酔っ払いの戯言

「よぉ、アーチャー」
「断る。私は忙しい」
 上機嫌でカウンター越しに厨房を覗き込んだランサークラスのクー・フーリンが声をかけたのは、召喚直後からの多大な功績によりカルデアキッチンの守護者を拝命している赤の弓兵ことエミヤであった。
 返答は全部言い終わらないうち。コンマ一秒も躊躇のない拒否。
 ランサーの表情が笑顔のままぴしりと固まる。
「おま……話くらい聞けよ!」
「そんな必要性は感じられんな。邪魔だ、どきたまえ」
 食い下がっても、取り付く島もない対応にことごとく弾き返される。その度にランサーのこめかみに青筋が増えていった。
 時刻はもう日付が変わろうかというところ。
 夕食はとっくに終わり、食堂側に人影はない。
 そんな時間になっても厨房から離れない青年の手元を見れば、次々と出来上がっていくのは夕食で出ていた魚の残りを解して混ぜ込んだおにぎり。
 おそらくは夜シフトの人間達への夜食用だろうことはすぐに分かった。
 片付け中ならともかく、こういう場合は絶対に邪魔をしてはいけないことは、この場所に居る者なら誰でも知っている。
 だからこそ、青筋を立てたままではあったものの、男も大人しく引き下がった。
「タイミングが悪かったな。いいさ、その辺で待ってるから終わったら声かけてくれ」
「何を勝手に……待ちたまえ、ランサー!」
 珍しく驚いた顔で追いかけてきた声をひらひらと振った手で躱して、ちょうど今日、青の騎士王と結託したマスターの強い要望によって食堂の一角に設えられた小上がりの畳スペースに乗り上げ、ごろりと横になる。
「あー……こうか」
 軽い音がして、身に着けていた戦闘用礼装はなんの変哲もない白のTシャツと黒の革パンに早変わりした。ご丁寧に靴は消え、素足がぺたぺたと畳を蹴って少しだけ奥へと移動する。
 パンツに着けられていたチェーンがそんな男の横着をしゃらりと笑った。
 装備が邪魔だと無意識に思うくらいには、畳というこの生前には縁のなかったはずの床が妙に懐かしい気がするのに笑ってしまう。深く吐き出した息に濃く酒精が混じっているのが自分でも分かった。
 先に水を飲めばよかったか。
 このままだと多分呼びに来た時に嫌な顔をされるな、と考える。酒には強い方だ。それでも傍から見たらただの酔っ払いだろう。そう見えているなら都合がいい。
 男はゆるりと瞳を隠し、片腕を枕代わりにして寝る体制に入った。
 さらさらとした水音が聞こえる。おにぎりは作り終わったのだろうか。
 微睡む意識の中でどこか懐かしいような音を聞いていると、いつの間にか闇の中に落ちていた。
「サー……ランサー、こんなところで爆睡するやつがあるかたわけ」
 呆れを含む声が響く。
 意識は浮上したが目は開かず、もごもごと言葉にもならない謎の声を零して肩を揺する手に触れる。
「寝ぼけてないで起きてくれ、ランサー」
「んー……」
 むにゃ。
 声は聞こえているが内容を咀嚼することを放棄した脳は、動物の本能に従うように手近な温もりに手を伸ばした。
「放せ、おい……らん、さー?」
 ぎゅむうと音がしそうな勢いで触れた体を引き寄せる。
 それはまるで幼子のような仕草で、苛立ちを隠さなかった声に戸惑いが混じる。次の対応に悩んだ青年は引き寄せられるままに男の胸に落ちた。ごそごそとちょうどいい位置を探っていた手が止まり、完全に男の胸に縋る形でおさまった青年は、困惑の表情のままで硬直する。
 溜息をひとつ。
「寝ぼけてるのか、それともただの酔っ払いか、どちらだ?」
「んっ……んんー……」
 返答は要領を得ないもごもごとした声ばかり。腕力では敵わない相手にきっちりと抱きこまれてしまっては身動きがとれず、困惑したままの青年は、とりあえず打開策を探るために頭をフル回転させているのがわかる。
 どっちととってもいい、と男は考える。起きて、まともな返事をしてやるつもりはなかった。
 薄いシャツごしに呼気を感じる。
 距離を詰めたことで感じる魔力はどこか弱々しい。朝から修理に戦闘に調理にと動き続けていればまあそうなるかと納得できた。
 通常の聖杯戦争と違い、この場での魔力の供給は細く頼りない上に、潤沢に回せない魔力を見越して能力にも制限がかけられている。そのため、やれないことをやろうとしたり、配分を間違ったりするとこういうことになる。
 放っておくとどこまでも働き続けるこの堅物に分からせるには丁度良い機会だと言えるが、だからといって限界まで放置すると、本当に人知れず消えてしまう懸念があった。
 流石というか、それを指摘したのは別クラスの自分で、面倒なことに導くものだかなんだか訳の分からない役割を押し付けられている彼は、自分よりもよほど各サーヴァントの様子を観察している。当たり前のようにエミヤのことも気にはしていたが、いかんせん相手のガードは固い。
 ましてやクー・フーリン相手なら尚更だ。
 だからこそ酒の力が必要になった。ただの酔っ払いだと思わせる隙を作るために。
 誰かに見られた時に、絡まれているから助けてほしいと言えるように。
 それくらいの逃げ道を作っておくのは必要なことだろう。なにしろ今回は味方とはいえ、まだ一度も軽い手合わせすらしていないのだから。この後ずっと避けられるのは御免被りたい。
「どうしろとというんだ……」
 途方に暮れたような声が転がって、諦めたように深い息が零れる。
 抵抗を諦めた体に、抱き込んでいる男の魔力がわずかに染みた。
 ふ、と。触れる呼気に熱が篭った気がして、魔力にも酒気は乗るのだろうかとどうでもいいことを考える。
 肉体的接触による無理矢理の魔力供給も、この状態なら動けないから仕方ないことだで済ませられるだろう。
 ランサーが召喚されたとき、マスターと盾の少女の傍にキャスタークラスの自分が居た。その後、まるで連鎖反応でもあったかのようにこの赤の弓兵は間を置かず召喚され、それ以外でも、いつかの冬木で顔を合わせていた馴染みの面々が揃いつつある。
 少し話を聞けば、皆あの聖杯戦争とそれに連なる記憶を大なり小なり有しているのはわかったが、まだこの弓兵には確認を取っていない。
 聞いてはいないが、マスターに対する反応から、覚えていることは多いのだろうという予想はできた。
 この弓兵は、確かに今のカルデアに一番必要な人材だっただろう。だが、それを優先した挙句、勝手に消えられてはたまらない。
 今回はその姿のオレの方が適任だろうと言って、大量の酒を確保してきた自分を思い出す。
 別クラスとして現界し、多少記憶と記録に差異があっても、彼は間違いなく自分だった。
 けしかけられた感はあるが、それに関しては特に不満は無い。
 制限をかけられた霊基の枷を外し、揺らぐ根幹を補強するための素材を先達者が狩りに行くことには、もはや慣れた。だが、この弓兵がそれをよしとするとは思わない、というのは共通意見。
 予想はある程度的中したからこそ、当然のように人知れず魔力不足をおこしているのを察知することもできた。腐れ縁の賜物というやつである。
 クラス特性の恩恵もあって上手く隠してはいるが、おそらく自分はもとより、青の騎士王や、コルキスの王女なども既に気付いているだろう。
 ああ、そのための畳か、と気付く。
 自分が寝転んだ時に違和感を感じ、息をするように着替えたように。いつかどこかの記録が、この弓兵の心に小石程度の波を立てるようにと用意されたそれ。
 揃いもそろって過保護なことだとは思う。だが、それの対価が美味しい食事なのだから本気にもなろうというもの。何より、その恩恵を一番受けるのは本来なら食事や睡眠を必要としない自分たちではなく、人間であるマスターや、ここの職員だ。
 糧食は戦の基本であり、すべてを左右すると言ってもいいのだから、結託した腹ペコ連合の思惑に乗るのも悪く無いだろう。
 腕の中ですっかり大人しくなってしまった弓兵だが、相変わらず困惑している気配だけは伝わる。
 流石にこれ以上は不自然か、と思ったところでおもむろに背に回ったてのひらに強く髪を引かれた。
「いでッ! ……あ、あー? なんだこの状況……」
「それは私のセリフだ、この酔っ払いめ!」
「うわ、待て待て待て! こんなとこで凶器はやめろ!」
 渡に舟とばかりに派手な反応を返して、男は今にも武器を投影しそうな青年を全力で押さえ込んだ。
 畳の上にしっかりと両手を縫い付け、下腹に跨ぐように乗って、己の体で蹴りを封じる。
 そのままの体勢で見下ろせば、髪の途中に引っかかっている髪留めが前に回って、重く垂れた。
 先の横着した移動の際にずれたのだろう。このまま抜けそうだな、とぼんやりと思う。
「あー……なんだ。オレは待ってる間に寝ちまって、起こしに来てくれたオマエさんを寝ぼけて抱き枕にした。で、合ってるか?」
「ぐっ……概ねその通りだ。とりあえず私としてはこの不本意な体勢をやめてもらいたいのだがね」
「武器振り回さねーなら、オレも退くのは吝かじゃねーんだがな」
 さすがに退いた途端にすっぱりいかれるのはごめんだと告げれば、無理矢理感情を押し流したらしい長い深呼吸。
「……話が通じるのなら私とて食堂で武器を振り回すのは避けたいと思っているさ」
「じゃあ決まりだ。その、なんだ……悪かったな」
 呼気と一緒にまだ残る酒気を吐けばあからさまに嫌そうな顔をする。その唇から転がり出るのは、いつも通りの皮肉。
 少しだけ、楽しそうにも見える。
「明日は槍でも降るのかね?」
「オマエなあ……」
「冗談だよ。ああ、髪が……」
 とうとう堪え切れなくなったのか、ずるずると髪留めが滑って行った。
 もはや抑えていた手に力は力は入っていない。逃げ出した青年の手は、抜け落ちてしまう前にそれを押し留める。
「わり、抜いちまっていいぜ。今退く……アーチャー?」
「何かが引っかかって……いや、気のせいか」
 ころり。髪留めは青年の手の中。
 宣言通り弓兵の上から身を起こした槍兵は久しぶりに髪を解いたと、己の後頭部に触れた。
「しっかし思いっきり引っ張りやがって。ハゲたらどうしてくれる」
「君がそんな心配するとはね」
 気になるなら見てやろうかとの申し出は、もちろん嫌がらせを含ませた冗談だったのだろう。
 だが、それをそのまま受け取ってやる義理もない。
「おう! 頼むわ。ついでに結い直してくれ」
「なっ……」
 にかっと笑えば、狼狽した表情。敵としてしか出会わない中では決して見られないものの一つ。いつもと違うのなら戦闘以外は個人的な楽しみを優先するのもいい。そんなのを探して行くのは悪くない考えだと思った。
 胡座をかいて座り、くるりと背中を向ければ背に溜息がぶつかる。
 何度目だ、それ。
 ツッコミは内心だけで留めて瞼を下ろした。
 明らかに警戒している気配を感じるものの、自らが言い出したことを反故にする気はないのだろう。
 おずおずと触れた指先が、少しずつ髪を掻き分けて、確かめるように頭皮に触れていく。
 丁寧な動作は性格上だろうが、じりじりとしたゆるい刺激は別のものを連想しそうになる。
「見た限り特に問題はなさそうだ」
「そうか。なら良かったぜ。戦闘中は後頭部見てるだろうマスターに対してずっとハゲ気にするってのはさすがになー」
 小さく吹き出す声。珍しい。
「なんだそれは」
「いやいや、笑い事じゃねーだろ? ある日突然ハゲが出来た大英雄って普通に考えてイヤじゃねえ?」
「それは……まあ、嫌だな」
 確かに後方支援にいたら笑ってしまいそうだと告げる口調はだいぶ柔らかい。
 頭皮チェックを済ませた弓兵の手には、どこからともなく現れたブラシが握られている。
 確かについでに結い直してくれとは言ったがそこまでされるのは想定していなかった。
 視線が泳ぐ。
「適当でいいんだぜ?」
「性分でね。諦めてもらおう」
「へいへい。あー、でも気持ちいいな」
 もっととねだれば、たわけと返ってくる。
 さらさらと流れる髪が青年の指の間で遊ぶ。
「ところで、その格好はどうしたんだ」
「あん? あー……なんとなく?」
 ここに居るとそんな気分にならねぇ?
 せっかくの騎士王の願いだ。少しつついておくのもいいだろうと曖昧に疑問系で返せば、ふむ、と考える仕草。
「君の当たりが柔らかいのもそのためか?」
「そりゃお互い様だ。さてなあ……別に仲良しこよししてたワケじゃあねぇと思うんだが……なんとなく毒気が抜かれるっての? そんなのはあるかもな」
 今回の現界では覚えていることが多いが、記録になってしまったものを辿るのは面倒が先に立つ。ましてや戦闘時以外のものは余計にだ。
 なんとなくだが。
 曖昧な前置きで振り返り、黙り込む。
「ランサー?」
「アーチャー、ちと確認させろ」
「は?」
 髪を預けるのに違和感を感じない。
 触れられて、触れているのにも同様で。それは敵であるはずの記憶と矛盾する。
「なーんか、めんどくせえとこに格納された記録がありそうだな」
 ぺたりと相手の胸に手を当て、続けてその体を押し倒す。
「それがどうしてこの行動になるのか説明したまえよ」
「説明出来てたら確認なぞするか。オレも分かってねーに決まってるだろ」
 きっぱりと言い放てば、それもそうかと、思ったよりあっさりした応え。
 決定打が足りないと感じて、改めて大人しく押し倒された相手を見下ろす。
 結い直された髪の先がするりと男の肩からこぼれた。
 先端が落ちた先は相手の心臓の位置。笑いが軽く首を揺らせばそこから滑って肩から首元に流れ、青年は擽ったいというように微妙な表情で眉を寄せた。
 思い付きで唇に触れれば、驚きに見開かれる瞳。決定打はそれか、と確信する。
「な、にを……」
「オレとしても心外だが、どうもそれがカギみてーだからな。拒否は許さねえよ」
 言い放つ男の瞳は、獲物を狙う時のそれ。
 目を逸らさないままで落ちた唇は、射すくめられて硬直した相手のそれと重なる。
 酒気のこもったくちづけを嫌った青年がわずかに持ち上げた手で結い直したばかりの髪を引いた。
 構わず舌先で柔らかい唇を舐め、抉じ開けるようにして先を捩じ込む。
 くちゅりと水音。酒精を含む息を交わして熱を煽る。
 体液の交換による魔力の授受。
 とろりと零れ落ちた唾液を含ませて、嚥下させる。
 喘ぐように零された息と、耐えるように閉じられた瞳。眉間に出来たしわをぐり、と押して男は唇を離した。
「……満足かね、ランサー」
「満足な訳あるか。だいたい、とってくわれるみてーなカオしてんじゃねぇよ。まあ、効率から行くとそれも悪くねぇがな」
 揶揄い半分、本気半分。とりあえず渡した魔力を拒否されなかったことに満足する。
 何度か。大きく上下する胸を落ち着けて、青年は男を睨みつけた。
「私は酒があまり得意ではない」
「あ? お、おう」
 突然の宣言には疑問符が浮かぶが、口は勝手に適当な返事を吐き出している。
「今の君は酒精が強すぎる。他人を巻き込んで酔わせるのは感心しない」
「そうかあ? だいぶ抜けたと思ったんだがね」
「自分を基準に考えるのを改めたまえ。半神の君と違って私はただの人間なんだ」
 許容量が違うと言われれば納得するしかない。
「なんだよ。実際飲んでもいねーのに酔っ払ったってのか?」
「君はただの人間には過ぎた酒精が混ざった魔力を無理矢理飲ませた自覚は無いようだな」
 目が座っている。酔ったというのは本当なのだろう。もっとも、それが本当に酒になのかは分からないが。
「あー……そりゃ悪かった」
「以後気をつけたまえ。今回ははまあ、相手が私だから問題無いだろう。しかし、君の嫌がらせは今更だが、些か捨て身すぎるのではないかね?」
「へぇへぇ。どうせなら可愛く啼いてみるくらいしてくれてもいいんだぜ?」
「悪趣味な」
「もちろん、嫌がらせだからな」
 けらけらと笑う男の言葉は半分本当で、もう半分はただの言い訳。
 傲慢すぎる優しさに、己の幸せを考えない弓兵は気付かない。
 せめて詫び代わりに酔っ払いを部屋まで送るくらいはしてやる、と。笑ったまま男の手が伸びた。
 いらんと振り払う手を無理矢理捕らえる。
「そう言うなって。途中で行き倒れたらオマエ絶対明日オレのメシ抜くだろ。そうはさせねーぞ」
「……それは考えていなかった」
「げっ。ヤブヘビだったか……」
 次回のリクエストとして受け取っておこうと返した青年は、男に引かれるままに体を起こす。
「立てねぇようなら抱えてやるが?」
「不要だよ。そういうセリフは君好みの強くて可憐な女性に対して使いたまえ」
 言いながら立ち上がった青年の足取りはかなり怪しい。
 可愛くないと零せば、とうとう目まで悪くなったかと、いつも通りの嫌味。
 不要と言うなら無理強いする趣味も無いが、酔っ払いの戯言は真面目に聞くとバカを見る。
 分かっているからこそ、軽い笑みを落とした男は一人でふらふらと食堂を出て行った青年の後を追った。

冬木〜オレルアン直後くらいのイメージでカルデア時空の槍弓。 アニキはちゃんと逃げられる道とか言い訳できる隙を用意してから、自分が甘える体をとって無理矢理甘やかしにくる気がします。 アニキの尻尾髪が好きすぎてひっぱりたい(笑)きちっとしてるのもいいけど、なにかの拍子に髪留めがずれて落ちかけてるのとかがめっちゃ好きです。解くのも結い直すのもすごくいいですよね……

2018/05/05 【FGO】