人通りの絶えた道には、それを不審に思うものも居ない。
過去を追うように、ただ歩いた。
歩けばぐるぐると色々なことを考え、やがてはそれも尽きて無心になる。
「……主任?」
どのくらい経ったのか。
濡れるに任せたスーツや髪から雫がしたたり落ちる頃。
知った声が己を呼んだのに気付いて視線を上げた。
「お前とは妙なときにばかり会うな」
同じように濡れた姿の部下を見て、僅かに口端を上げる。
濡れた髪が張り付いて鬱陶しそうだと思って。それでも隙間から覗く瞳に心配の色が見て取れるから大丈夫だというように笑った。
さほど遅い時間でもない。
会っても不思議ではないのだが、何故かこんなところで会ってしまったのに驚く。
外でばったりということが少ないから尚更だろう、と自分で結論付けた。
「傘で手が塞がるのが嫌なのも分かるが、風邪をひくなよ」
「主任こそ……」
ぽん、と僅かに肩に触れただけですれ違おうとしたのを止められる。
そんな状態で家まで帰るつもりかと聞かれれば苦笑するしかない。
何も考えずに歩いてきた所為で家とはほぼ直角の位置。
直線で帰れない構造のためにここから戻るまでくる時よりも多くの時を費やす必要があった。
雨も大分小降りになっている。
「まあ、なんとかなるだろう」
てのひらで雫を受けて、張り付いた髪をかきあげた。
思ったよりも濡れていた髪から水滴が流れ落ちたのに、しまったと思う。
だが、行為を無かったことに出来るはずも無く。
説得力の無さゆえに、無言の圧力と共にかけられた言葉に逆らうことが出来なかった。
承諾の言葉に、ほっとした様子が珍しくて目を細める。
誘われるままに後について、ヴェルドは部下の家に上がりこんだ。
そのままタオルと着替えを手渡されてバスルームに送り込まれる。
「かなわんな」
大人しくお湯をかぶって、水滴に奪われた体温を取り戻す。
丁寧に水滴を拭って、渡された服に袖を通す。
ボタン等が一つも無く、前で合わせて帯で留める形のそれはゆとりがあり、体格の違うヴェルドでも余裕を持って着る事が出来た。
足元がひらひらして落ち着かないが、それもまだ許容範囲。
「先に湯を使わせてもらった。……シリル?」
部屋に戻ると、床に大き目の紙を敷いて座っているシリルは着替えてざっと体を拭いただけで同じように濡れたらしい銃の手入れをしていた。
呼んだ声も聞こえない様子に苦笑して、傍らに腰を下ろすと、繊細な動きで細部までチェックしていく指先を見詰めた。
過去が疼く。
「主任?」
「……すまん。ちょっと昔を思い出してな」
昔? と疑問を浮かべるシリル。
組み立て直された銃がその手元で鈍く光を弾いた。
「ああ。昔の……同僚が丁度お前と同じように銃使いだった」
瞳を伏せる。雨が呼び起こした過去の感情は行き場を無くしてまだ中に渦巻いていた。
「俺と同じ……?」
意識せずに出たような呟きに、頷くことで返答とする。
「突然いなくなってそのまま、だがな」
「いなくなった?」
「ああ。言葉通りだ。生死もわからん」
よくこうしてあいつが手入れをしているのを見ていたんだと言えば、シリルは自分の手にしていた銃に視線を落とした。
「会ってみたかった気がするな」
同じガンナーとしてか。それとも主任の同僚だったというのに興味を惹かれたのか。
呟きに、ヴェルドは苦笑した。
「俺も、どこからかひょっこりと現れてくれることを願ってるよ」
過ぎ去った年月は遠く、それでも稀にこんな風に噴出しては感情を翻弄する。
今もし会うことが可能なら、すべてに決着をつけられるかもしれないのに。
淡いそれは口に出すほど熱を持ってはいない。
燻り続けて、あまりにも奥底に沈めてしまった。
複雑な笑みに、何を感じたか。
シリルが立ち上がる。手早く片付けを済ませて、ヴェルドに向き直った。
「食べていかれますか」
話の繋がらぬ問い。だがすぐに夕食の事だと理解する。
もっとも、乾燥中の衣服が手元に戻ってくるまでは動きようが無い。
「手伝おう。世話になってばかりもなんだからな」
「いや、しかし……」
「心配しなくてもそれなりにはできる。昔はよく作っていたからな」
何故か並んで台所に立って、二人分の食事を用意することになる。
誰かと料理をすることも久しぶりで。言い出した自分の方がおかしな気分になった。
今隣に居るのは、シリル。自分に言い聞かせなければ履き違えてしまいそう。
彼の手は淀みなく動き、包丁を操るのも慣れている様子が見て取れた。
確実に思い出の中の人物とは違う点。それが戒めになる。
踏み込めなかった結果、すり抜けていった影。
取り戻せない過去は一度噴出せば幾らでも後を追ってきて、苦い。
「なあ、シリル」
お前はもっと執着していい。
突然の言葉に、シリルの顔に疑問が浮かぶ。
僅かの間、作業の手を止めて合わせた視線。
「なんでも一人でどうにかしようと考えなくてもいい」
でなければ何の為に同じタークスとして動いているのか分からなくなるからな
ゆっくりと作業に戻り、言葉を零す。
「……努力する」
「ああ」
短いやり取り。それだけで十分。
自分の中の感情を、いつもするように少しずつ沈めて、ヴェルドはわずかに笑みを唇に乗せた。

雨が続いてるので、濡らしてみました、っつー安直な発想で出来たシロモノ。 裏テーマ:ヴェルドとニチョのラブラブクッキング(頭悪) ニチョは一人で何でもやろうとする子なので、当然家事全般も出来るだろうと思いますが、なにげにヴェルド主任も料理できそうだと思っています。 なにせ娘に対してあの溺愛っぷり。休日のおやつくらい作れてもおかしくないと思ってる。 お菓子とかデザートとか得意だと(私が)ときめきます。 そして今回、少しだけヴィンヴェルを混ぜてみました。ヴェルド受だと主張するために。笑。

2006/05/20 【BCFF7】