果てぬ研鑽

 声自体には聞き覚えがないが、どこか知人に近しい雰囲気の声が耳に届いて、厨房の守護者こと赤の弓兵は作業の手を止めた。彼の手元にあるのは複数の焼き菓子とチョコレート、サンドイッチ。すぐ横にはティーセットと紅茶葉の缶も並んでいる。
 ゆっくりと顔を上げれば、予想よりも近くに目を細めて笑う女性の顔があった。
 知らない顔である。だが、他人を揶揄う雰囲気が擦り切れた記憶の向こうの知人を強く連想させるのも確か。どこかで、と言いかけて弓兵はそのまま押し黙った。
「どうした、パティシエどの?」
「……私はそんなものではないよ。ところで何かご用かね、レディ」
「うむ、兄上以外からのその呼び方は新鮮だ」
 兄上。鸚鵡返しに問いかけた弓兵に至極嬉しそうに笑いながら頷いた少女は、彼の手元を覗き込むようにしていた身を起こし、改めて自己紹介をしようと口を開いた。
「真名は司馬懿。クラスは……ライダーだったな」
「司馬懿?」
 とてもそうは見えないと訝しむ表情を見せた後でどこの世界線で女性だったのだろうかと首を捻りながら切り出した青年に少女は爆笑した。
「なるほどなるほど、そういう反応になるわけか」
 確かに。かの有名なアーサー王が女性だったり、かと思えば世界線の違う男性のアーサー王がいたりする場所だ。現界したときに伝承と性別が違うなど日常茶飯事なのだろうと納得した彼女は涙を浮かべるまでひとしきり笑ってから居住まいを正した。
「失礼した。私は擬似サーヴァントというやつだよ。この肉体の名前はライネス。ライネス・エルメロイ・アーチゾルテと言う。かの軍師殿は表面の意識を丸投げしてきたので、私としてはこちらの名で呼ばれるほうが好ましいね」
「エルメロイ……ということは彼の関係者か。なるほど、それで兄上と」
「麗しの我が兄上と現代の話ができる人物がいると聞いて様子を見に来たというわけさ」
 ついでに紅茶と茶菓子のひとつでも。歌うように告げた後で本当の兄弟ではないがと付け足すのを忘れない少女の表情を見た弓兵は、どこか遠い目をみせた。
 擦り切れた記憶の隅にひっかかる何かが、どこかのあかいあくまと同類だと告げている。
「紅茶で構わないかね。菓子は……ナーサリーに頼まれたものの余りで良いなら」
「もちろん構わないとも。……しかし閉鎖空間というのはやりにくいものだな。茶菓子にしても食事にしても調達する手段が限られる」
 誰かと一緒かと問う弓兵に兄のところに突撃しようと思っていると返した彼女は内弟子の少女もこちらに来ているのだろうと微笑む。
「ああ……先日挨拶に来た、フードを被っているあの子か。グレイ、と言ったかな」
「彼女と私はお茶会を楽しむ仲でね。積もる話をするのならば必要だろうと判断したわけだ」
 話題に出た少女に想いを馳せるライネスの目尻が僅かに緩んだことを見逃す弓兵ではない。
 そういうことならばナーサリーにも少しだけ我慢してもらおうと追加のスタンドと皿を取り出し、香りを確認してくれといくつかの紅茶缶を押しやった。
「ええと、エミヤと言ったかな。そこまで本格的でなくとも私は構わないぞ」
「形は違えど大切な友人との再会記念なのだろう? なら誰も文句は言わないさ」
 ぱちりと片目を瞑ったエミヤの仕草に微妙な表情を見せたライネスはその後の言葉を飲み込んで、押しやられた紅茶缶に視線を落とす。
「エミヤ。頼んでいたものを受け取りに……ああ、失礼しました。お話中でしたか。」
「そんな時間か。すまない、あと少しなので、そちらでライネス嬢と共に待っていてもらえるだろうか。迷っているようだから、可能なら紅茶を選ぶ手伝いをしてもらえると助かる」
 弓兵の要請に頷いた男が控えめにライネスの隣に並ぶ。自己紹介から始めている二人を横目にエミヤは盛り付けに戻った。
 それでも時折ちらちらとしたライネスの視線を感じる。少し考えた青年は、盛り付ける前の大皿を二つ手に取って差し出した。
「サンソン。すまないが、紅茶を決める前にひとつ食べてみてからにしてくれないか。今回のメインなので、これに合うものを選んでくれると嬉しい」
「僕で構わないのか? マリーとナーサリーのお茶会だろう」
「それこそお茶会の主役二人を呼びつけるわけにもいかないし、かといってそこの彼女の腹を満たしてしまってはお相手に怒られてしまうのでね」
 違いないと男は苦笑する。差し出された大皿から無造作に選ぶ様子もそれを食べる様子も迷いない彼を、気にしていないようでいて彼女はよく見ていた。
「なるほど。今回は少しバターが強めでしょうか。ならば……」
 サンソンの指が示した銘柄にエミヤも頷く。
「どうかな、ライネス嬢」
「……ああ。その片方を私が預かってもいいのなら」
 無理を言っている身なので先客を優先してくれと続けた彼女にお湯を要求したサンソンが両方の紅茶を少しだけ淹れ、口に含む。
「マリーならこちらの方を好みそうだ。申し訳ないが、もう片方で構わないだろうか」
「もちろん。ところで先程から名の上がっているマリーというのはフランスのマリー・アントワネット……で合っているのかな?」
 まだ新入りなので無作法があったら申し訳ない。はにかむ表情で告げられた問いに、気にするなと返したサンソンが肯定を返す。自分ではライネスと同席者の好みはわからないため、他のものがよければエミヤと相談してもらえると助かると告げた男に、少女はゆると首を振って気にしているのはそこではないと示した。
 王妃である者が警戒なくお茶会をしているのかと思ったとまではさすがに告げない。
 雑談はそこまでで時間切れ。二つのワゴンを押して厨房からエミヤが姿をみせる。片方をサンソンに差し出し、最後に彼の選んだ紅茶缶を乗せれば準備完了。
「ありがとうございます。では僕はこれで」
 受け取ったサンソンが一礼して去っていく。
「ではこちらが君の分だ。運べないというのであれば手伝うが」
 申し出に首を振ったライネスは、さすがにそれをすると他の者に刺されそうだと苦笑する。
「さて……実は話さなかったことが一つあってな。私は君のことをしっかりと調べてからここに来たんだ」
 返ったのはそうだろうなと素っ気ない反応。驚かないのは不満だとあからさまに頬を膨らませて見せた少女に対し、これだけ多種多様なサーヴァントと触れ合っていれば気にもならないと青年は続ける。
 必要なら自分も試食して残りを入れ替えるがと告げた彼が、正確に己の不安を察していたことを把握して肩を竦める。そのままワゴンを受け取って。少女はほんの少しだけ皿の端に付いていたカップケーキのクリームを指先で拭って口に運んだ。
「君は実に兄と似ているな」
「……評価は光栄だが、私は性質的に人を育てるような立派なこととは無縁だよ」
「そういう結果としての話じゃない。もっと根本的な、己に対する欲求の話さ」
 ぽかんとした表情の青年を一人残し、少女はワゴンを押して歩き出す。廊下に控えさせていた己の魔術礼装たる月霊髄液に引き渡した後で、ちらりと食堂を振り返った。
「さて……錬鉄の英霊とはよく言ったものだ。まさか英霊となってまで己を苛め抜く趣味がある者がいようとは」
 あまりにもささやかすぎる呟きは誰にも聞かれることなく、続けて吐き出された息に押し流されて千切れていった。ワゴンを返しに行く際には、似ていると言った意味を受け取り損ねたらしい彼をもう少しつついてみるのも案外面白いかもしれないと彼女は思う。
「となれば兄上の見解も聞いておきたいところだな」
 口の端を引き上げて。速度を上げた少女が目的の部屋に辿り着くまであと少し。

2022/01/17 【FGO】