僕の歌私の歌

「それじゃあ、ちゃんと戸締まりしてね。それから……」
「だいじょうぶだよ」
ぼくもうそんなに子供じゃないからと言って笑った子供特有の高い声に、柔らかい女性の声がかぶさる。
「そうね。ごめんね」
「いいよ。それよりも、はやくしないとおくれちゃうよ?」
指摘されて、思ったよりも時間が迫っていることに気付いたのか、女性は慌てたように少年を置いて玄関を出た。気にして何度も振り返りながらだが、少しだけ早足で駅に向かう彼女を手を振って見送った少年は、言い付け通り扉を閉めて鍵をかける。
一人留守番をするなんてたいしたことは無いと思っていた彼は、その瞬間に音のしなくなった家に怯えるように瞳を揺らした。
「へいき……だもん」
自分に言い聞かせるように呟いて自室に戻る。
自室といっても彼だけの部屋ではない。部屋の中央に並んだセミダブルのベッドはぴったりと寄り添って二つ。ベッドシーツも上掛けも同じ色だが、両者には明確に差があった。片方は少しだけシーツがよれて、枕がへこんでいる。
対して、もう片方は横たわる人を待つかのように整えられた状態のまま。
少年は二つのベッドを見比べると、あえていつもは使われていないほうにもぐりこんで枕元に置いてあったリモコンを操作した。パソコンのモニタと兼用になっているテレビが低い音とともに起動して、落ち着いた声の女性アナウンサーを映し出す。
話しているのはよく分からない難しいニュース。少年は寝転がったまま。早く天気予報にならないかなと思いながらぼんやりと見ていた。明日は皆で出かけるのだと約束してくれた。なら、晴れるほうがいい。
テレビの音しかしない家の中はやけに静か。
待っているときに限ってなかなか目的の情報は手に入らないものだ。変わらない画面と淡々としたアナウンサーの声に少年の瞼が下がってくる。
「そのまま寝たら風邪をひいてしまいますよ」
「だ……だれっ!?」
自分以外居ないはずの家に突然響いた声。びくん、と少年の肩が揺れて、それまで彼を支配していた眠気が吹き飛ぶ。
部屋には変わらず淡々としたアナウンサーの声が流れているが、少年に語りかけてきたのは間違いなく声変わり後の低い男の声だった。
「すいません。驚かすつもりは無かったんですが」
ここですと告げられた声は間違いなくテレビのほうから。
「だれなの……」
恐々とテレビが乗った机に近付いた少年は近くのイスによじ登ると、何度か見た風景をを思い出し、真似するように横のスイッチを押して画面を切り替えた。
切り替わった画面に鮮やかな青。
にっこりと笑った青年を見て驚いたらしい。
悲鳴とともに少年は椅子の上ということも忘れて身を引いた。
バランスを崩した体が宙に浮く。
「危ない!!」
それは、現実にはありえないような光景だった。
画面から飛び出した青い光が床で跳ねて伸び上がる。
ぎゅうっと目を閉じた少年を抱き留めた光は、その瞬間に人の姿へと形を変えていた。
一拍遅れて同じようにバランスを崩して倒れた椅子が派手な音をたてる。
「大丈夫ですか?」
抱きとめた背中をゆっくりと撫でて、落ち着いた男性の声が降る。
おそるおそる目を開いた少年は自分が先ほど画面上で見た男に抱きとめられていると知って再び悲鳴を上げた。
「おにいちゃん……なに……」
『誰』ではなく『何』と聞いたところに少年が自分では気付かないうちに青年の正体を見ていることが分かる。
受け止めた中腰の姿勢のままで青年は困ったように首を傾げた。
「うーん。なんだろうね。妖精かな?」
「ようせい?」
妖精って、絵本に出てくるあの妖精?
とたんに目をきらきらさせた少年は、するりと青年の腕から逃れて地に立つ。
さきほどまで泣きそうになっていたのが嘘のようだ。
青年の容姿が人間にはあり得ない鮮やかな青の髪と瞳をしていたのも手伝ったかもしれない。
「全く同じじゃないけど、似たようなものかな」
すごいすごいと飛び跳ねた少年が青年に抱きつく。
「ぼく、ようせいさんにはじめてあったよ」
不安定な体勢でいたために、飛びつかれた拍子に尻餅をついてしまった青年は、腹のあたりに纏わりつく少年の頭を撫でて部屋を見回した。