奇妙なお茶会
ふよ、ふより。
目の前に現れた黒い先端に、少女は抗えなかった。
思わず手を伸ばして捉えようとする。
ひょい。
届こうとした次の瞬間、それは彼女の射程範囲から逃れ、すぐ隣。
二度、三度。繰り返しても同じ。
次第にムキになってぴょんぴょんと跳ねながら先端を追いかける少女は、完全に目の前のことに夢中で、自分が追いかけているものが何なのかをきちんと把握していない。
遊んでいるというよりも遊ばれているといった風体だが、幸か不幸か、一緒に居ることが多い残りの二人はこの場に居ない。
次第に息が切れ、動きが鈍くなってきた彼女だが、それでも楽しくなってきたらしい。諦めずに先を追って屈託なく笑った。
鬼ごっこやかくれんぼ、お絵描き、午後のお茶会、そして命のやりとりすらも。
存在の成り立ち故に、すべてを忌避せず同列に扱う少女は、基本的にどんなに凶悪だと言われている英霊に相対しても物怖じせずに話しかけ、笑いかける。
それは貴重なことで。人間であるスタッフや善性の強い英霊が苦手とするメフィストフェレスやアンリマユなども、彼女にしてみればただの遊び相手でしかない。
そして今、現在進行形で彼女が先端を追いかけている尻尾の持ち主も同様。
無駄なことは好まず、戦闘時以外では特に周りと関わるタイプではない、邪悪な王にと望まれて姿を成したクー・フーリン、そのオルタ。
先にランサークラスで現界していたクー・フーリン本人をして、バーサーカークラスで現界するならもっとやべーのが出てくると言わしめたものの、実際は特異点で女王メイヴの願いを形として成立させた姿を保って現界した。
カルデアに居るそちらの方面に詳しい者たちの予想では、この場に英霊を繋ぎとめる要を担うマスターである少年。その中にあるバーサーカークラスのクー・フーリン像が、特異点で出会った狂王の姿で固定されてしまった結果であろうという話であった。
世界最後、唯一人のマスターとなった彼が特異点で出会った者は、敵も味方も関係なくなにかしら縁を繋いだ存在である。
このカルデアという場の召喚システムは少し特殊らしい、というのは召喚された英霊なら誰でも抱く感想であった。
触媒としての聖遺物は存在せず。あるのはただこの場に来てほしいという強い願い。
強いて言えば。彼が紡いでいく縁こそが召喚の触媒として機能していると言えるだろうか。
善性の強いもの、悪徳に傾くもの、それぞれ性質は水と油ほども違う。それこそ、英霊など血生臭い存在がほとんどであるということをあの少年は分っているのかと首を傾げたくなることもある。
だが、それらをすべていっしょくたに召喚してなお秩序を保っているというのは実は脅威どころの話ではないのだが、肝心のマスターはといえば、戦力が増えれば一人当たりの負担が減って皆に楽させてあげられると笑うのだ。
自分は常に最前線に立ちながら。
そんな環境に身を置いていれば、狂化され、会話自体が困難であるバーサーカークラスであっても、戦闘以外の時間を受け入れていく。
実際、アステリオスや清姫などはそちらを楽しんでいる節があるし、カリギュラに至ってはネロの活躍を見守れているのが嬉しいらしいといったお花畑具合である。
自分も慣らされたかと思考する狂王は、肩越しに後ろを振り返った。
くるくると回りながらの尻尾おいかけっこはまだ続いている。どちらかというと戦闘時以外は自分の存在などどうでもいいという立場に身を置きがちな彼にしては珍しい、長い戯れ。
あまりにも捕まえられない先端に、少女は息を荒げてとうとう床に座り込んだ。それでもまだ視線だけは先端を追っている。
元が本であるため、正面きっての単純戦闘は不得手な彼女は、こういった運動も苦手らしい。よくつるんでいるジャック・ザ・リッパーやジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィとは大違いである。これが彼女達だった場合、呑気に尻尾だけで遊んでいることはできず、早々に武器を手にした本気の戦闘になっているはずで、その場合、周辺を破壊して巻き添えで全員お仕置きコースなのは目に見えている。
「まだ諦めねぇのか」
ぼそり、低い声が響いた。
「……っ」
揶揄う意図も、蔑む意図もない、ただの事実確認。
大きく見開いた少女の目に、薄く涙の膜がかかる。
「たしかにあたしは運動は不得手で鈍いけれど……諦めたくなんかないわ」
ぎゅうと手のひらを握り込んで、涙を落とすのだけは堪えている少女に、狂王は負けたというように屈みこんで、小さな体を掬い上げた。
「きゃっ!」
男の片腕に腰を下ろす体勢で抱え上げられ、驚いた少女が、バランスを取りながらも自分を抱え上げた相手を見下ろす。
瞬きした瞬間に目尻からあふれた雫は、はたりと男の頬を打った。
「……泣くな。そもそもオマエの本分はそういうものではないだろう」
「それはそうなのだけれど……でもやっぱり悔しいわ」
だって、たぶんあの二人は自分と違って易々と捉えてしまうから。
ある意味で予想通りの答え。
「そうか。ならまた今度にしろ。オレは構わん」
少女を抱えたままそれだけを告げて、彼女の目の前まで持ってきた尻尾の先を逃がす。
この時間ならおそらくはキッチンの主が夕食の仕込みをしているだろう。少女を無駄に消耗させた責任は自分にあると律儀に考える狂王は、多少でも彼女を回復させるために何か出してもらおうと考え、食堂に向かって歩き出した。
少女は高くなった視界に興奮するようにきょろきょろとあたりを見回して、よくアステリオスの肩に乗せてもらっているエウリュアレが羨ましいと笑った。
バーサーカークラスは体格の良い者も多いが、共有部はかなり広く作られており、大抵の者は屈むことなく移動が可能である。
彼らと比較してしまえば小柄である狂王が少女を抱えたところで、彼女が頭をぶつける心配をする必要は無い。
真っ直ぐに向かった食堂の扉を潜り、まず目を合わせたのは、キッチンの主である赤い弓兵ことエミヤであった。
狂王と少女という取り合わせに一瞬ぽかんとした彼だが、事情を聞けばすぐに作り置きの菓子を出してくる。
「ナーサリー、お茶はどうするかね?」
エミヤがお菓子の皿を見せながら、まだ腕に収まったままの少女に声をかければ、表情を輝かせた彼女はひょいと飛び降りた。先ほどまで息を切らしていたとは思えない動きである。
「赤い缶のものがいいかしら。ああ、そうだわ」
ふわり。
スカートの裾を摘まんたふりで可愛らしいお辞儀。
「是非、ナーサリーのお茶を召し上がっていって」
「いや、オレは……」
言いかけたところで、目があった弓兵が、すまなそうに付き合ってやってくれと表情だけで伝えてきた。
「さあ、今お茶を淹れるわ。エミヤおじさま、オルタのおじさまの分もお菓子はあるかしら?」
「もちろん用意してある。こちらは私が出すから、お茶をお願いできるかな?」
笑顔で応える弓兵の気遣いは万全で、よくお茶会をするというナーサリー用になっている低めの台には先ほど彼女が指定した赤の紅茶缶を含めたセットがすでに用意してある。
「ありがとうおじさま!」
少女がそちらに向かうのと入れ違い。
お菓子を皿を持って寄ってきたエミヤに、狂王は胡乱げな視線を投げた。
すまないと前置きした彼は、背もたれのないベンチ状の席を示しながら少女には聞こえないほどの声で理由を告げてきた。
「君が不本意なのは承知の上だが、ああいう時の彼女は相手にただ礼をしただけなんだ。だから少しだけ付き合ってやってほしい」
「礼?」
「ああ。君は、おそらく彼女が喜ぶようなことをしたのだろう。それが君とって何でもないことでもだ」
思い当たるのはただ一つ。追いたければいつでも自分の尾の先を狙っていいのだと告げたこと。
面倒だと溜息を一つ。
それに薄く笑ったエミヤは、なんだかんだ言いつつ大人しく腰を下ろした狂王の前にお菓子の皿を置く。
そこにナーサリーがお茶を運んできて、奇妙な取り合わせのお茶会がスタートした。
ふよ、ふよ、ふより。
くるくる、くるくる。
その後、カルデア内で何度か見かけることになる奇妙な追いかけっこと、その後に開催される奇妙なお茶会の、最初のおはなし。
2018/03/12 【FGO】