凍付く庭に差す光は

 爆発は事故ではなく、人為的なものだったという。
 意図せぬレイシフトの結末。レフ・ライノールの正体。グランドオーダーの発令。
 一度ならず説明されたはずの現実なのだが、その後の激務に忙殺され、忘れてこそいないものの、どうにも頭の片隅に追いやられている。
 混乱は続いている。それが幸運だったかの判断は後の世に判断を任せるとしても、残された人間達は生きるためには不慣れなことでもなんでもやるしか道はなく。
 一気に人員が逼迫した最果ての天文台は、皆で生き残り、焼却された人理を取り戻すという至上目的のために、手が回らないもの全てを切り捨てた。
 日々管制室で数値とグラフを追い、コンピュータの自動判定では見落とすような違和感や異変があればアラートを上げる。
 本職ではない身では対処までは行えないが、疲れ切ってほとんど気絶している専任スタッフの貴重な睡眠時間を多少守るくらいはできるだろう。
 なによりも。それ以上に働いている暫定上司がいるのだ。
 医療部門のトップだった人。
 上位階級者が誰も居なくなったために突然所長代理として動く必要性に迫られた人物は、自分と同じように本職ではないというのに、弱音の一つも零さずにこなしている。
 さらには本来の医者としての業務も行なっているのだ。余分だと切り捨てられた自分の本職とは違い、彼はどちらの職務からも逃げることはできない。
 だからこそ、目の前のことで手一杯なために余分とされた時に反対できなかった自分が惨めでもあり、力づけられる光景でもあった。
 じりじりと睨んでいた数値が跳ね、即座にアラートを上げれば、床に転がって気絶していたはずのスタッフが跳ね起きた。
「交代しながら流れを教えて」
「は、はい!」
 目の下には隈。髪はボサボサで肌もカサついている。満足に休めていないことは一目でわかるが、今この場にいるスタッフは誰も彼も似たり寄ったり。特異点Fから帰還した世界最後のマスターとその専属サーヴァントであるマシュは間を開けずに第一特異点にレイシフトした。
 現場で命を賭けるものとその支援をする者。危険度に違いはないというのは、所長代理をしているドクター、ロマニ・アーキマンの言である。
 実際のところ、レイシフトにより特異点で活動するためには現代での存在証明が不可欠であり、元を叩くという選択をする敵が現れないとは限らない。しかも、カルデアに唯一生き残ったマスターは補欠採用で何も知らずに連れてこられた魔術の素人だ。
 平和に過ごしていたはずの一般人が何も知らないまま突然世界の命運を託されたことを考えれば、一応己の意思で魔術世界の片隅に足を踏み入れており、この組織に所属すると決めた自分のほうが、選択肢があっただけ幾らかマシだろう。
 正規のスタッフと交代し、状況が落ち着くまで休んでいてくれと告げられた男は管制室を後にした。一度部屋で仮眠を取ってから食堂で携帯食料を探して確保し、また戻る。
 休息を告げられたということはそれらがセットだ。部屋に戻る時間すら惜しみ、床に転がるよりはいいだろうが、気持ち的には今すぐ横になりたいと叫ぶ心に逆らうのも骨が折れる。
 ふらふらと廊下を歩く男は己でも気付かぬうちに温室へと足を向けていた。
 閉鎖空間において緑の確保はスタッフの精神安定に重要な役割を果たしていたが、最後に手入れしたのがいつだったかすら思い出せない。
 精神が限界に近付いている。荒れて酷い有様になっていたとしてもどうせ休むなら少しだけでも緑を見たいと願った彼はそのまま温室へと足を踏み入れた。
 ざわり。
 久しぶりに踏み入れたそこは、一部様相が変わっていたものの、青々とした緑で埋め尽くされている。
 涙は勝手に零れ落ちた。
 一度決壊した涙腺は壊れたままで。止めようと思っても言うことをきかない水滴達は頬を辿り顎の先から地面に落ち、不恰好な染みを広げていく。
 立ち尽くしてしまった男の側で花が笑った。それらが以前己が添木をと考えていたものだとようやく気付く。
 ゆらと揺れた花に誘われるように視線を転じた先に見えた光に男は目を細めた。
 眩しい、と思うのは人ならぬ存在故か。
 男の内心など知らぬように、こちらに気付いた清流の髪を持つ人物は笑って手を挙げた。
「アンタが本来のココの管理者かい?」
 ひょいと木々の間を器用に縫って。姿を現した人物に、重く垂れた枝の先が口付ける。
 その姿に見覚えがあった。
 モニタ越しではあったが、炎上し、煤けた街の中でも力強さを失わず、右も左もわからない状態であった自分達に最初の叱咤をくれた人。そしてマスターの帰還とほぼ同時にカルデアに召喚されたキャスタークラスのサーヴァント
 光の御子。
「悪ぃが、ちと一角を借りてたぜ。ついでに最低限の世話くらいはしたんだが、アンタが来た途端出て行けときたもんだ。愛されてんな」
 無言で涙を流す様子は完全に不審者だろうに、そんなこちらの様子には触れず、声は優しく頬を撫でていく。男は堪えていたものを抑えきれず、その場に崩れ落ちた。
「おっと。こりゃぁ早晩ひでぇことになりそうだな。リソースが確保できたらとっとと赤の弓兵を召喚しろとマスターに進言するか……」
 薄れゆく意識の中で声を聞く。
 とりあえず今は何も考えずに眠っていいと。自由がきかない体を抱きとめてくれたらしい男からは緑と水。そしてひなたの匂いがした。

 目が覚めたのは柔らかな光が足先を温めたからだ。ゆるく浮上した意識、よく寝たというここ最近では忘れていた感覚。視界は閉ざされていたが、柔らかな緑と花の匂いは感じ取れた。
「起きたか。クマが酷かったから目元を冷やしてる。できればもうちょいそのままにしとけ」
 男は目元を覆っているものの理由をクマだと告げた。本当ならば無様に泣いたからだろうに、と足先を光に炙らせながら男は苦笑する。
 途切れ途切れに礼を告げて。続けて今後もこの場所の世話をお願いできるかと問う。
「オレは構わねぇが、いいのか?」
「はい。今はやらなければならないことが、あるので」
「承った。ああ、アンタが寝てるその場所は休憩場所として整えておくから、他にも眠れないやつがいれば教えてやってくれ……ってなんだ? うん?」
 そういえば。久しぶりによく寝たのだと思ったが今は何時なのか。聞けば二時間も経過していないことに驚く。仮眠としてなら最上だ。
「あー、はいはい。こいつらはおまえさんが認めたなら世話されてやってもいいだとよ。アンタはアンタがやれることをやりな」
 どこか呆れたような男の声。
 今は自分ができること、やらなければいけないことを。視界を塞がれたままではあったが。男が見せた笑顔に周囲の草花がざわめく。
 ようやく起き上がった男は光の中で蔦と踊るように遊んでいた。
「おう、だいぶマシな顔色になったな。そんじゃ行ってこい!」
「はい!!」
 光差す庭を飛び出した男を見送った植物達はその戻りを待っている。
 待っている。
 月日が経ち、襲撃されたことにより崩壊し、圧倒的な冷気に凍てついたまま。

2023/01/20 【FGO】