華焔

闇に呑まれていく。
咄嗟に伸ばした手は届くことは無く、ただ虚しく空を掴んだ。闇に溶ける瞬間、彼の見開いた瞳の青だけが鮮やかに脳裏に焼きつく。
叫んだ名は底知れぬ闇に吸われて返事が返ることは無い。先ほど爆破までもう時間が無いと彼は言った。ならば自分がここに留まることは許されない。
彼が戻れなくなった以上、自分は戻らなければならない。わずかに振動した地面に急かされるように唇を噛んで一瞬だけ目を伏せると、青年はその場を後にした。
暗い魔晄炉の中から出た外は高く昇った眩いばかりの昼の光が溢れていて、瞬間的に目を細める。
ああ、空の色だと。
闇の中に消えた青を思う。
空から戻した視線のすぐ先に、慣れ親しんだ顔が並んでいた。
一人で戻ったシリルに対していぶかしむ色は皆変わらない。代表するように上司にあたる黒髪の男が問いを投げた。
「シリル。カイルはどうした?」
背後からは崩壊の予告を告げる断続的な音と微細な振動が迫っている。たとえ万が一生きていたとしても、崩壊に巻き込まれれば先に待つのは確実な死。
「魔晄炉に転落した」
いつもするように感情を殺して、シリルと呼ばれた青年は事実だけを告げる。
目の前の上司と、その傍に並んでいた丸刈りにサングラスをかけた男が揃って痛みを堪えるような声を発し、赤毛の男だけが軽い調子で奴のことだから無事だろうと語った。
「だと……いいがな」
「悪運だけは強い奴だろ。無事に決まってるさ」
「レノさん……」
肩越しに振り返って、シリルにレノ、と呼ばれた赤毛の男はにやりと笑った。
「なんなら賭けてもいいぞ、と」
「……遠慮しておく。だいたい、賭けにならないだろうそれは」
全員、生還にベットするなら最初からそんなものは成立しない。
「確かにその通りだな」
「同感だ」
「ツォンさんに、ルードまでシリルの味方かよ」
「別にそんなつもりでは無い。だが今のは確実にお前の失言だ」
わずかに目を細めて黒髪の上司が笑う。同意を示すようにルードと呼ばれた丸刈りの男も頷いた。
「あーはいはい。俺が悪かったですよ、と」
「話はついたかね?」
それまでなかった声が唐突に割って入る。
「申し訳ございません、副社長」
その主が金の髪をかきあげた副社長だとすぐに気付いたツォンが如才なく言葉を返した。待ちたい気持ちもある。だが副社長を無事に本部まで連れて行く、というのは今この場に居ないタークス主任の命令。
やり遂げるための任務がある以上それを放棄できず、任務と部下との間でツォンは揺れる。
魔晄炉はその間も内部で崩壊が進んでいるような音がしていた。まだか、と姿を見せない部下の名を呼んで入り口を見る。
往生際が悪いと言われても、完全崩壊までは諦めきれない。それはこの場に居る全員がそうであると顔を見ればすぐに分かる。
もう少しだけ待ってくれとレノとルードが副社長を説得している中で、ツォンはシリルに声を掛けた。
「シリル、ヘリをこちらに回してくれ。副社長をお送りするためもあるが……下層に落ちたカイルが負傷していることも考えられる」
二番ヘリを使用して構わない、との言葉にシリルが頷く。
「了解した」
「……よかろう。ヘリがくるまでなら待ってやる」
「十分です、と」
話を聞いていたらしい副社長が折衷案に同意を示したことでツォンの命令は承認された。
作戦開始が朝、自分が駆けつけたのが昼過ぎだっただろうか。憎たらしいほど晴れ渡った空を見上げてシリルは思考する。
必ず無事に出て来い、と。それは言葉にならない祈りだったかもしれない。言葉を零すことはなく、彼は自分に与えられた任務のために走り出した。
反神羅組織によるコレル魔晄炉占拠・爆破事件。
そう呼ばれることになる事件の表側は、そのあとで奇跡的生還を遂げたカイルを迎え、アバランチが活動を休止して収束したかに見えた。
己が吐く息が突然覚醒させられた意識の片隅を占拠している。
瞼の裏に映りこむのは闇に消えていく青。
悪夢によって目を覚ましたのだと気付いたのはそんな呼吸の音を暫く呆然と聞いてからで。ベッドに横たわったまま、シリルは吐き出せるだけ息を吐き出した。
空っぽになった肺が酸素を求めるギリギリまで待って深く吸い込む。
夢の詳細を覚えているわけでは無い。だが、意識に深く残る青に何の夢を見ていたのかは予想が付いた。
コレルで起こったアバランチによる魔晄炉占拠。そして続く爆破事件。それは世界に大きな波紋を投げたかもしれない。
だが、一部の者達にとってはすべて予定されていた範囲であり、むしろそれを利用して社が別の計画を推し進めたのを知ったのはつい先日。
アバランチと内通していた副社長の確保にタークスが全力を注いでいた陰で、密かに動いたのは兵器開発部門と、その統括であるスカーレットだったと聞いた。
砂に埋められて消えたのは悪意か。それともささやかな願いか。
今となってはもはや知る術も無い。
水の少ないかの土地では、さぞ火の回りは速かっただろう。そんなことを想像するくらいしか出来ることは無かった。もちろん、何の慰めにもなりはしないことを承知の上で。
口実をつけて焼き払った村の上に造られようとしているのは、そこが砂漠であることを忘れるような閉鎖型の巨大テーマパーク。
ミッドガルがいい例だろう。つくづく神羅という会社は高い所にものを作るのが好きらしい。
皮肉な調子で思いを巡らせて、シリルは窓の方を見遣る。
ミッドガルにしては珍しく綺麗に晴れた空からカーテンもかかっていないそこに強い光が落ちていた。
時間を確認すれば既に昼過ぎ。
今日は休日。だが、前日眠れなかったことを差し引いても、少々寝過ごしたことを認めざるを得なかった。
夕方からは病院に行かなければならない。予定を思い出して、正直な己の体が見せた夢に苦笑を落とした。
本来の予定の半分も消化できないのを仕方が無いと諦めてベッドから起き上がる。
予定変更後の最初の行動は、浴室に行って汗に濡れたシャツを肌から引き剥がす行為だった。