イタズラの仕返し
「は……?」
零れた声同様、どこか間抜けな音を立てて背後で扉が閉まった。
視線の先にあるのはなんの変哲も無い己の部屋。
だが、見慣れているはずのそこに明らかに異物と思われるものが居座っていて、部屋の主である赤の弓兵は目を瞬かせた。
何度視界を更新しようと消えない様子に、ようやく現実であることを飲み込む気になる。
作り付けの寝台の手前で行儀よく脚を揃えて伏せているのは、見覚えのある白い犬だった。
「どこから入ってきたんだね? あいにくと今は……」
ぐらり。揺れる視界。
連戦で酷使された身に余剰な魔力など存在しない。
予定では特に大きな問題もないだろうとされていた特異点の後処理のためのレイシフトだったのだが、油断が招いた結果か、それともデータでは把握できなかったか、あるいは両方か。警告の声も間に合わないほどの速度で奇襲を受けた後は、どれくらい戦闘をしていたのかすら覚えていないほどずっと戦闘漬けだった。マスターである少年の消耗もかなりのものだが、同行していた英霊達もかなりの魔力を消費したため、ふらふらである。
今回のメンバーは事前調査の結果に合わせてアーチャークラスが多めに設定されていた。
踏ん反り返る金ピカの王様をけしかけつつ、今は同行できぬ盾の少女に代わって護衛役になることが多い白百合の騎士と共にマスターを守り、緑衣のアーチャーと息を合わせて包囲を狙う敵を撹乱、状況次第では前線に出て各個撃破していく。
弓兵のくせに接近戦かよとはよく言われるが、今回はそれがいい方に働いた。
アーチャーというクラスで現界するものたちの多くはその名の通り狙撃を得意とするものだ。それは、裏を返せば懐に入られれば弱いということになる。
どちらにも対応できる赤の弓兵は、護衛役とともに包囲を突破するには最適であった。
囲まれたところから抜け出してしまえばあとは金ピカ王様の本領発揮。遠慮なしの宝具でまとめて焼き尽くされた敵を見ながらどうにか危機を脱した彼らは、全員の消耗具合を加味し、簡単な調査と拠点作りだけを済ませて帰投した。
さすがに無傷とはいかなかったマスターは盾の少女に付き添われて医務室直行。
その他のサーヴァント達もそれぞれ魔力切れでままならない体を引き摺って部屋に戻っていった。
多少の補給のためには食事をするという選択肢もあったが、その元気さえないというのが現状であった。
こうなったらもう睡眠状態になり、魔力が回復するのを待つしかない。
通常の聖杯戦争と違い、このカルデアという場所では多少の例外はあれども、通常であれば一定量の魔力が供給され続ける。つまり消費しなければ溜まって行くという理屈になり、能動的に摂取するという選択肢を捨てる場合、もはや寝るしか道はなかった。
あと一歩が遠い。
部屋に入ったはいいもののその場から動くのすら辛くなった弓兵の足元に白い影。
がくり。限界とばかりに膝が落ちた弓兵を、柔らかな毛並みが支えた。
「な、にを……」
成人男子の体を支えるのは、いくら大柄な犬種と言えども本来なら成し得ることではない。だが、弓兵は平気な顔で己を支えた犬の周りに漂う魔力に気付いた。
「はは……器用だな、君は」
なんの力が働いているのかを見極めるのは限界を超えている身には辛く、相手が危害を加える気が無いのを知っている弓兵は考えることを放棄した。
運ばれるままに寝台までたどり着き、腕を伸ばそうとして失敗する。一度倒れてしまったからだはもはや言うことを聞かなかった。
担いだ青年が本当にそれ以上動けないのだと把握するや否や、犬は軽い動作で寝台に飛び乗っている。重さなど感じさせない様子にわずかに驚いた表情を見せた弓兵は、もはや半分以上眠りの海に誘われながらシーツの海に転がった。
もはや武装を解くのすら面倒くさい。
一度眠れば多少マシだろう。未来の自分に全てを投げ渡して、弓兵は目を閉じる。
ふ、と。
投げ出した腕の上、胸から腹のあたりにもふりとした感触が触れた。
すぐにここまで運んでくれた犬のものだと理解はできるが、一度落ちた瞼は重く、再度持ち上げる気力もない。
無言で体をすり寄せてきた犬からは、いつかのように鮮やかな青の魔力が滲んで、空になった体に沁みた。
体液の摂取のように熱を伴わない、ひたすら優しくゆるい補給。
ああ、そうやって。
眠りに落ちる寸前、弓兵はゆると口端を引き上げる。
いつまでも甘やかされていることに気付かないとでも思うのかたわけめ、と。
内心でだけ毒付いて、完全に意識を手放した。
※
ざわざわと騒がしい朝の食堂。
昨夜満身創痍で帰還したことなど感じさせない働きを見せる赤の弓兵は、顔面いっぱいに魔力不足だと大書きした緑衣のアーチャーが溜息を落としたのに気付かない。
「ああ、これも持って行くといい。多少だが魔力への変換効率が上がる」
渡されたものの正体を問えば、ダ・ヴィンチちゃん特製の霊薬で、効果は他人で実証済みだから安心して使えという返事があった。
「オタク、なんでそんなに元気なんです?」
「ふむ。特に変わったことはしていないが……ああ、おせっかいなアニマルセラピーとやらのおかげかな」
昨夜のことを思い出したのか。赤の弓兵の表情がわずかに緩む。
見た瞬間、それ以上薮をつつくことを危険視した緑衣の男は、へぇと気の無い声を返して、そそくさと朝食を受け取り、カウンターの前を離れた。
入れ替わりに同じ場所に立ったのは欠伸を噛み殺す青の魔術師。
「よぉ。おはようさん。今日の当番お前さんだったか? 昨日レイシフトだったんだろ」
基本的にレイシフトが入った場合、翌日の食堂担当からは外れるのが常であるから、青の魔術師の問いはある意味当然とも言える。
だいぶ大変だったそうだがと問われればさすがに返す言葉もないが、自分はもう回復しているのだから配膳の手伝いくらいは問題がないと誤魔化した。
「ならいいけどな。あー、そうだ。お前さん、うちの片割れを知らねぇか?」
続けて紡がれたのは意外な問い。珍しくきょとんとした弓兵に、男は首を捻った。
珍しい反応ではある。それに続くように落とされた言葉もまた意外。
「あれは君の差し金ではなかったのかね?」
「なんのことだ? んー……ってことは知ってるな?」
「そうか……いや、私はてっきり……」
なにやらもごもごと口内で呟いて、視線を逸らしながらも食事のトレイを渡してくる弓兵に、青の魔術師のほうが不思議そうな顔をする。
「すまない。君のとところの子ならまだ私の部屋に居る。多分」
「多分ときたか。いやまあでもわかった。後で戻るように言っておいてくれや」
「承知した。その……キャスター」
食事ももらったことだし、要件は終わったとばかりに立ち去ろうとした男を、明らかに逡巡した末に絞り出した声が呼び止める。
「ありがとう」
振り向いた視界に捉えた弓兵の表情は笑顔とまではいかないが明らかに普段よりも柔らかく。
中途半端におう、とだけ返した男はそのまま視線を戻して食事を取る者達の間に消えた。
弓兵の姿が見えないところまで来て苦笑を落とす。
「あれは気付かれたかねぇ……」
「あ? 何がだよ」
「居たのか、槍のオレ」
「居ちゃワリィかよ。てか先にメシ食ってたのはオレのほうだっつーの」
食堂内のいつもの位置。
生活していれば自然と定位置というのは決まってくるもので、そこに見知った顔があること自体はなんの不思議もない。
ぼんやりしてて気付かなかったと告げればあからさまに嫌そうな顔が返る。
特に噛み付く必要性も感じなかったため、男は肩を竦めただけで手近な椅子に腰を下ろした。
「あぁ? なんだってお前の朝メシ地味に豪華なんだよ」
なんの贔屓だと口を尖らせる槍持ちの男に、青の魔術師は自分のトレイと彼のトレイを見比べる。
たまにあることだが、この食堂ではたまにオマケがつくことがある。その場合は書かれているメニューと明らかに違うものが付いてくるためすぐに気付くのだが、二人のトレイにそういったものはない。
ただ、見比べるとわかってしまった。
それは、メインである魚の切り身が一番いい部位であるとか。目玉焼きが双子であるとか、デザートとしてつけられた寒天にオマケの切れ端がついているとか、その程度の豪華さ。
くく、と。
男の唇から笑いが溢れた。
「いったい何なんだよ」
「あー……こりゃぁ可愛い意趣返しってヤツさね」
ちょっとしたイタズラをしたんだがどうやら気付かれたなと告げて、有り難くほんの少しだけ豪華な食事を頂くことにする。
わけがわからんと返した槍持ちには僻むなよと笑い飛ばして。
食事の後、トレイを返しに行く時はどんな言葉を投げてやろうかと思案に沈んだ。
2018/03/26 【FGO】