遥けき蒼の面影

 彼は。
 ひどく驚いた顔をして固まったあと、眩しいものを見たというように目を細めた。

 ここは人理保障機関カルデア。否、色々とあった果てに姿を変えてはいるものの、まだマスターがカルデアであると認識している場所。
 覚えている限りで最初に召喚されたカルデアとは違うが、ここもカルデアだ。
「彼方の、なあ。うーん……なまじ向こうを知ってるせいか拍子抜けっつーか」
 違和感は思ったよりも少なかった。それは向こうではカルデアが複数あるのが当たり前だったためなのだろう。そもそも。向こうに対してこちらのカルデアの存在を最初に持ち込んだのはどこぞの王様だったかそれとも夢魔だったかすら覚えていない。
 重要なのはそこではなく、存在するという認識と縁、そしてそれを都合よく利用できた神霊の存在がすべて斜め上方向に働いた結果、自分がこの場にいるという事実だ。
 とことこと前方を歩いていくのは自分にくっついてきた子犬の姿で。向こうでもこちらでも正体不明だが、詮索する必要もないほど一緒なのが自然になっている。
「そいやおまえも腹減る……よな?」
 わふん。
 ちらりと振り返って返事をした子犬に笑いかけ、勘と嗅覚を頼りに食堂へと辿り着いた。
 時間は夕食には早く、おやつよりは少し遅いくらい。人影は多くなく、何人かが端のテーブルで話をしている姿が見える程度だ。
 ふむ、と。周囲を見回しながらカウンターに近付く。このあたりは場所や形が変わっても機能自体は変わらずわかりやすい。前を歩いていたはずの子犬は、いつの間にかぴたりと斜め後ろあたりに張り付くような位置取りにかわっていた。
「さて、と」
 時間帯のせいか、本日の担当者は奥で仕込みをしているらしい。急ぎの食事をしにきたわけでもなし、どう声を掛ければいいかと悩んでいる間に相手が気付いた。
「すまないが少し待ってくれ」
 手が離せなくてと申し訳なさそうに告げる低い声に覚えがある。視界の端で捉えられる姿は赤を纏ってはいないが、特徴的な白髪と濃色の肌、なにより声を間違えるはずもない。
 こちらのカルデアにおいて自分は新参者だ。マスターの言によれば、クー・フーリンはともかく、セタンタは存在しないはずである。
 外見だけでいえば幼名を名乗るのはおかしいのだが、可能性の具現としてその名を名乗ることを選んだのは自分自身で、後悔もない。予想していなかったわけではないが、あまりにも早い再会が叶って勝手に慌てているだけだ。
 もっとも、再会だと思っているのは自分だけ。親近感も、向こうの記憶があるためなのだろうと瞬時に把握できるも、跳ねた鼓動を無かったことにはできない。
 さて、どう自己紹介するべきか。
 待ち時間の心情を察したか、きゅん、と。小さく足元の子犬が声を漏らす。頭突きでもするように頭を擦り付けた後でころんころんと床を転げる様は、かわいいだろう撫でたいだろうと主張せんばかりだ。
 思わず吹き出す。
「オレ相手にそんなことやってどうするんだよオマエは……よ、っと」
 からからと笑って手を伸ばし、抵抗もない体を抱え上げる。そこで子犬の真意に気付いた。
 そういえばアイツ小動物に弱いもんなあと小声を落とし、きゅうと鳴く同意の声を聞く。
 あまりにもささやかな呟きは腕の中の子犬以外、誰の耳に入ることもない。
「長いこと待たせてすまない。今日は一人だったのを失念してい……た」
 ぱちり。焦って振り向いた相手と目が合う。
 ぽかんと口を開けて。待たせた言い訳の続きは紡がれることなく全ての動きを止めた。
 さっさと挨拶の声でも上げればよかったのだろうが、振り向いた青年の表情に見惚れたせいでタイミングを逃してしまう。
 二人はそのまましばらく動かず、声も上げないままで。いつまで続くかと思われた硬直を解いたのはセタンタが抱き上げてきた子犬の鳴き声。
 我に返った青年は初めましてと口にした。
「不躾に見つめてすまなかった。よく似た人を知っていてね。驚いてしまったんだ」
「オレのこと、なんか聞いてる?」
「いいや、何も。だがまあ……見ればわかるさ。ケルトの大英雄、光の御子殿。今回はまた随分と可愛らしい姿で現界したものだ」
 別の自分なら見ただけでわかる。たとえ今の年齢で出会ってなくとも生前に交流があった人達もわかる。召喚された英霊は、外見の年齢に関わらず過去の影だ。
 だからこそ一目見ただけであんな表情を見せ、正体を把握した相手への縁はどれほどか。
 セタンタは少年らしい笑顔を浮かべて残念ながら正解は半分だと口にする。
「その御大層な名称を堂々と名乗るにはまだまだ未熟でね。オレはセタンタ。だが、アンタのことは知ってるぜ。こっちでも美味いメシ、期待してっからな」
「その名を名乗るには年齢が合わなくないかね?」
「気にするのはそこなのかよ……」
 ふふ、と笑ってエプロン姿のままカウンターに近付いてきた青年は、挨拶だけなのかそれとも何か食べたいのかと続けた。
「忙しいのに悪ぃ。コイツに水飲ませたいんだけど、使える器とかあるのかを聞きたくてさ」
 腕の中の子犬を軽く揺すって主張してやると、呼応するかのようにきゅうと鳴いた。向こうで慣れているためか、おねだりのタイミングが完璧である。
「確かにその子には器が必要だな。そこの端のあたりで少し待っていてくれるか」
「わかった」
 示された食堂の一角には少しだけ広めの空間。壁にはいくつか止まり木のような突起と、棚らしきものも見えていた。経験から動物の姿をしているサーヴァントや使い魔等に対応するためのスペースだとわかる。
 セタンタは場所を移動して子犬を床に下ろすと、そのまま自分も床に座り込んだ。
 手は勝手に子犬の背を撫でている。
「今選べるのはこの二つからだ。その子の専用にするから選んでくれるか?」
 厨房から出てきたエミヤはエプロンを外していた。
 歩くたびにひらりと広がる腰布が一歩遅れて揺れ、目を奪われた直後に視界が二色の青に塗りつぶされる。
「あ、えっと……こっち、かな」
 並べられた少しだけ濃さの違う青。見比べて子犬の持つ色に近い方を選択する。
「承知した。これはそこの食器置き場にわかるように置いておくから都度取り出して使ってくれ。あとこちらは食事用だ」
 先ほどのものとは別に取り出されたのは薄紅色をした器。運用の都合上水用は寒色、食事用は暖色となっている旨と、使用時には棚から取り出して担当者に渡す方式だと説明が続く。
「了解。他に注意事項はあるか?」
「終わったら都度片付けてもらうくらいか。あまりスペースを取れないから全員分出しっぱなしというわけにはいかなくてな」
 申し訳ないがと眉を下げる青年に、謝ることではないだろうと笑う。
 水の器を受け取って入れる場所、置く場所などを確認して。しゃがみ込んだ体勢のまま、眼前の子犬が夢中で水を飲んでる姿を並んで眺める表情はどちらも優しい。
「なあ、エミヤ」
「そう……か、君は私を知っていると言ったな」
「ああ。オレは別のカルデアから来たからな。向こうでのアンタも知ってる」
 だからこそ此処にくればなんとかなるかと思ったんだ、と。軽い調子で告げて子犬から弓兵へと視線を移した。
 つられるように顔を上げた相手の視線を捉えて笑う。
「さっきの様子からどこにいても相変わらずなんだなと思ってさ。だけどこっちでも美味いメシ食えるのかなって思ったら嬉しくなった」
「向こうの私は随分と君を餌付けたとみえる」
 他のカルデアという存在には驚かないのは、並行世界の存在を許容し認識しているが故か。
 声音に含まれるのはどこか奇跡的に会えたという喜色と畏怖。そして少しの憧憬。
 どこか眩しそうに目を細める表情が最初の時と同じ。
「おう。もうがっちり掴まれてっからな。期待してるぜ? それに……」
 ずい、と顔を寄せて。思わず身を引いてバランスを崩しそうになった青年を片手を回すことで支え、同時に逃げ道を奪う。
 意識して低めの声を耳元に落とした。
「アンタのことも、もっと深く知りたい」
「な……ッ」
「おっと、あぶねぇ」
 お互い不安定な体勢だが、動揺のあまり大きく身を逸らせたエミヤを軽々と支えたセタンタは追い打ちとばかりに至近距離でにこりと笑う。
「……勘弁してくれ」
「名乗る前にわかったくらいだ。アンタだってオレのことよく知ってるだろ?」
 成長したオレかもしれないが。
 無邪気に見せた指摘。
 肉食獣のような不穏さは消えているが、根底にあるものは変わらない。
 猛犬の名を名乗らないままでも確かにそうなのだと諦めた弓兵はお手柔らかにとだけ返して脚と腕の間で顔を隠す。
 肌の色が濃いこともあってわかりにくいが、うっすらと色付いている耳元に満足したセタンタは、青年に気付かれぬようひっそりと拳を握った。

2023/05/05 【FGO】