シャワー室の以下略

 聞くに耐えないような音が籠って、反響して、行き場もなく排水溝と換気扇から逃げていく。
「ぅ……ん」
 唇からこぼれ落ちるのは誰ものだと問いたくなるような熟れた声音。
 ぬるりと滑る手が背を撫で下ろし、腹筋から胸筋までを撫で上げる。
 絶妙な力加減のそれは痛みをもたらすことはないが、代わりにどこかむず痒いような居心地の悪さをもたらした。
 ふわりと鼻腔を擽るのはハーブだろうか。花と緑の香り。
「アーチャー」
「……ッ!」
「そんなに固くなんなよ。効果が薄くなるだろ」
 低く抑えられた忠告は狭い場所で反響し、何重にもぶれて耳朶に届く。
 く、と。青年は唇を噛んだ。
「な、んで……こんな……」
「おいおい、今更かぁ? おまえさんがベッドは汚したくねぇって言ったんだろうが」
 笑み混じりの呆れたような声に反論することができず、青年は視界を閉ざした。
 最後に目にしたのは透明なシャワーブースの扉に無様に縋る己の腕。流れ落ちていく水滴達は一度目の名残り。
 がち、がち。
 塞いだ視界を嗤うように扉を繋ぎ止めている鍵が抗議の声を上げる。
「しっかしなんだってこんなコトになってんだよ」
「そんなもの、私が聞きたい……ッ!」
 そもそも。自分でやるからいいとの言を無視して、やってやると半ば無理矢理狭いシャワーブースに入り込んできたのは誰だと問う声にはどうしたって棘が混じる。そんな嫌味にも動じない男は自分だと告げてからからと笑った。
 会話の間にも肌の上を動く掌に青年は身を震わせて声を殺す。
「別に誰が見てるわけでもねぇんだし、声出したってかまやしないぜ?」
「貴様が、いるだろ……ぅん」
「オレはなあんも気にしねぇんだがな」
 くちゅと粘着質な水音。新たに足されたのだろうそれが直接背に触れて、青年の喉からは悲鳴に近い声が飛び出した。もっとも、すぐに噛み殺されたが。
 わざとかと言わんばかりに振り向いた目には剣呑な光が灯っている。
「悪かったって。そう睨むなよ。片手だとどうもうまくいかなくてな」
 容器の選択を誤ったか、と。常から背に流した髪はそのままだが、濡れるのを嫌って礼装は解いてしまっている男が謝罪を口にしながら目尻を下げる。
「……別に。ただ少し冷たかったから驚いただけだ」
「それに関しちゃ悪かったって。ああ、じゃあおまえさんが持ってろよ」
 それなら先ほどのような事故もおきないだろうと強引に握らされたチューブボトルは一般的によく見かけるものだが、それに満たされているものは霧を溶かしたような乳白色をしている。
 男の手の動きに合わせてあたためられたそれからは、やはり控えめな花と緑の香りがした。
 くちゅ、くちゅり。
 強くなった水音。滑らかに動く男の手。
 早く解放してくれと願いながら、青年は声を殺して目の前の扉に縋る。
 ぐ、と。捻じ込むように指先を押し込まれて、痛みに体が跳ねた。縋っていた扉が揺れる。
「ひ……ぅッ!」
「おーイイ声」
「た、わけ。いきなり強くするやつが……待て、待ってくれキャスター」
 待たねぇよ。
 囁きが耳元。ぐ、ぐと断続的に押し込まれて声が零れる。
 みしり。
 そんな悲鳴は男に聞こえたのかどうか。
 一瞬の浮遊感。縋るものを求めた手が宙を掻く。それが再び扉だったものに触れるまでどれだけの間があっただろう。
 がっしゃんと派手な音。
 とっさに受け身はとったが、さすがに痛みはあった。
「おい、大丈夫か!」
「だから待てと……」
 扉がガラスでなくてよかったと思う。周りを見回せば、何が起こったかのすぐに察しはついた。
 外れた扉ごと投げ出されたらしい。足拭き用として置いてあったマットが仕事をしたのか、扉そのものにも被害はなさそうなのが幸いか。
 身を起こそうと手を付いたアクリル板にどろりとした感触を感じて視線を転じると、それはもうひどい有様だった。
 飛び散った白濁は扉の範囲を超えて床までを汚している。濃厚に漂う花と緑の香り。
「……キャスター。申し開きはあるかね。せっかく君が作ってくれたボディソープがすべて台無しだ」
「やっちまったもんはしゃあねえわな。後で直しておくさ」
 それよりもまだ全部洗い終わっていないし凝りもほぐれていないだろう、と。
 どこまでも気にしない男は再び青年をシャワーブースに引っ張り込んだ。

2020/03/07 【FGO】