鉄の馬

 からん。
 モザイクタイルのテーブルの上でカラフェの中の氷が涼やかな声を響かせ、水中に没したそれはテーブルに落ちていた光の模様を乱した。
 ちらちらとこぼれ落ちている光は頭上を覆う枝とその葉がもたらす恩恵だ。
 一歩外に出れば太陽が全てを灼く勢いで照り付けているが、陰になっている場所は存外過ごしやすい。
 テーブルの前の椅子には黒髪の青年が一人。場所に合わせるように普段の礼装ではなく、現代風の黒のインナーにパーカーを重ねて着ている彼は一瞬遠くを見るように視線を投げて目を細めた。
 普通なら見えない距離だろうが、彼には苦もなくそれを捉える。
 いかにも急いでいますといった表情で走っていく盾の少女、その少し先にはマスターの姿。後から追いかけていくのはジークフリートと風魔小太郎か。
「我らがマスターは相変わらず忙しいなぁ」
 くつり。思わず零れた笑いを誤魔化すようにテーブルの上のカラフェを持ち上げて空のグラスを満たす。
 そうは思わないか、と。
 告げながら振り返った先には約束の相手が姿を見せていた。
「あー……そうだな。オレには見えない距離だが、なんとなくは予想ついたぜ」
 変装用だろうか。目深に被ったキャップの下から覗く焔色の瞳が穏やかな笑みの気配を漂わせる。
 差し出されたグラスを受け取って立ったまま一気に煽った彼は、大きく息を吐いてから背負っていたワンショルダーのボディバッグを前に滑らせた。ごそと中を漁って取り出されたのは折り畳まれた紙と小さな鍵。
「水ごちそうさん。人心地ついたわ」
「アンタも色々大変だな。あと五分くらいか……説明する時間あるか?」
「いや、予想したからメモにしてきた。多分大丈夫だと思うんだが、わからなければまたオレらの誰かを捕まえて聞いてくれ」
 アンタの目なら可能だろうと楽しそうに告げられて苦笑を滲ませる。この現界ではマスターを含めてほぼ誰も未来視や読心を気にしない。
「わかった。手間かけて悪かった」
「かまわねぇよ。アンタが頼み事するってのは珍しいからな」
 それじゃあと軽く手を振って男は真っ当な道ではなく生垣を越えてどうやら裏に出るらしい。ぱちりと瞬きをした青年は助言を必要としない彼の姿勢に口元を緩ませる。
 危険だぞと言ったところでおそらく彼はその後をどうにかするのだろう。ならば何も言う必要はない。
 そもそも、彼を追う蜜酒の女王に関しては、本人が一番わかっているのだ。
 名残の氷により汗をかいたグラスから流れた水が紙片の端に到達しそうなところギリギリで掬い上げる。
 走り書きにしか見えない文字は魔術的なものだ。読めずとも内容は勝手に流れ込んでくる。
 青年はひとつ頷くと、紙片と鍵を手に席を立った。
 灼熱の気温も、太陽も。慣れ親しんだ彼は気にしない。
 迷いなく向かった先は豪奢なカジノやホテルの間にひっそりと立つ倉庫じみた小さな店の中。一台のバイクの前に止まって口端を上げる。
 手の中には先ほど入手した小さな鍵。
 ついとタンクを撫でて目を伏せると、預けられたそれを伴って店を後にした。
 その後、黒髪の青年が珍しく楽しそうにバイクを乗り回している姿があちこちで目撃されたとかなんとか。

2020/07/26 【FGO】