燗の約束

 いつも通りの嵐のような夕食の後。
 踵を返したところで呼び止められた青年はずいと眼前に差し出されたものに首を傾げた。
 にこにこと微笑むタマモキャットの姿とその手の中に収まっている葛籠とを見比べる。彼女は無言のままにっこりと笑って唐突に手を離した。
 うわ、と声を漏らした青年が慌てて受け止める。大きさのわりにそこそこ重い。
「なにかと忙しいチーフに頼むのは気が引けるのだが、なにせ配達先が配達先だ。キャットでは荷が重い。よって託すことにした」
 頼んだぞチーフレッド。それだけを言い残して作業に戻ったタマモキャットをそれ以上問い詰める気にもならない。そもそも問い詰めたところで意味がない。
 とりあえず作業台の端を借りて葛籠を置くと、添えてあったメモを確認することにした。
 短いそれに書かれていたのは時間と大浴場(男)の文字のみ。
「配達先……と言っていたな。ということは持っていけということか」
 時間を確認すればもうあと三十分を切っている。
 仕方ないと再度葛籠を抱えて厨房を後にした彼はそのまま指定された大浴場へと向かった。
 行先が男湯ということであれば確かに、キッチン担当者の中ではエミヤが一番適任だろう。
 いつの間にか誰かが設置した「ゆ」文字付きの暖簾を潜り脱衣所に足を踏み入れる。
 人間達と違い、サーヴァントは礼装を解除するだけのため服が残されるわけではなく、気配が混ざる場合は正確に何人が中にいるのかはわかりにくい。だが、隠すつもりもないらしい今現在の気配は明らかにひとつ。わざわざ配達を頼むようなものだったのか、と。考えたところで入り口すぐのところから派手に濡れてるから気を付けろよと知った声が響いた。
 警告は脱いでこいと同義だ。拒否できない用事をつくって呼びつけるときは本気だと知っている。ちらりと振り返った先、脱衣所の扉に薄く輝くルーン文字を確認し、もう一度深く溜息を落としてから諦めて礼装を解いた。
 からり。覚悟を決めて扉を開く。
「よぉ、アーチャー。雀の嬢ちゃんに頼んでたやつもついでに持ってきてくれたのか」
「人を使い走りにしておいてその言い草かね、ランサー」
「そう言うなって。オレはオマエに来てくれるように言付けを頼んだだけで、使いっ走りにした覚えはねぇよ。たまたま頼んでいたモンが届いたから理由にされたようだが……」
 広々とした湯船の中、浮力で浮いた槍兵の足がぱしゃりとお湯を蹴る。
「それ、あけていいぜ。元々来たらおまえさんとこに持ってくつもりだったしな。一緒に楽しもうや」
「いや、これは親展のようでね。おそらく君が触れないと開かないのだろう」
 そんな指定はしなかったはずなんだがと首を傾げる男は、それでも湯から身を起こして弓兵へと近付いた。
「開けとくからその間に体流してこいよ」
 逃げると思っていない言葉には無言のまま頷いて、洗い場へと身を滑らせる。サーヴァントの身で律儀に体を洗うのは気分の問題という側面が強いが、現状それを言い出す者はいない。
 常にそうするように頭から体と一通り洗って振り返った弓兵の目に映ったのはどうにも困惑した表情の槍兵であった。その手元には葛籠が元のまま収まっている。
 何か問題があったのか問いかけてみれば入ってこいと手招かれる。首を傾げたまま近くまで寄り、促されるがままに湯に浸かって向かい合った。
「どうやらなにかしねぇと目的のものは取り出せない仕様らしい。さっき開けてみたがそれっぽい警告文が一枚入っているだけだった」
「どういうことだ? どうみても警告文一枚の重量ではないと思うのだが……」
「ああ。ってことはつまり、この仕掛けは魔術的なものなんだろう」
 うっかりか気遣いか、それとも女将ではなく雀達の悪戯か。この場では確認する術はない。
「そんで頼んだときの状況を思い出してたら、オマエの手が必要なんじゃないかと判断した」
 さっぱり話が見えないとぼやく弓兵に、とりあえず底側を持ってくれと男が告げる。
 その程度で解決するのであれば断る理由もない。弓兵が葛籠を固定したのを確認して槍兵は蓋に手を掛けた。視線を合わせて頷いてからゆっくりと持ち上げる。
 ぼむん。
 派手な破裂音と白く吹き出した煙に臨戦態勢になったサーヴァント二人は即座に湯から立ち上がり、距離をとった。
 葛籠の中からゆると流れた煙は浴槽の縁から零れ落ちて浮き上がり、天井と壁に備え付けられた灯りを遮るように集まっていく。
 次の瞬間、目に映ったのは満天とも言える星空であった。
 地平に近いと思われる場所には細い月の姿も見える。
「ははぁ、どうやらこの演出もコミでの届け物らしいぜ」
 ひらり、ひらり。すっかり警戒を解いた槍兵が紙切れを翻して笑う。次いで示された浴槽の縁にひっかかるようにして温泉でよく見るような桶がひとつ浮かんでいた。
 もう一つ、浅めの桶には表面の和紙にうっすらと雀が遊ぶ絵柄の風覆い付きの小さな行燈。
 改めて確認すればたしかに、簡易的ではあるがあの温泉宿の風景が幻影となって漂っていることが理解できる。ようやく肩の力を抜いた弓兵の前に差し出された紙切れが揺れた。
「こっちの内容はどうやらおまえさん宛だ。オレには暗号だな」
 風呂場で紙とはと思わなくもないが、男が平気で持っているところをみると濡れても平気な処理がされているのだろう。受け取って光源に寄り、内容を確認する。
 少し考えてから桶の中に入っていた猪口と徳利を取り出し、湯を汲んだ。
 男の名を呼べばなんだと即座に応えがある。
「この中の湯の温度を上げられるか?」
「このオレはキャスターじゃねぇから水そのものは厳しいが……ものはやりようだな。底の石いくつか借りるぜ」
 ランサーが示したのは徳利の固定のために入れられていた石達だ。それを片手に、もう方でで表面にルーン文字を描いた男が桶の中に石を戻すと、じゅうと音を立てて細かい泡が立つ。
「なるほど。石焼きの要領か」
 沸騰まではさせなくていいと追加を止めて、青年は手にしていた徳利を中に戻した。
 槍兵が興味深そうに覗き込むのに苦笑しながら徳利を湯煎状態にしたものと灯り、それぞれの桶を軽く押して浴槽の壁際まで移動する。
 雛のごとく付いてきた槍兵にはまだ手の中にあった猪口を差し出した。
 うまくいくといいんだが。首を傾げている様子を内心で笑いながら桶の湯から取り出した徳利を傾け、男の手の杯を満たす。
「温泉に浸かりながら桶を浮かべて燗酒がやってみたかったんだろう?」
「……確かにそうなんだが、このタイミングかよ」
 カルデアの大浴場は温泉ではないが、今は幻影のおかげで雰囲気だけはある。まあいいかと思考を放棄した男は弓兵から徳利を奪い、同じように相手に注いだ。
 改めて湯に浸かり直してから二人は軽く猪口の端を合わせる。
 口にする酒は米の甘みと旨さ、同時にしっかりとした香りが感じられた。
「美味いな」
「ふむ……少し熱めにつけすぎたかもしれん。だがここでは加減が難しいな」
「問題ねぇよ。なんなら今度はちゃんとしたとこで試そうぜ」
 今は雰囲気を楽しめばいいと笑った男の手が湯の中でするりと腰に絡む。
「なあ、アーチャー。ここでならオアズケはねぇだろ?」
「……湯の中はだめだぞ」
 逡巡が滲む返答にこみ上げた笑いを酒で押し流して。ぱしゃんと飛ばした水が僅かな光を反射して煌く。
 承知したと声を忍ばせた男は憮然としたままの青年の頬に口付けを落とした。

2021/02/06 【FGO】