bite!

「デュース、下がれ!」
「キングさん! でも、エースさんが!」
「いい、構うな!」
 深い森の中、木々の間に複数の声と魔法の破裂音。銃声と笛の音が入り混じって、一瞬判断を鈍らせる。
 周りにはモンスターの群れ。どこから湧いて出たというようなその数は、軽く二桁。
 キングがデュースを庇ったことで、わずかな距離ながらも、エースが孤立してしまっていた。
「僕ならなんとかする!」
 超短距離の移動魔法と、自らの体を囲むように展開されたカードが、彼の身を守る。
「くっ……!」
 全方位からの攻撃を捌きながらも、エースはじりじりと押されていた。傷が増え、息が上がる。決定力不足を見てとって、キングはデュースを振り返った。
「時間を稼ぐ」
「はい!」
 デュースの攻撃は笛を吹き始めてから音が形になるまで若干のタイムラグがある。それは集中して魔力を集めなければならない魔法にしても同じ。
 エースに近い方を優先的に掃討しながら、キングは己とデュースの身を守った。
 彼女の手に魔力が満ちるのを待って後ろに下がる。
 一瞬後、放たれた焔は舐めるように地面を進んで、周囲の敵を焼き尽くした。
 目一杯魔力を溜め込んだデュースが放ったのは、炎を己の周囲に広げて攻撃する魔法。
 焦げた匂いが鼻をつき、いくつもの黒い塊が地面に落ちて転がる。それでも。圧倒的な数で三人を追いつめる敵は炭になった仲間を踏み潰し。さらに外側から牙を剥いて襲いかかって来るのが見えた。
「エースさん!」
「分かっている!」
 デュースの呼びかけに呼応するようにエースが合流をはかる。
「エース!!」
 珍しく焦ったように名を呼んだキングが、少年の手を引いた。大柄な体を活かすように、前に出る。
「うわっ!!」
「ぐ……ッ!」
「キングさん!?」
 心配する声には大丈夫だと返して、咬み付いてきたモンスターを振り払った。
 すかさず銃弾をたたきこんでとどめをさすと、彼は咬まれた痕を確認する。
 腕は上がるし、大した痛みも無い。
 庇ったのかと声を怒らせたエースに対し、首を咬まれたかったかと返すキングの声は、冷静に現状と戦力を分析した結果を告げていた。
 首に攻撃を受けた場合、下手をすれば一撃で戦闘離脱になる。
 この状況で誰かが離脱すれば、残りのメンバーも共倒れになる可能性が非常に高い。万が一うまく逃げられたとしても、離脱者の回収が難しくなるのはすぐに分かることだった。
 他の0組メンバーはそれぞれ受け持ちの場所が違い、同じような状況に置かれているのが予想出来るだけに助けを求めるのも困難。
「……すまない」
「必要ない。まだ使える」
 男は声を荒げる事もなく、慣れない回復魔法を唱えて傷口を塞ぐと、すぐさま戦列に復帰した。
 キングの使う大型の銃は反動が凄まじい。エースの言はそれを分かっているからこそのものだったが、言葉に代えて攻撃を再開したキングの表情を見れば、特に無理をしている様子も無い。むしろ戦意が上がって苛烈さを増した攻撃に、彼を狙っていたモンスター達が怯んだようにさえ見えた。
 一度は分断された連携を取り戻した彼らは、キングの指示のもと、じりじりと後退しながら攻撃する。
 逃げるよりも全滅させた方が早いと判断したキングの指示が間違っていなかったのは、街に帰投してから聞いた話で分かった。モンスターを陽動に使った作戦は、キング達が全てを止めてしまったことで失敗し、敵軍は敗走していったことを知らされる。
 一度暴走したモンスターの群れは止められないため、どの道全滅させるしか手はなかった。
 キング達三人が一番最後。宿と決められた場所には既に全員が集まっている。
 モンスターの体液にまみれ、ボロボロの状態で作戦室代わりの大部屋に入ってきた彼らを見て、戻ってきたと最初に声を上げたのはケイト。
「ほんとだー。みんな無事でよかったねぇ」
 ほわんとした口調で皆の心中を代弁したのはシンク。
 彼女は最前線で大型の敵を相手にしてかなり泥だらけになったことで、先に浴室に送り込まれていた。まだ湿り気を帯びた髪は結われずに背中に流されており、やれやれというようにクイーンがその背後に立って、そっと手にしたタオルに水気を吸わせている。
 いつもと変わらない光景に安心するのは、それがどこであっても家族の元だと思うからか。ゆるく笑うシンクやジャックを見ると、途端に肩の力が抜ける。
「皆さんも無事でよかったです」
 最初に息を吐いたのはデュース。
 酷い目にあったがな、と零したキングは、先に休むと言い残して、割り当てられた部屋に足を向けた。
「おい、報告! 僕たちに押し付ける気か?」
 エースの文句は届かなかったらしい。
 普段ならあり得ない長兄の行動に、その場の全員が首を傾げた。
 何かあったのかと声を上げたのは一人だけ離れた場所で壁に凭れていたサイス。
「よう、お疲れさん! どうしたんだエース、大きな声出して」
 キングの姿が消えたのと入れ違いに部屋に響いたのは殊更明るい自称アイドルの声。
「ナギ! 今、キングとすれ違ったか?」
 軽いノリに脱力しながらも、エースはもしかしたらと疑問を口にする。
 常に変化に聡い彼なら、何か自分達が気付いていないことを指摘してくれるのではと期待していた。
「あ、ああ。そういえば入れ違いになったな。反対方向から来たから正面からは会ってないが……」
 声を掛けても気付いていなかったようだと告げれば、エースとデュースの表情が曇った。それに気付いた0組の面々も、首を捻って二人を見る。
「任務中何があった?」
 質問の先陣をきったのはエイト。
 なにか隠しているんだろうな、と。セブンも首を傾げて口にする。
 一斉に注目されたエースは考え込む仕草。
「何かと言っても、相手の数がものすごく多かったくらいで……」
 もっと他になんかあるでしょとケイトに突っ込まれ、エースとデュースは記憶を掘り返す。
 普段は一番後ろで泰然と構えている長兄の不調を皆がそれぞれ心配してる。
 一人部外者であるナギは、愛されてるねぇと声には出さずに感想を落とした。
 戦場に出ていれば怪我も日常茶飯事のため、特に気になるような大きな出来事は記憶にない。戦闘離脱者が出るくらいのことが起これば別だろうが、今回はそれも無い。そこまで思い返して、デュースは視線を上げた。
「咬まれた……くらいしか思いつきません」
「咬まれたって……モンスターに?」
 首を傾げて彼女の言葉を反復するナギに、そういえばとエースも頷く。
「そうだ……咄嗟に庇ってくれたんだ。後ろからで。狙われてたのが首だったから」
「それは危なかったねぇ」
 軽い言葉と同じくらい軽い笑いが上がる。
「ジャック、笑いごとではありませんよ。それで、彼が代わりに咬まれた、ということですね。どこをです?」
 あははと笑うジャックを嗜めて、クイーンが心底安堵したように息を吐きながら問いを投げる。
「腕だ。すぐに魔法で治療していたし、その後の戦闘も支障は無さそうだったんだが……」
「なるほどな……それで、お前らはその後も戦闘を続行し、敵を全滅させた後で揃って帰投した、と」
 ふらりとエースに近付いたナギが、少年の汚れた服を払って、モンスターのものを思われる付着物を奪った。
「状況は分かった。ここは俺に任せな。明日の作戦のこともあるからお前らはさっさと休め」
「ですが……!」
 デュースが食って掛かると、0組全員が同じ目でナギを見た。まったく、と一番近くに居た少年の乱れた髪を掻き回して、青年は呆れたように笑う。戦闘時の希薄さと裏腹に身内に対しては皆心配性だと思うが、その対象に自分が混ざっているのが落ち着かない。
「まあ任せておけよ。同じような状況の対処をやったことがあるからな。俺も、あいつも大丈夫だ」
 危険なことはない。
 断言すれば、少しだけ剣呑な視線が弱まる。
「すみません……よろしくお願いします」
「すまない。僕のせいで……」
 謝罪を口にするのはキングと共に戻ってきた二人。
 子犬のようにしゅんと頭を垂れた彼らを見て、ナギは思わず吹き出した。
「なーに暗くなってんだよ。俺は今、大丈夫だって言っただろ? まったく……なにせお前らいつも俺のこと頼らねぇからな」
 そんなことはないと口を揃える面々に返事の代わりにひらりと手を振って。ナギはキングの部屋に向かって歩き出した。
 すぐに後ろからクイーンとセブンが残った面々を休ませようと躍起になっている声が聞こえてくる。
 彼女達に任せておけば、他のメンバーはちゃんと休むだろう。
 頭の中に建物の構造を展開しながら、ナギはキングの部屋の前に立つ。
 非常用の裏階段がある端から二番目。一番端がナギの部屋になっているのは外への出入りと監視の両方の意味がある。部屋は当然だが鍵がかかっており、呼びかけても返事は無い。今からやろうとしていることを考えればその方が都合がいい、と。ナギは一度己にあてがわれた部屋に入った。

 ※

 暗闇に熱を帯びた呼気が溶ける。
 窓には厚くカーテンが引かれ、完全に光を嫌った部屋に動くものはない。
 呼気は布に吸われ、風もおこさないまま霧散して熱だけが積もっていく。
 壁際の寝台の上、毛布の塊がその源。
 停滞した部屋の中心にわずかに光が灯って、静寂に波紋を投げた。やわりと揺れた空気。光が消えた中心に現れた青年は、移動の余韻が完全に収まったのを確認してから目を覆っていた手を外す。
 予め闇に慣らした目でぐるりと辺りを見回し、きちんと目的の場所に移動出来たことを確認する。
 部屋のつくりは今までいたところとそう変わらない。
 鍵を使わずに魔法によって移動してきた青年は、真っ暗な部屋の中でも迷うことはなく。寝台が盛り上がっているのに気付いてそちらに脚を向けた。
「キング」
 呼びかける声は普段の彼のものよりだいぶ低め。呼気かと間違うくらいのかすれ声で名を紡ぐ。
 反応は無かったが、彼は構わず寝台に近付いた。傍にある椅子には、投げ捨てられたと思われる衣服が中途半端に引っ掛かっている。
 床もわずかに濡れていることから、彼が戻ったあと辛うじてシャワーだけは浴びたのが分かった。
 欠片も湯気の気配がないのは冷水でも浴びたか。数歩の間に状況を整理して、ナギは湿り気を帯びた髪の先に触れた。そこだけはみ出した長めの後ろ髪を引っ張ってひそりと笑う。
「寝てる……ワケないよな。そんな状態じゃないだろ」
 きしり。体重をかけたために寝台が啼く。
 がっちりと固められた毛布に苦労しながらも、焦らずにゆっくりと引いていけば、わずかに男の頭を出させることに成功した。
 水浴の名残か、汗か。濡れた生え際を指で辿って張り付いた髪を逃がす。思わずというように震えた体に苦笑して寄せられた眉間に触れた。
 きつく閉じられた瞳がわずかに緩んで、絞り出した声が外気に触れる。
「や……めろ……ッ!」
 堪え兼ねた抗議。その一瞬の間に顎を捉えて、持参してきた液体を流し込む。苦かったのだろう。深くなった眉間の皺を宥めるように撫でて、飲めと促した。
 嚥下したのを確認して安堵の息を吐く。
「よしよし。まったく……一人で抱え込まないで相談しろよな?」
 何を飲ませたと抗議する視線は熱に浮かされて、いつもの威厳は無い。くつくつと笑いながら、ナギは少しだけ力の抜けた体から一気に毛布を剥ぎ取った。