玻璃の羽根

「ルパインアタックも見切れるバッツさんをなめてもらちゃ困るぜ?」
 どうして、と。呆然と落とされた問いに冗談混じりに返して。いててと頭を撫でながら青年は笑った。
 彼の前に立つのは、竜を模したかのような濃い色をした甲冑姿の男。カインという名を持つその男は、竜騎士という称号通りの格好で片手に槍を握っている。
 先ほどまで武器を握らぬ方の手に目の前で笑う青年を抱えていた彼は、文字通り呆然と自ら手にかけたはずの人物を見返した。
 あたりは暗く。時折ぼんやりとした光が気紛れに漂うだけで、他に光源らしきものもない。カインが眠らせた仲間達を匿う為に選んだ場所だった。
「ひずみ……だよなここ」
「……ああ」
 興味津々なバッツに対して、半分上の空で相槌を返しながらもカインは全力で頭を働かせる。
 ちょっと寒いよな。
 他の奴らは無事かな。
 バッツの質問は他愛無いものが多い。カインの表情は目元までを覆う兜が隠しているが、最初の動揺は隠しきれるものではなかったらしい。数回に渡って投げられたどうでもいい質問の後で、軽く投げられた質問に思わず正直に答えてしまう。
「カインは何で仲間を倒して回ってるんだ?」
「違う、眠らせているだけだ」
 誘導であったことに気付いた時には既に遅い。
 空気を読んだかのように移動していく光源が男の後ろにまわり、その身を黒の彫像に変えて、わずかな表情さえも闇に沈めた。
 かわりとばかりに鮮明になったバッツの表情はどこか苦笑に似て。吐かれた息に気を取られた間に鋭くなった瞳に射抜かれたカインは息を飲んだ。
「何のために?」
「……ッ」
 真っ直ぐにカインを見つめるバッツの表情に先ほどまでの笑みは無く、男は逃げ場を奪われたことを悟る。
 普段笑顔を絶やさない青年の真剣な瞳は、嘘や誤摩化しを許さない。
「……約束を……したからだ」
 絞り出すような男の声は苦しげ。
 濃い影に隠された口元が歪んでいるのを、ほとんど無いに等しい光の中で青年は把握する。
 男は己の表情を知らない。
 『俺が皆を眠らせる』
 『ならば私は最後まで主を守ろう』
 光の戦士と交わした約束がカインの脳裏を掠めた。次の戦いへの望み。そのために引き受けたはずの汚れ役を誰かに打ち明けるつもりなど彼には無い。
 何も考えていないように見えて、周囲を観察することに長けた青年は、そんなカインの胸の内を感じ取った。
 視線を逸らさないままで。ふうん、と。息とも感想とも言えないような呟きを落とす。軽い声とともに立ち上がった青年は、無防備にまだ武器を手にした男の前まで歩み寄ると、兜の下を覗き込む。影になって表情の読めない目元に諦めの笑み。
「今更、だろ?」
 気安く伸ばされたバッツの手は固まったままのカインの兜に伸び、いとも簡単にそれを奪い去ってしまう。
 ふわり。男の背に黄金が零れた。
「な……ッ!」
「別に拗ねてるわけじゃないけどさー」
 零れた金糸を引っ張って、男の体勢を崩させたバッツは、下がってきた頭を抱え込む。
 抱きしめるというよりはヘッドロックに近い、荒いスキンシップ。
 されるがままの男は固まったまま、久しぶりに自ら遠ざけてしまった他人の熱を感じていた。
「どうせ何かやるならおれも仲間に入れろよな」
 盛大にむくれた声に隠された優しさに気付いて、カインはそっと溜め息を落とす。
「バッツ……」
 言いかけて、やめる。
 声をかけた時に少しだけ力のこもった腕は、バッツが薄々事情を察していることを物語っていた。
 普段は何も考えていないように見えるのに、相手に気付かれずに表情を読むのが上手いのは旅慣れているためか。気ままな旅人だと自ら語ったバッツは、誰かと一緒の時には、実に多彩な姿を見せる。
 例えば。ジェクトやラグナなど、年長者の前では、少しだけ寂しそうな子供。ジタンやヴァンの前では同年代の悪ガキ。そしてオニオンナイトやユウナなら、頼りになる兄貴に見え、相手がライトニングやセシル、ウォーリア・オブ・ライトになれば、冷静な大人として的確な意見を飛ばす。そして今は。まるで長年付き合った親友のように優しく先を促した。
 近い距離で笑いの振動が伝わる。
「言うまで離してやらないんだからな!」
「……さっきと言っていることが違うが?」
 つられるように男は笑った。何も語らずにいるのが困難なのであれば、納得した上で眠って貰うしかない。
「男なら細かいこと気にするなよ」
 白々しいバッツの声は、堪えていても笑みが消せていない。ふと。男はバッツが一人の時にどんな表情をしているのかは誰も知らないのだと気付いた。青年は常に誰かと笑っていて、一人で居るということ自体が少ない。人と距離を置きがちな自分とは反対かと。口の端にだけ苦笑を滲ませて、カインはバッツの背を軽く叩いた。それは降参の合図。
 ひそり。笑い声が重なった。バッツは苦笑のまま、カインが折れたのを確認してからやっと手を離した。
 どちらからともなく適当に腰を落ち着けて視線を合わせると、ひとつ息を吐いて男が口を開く。
 その唇が語るのは、この世界のこと、元の世界の記憶のこと。そして絶望的な未来のこと。
 男の話が終わるまで身じろぎもせずに耳を傾けていた青年は、ゆっくりと苦笑に溶かした声で「つまりは絶体絶命ってやつ?」と感想を零した。
 ふらり。中空を彷徨った視線は部屋の端に横たわる人物に気付く。先ほどまでは光源の関係で気付かなかったが、先客は白い鎧の騎士らしい。
 カインが最初に彼を手にかけることを選んだのが決意の固さを物語っていた。自然に伏せるようにして視線を逃がし、俯いている男を見れば苦い表情。
「どうとってもらっても構わん。だが、俺は……俺達は次に賭けると決めたのだ」
「ちょっと待てよ。そんなふうに責めさせるために聞いたわけじゃないさ。それに、仲間に入れろと言ったのはおれのほうだしな」
 バッツの言葉には苦笑とともに呆れが含まれている。男がわずかに怯えたように身を揺らしたのには気付かなかったふりをして、青年は自らの荷物を漁り始めた。
「事情は分かったし、カインのことだから散々考えたんだろ? だから止められるとも思ってないさ。だけど、やり方にはちょっと文句言ってもいいか?」
「どういうことだ」
 バッツの文句が行動そのものではなく、方法であったのにカインは首を捻る。
 ゆらり。光がバッツの傍に灯った。
 まず一つ。言いながら指を立てて、バッツが理由を告げる。
「さっきの話を聞くと、消滅しない程度に攻撃して眠らせるってことだろ? だけど、みんなそれぞれ歴戦の猛者だし、かなり難易度高いよな?」
 おれがここにこうしているみたいに。
 バッツ自身のことを引き合いに出されてしまえば、男に反論の手段が無い。失敗したのはカイン自身の問題であり、それをライトニングに見咎められたのもまた彼の落ち度であった。
「お、あったあった」
 バッツはようやく見付けたというように荷物から探していたものを取り出す。不格好な包みから出てきたのは何らかの植物をすり潰して粉状にしたもの。
  「いわゆる睡眠薬の類いだな。普通は何かに混ぜて飲むんだ。んー……こんなものかな」
 静かに包みをあけ、分量を調節しながらいくつかに分けると、それぞれをカインの手に渡した。小さいほうの包みが子供量で、大きいほうが大人量だと告げる。
「さすがにさ。いくら目的のためとはいえ、オニオンナイトや女の子達を力づくで、ってのも抵抗あるだろ?」
 あまり量が無いからそれしかできないんだと付け足して、仕方がないから他のメンバーには我慢してもらおうと酷いことを言う。
「本当はおれも行ければいいんだろうけど、さすがにこの状態じゃ厳しいか」
 眠らせられることはなかったとはいえ、カインの襲撃を受けた青年はそれなりに重傷で。気安く動ける状態では無かった。
「ああ、でもここであんたが連れてくる奴らを見てることくらいは出来るな」
「バッツ……」
 だからおれは一番最後だ、と。それが二つ目だと告げれば、意図を察したカインが唇を引き結ぶ。
「行って来いよ」
 バッツは笑った。カインは是とも否とも答えず、ただ瞳を伏せる。光の色をした髪は、正面から入る光を完全に遮ることは出来ず、安堵したように薄く和ませた目元を残して男は踵を返した。
 黙って見送ったバッツは苦笑しつつ壁に寄りかかる。ぼんやりとした光は意思を持っているかのように移動して、彼の歪んだ表情を隠す。
「いてて……手持ちの薬でなんとかなるかな、これ」
 文句を言いつつ、その表情は明るい。
 痛みを誤摩化すための薬草を噛みながら、バッツは体を休めるために眠りに落ちて行った。