グラスの合間に落とす

カラ、と小さな音がして、さほど大きくも無いバーの入り口が開く。
入ってきたのは、くせの強いオレンジの髪を軽く撫で付け、夜だというのにサングラスをかけた長身の男。銜えられた葉巻には今は火は点いていない。
「よ、ヴェルドのおっさん。一人か?」
男はお気に入りの席への先客に気軽く声をかけて、隣に並んだ。
「ああ。たった今振られたところでな」
知り合いらしい。先に席についていた顔に傷のある男が薄く笑む。
その仕草で、言葉ほど深刻なものではなく、軽い戯れだと知れた。
「おっさんと飲む酒の趣味の合う奴ってのは貴重だな」
ハハッ、と笑って何も言わずとも差し出されたグラスに手を付けた。
そうなるくらいには通っている店は居心地がいい。
ヴェルド、と己が呼びかけた男の隣。自分が座ったのをは反対側の席にまだ置かれたままのグラスの中身は空だった。
「お前が知らない奴じゃないぞ」
「へぇ。ってことはあの面子の中ってことだな」
ついこの間復帰したばかりの職場の顔ぶれは大きく変わっていた。
その中の同僚の顔を順番に思い浮かべて、該当しそうな相手に思い当たる。
にやり、と口端を上げてグラスの中身を乾した。
「あいつか。なるほどね」
いつも無表情に近く、人を傍に近づけない雰囲気を持つ青年の姿を思い浮かべて、一人納得する。
「あいつはだいぶおっさんに頼ってるみたいだからな」
「……そうか? 確かに、タークスに入った当初に比べれば格段に態度は柔らかくなったが」
「ああ。そういうのは周りの方がなんとなくわかるもんさ。多分本人もあまり自覚してないだろうがな」
すぐに代わりのグラスを差し出してきたバーテンに軽く手を上げて謝意を示すと、男は思い出したように笑った。
見ている、というのが単なる好奇心だけでない事を悟ってヴェルドも笑う。
「戦場の死神に目をつけられるとは、彼も災難だな」
「おいおい、そんな言い方はねぇだろ? 俺は紳士だぜ?」
「どうだかな」
氷が形を崩し、小さく音をたてる。
薄くなった酒を流し込んで、ヴェルドは目を伏せた。
「この間、彼と話していただろう」
「ああ。大したことを話しちゃいないがな」
答える男のグラスには氷が浮かんではいない。
薄まる心配のないそれを軽く揺らして男は笑みを交えた問いを返した。
「それがどうかしたか?」
「いや……特にどうというわけでは無いんだが」
「俺を恐れる気配は全く無かった。多分口調も普段どおりだろう。面白いな。元々そういう世界に居たのか?」
「そうだな……下の街でボディーガードをしていたからな」
「なるほど。それでか」
ただしちょっと固いがな。と言葉を落として、男はまたグラスを傾ける。
「だからといってあまりからかうなよ」
「さて。それは気分次第だな」
グラスをあけるペースが早い割に、男の顔色も態度にも全く変化はない。薄暗い店の中では視界を妨げるだけだろうと思われるサングラスですらそのままに、会話をしながらも一定のペースで淡々と飲み続ける。
「たまには肩の力抜かないときついだろ。だからおっさんもこんなところに連れてくるんじゃないのか?」
「さあな」
直接答えないヴェルドに、それ以上問いを重ねる事無く男は笑う。
「で、あいつの性格だとおっさんを置いて帰るってのは考えにくいんだが……どうしたんだ?」
「呼び出されて出ていった。お前が来るのと入れ違いだったが、外で会わなかったか?」
「そりゃ残念。折角の機会を逃したか」
「会わなくて良かったな」
「どういう意味だコラ」
ヴェルドの前に新しいグラスが置かれる。
「そのままの意味以外にどう取る気だ。ああ、久しぶりに今日はお前が付き合うか?」
「……そうだな。それもいいか」
何なら酔いつぶれても構わんぜ。
相手がさほど酒に強くないと知っている男は、挑発するように言葉を投げる。
暗に、息抜きが必要なのはヴェルドもだと告げた言葉は、紙切れよりも軽く。軽く笑って流される。
時と立場に雁字搦めにされた彼は、自ら進んでそこまで踏み外すことは無いだろう。
分かっていても、なんとなく告げずにはいられない。
そんな男の心中を察したようにヴェルドの笑みは深くなる。
「相変わらずだな」
「そりゃ、どーも」
珍しく音と共にグラスを触れ合わせて、二人は同時にグラスに口をつけた。
自分達の勤務時間はもう終わっている。
美味しい酒を楽しむくらいの余裕はあっていいはずだった。

4月オンリーの無料頒布物でした。 すっかり忘れてたけど今更再録。 レジェヴェル楽しいです。大人の会話。でもなぜか向いてる方向はニチョ(あれ?)

2007/10/13 【BCFF7】