戯れに共有する無言

カウンターに座る男の目の前には僅かに揺れる蝋燭が頼りない光を投げていた。
極限まで照明を落とした店の雰囲気は演出としてのムードを高めている。
同じようにカウンターに座る客の前にそれぞれ置かれた蝋燭。
それは重なり合って天井に淡い影を描き出していた。
さほど高くない天井は圧迫感が無いわけではないが、それもまた店の雰囲気を作っているものの一つだろう。
その頼りなげな光源に表情を暴かれることを嫌ってか、すこし俯き加減の男の顔にはそれでも誤魔化しきれずに走った傷跡が見てとれた。
目の前に置かれたばかりのウイスキーのグラスを傾ける。
なんとなく気分で選んだそれは普段口にしているものよりも淡く。
底の厚いグラスの中で氷と遊んでいた。
まだ薄められていない液体が喉を焼いていく。
わずかに舌に残る苦味と、喉の奥の熱。
ロックで頼んだ酒は香りを楽しむのには向かないが、男一人でこの場に居る外聞的な理由にはなる。
印象が一人歩きしていることを自覚している頼み方だった。
つまみとして頼んだ皿からドライフルーツを口に入れる。
ゆっくりとグラスを回してもう一口酒を含んだ。
溶け出した氷が一度目よりも酒の味を薄くする。
ゆっくりとグラスを干していれば、途中から溶け出した氷の水分のほうが多くなって味を曖昧に濁す。
それでも構わずにそのまま。
僅かに伏せられた男の瞳は何かを思案しているようでもあり、ただ寛いでいるようでもあった。
どれだけそうしていただろうか。
氷から水へと姿を変えたものが残った酒を駆逐するかのようにグラスの底を満たしていく。
カラン、とそれが鳴いた段階になって男はようやくわずかに視線を上げた。
同時に入り口が開く。
足早にフロアを横切った足音が近く止まったのを察して振り返る。
僅かに呼吸を乱してはいるが、普段と殆ど変わらない表情をした青年がそこに立っていた。
数度息をついた唇が、ヴェルド主任。と男の名を呼び、謝罪を告げる。
「かまわんさ」
座れ、と促せば素直に男の隣に腰を下ろした。
ヴェルド、と呼ばれた先ほどから座っていた男のほうが軽くグラスを振って注文を出す。
青年に向き直ればすぐに意図を察したのか、同じものをという声。
「無理はしなくていいんだぞ」
走ってきたのであろう青年に僅かに表情を緩めてヴェルドは声を投げた。
「別に、無理はしていない」
温度の低い青年の声に再度苦笑を洩らす。
ヴェルドの方を見た青年の表情は落ちかかる髪によって明かりを寄せ付けなかった。
それでもなんとなくその表情の予想が出来て、ヴェルドはくしゃりとその髪をかき回してやる。
何を、という抗議にもならない声が零れた。
軽く鳴いた氷の音と共に2つのグラスが目の前に置かれる。
それぞれグラスを取って、軽く縁を合わせた。
掌に音を吸われて、澄んだ音とは無縁の乾杯。
再び強い酒が喉を落ちていく感覚を味わって息を零す。
普段はきっちりと締めたままのタイを僅かに緩めて、今度は氷が溶ける前にグラスを干した。
「煙草を一本くれないか?」
隣の青年に要請すれば、驚いたような表情が僅かなあかりに垣間見えた。
「主任が吸われるんですか……?」
その口調も意外だと語る。
「今日はなんとなく気分がいい。こういうときには、たまに吸いたくなる」
差し出された煙草を銜えれば、間をおかず同じ手が火を差し出してくる。
僅かに苦いものが混じった感情を噛み殺して、ヴェルドは礼と共に火を点した。
一度深く吸って唇から離す。
「妻子が出来てからは禁煙していたんだがな」
普段煙草を吸うような印象を与えない理由をそんな風に明かして、笑みを刻む。
本当に吸わなくなった理由がそれなのか、今またこうして吸っている理由が何なのか正確に判別できるわけではない。
なんとなく、が一番近いだろう。
無理矢理それに理由を付ける必要も無い気がした。
二杯目を頼もうとする青年を軽く手を振って制する。
疑問の声が上がる前にバーテンへと一つの銘柄を告げた。
「ストレート、2つだ」
「かしこまりました」
「……主任」
すぐさま用意されたグラスの片方を青年の方に押して笑んだままの唇を開く。
「この一杯は俺の奢りだ。できれば、また付き合ってくれ」
「……わかった」
先程まで飲んでいたものよりも幾分か濃い色の液体は、ストレートだということもあって強く香りを届けてくる。
氷に濁されない味をゆっくりと口に運ぶ。
元々口数の多くない二人はただその香と沈黙を共有していた。
目の前の蝋燭も時間とともに自らの蝋の海に囲われて勢いを弱めた気がする。
その一杯を干すと、二人はどちらともなく席を立った。
夜が遅くなっても外は相変わらず温い空気があたりを取り巻いている。
見回しても人通りは無い。
店の入り口から数歩進んだところでヴェルドは足を止めた。
ふと斜め後ろについていた青年を見る。
「主任?」
疑問の浮かんだ名前を呼ばせて、これで今日何回目だと、苦く思う。
唐突に大きく踏み出せば一歩にも満たない距離を詰めると、軽く唇を重ねた。
「なっ……」
まさかそんな行動をとるとは思わなかったのだろう。
焦りの混じった声に口端を引き上げる。
「ただの戯れだ」
最初にしたように青年の髪にくしゃりと指を通して、ヴェルドはひらりと手を振った。
「気をつけて帰れよ」
「……はい」
意味を問うでもなく青年はただ頷いて行動を受け入れた。
それを歯痒く思う反面で安堵する。
二人はそれ以上時間を浪費することなく、別の方向に歩き出した。
僅かに共有される夜の時間は氷に薄められる酒のようにただ、淡い。
奇妙な思いは僅かにどちらの胸にも落ちたが、気にするほどでもなく。
ただ温い夜に溶けた。

ヴェルニチョです。ちょっとだけらぶ? 笑。 主任にはロックが似合うと思います。でもお気に入りの酒はストレート(なんて紛らわしい) そして主任は気分がいいと煙草吸いたくなる人だったらいいな。 もちろん家族の為に禁煙済で。笑。 そんな妄想です。

2006/09/18 【BCFF7】