あおのせかい
青い、蒼い、碧い。
ゆらめく視界の全てはあおのいろ。
自分が水の中に居ることに気付いて、日に焼けた肌と黒とも茶とも言えない濃い髪を持った男は、慌てた様子も無く大きく伸びをした。
開いた瞳は生命の色を映したようなあか。
ゆらり、ゆらり。
動いたことでかき回された景色が揺れる。
ぐるりと周囲を見回して、彼は水の中に漂っているのが自分一人ではないことに気付いた。
水に合わせて頼りなく揺れたのは、細い手足と力なく伸びた尾。
まずい、と。
本能に突き動かされるままに男は流されていきそうな体を引き寄せる。
一瞬女の子かと疑ったが、触れてみればすぐにそうでないことは分かった。華奢なりにきちんと筋肉のついた体であることは密着すれば服越しでも分かる。
万が一途中で気が付いても暴れられないよう、背後に回った彼は、小さな体をしっかりと抱き寄せて、大きく水を掻いた。
しだいに強く、明るくなる光に。濃いあおのいろは薄められ、白く染まって眼球に突き刺さる。
ざばりと派手な音を立てて水面に出て見れば、陸地は遠くに揺れて見えた。
波が無い所を見ると、大きな湖のような場所か。
状況の確認を済ませた男は、一緒に水の底から連れてきた小さな体を見やった。
男は大柄な部類だが、並んで立てば肩までもないだろう彼に、思わず眉を寄せる。
少年か青年か。
一瞬判断に迷うが、この際それはどうでもいいことだと思い直して、笑みを零す。
そもそも、尻尾があるのだ。人間ですら無いのかもしれないと笑いつつ、呼吸と脈を確かめる。
うまく仰向けになって彼の下に入り、回した腕で軽く腹部を圧迫してやれば、思ったよりも簡単に意識を取り戻した彼は咳き込んで水を吐いた。
最初から気を失っていたのか、さほど飲んでいる様子でもないのに安堵する。
「オレ……え?」
「おっと……頼むから暴れるなよ? また水の底に真っ逆さまだぜ」
しっかりと太い腕を回されて動きを封じられた彼は、パニックの一歩手前でなんとか思いとどまる。それでも小刻みに震えているのを男は見逃さなかった。
「なんだ、水が恐えのか?」
「そんなんじゃ……いや、でも……」
脳裏に浮かぶのは水と、硝子と、知らない顔と……あおのいろ。
「あー。悪かった。無理すんな」
濡れた髪をかき回していく男の手に本気の気遣いが感じられて、細く息を吐いた小さな体は、沈黙を挟んで声を上げた。
なあ、と。細く上がった声は少しだけ落ち着きを取り戻している。求めるところを察して、ジェクトは拘束にならない程度に力を抜いた。
ゆる、と零れていく息は、恐怖と不安とを押し殺してはいるものの、どこか安堵の色が滲んでいる。もう一度男が頭を撫でてやれば、ようやく笑みが零れた。
「オレ、ジタン。あんたが助けてくれたんだろ? サンキューな」
「ジェクト様だ」
応えたのは余裕と自身に溢れた声。堪えきれなかったというようにジタンが吹き出す。
「自分に様とかつけるか普通」
言い方が面白かったか。そのままけらけらと笑って。
仰向けになって浮いているジェクトの腹の上に乗る形になっている彼は、自分を助けた者の顔を確認することも出来ずに、降り注ぐ日の光を見つめていた。
「オレはいいんだよ」
ジタンの笑いさえ吹き飛ばすようにジェクトは笑う。
笑いに揺れる体は、それでも揺るぎなく。
ゆったりと水を掻いて進んでいく。
ふと、以前どこかで聞いた話を思い出してジタンは眉を寄せた。
「どうした?」
敏感に察したジェクトが問いを投げる。
「いや、なんか腹の上に餌乗っけて浮かんでる動物がいたな……って、笑うな!」
思わずジェクトが爆笑すればその体は揺れ、ジタンの恐怖が加速する。不安の中にあって、揺るぎなく支えてくれる腕と背に感じる温もりは、随分と自分を励ましていたのだと、ジタンは溜め息を落とした。