幻影を纏う

 視界の端に触れたのは見慣れたものと認識している色。
 作業の手を止めて視線を移したが何も見つけられず、赤の弓兵は軽く首を捻った。
「どうしたんだい?」
「いや……今そこに誰かがいた気がするんだが、あまり見かけない色だったな、と思って」
 なんとなく気になって脳内で検索してみても、現在このカルデアに召喚されているサーヴァントの中にその色彩を纏う者はいないはずである。それをそのまま口に出せば、青年と同じように作業をしていたブーディカがああと納得したように頷いた。
「多分だけど、実験の結果じゃないかな? 今まではあまり余裕がなかったからできなかったけど、そろそろ解禁するって軽食を差し入れた時に聞いた気がするよ」
「実験?」
「その辺りはあたしが聞いてもわからないから詳しくないけど、気になるなら直接聞いてみたらいいんじゃないかな」
 苦笑と共に指さされたのは誰かの忘れ物らしいファイルの山とタブレット端末。どうせ誰かが届けなければならないのなら早い方がいいかと苦笑を返した弓兵は作業に区切りをつけてエプロンを外した。後を頼むと告げて大量のファイルを抱え込む。
 向かう先は管制室。これが誰のものであれ、指示を仰ぐべき人物はそこにいるだろう。
 それにしても、と。先ほど視界の端に捉えた色を思い返す。
 青だと思った。そして銀と赤。その組み合わせはどこかの憧憬と殺意を刺激する。もっとも色と一緒に感じた魔力も感情を揺さぶる一端を担っているかもしれない。
「どこにでもある色だろうに……これほど気になるというのは何故だろうな」
 こつり。動揺からか思ったよりも大きな音を立てた靴音にすら笑いが溢れる。こつこつと響くそれらを置き去りに、青年は管制室に足を踏み入れた。
「おっと!」
「ああ、すまな……い」
 激突しそうになった相手をギリギリで避けた瞬間にばら撒きそうになったファイルが別の人物の手に押し止められる。
 いや、よく見れば手ではなく手だけではなく尾も一緒だ。
「あか、い?」
 目にした色彩は深みの幅こそあるものの一面の赤。
 普段ならばあり得ない色彩に驚き、固まってしまった青年の腕から荷物が抜き取られる。
「おい、弓兵」
「あ……ええ、と……狂王?」
「他に何に見えるんだ」
 ゆるりと元の位置に戻っていった尾を見て、ファイル山脈の崩壊を防いでくれたのが彼だったことを知る。視線を転じれば、抜き取られたファイル達は別の男の手でダ・ヴィンチの元まで運ばれていた。
 そちらも見慣れない色彩を纏ってはいるが、見覚えのありすぎるシルエットである。
「そんなに見つめると穴があいちまうだろ」
「……ふざけるなキャスター」
 ウインクまでつけた発言を遮るように飛び出したのは地を這うような低音。
 どうにもその速度が早すぎて相手のツボに入ったらしい。堪えられずに爆笑したキャスタークラスのクー・フーリンはその場に座り込んだ。
 しばらく待ってみても笑いが止まらないらしい彼から話を聞くのは不可能だと判断。放置することして、青年は狂王と呼ばれるバーサーカークラスのクー・フーリンに視線を戻す。
 纏う礼装は普段よりも青みを増し、礼装と同色であったはずの海獣の骨は見慣れた槍を思わせる真紅。ああ、と。納得が滲む息が落ちた。
 さっき見かけたのは君だったかと問えば、気付いていたのかと少し驚いた声が返る。
「今気付いたと言った方が適切かもしれんがね。ところでその姿の理由を聞いても?」
「はいはい、それは私から説明しようか。もしかしたら協力してもらう日が来るかもしれないからね!」
 横から割り込んできた万能の天才の説明によれば。
 他のカルデアと協力、または訓練用の模擬戦闘をすることが多い現状、出撃サーヴァントが被ると咄嗟に判断がつきにくいということで色の付与を主とした幻影により視覚的にわかりやすくする実験を行っているという。
「とは言っても幻みたいなもので、無理矢理色を纏わせている状態だからね。リソースの問題もあるし、マスター君がわかればいいってことでおおまかな方向性だけを定めて適用しているから意図しない色になって多少の混乱も生じているのが現状かな」
 このあたりの感想は人によりけりで、違和感がひどいものからかえって新鮮でいいという声まで見る人によってさまざまである。
 そのため、本人の自我が許容する範囲でマスターからの認識度が上がるものを採用していると続けた美女はひらりひらりと掌を中空で遊ばせてクー・フーリン二人を指し示した。
「この機能、髪や瞳だけじゃなく、肌の色に影響が及ぶこともあるんだよ。バーサーカーの彼はどんな色でも拒否しない。キャスターの方も同じだけどこちらは色を判断するのに慣れてきたマスター側のこだわりが強いかな。予想できるだろう?」
「確かに。その時の様子が目に浮かぶな」
 彼らは根本的には同じものだ。だからこそ最初の返答は同じだっただろうことは疑いようがない。あえて違いが生じるとすれば、マスター側の判断という名のこだわりということ。
 くつりと笑った弓兵は二人を等分に見遣ってから目を細め、意外と似合うものだと素直な感想を零した。
「てっきり見慣れないからさっさと戻せと言われるかと思ってたんだがな」
「似合わないからとは言わないんだな」
「あー……まあなぁ。仔細は違うが赤は生前纏っていた色だ。そういう意味では懐かしいとでもいうのかね」
 瞬時に思い描けるのは緋色のマントを翻し、戦車で疾走する赤枝の騎士。
 この場に居ればマスターも同じことを思っただろうか。絵画では黒髪と描かれることも多い彼の伝承を思い返して少し笑う。
 時を同じくして視界の端で動いた赤の尾は槍の穂先を思わせた。
 武器の形をしておらず、棘が直接体から生えているような錯覚をおこさせるそれを見ていると体の芯が凍る気がするのは、己の胸から伸びたその色を知っているからだろうか。
「……何だ」
「いや、武器と同じ色を纏う、というのも悪くないかなと思っていたところだよ。その武装は死棘の槍と同じものなのだろう?」
 下手な誤魔化しだ。案の定、気付いたらしいキャスターが複雑そうな表情をしている。
「興味があるなら試してみるか」
 声は平坦だが、普段はほとんど表情を動かさない彼がにやりと笑う仕草を見せるのは冗談を言っている証だ。動ける気がしないから遠慮しておくと返して、青年は目を伏せる。
 とくり。仮初の心臓の音を聞いて。いつかの槍兵には見せられないなと口の端を歪めた。
「弓兵。なーに考えてるかは知らねぇが、お前さんも覚悟はしておけよ」
「……覚悟が必要か?」
 キャスターから掛けられたいつも通りの声が今は有難い。引っ張られるように普段通りの返しをして首を傾げた青年の方に腕が回った。
 近くなった声が、思い出の色はいいことばかりじゃないと低く囁き、一変した明るい声がお前さんの場合はマスターがこだわりそうだからと続ける。
 わかりやすさを重視し、現在の色を避けるなら、己が纏うのは何色になるだろう。
 似合うかどうかというのは別にして、白、黒あたりはまだわかりやすいが、そううまくいくとも限らない。
 なんでもいいと思う反面、唯一願うとするならば。そこまで考えたところでずしりと肩の重みが倍になった。
「重いぞ、キャスター……って君もか狂王!」
 予想外の行動に声を上げた青年の両隣でにやりと笑うクー・フーリン二人。
「そんなに気になるってんなら、オレがお試ししてやるよ。霊基に定着は無理でも幻影くらいは軽いもんだ。拘束役は頼んだぜオルタのオレ」
「ああ」
 言葉と共にするりと伸びた尾がきっちりと体を拘束する。
 そのまま持ち上げられて連れ去られていく様子を笑顔で見送ったダ・ヴィンチが、まあ直近にそんな予定はないんだけどねと舌を出していたことを知ることはなく。
 抵抗する声に遊ぶように二つの足音が遠ざかっていった。

2023/03/26 【FGO】