BLIND

先程から目の前で飽きもせずにぺらぺらと話をする相手の話を右から左に聞き流しながらタイミングを伺っているが、一向に途切れる気配のない話に、口を挟む隙がない。
そろそろ体が辛いからいい加減に部屋に戻りたいとは言い出せず、全身ボロボロの青年はただ黙って相手の気が済むのを待っていた。
そんな彼の制服は所々斬られたり燃えたりしており、色の変わっている箇所も多い。トレードマークのバンダナもボロボロになって、今は手に握られていた。
もちろんマントも例外ではなく。半ばから大きく千切れ、辛うじて残った部分も穴だらけになって、ほぼ残骸と言っていいものが背に張り付いている。
普段邪魔な前髪をとめているバンダナが無いために長めの前髪がそのまま額に落ちていることで、目元はよく見えない。それに対する文句は真っ先に通過済で、相手の興味は髪からマント、続いて制服に移ったらしく、止まることを知らない説教はまだまだ続きそうだった。
青年は気付かれないようにそっと溜め息を逃がす。
「ナギ? 戻ってきてたのなら……すまない。取り込み中だったか」
「キング?」
唐突に聞こえた第三者の声はよく知った男のもの。あまり人が通らない魔導院の端とはいえ、現在の位置は廊下なのだから特におかしくはないのだが、予想していなかった人物の登場にナギと呼びかけられた青年は驚いた様子で振り返った。
「まだ話は終わってな……0組がなんでこんな所に」
くどくどとつまらないことにばかり文句をつけてきたことから分かっていたが、相手は教官の格好はしているものの、9組の実態を知らない。つまりはかなり一般人寄りの人物だと断言出来る。だからこそナギも強く出ることが出来ないのだが、その葛藤は一瞬でキングにまで伝わったらしい。面倒な時に声をかけてしまったとでもいうように溜め息を吐いた彼は、仕方がないというように数歩の距離を詰めた。
年齢に似合わず体格に恵まれた男に至近距離で立たれると、纏う堂々とした雰囲気のせいもあって、本能的に姿勢を正してしまう。ナギに説教をしていた教官も例外ではなかったらしく、さっきまで弾丸のように文句を吐き散らかしていた口を引き結んで硬直してしまった。しきりに瞬きを繰り返すことから、キングの雰囲気に飲まれてしまっているのが分かる。
近くなれば余計に、ナギの全身の状態が分かっただろう。おそらく顔を顰めてるだろう男の顔が想像出来て、青年はひっそりと苦笑を落とす。
これで逃げられればいいが、と。考えながら、彼の出方を待った。
「悪いな。約束の時間になっても来ないから、こいつを探しにきただけだ」
特に約束などした覚えは無いから、これはキングなりの精一杯の方便。告げられた言葉に合わせるように、ナギはもうそんな時間かと呟いて渋面を作った。
「なぜ0組が落ちこぼれの9組なんかを……」
「面倒な考え方だな。戦場ではそんなもの、なんの関係も無いだろう」
キングは0組の中でも極めて面倒臭がりなため、最低限のことしか口にしない。それじゃあ誤解を招くだろうがと内心で笑いながらナギは隣で唇を湿らせた。
ばかやろうとキングに向かって怒鳴って、まだ教官を威圧していた彼の腕を引く。納得出来ず、足が鈍い様子に溜め息を落として、終わったら行くから部屋で待っていてくれと続ける。
あまりにも間近に威圧されて、一般人に毛が生えただけの教官は硬直したまま言い返すことも出来ない。
「俺は大丈夫だからさ。ここは引いてくれよ」
どことなくわざとらしい口調だが、精一杯虚勢を張っている教官は気付けず、逆にキングは先の言葉に乗って逃げようとしていることをすぐに察した。
そもそもなぜ、こんなところでボロボロのまま立ち話なのだと問われれば、マントを破損したからとしか言いようが無く、ナギもそれを理由に上げる。
ここに戻ってくるために魔力を使い果たした青年は、人目につかない魔導院の端を選んで移動魔法を実行したため、そこから先は徒歩で戻る羽目になった。
歩き出した先に事情はよく知らないが口うるさい教官が居たのは不幸としか言いようが無い。
「それなら別に今でなくとも、さっさと汚い格好をどうにかさせて、あとから呼び出せばいいだけの話だろう。だいたい、それ以上放置すると凝固した血液に髪やら服やらが巻き込まれて面倒なことになるぞ」
前はともかく、自分で見えない背中側は絡まると辛いだろうと言われれば苦笑するしかない。
いくら人通りが少ないとはいえ、腐っても魔導院の廊下。血だらけのボロボロでふらふらしていれば周りの者に対して不安と不快を強くまき散らす。
時間が経てば経つほど面倒な事にしかならないが、それに思い当たらないものが教官として居る事実に溜め息のひとつも落としたくなる。
一応魔導院は兵士を育てる場所ではなく、学問のための場所なのだから、戦闘から遠い者が一人や二人居てもおかしくは無かった。
「それはわかっているんだけどさ……って、キング、ダメだから! それ以上無駄に威圧しないで!!」
教官の軽い悲鳴に気付いたナギがもう一度キングの腕を強く引く。可哀相に、教官という立場にも関わらず、キングに強く睨め付けられた相手は涙目になりながら、もういいと捨て台詞を残して去って行った。いや、逃げて行ったの間違いか。
「別に問題は無いだろう。その様子だとかなり長い間拘束されていたようだからな」
溜め息を落としたナギの腕を外して、キングはふと逆にその手を取った。握られたバンダナを見て、同じように溜め息を落とす。
「どうした?」
「……いや、それよりも着替えが先だな」
「ああ。まあ……方法はどうあれ助かったよ。今度礼をさせてくれよな」
いつもの調子で笑ってみせるが、キングから返ったのはさらに深い溜め息だった。
不穏な空気に首を傾げた時には、掴まれた手を強く引かれて腕を回される。次の瞬間、ひょいと肩に担ぎ上げられて抗議の声を上げた。
「おい、キング!」
「下手に暴れてそこらじゅうから注目されたくなければ気絶したふりでもしていろ」
「傷はもう治したし、見た目ほどひどくはないから、別に一人で戻れるって」
ナギの声は落ち着いており、それが大丈夫だと主張する根拠となってキングは一瞬動きを止めたが、やはりダメだと否定されて、担がれたままナギはその理由を低く問う。
「俺が安心出来ないからだ」
そう言われればナギは己の主張を通せない。心配性だなと当てつけるのが精一杯で、彼は大人しく目を閉じて力を抜いた。
ゆらゆらと揺られながら、担ぎ上げられたまま運ばれたナギは魔法陣を抜け、扉を潜ったのを把握する。
慣れた部屋の匂いに、そこがキングの部屋であることを悟った。
「もういいぞ。浴室に直行するが構わないな」
「ああ……貸してくれるのか?」
諸々の事情で何度か利用したことのあるキングの部屋の浴室には慣れていて、現在の己の姿を考えても、利用を断る理由は無い。素っ気ない肯定があって、かちゃりと扉を開ける音が続いた。
何歩か進んで、下ろされたのは湯船の中。
さすがに靴は先に脱いで湯船の外に出す。あと上着くらいは脱げるだろうかと考えているところで、近くお湯を出した気配がした。血液の凝固を防ぐためにお湯よりは水寄りに温度を調整したそれを足の先にかけられて、冷たいと苦情を落とす。
「しばらく我慢しろ。上着が脱げないのならこのままかけるが……」
「ああ、いいぜ。腕上げようとした段階で引き攣るような感じがしたから多分このまま脱ぐのは無理だ」
「了解」
頭から背中寄り。水が侵入していく所から体が冷えていく。ナギはそれが十分に行き渡ったと感じたところから順に固まった服を引き剥がす作業に入った。
頭から水をかけられているからという理由で目を閉じている彼は、手探りで張り付く衣服を脱ぎ捨てていく。時折助け舟を出すようにキングの手が伸びて、青年の気付かなかった欠片を引き剥がした。
「持っていろ。後ろ髪が固まっている」
「ああ。悪いな」
全部脱ぎ終わったナギにシャワーヘッドを渡したキングは、シャンプー液をとって、そっと青年の髪を掬う。
絡まっているのだろう箇所を中心に、全体を丁寧に洗われて、ナギはくつくつと笑いを落とした。
「何がおかしい?」
「いや……いつから気付いてた?」
問いに問いで返せば、確信を持ったのはバンダナを見てからだと告げられて、思わず顔を歪める。
「確かに汚れてボロボロになってはいたが、機能に支障があるほど破損していたわけではなかったからな。おそらく視線を隠したいのだろうと気付いた」
続けて語られた根拠は言い逃れも許さない。まいったなと言葉を落としただけの青年は、笑みを残したままで少し上を向いた。
髪を洗う為に全部後ろに撫で付けられたことで、隠すものがなくなった瞳を晒す。一見、おかしなところなどなさそうだが、よくよく見れば焦点はどこにも合っておらず、光にも反応を示さない。ただ、髪に触れたまま見下ろすキングの渋面が映り込んだだけだった。
状態異常の一種かと聞かれれば、素直に頷く。
「ちょっとヘマしちまってなー……魔力も足りなくなりそうだったから離脱を優先したんだよ。おかげで治療のタイミングを逃したから時間経過で効果が切れるのを待つしかないだろうな」
幸い焦点が合わないのに気付かれなければ行動にそこまで困ることはない。そう言いながらも、気付かれないようにするために外したバンダナが決定打になるとは皮肉だと笑う。
髪の間に入り込む太い指が丁寧に動くのに身を任せながら、ナギは再び瞼を落とした。
飛んだ泡のひとつが頬に着地して、水と混ざって流れ落ちる。
「いいぞ。シャワーをよこせ」
「ん……気持ちいいからもうちょっとして」
「誤解を招くような言い方をするな」
9組は職業柄だが、0組の面々は本能的に聡い。最初から隠し通せるとは思っていなかったが、思っていたよりも早く秘密を気にすることがなくなった青年は、最後の警戒を放棄した。自ら仕掛けた戯れのやりとりに笑って、キングにシャワーを渡す。
水をかけながら丁寧にすすぐ指が頭皮に触れて、一定の速度で動く。背に泡が流れ落ちて、ついでのようにまだ付いていた血をさらっていった。
一度離れた水が、お湯になって戻ってくる。それはつまり、あらかた落とし終わった合図。
「気になるところは落としたから、あとは一人で出来るだろう。着替えは……とりあえずシャツは出しておいてやるからそれを羽織って出て来い」
「分かった」
シャワーを受け取り、冷えた体を温めながら軽く礼を投げれば、返事のかわりにタオルとシャツを用意する音がして、扉が閉められた音が続いた。
残されたナギはそっと笑みを刷く。そんなにわかりやすいつもりはないのだが、どうにもキングを相手にすると誤摩化しがきかない。
頭から湯をかぶりながら全身を温めて、記憶を頼りにボディソープを引き寄せた。告げられた通り、すでに汚れの大部分は落ちているだろうが、男が見落としている場所もある。念のためにと全身をくまなく洗ってから丁寧に洗い流した。
浴槽の中に脱ぎ散らかしたはずの服は離れる時に彼が回収してくれたが、内部に付いた汚れは確認のしようがない。残っていないのを祈りながら適当に水をかけるだけで済ませて、青年はシャワーを止めた。
浴室だけでなく、寮の部屋の作りはどこもそう変わりはない。記憶を頼りに手を伸ばせば、すぐにタオルだろう生地が指先に触れる。重ねられたものを落とさないようにしながら広げて全身を拭くと、言われた通りシャツを羽織って浴室を出た。