躊躇わぬ傷を標に撫でて

 雨が降っていた。
 視界が悪い。
 空からの雫を防ぐものは何もなく、それに晒される生き物達はもはや濡れていないところが無いというくらいにずぶ濡れになっている。
 あまり整備されていない山道は狭く、片側は森で片側は谷。遥か下には荒れ狂う川。
 現れたのが多頭の大蛇だったという不運もある。
 当然そんな中での戦闘は過酷を極めた。
 ぬかるみに足を取られる。
 雨音に遮られて声が遠い。
 視界に入り込む水滴が不快で仕方ない。
「くっ……」
「マシュ!」
「問題ありません、受けます!」
 どごお、という鈍い音。
 普段ならば問題は無かっただろう。だが、ぬかるむ地面は踏ん張りがきかず、追突の勢いのままに彼女はずるずると後ろに追いやられた。
「いかん!」
 その光景を見て駆けだしたのは赤の弓兵。隣から頭一つ分先を並走するクー・フーリンのオルタが勢いのままに大蛇の首の一つを貫くのを見る。
 マシュの受け方は悪くなかった。ただ、不運だったのはぬかるむ地面が予想よりも彼女の体を押しやったことだ。わずかにカーブを描いていた道の端まで押しやられて、彼女の足が浮く。
「あ……っ」
 伸ばした手が滑る。
 少女の名を呼ぶ声が重なる。
 そこに、妙に冷静な声が落ちた。
「……面倒だ」
 とん。
 大蛇の頭に槍を突き立てたまま、尾を伸ばしたオルタがその先で少女の背に触れる。
「受け取れ、弓兵」
 落ちるかと思われた少女は、背を押されて道に戻る。そのまま勢い余ってたたらを踏む彼女を受け止めた赤の弓兵は勢いを殺しながら回転し、迫ってきていた頭の一つを避けた。
 オルタが頭を一つ潰したのが逆鱗に触れたのか、大柄の体でのたうち回りながらめちゃくちゃに他の頭を振り回す大蛇は危険極まりない。
 謝罪する彼女を制して戦闘の続きを促す。
「対処が先だ。行くぞ」
「はい!」
 同じ過ちは犯さない。慎重に立ち位置を決めた少女は隙を作るために盾を振るう。
「プロト、お願い!」
「おうさ! これで決めてやるよ」
 マスターの声に威勢良く返事をしたのはプロトタイプと霊基に名が付けられた歳若いクー・フーリン。
 腰を落とした彼の握る槍が彼自身の魔力に呼応して輝く。
 宝具の真名開放。
 弾丸のように槍ごと突撃した体が、急所と思われる場所に深く埋まる。
 耳障りな悲鳴を上げて崩れ落ちていく大蛇。その巨体を支えきれず、崖の端が崩れた。
 ずるりと落ちていく体。悪あがきのように持ち上がった頭と尾が大きく振られ、追撃をかけていたオルタのクー・フーリンが弾き飛ばされる。
 軽い舌打ち。
 咄嗟に槍で防御した彼だが、勢いは殺せないまま大蛇と共に谷に落ちていく。
「オルタ!」
「私が行こう。皆はマスターを頼む」
「ちょ、エミヤまで!」
 とっさに樹に絡ませたロープを手に、赤の弓兵は躊躇なく身を躍らせる。
 投影での命綱の生成は、確かに彼の魔力が続く限り途切れることは無いのだから、この場合は最良の手段だろう。合流さえできればロープを手繰ることができる。
 最も、伝承に従うならロープではなく糸であるべきであったかもしれないが。
「あいつらなら大丈夫だマスター、サーヴァントにとってこれくらいの高さならどうってことねぇよ。問題は流された場合、合流までにかかる時間のほうだ……」
「プロト……ありがとう。何か手段はある?」
「そうさな。書き置きでも残しとくかね。どのみちこの雨じゃこれ以上崖沿いの道を進むのは危険だからな。昨日借りた小屋まで一度戻るが、構わねぇな?」
「私も賛成よ。嫌な気配がするの。おそらく崖が崩れる可能性が高いと思う」
 歳若いクー・フーリンに続いて、エミヤからマシュを託された聖女マルタも頷く。
 自分たちがもう少し動けていればと唇を噛んだ少年と少女は、それでも彼らの言に従い、戻ることを決意する。
「うし。じゃあちと待ってろ。書き置きしてくる」
 わしわしと少年の頭を撫でた歳若いクー・フーリンは、弓兵がロープを結び付けた樹に近づくと、そこになんらかのルーンを刻んだらしい。
 オルタなら読み取れるだろうと告げる彼は、二人が合流できていることを欠片も疑わない口調で告げて、少年に向き直った。
「分かった。じゃあ行こう。念のためプロトに殿をお願いしていい?」
「もちろんさね。元よりそのつもりだったしな」
「では先頭は私が」
 即座にマルタが反応して先に立つ。
「ありがとうございます。マルタさん」
 マシュの言葉に笑みを見せたマルタを先頭に、一行はぬかるむ地面を滑るようにして下っていく。
 視界を遮るほどの雨は未だ止む気配は無く。
 遠くに鈍い音を聞きながら彼らは来た道を引き返していった。

   ※

 雨が視界を遮る。
 体は落下しているが、目標はきちんと強化された視界に捉えられている。
 ぎりり。
 一瞬で手の中に生まれた弓と矢。
 落下したままそれを引きしぼる。
 自分が何を考えたのか分かったのだろうか。同じように落ちゆく黒い影はこちらを振り向くと自ら的になるように体を開いた。
 やれ。
 唇が要請とも許可とも言えない言葉をひとつ、形作る。
 軽く目を見開く。同時にやはり己の考えることなどお見通しかと苦笑を零して、躊躇うことなく矢を離した。
 狙いは必中。
 なれば、弓兵の手から放たれた矢は違うことなく致命傷となる場所を避けて男の体に吸い込まれる。
 眉を寄せた男の小さく堪えるような声が上がった気がしたが、雨がもたらした空耳かもしれない。
 矢に繋がるのはロープの端。
 わかっていて自らの体で受け止めることを許した男は、半分以上身を貫いた矢をそのままに、ロープの部分を掴んだ。
 息を吐く。
 これで役目の半分は果たした。
 見る限り手頃な足場は存在しない。ならば一度川に落ちるより手段は無いだろう。
 男に繋がるロープを手繰りながら上に残して来たロープを生成し続ける青年に、男のほうも同じ行動をとった。
 だが、触れられる距離まで近付くより早く水面が近く。
 わずかに肩を竦めて見せると男のほうも面倒そうに手繰るのをやめ、水面に触れるか触れないかの瞬間に魔力放出を行うことによって落下の衝撃を相殺する。
 同じようにしながら水に入った弓兵はロープの生成を止めて流されることを防ぐ。
 水の勢いは強い。その流れのすぐ上ほどの崖に一本の朱槍が突き刺さった。
「……足をかけるのを躊躇う足場だなこれは」
「御託はいい。さっさとしろ」
 いつの間にかロープを手繰ったらしい。強い流れもものともせず近付いていたオルタのクー・フーリンに対し、エミヤは呆れたように息を吐いて瞳を眇めた。
「ここまで近付いているなら君が登ったほうがいいのではないのかね?」
「オレでは幅が足りん」
「ああ。それは失礼した」
 オルタの身には未だ矢が刺さったままで、中途半端に突き出しているそれが邪魔をしているのだと理解する。
 片手に二つのロープを束ね、もう片手で槍を掴むと、青年はその上に己の体を引き上げた。
「君用の足場を作ったほうが?」
「不要だ。そっちの端を寄越せ」
「これをかね?」
 訝しみながらも上から繋がったロープの端を男に握らせる。途中で切れたり結んで来た元が外れたような感触は無く、おそらくまだきちんと上と繋がっているだろうと思われるそれだが、見上げても大粒の雨に邪魔されて伺うことは出来ない。
「ルーンだな。伝達の応用か。起用なマネをしやがる」
「ルーンということは若い君か。読み取れるかね?」
「ああ。回避と移動……昨夜の小屋に戻るらしいな」
「なるほど。ずいぶんと便利な書き置きだ」
 もっとも君が相手でなければ意味を為さないだろうが。
 くつりと笑った青年は先に見ておいたこのあたりの地形を頭に思い描く。
 このまま川を下ったほうが早い。という結論を告げれば予想していたらしい男は頷きだけで返答とする。
「だがその前にその矢をどうにかするとしよう。確かに私も躊躇わなかったが、けしかける君も大概だ」
「一番手っ取り早い方法だ。何を躊躇う必要がある?」
 他のクー・フーリンよりも効率を重視する傾向はあるが、最終的にはおそらく全員同じ反応を示すことがわかってしまうエミヤは、男の言葉に苦笑を落とすしかなかった。
 自分とて、これが仮にマルタが相手であれば矢を離しただろうかと考えて、その先の答えを振り払う。
 正直なところ、複雑な内心など知られたくもない。
 まだ大部分が水に浸かっている体に手を伸ばし、手探りで己が射た矢を探り当てる。
 抜くのは無理だと判断して、魔力に溶かした。
 わずかに男が眉を寄せる。
「傷の修復は」
「すぐに塞る。問題無い」
「承知した。ではあまり気は進まないが、舟のない川下りといこう」
 男との間のロープはそのままに、上から垂らしていた分のロープを手放す。
 粒子となって消えていくそれを追わず、片手で槍を掴んだまま水に入った。
「前から掴まれ。水中ならオレのほうが動ける」
 ぱしゃんと水面を叩く尾が存在を主張する。
「やれやれ。こんな大男が姫君の真似事とは面倒な事態になったものだ」
「離れるほうがめんどくせぇ。早くしろ」
 言葉では何と言おうとも拒否するつもりは無いエミヤは大人しくオルタの前から背に抱きつく格好になる。
 直後、朱槍を回収したらしい男は青年を抱えたまま流れに身を任せた。
 両端の崖に近付きすぎたり、水中に障害物がある場合も、起用に動く尾でわずかに方向を変えることでやり過ごす男は、川幅が広くなり、岩場も存在するようになったあたりで水から上がった。
「……少し行き過ぎたか」
「いや、上々と言うべきだろう。ここなら上の道にあがるのにもそう苦労は無い」
 雨はだいぶ小降りになっており、先刻よりは不自由をしないことを確認した弓兵は、川下りの勢いで落ちてしまった前髪を上げながら辺りを見渡して現在地を確認する。
 元々激しい雨のため空はどんよりと暗く、予想される日暮れも早い。
「日が暮れてしまうと面倒だ。さっさとマスター達と合流しよう」
「ああ」
 気怠げに返事をするオルタのクー・フーリンを伺う。
 その前に確認させてくれと声をかけて、青年は自らの矢を埋めた場所にそっと触れた。
 表面上は修復されている。名残のようにそこに残ってしまった己の魔力も、あと数刻もすれば吸収されて消えるだろう。
「問題ねぇってオレの言葉は聞こえてなかったか」
「いいや。そちらは心配していない。確認したかったのは別のことだ。そうだな……どうにもマーキングしたようで落ち着かないが、マスター達と合流するまでには消えてくれそうだと安堵しているところだよ」
 では行こうか。
 笑ったまま未練も無く離された指先を捉えて、引き寄せた。
「どうし……っん!」
 無遠慮に口内を貪られた青年の抗議の声は抜ける息に消える。呼吸全てを奪うように貪られた彼は、解放された瞬間にへたり込みそうになったのを辛うじて耐えた。
「マーキングってのはこういうモンだろうが」
 指先から腰に移動した男の手が青年の体を支え、放たれた言葉はどこか笑いを含んでいるように響く。
「君はいつからそんな悪ふざけをするようになったのかね」
「さてな。うるさいやつらが周りに居るからだろ」
「いくら同じクー・フーリンとは言え、そんなところは参考にしないで欲しいものなのだがな……」
 深い溜息。
 気を取り直したエミヤは男の腕から抜け出すと、余韻の残る体を叱咤して、上の道に向かって跳躍した。
 追うように続く男も、特にそれ以上会話を続けようとはしない。
 二人はお互いに遠慮することもなく、全力疾走で合流地点と指定された小屋までを駆け抜けた。

カルデア時空。糖度低めの狂王弓。 オルタニキの尻尾が好きすぎて毎度毎度どうしても書いてしまう自分……性癖なんです。 タニキは無駄なことを言わない=皮肉にも軽口にもほぼ反応しないからか、エミヤさんはよく自分への言い訳をつらつら吐き出して勝手に墓穴を掘っているイメージがあります。 でもゲーム中たまにボケるというかイベントにノリノリのタニキはあれ素なんですかね……カルデアに来たら他にも槍とか杖とかの自分がいて、それにちょっと影響されてるとかだと可愛いなあと思います。 ルーン絡み&猛獣特攻バンザーイってことでプニキにもご登場いただきましたが捏造しまくりの使い方をしております。実際にそんなことができるかはわかりませんがプニキはかっこいいんだ!っていう主張ができれば幸いです。

2018/05/17 【FGO】