紅の蕾は彼誰時に咲う

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 むかしむかしあるところに。
 砂漠のなかに点在する豊かなオアシスを統べる国がありました。
 迷いの砂漠と呼ばれるほど、広大な砂漠のまんなかにあるその国は、いつ砂に飲み込まれてもおかしくないほど小さいのですが、不思議な力に守られるように水は枯れることなく街に張り巡らされ、緑は大きく背を伸ばして陰を作り、人々は穏やかに暮らしていました。
 そんな街の一番の不思議は夜。
 蝋燭でもなく、ランプの明かりでもなく。
 どこからともなくやってきて、空に浮かぶ光の正体を人々は知りません。
 神の気紛れと名がつけられたそれらに熱はなく、ただやわらかな光だけを届けます。
 ときには迷った旅人を導くこともあり、助けられた人々は自らの体験を語るため、幸運のしるしとしての噂が広まっていきました。

 砂嵐に惑わされた旅人がひとり、夜の砂漠を行く姿があります。
 頭からすっぽりと布を被り、吹き付ける風を口元を引き寄せることでかわして。
 砂に足をとられながらも必死で歩を進めていく人物の瞳にちかりと別の光が映り込みました。
 ふわりとあらわれたのは不思議な光です。
 砂嵐の中だというのに、力強く瞬くようにしながら動き出した光を追うと、いつのまにかオアシスの端へと足を踏み入れていました。
 強く吹いた風に煽られた布の中から零れた長い髪が空に向かって手を伸ばします。
 するりと抜け出した薄織の髪紐が風に乗って、高くたかく、塀の向こうへと姿を隠しました。

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  1

 その世界は閉じていた。
 辿り着けるものがいない地平線は、どこまで本物なのかを判断する術はない。
 あるのは砂と、点在する少しのオアシス。
 周辺一帯が一つの国であることも、治める者が居る事実もそう作られたものだ。
 日干しレンガで作られた家々や水路を引いて作られた畑。質素な生活風景の中心に存在するのは邸というより宮殿と呼称するほうが合っているだろう巨大な建物だ。
 ここだけが特別。
 巨大な建物の中心には、周囲に馴染まない塔がそびえている。
 そこは神が降りる舞台で、神聖な場所なのだと認識されていた。
 噂だけは色々とあるものの、実際にその場所に立ち入ることが許されており、真実を知るのは一人だけ。
 目にすることがないからこそ、かつての王も、今の王も、神の代わりとしてそこに降りてきたからこそ王なのだと住民達は信じている。
 実際、今の王が立ってから、日が暮れる頃になると、塔から時折柔らかな光が地上に漂ってくることがあった。
「おや、今夜は随分と量が多い」
「あら本当だ。なにか見つけたのかもしれないねぇ。まさに神の気紛れだ」
 住民達は驚かない。親しみを込めて『神の気紛れ』と彼らが呼称する柔らかな光は、明かりに困っている者、道に迷った者、悩みを抱えている者などにそっと寄り添う。
 明かりの代わりになる以外は役に立たないはずなのだが、なぜか問題を抱えている人の元に現れることが多く、直後にその問題が解決していることから信仰の対象になっていた。
 その日も、塔の上あたりに浮かんだ光が順に空を流れていく。
 光達を見送って。塔の頂上で暮れかけの空を見上げているのは長い髪を風に遊ばせている白皙の男だ。
 風で舞い上がる髪は昼の空と同じ色。遠くを見る瞳は日が沈みきる一瞬と同じ。
 ばさばさと音を立てて膨らむ衣服をそのままに踊り舞台の中央で寝転がった。
 屋上には柵も塀もない。構造上避けられなかったらしい低い出っ張りが等間隔で並んでいるだけだ。
 端に寄っていた時に強い風が吹けば落下の幻覚を見そうだと思う。
 実際、塔の壁に沿うように作られた螺旋状の階段にも手すりなどはないため、一歩踏み外せば地上まで真っ逆さまだと知っている。
 徐々に地平付近の光は弱まっていき、闇に落ち切る寸前の空がよく見える。
 目を細めて平和だなと零した男は、なんとなくの思いつきで意識的に光を生み出した。
 普段のものよりも幾分か力を込めたそれ。
「ま、こんなもんか。普段よりは遠くまで飛べるだろ。ほれ、行ってこい」
 ふわり。
 祝福ともとれる言葉を追い風に、男の掌から飛び出した光は流れ星のように空を渡って、砂丘の向こうへと消えていった。

  ***

 ざあざあと風が鳴く。
 巻き上げられた砂は厚く日差しを遮り、時間の感覚を狂わせた。
 ゆったりと体を覆っているのは日除けと風除けを兼ねた布。頭からも同じものをしっかりと被って口元を覆っているため、僅かに見えるのは目元のみ。
 色が抜け落ちたような瞳が閉ざされた道無き道の先を眺めて細められた。
「これは……無理かな」
 突然の砂嵐に遭遇した時点で予想はできていたが、完全に迷ったとため息を一つ。
 日が隠されることで肌を焼かれ続ける心配は減るものの、進む方向が定まらないのであればいずれ干涸びることになるのは避けられないだろう。
 気温が下がり始めているところをみると、もう日は暮れて夜になっている。
 とりあえず少しでも風を避けて体力を温存しようと場所を整えた。
 手持ちは食糧と水が少し。路銀も多少はあるが、使うにはそもそも人が住んでいる場所にたどり着く必要がある。
 ただ闇に落ちていく砂漠の夜は旅人の心身を冷やすのに十分すぎるほど。
 砂丘の影で蹲るように布に包まったまま過ごす影の元に、ふわりと近付く光がある。
 神の気紛れ。人々の信仰によって力をもったそれは俯いて目を閉じている旅人のすぐ傍まで音もなく移動すると、少しだけ光を強めた。
「な……に?」
 光が届く範囲だけ砂嵐が止む。いや、砂嵐が光の範囲を避けているという表現のほうが正しいだろうか。
 驚いて顔を上げた旅人が目にしたのは、光の中から飛び出すように現れた極彩色の鳥の姿であった。
 広げられた羽は赤や緑、青などの色が混ざり合い、光を反射して艶かに煌めいている。
 思わず伸ばした腕に嵌められた腕輪に掴まるように止まったそれは、くり、と首を傾げて嘴を開いた。
「モウカリマッカー」
「ぼちぼちでんなー……って、私は何を……?」
 どう考えてもこんな状況で出てこないはずの問いに答えを口にした旅人が戸惑う。
 頭に靄がかかっているようだ、と。口に出したところで腕に止まっていた鳥は滑るように肩へと移動した。
 ひとつ、ふたつ。みっつ。
 飛んだ瞬間に抜け落ちた毛がそのまま光へと代わり、それぞれ小さな人の姿をとる。
 大きさは違うが、見覚えのある顔が並んで見上げていた。
「私が……いいえ、まずはご自分の名がおわかりになりますか?」
「……エミヤ……カルデアのサーヴァントだ」
 名を。口にした瞬間に何かが繋がったように記憶が鮮明になる。
 そうだ。自分は英霊エミヤ。境界記録帯であり、アラヤと契約した守護者。今は人理を取り戻すために召喚され、カルデアのサーヴァントとして存在している弓兵。
 一つずつ確認するように口にしていけば、よかったと安堵の響きが濃い声が落ちた。
「それでは今度こそ。私がわかりますか?」
「ああ。式部さんだな。他は……シェイクスピア殿とシェヘラザード殿か?」
「正解ですエミヤ様」
 エミヤの反応に心底良かったという仕草をした紫式部は説明をさせてくれと続ける。
 否やのない青年の方は、その場に座り直して三人を見下ろした。
 話がしにくいかと気を利かせたシェヘラザードが動き、空飛ぶ絨毯に三人を乗せてエミヤの顔の高さまで浮き上がる。
 目配せをしてから語り始めたのは紫式部で、他の二人はとりあえず口を挟むつもりはないらしい。
 まずこの世界はこの場に現れた三人とアンデルセン、ナーサリー・ライム、メディアの合計六名で協力して作り上げたものだと告げられた。
 シェイクスピアの精神、記憶に干渉する力。
 シェラザードがもつ数多の物語。
 箱庭ひとつを現実に成立させてしまえるほどの力を持つメディアの魔力。
 アンデルセンの空想上の物語を纏め上げ、書きつける性質。
 紫式部の成立された物語を本という形で収集・所蔵する能力。
 そして物語そのものであるナーサリー・ライム。
 全てが合わせられて出来上がっている、どちらかというと本の世界に没頭するような、夢に近しい世界。
「巴御前様曰く、ふるだいぶぶいあーるあーるぴぃじいのようなもの、とのことです」
 慣れない横文字の文言を無理矢理読み下した言い方は区切りがわかりにくいが、何度か脳内で反芻し、何を示しているかが飲み込めてしまえば現代寄りのエミヤにとってはよほどわかりやすい例えだった。
 つまり、キャスター六人で仮想現実世界を作り、そこにサーヴァントやマスターを送り込む一種のシミュレーションだろうと想像がつく。
 戦闘なら既存の施設を使えばいいことを考えると、こちらは精神面に特化したものだろうかと問いを投げれば、理解が早くて助かるという返事。
「それで、その……ですね。今エミヤ様がいらっしゃるそちらの話はマスターの息抜きになればと作成したものでして」
 マスターの少女が時折夢を渡って別の場所に迷い込むことがあるのは全サーヴァント周知の事実だ。その中には見知った顔に変換されていることもあるという。
 例えば虚月館の事件。全く知らない人達のはずなのに、見知ったサーヴァントの姿をしていたため戸惑ったという報告がある。
 レムレム状態と呼称されているマスターの夢渡りでの出来事の場合、多くの場合は唐突に発生し、単独で彼女がなんとかする必要があった。それに対応するシミュレーターということであれば携わっている者の多さにも説明がつく。
 ただし。息抜きのためと告げられたことと、ついさきほどまで己が抱いていた認識に嫌な予感がする。
「ひとついいだろうか……恐ろしいことについ先程まで私は自分のことを華奢な少女だと思い込んでいたのだが……」
「すいません!! 一箇所修正を落としてしまいまして。それにひっぱっられてしまっているんです。他の登場人物達はその認識で行動してくると思いますので、なんというか……耐えて下さいっ!」
 エミヤからしてみれば何気ない指摘だったはずだが、言葉尻に被さるように全力の謝罪が紫式部からあった。あまりの勢いに思わず硬直してしまったエミヤを見て、笑い転げたのはそれまで発言をひかえていたシェイクスピアだ。
「あー……とりあえずわかりやすいところでエミヤ殿が今いる物語のあらすじをお伝えしてもよろしいですかな?」
「ああ、頼む」
 必死に笑いを堪えているところが気にかかるが、まずは状況を正確に把握しなければ始まらない。
 解決を図る手段として頷いたエミヤが頭を抱えるはめになったのはこの時すでに定められていた。そんなことを知りもしない青年は熱心にシェイクスピアの話に耳を傾け、徐々に表情が苦くなっていく。
 シェイクスピアが読み上げていくのは物語のベースとして書かれたあらすじ。所謂設定部分だ。旅人である踊り子の少女が砂漠で迷い、謎の光に助けられて訪れたオアシスで、披露した舞を認められたことで王から声がかかる。精霊祭という大舞台で踊り子の舞に惹かれて現れた神、またはそれに類するものと対峙する物語。
 結末は書かれておらず、ところどころ場面も飛んでいる。
 そう考えていけば、限りなく自由度が高い穴だらけのシナリオと言い換えてもいいかもしれない。
「ええと……つまりここはマスターの息抜きのために作った所謂恋愛小説の中で? 今の私がマスターの立ち位置にいて? 抜け出すには結末がどうあれエンドマークまで駆け抜けるしかない、と?」
 疑問符付きの声は隠しきれない棘を孕む。
 びくりと肩を揺らしたシェヘラザードに気付いて、慌てて咳払い。
 怒っているわけではないと前置きをしてから、堪えきれずに頭を抱えた。反応が予想通りだとシェイクスピアがほくそ笑むのを彼が目にすることはない。
 もう一つ確認したいことがあるのだと控えめに声を上げたシェヘラザードが口にした内容にはもう驚かなかった。
 確かに、己は旅装だという認識でいたため、装備を確認していなかった。言われて初めて具体的にどうなっているのか確認する必要があると思い直した青年は、風が遮られているのをいいことに、フード付きのマントを捲り上げて首を抜く。
 肩に止まっていた鳥が器用に一瞬飛び立ち、再度肩に着地したが気にしないでおいた。
 足元は砂対策なのか、革と厚手の布で作られた靴。砂の侵入を防ぐためかブーツ状になっており、昼夜どちらの温度にも対応できるようになっているらしい。
 感覚からすれば布部分が靴下の代わりをしている。
 軽く裾を絞ってあるもの、全体的にゆるやかなシルエットの下衣と、腹上までの肌に沿う短めの上衣という恰好は設定が踊り子だからだろうか。
 印象的にはアラビアンスタイルのようである。シェヘラザードやシバの女王ほどの露出はなく、どことなくキャスターのギルガメッシュの装いにも似ているが、それと比較しても露出は控えめ。曲線の刺繍が多いことからぱっと見で女性的な意匠ではあるが、丈の長いマントですっぽり覆い隠してしまえば特に気にはならない。
 しっかりと腕輪や足輪、首飾りなどの装飾品も身につけているがそれよりも。
 さらり。
 フードの中に押し込められていた髪が雑に払ったことによって広がって肌を擽った。
 手の中にはマントと一緒に引っ張られて外れたらしい薄織の髪紐が握られている。かなりの長さがあることから、髪を纏めがてら編み込まれてでもいたのだろうか。
「……式部さん」
「ごめんなさいごめんなさい! それもシナリオの影響ですー!!」
「……ふむ。先ほどシェイクスピア殿が語ったあらすじの踊り子は確かに長髪をリボンで纏めていたな。それが風で飛ばされて……という展開だったか? つまりそれはこの世界においてすでに決められたこと、ということになるな」
「その通りです。なので基本的に記されたことは必ず起こります。これも巴御前様のお言葉ですが、必須いべんと、というものです」
 実に分かりやすい名称である。もっとも、導入だけを記しているため、結末は登場人物の行動次第になっていると説明が続いた。

 (中略)

 自分でやるなどとんでもないと主張した侍女達により再度湯殿で磨かれて。あと寝るだけだからと主張すれば、化粧までとははいかなくともパックから仕上げの香油まで拒否権もなく施され、げっそりとした様子で寝椅子に沈むことになった。
 一度ならず二度までも全て剥かれて余すところなく洗われた精神的ダメージは大きい。
 夜着として着せられたのはループ釦止めになっている前開きの長衣だが、その下にボディチェーンを纏っている状態である。
 寝るだけをどう解釈したのか、彼女達からのあからさまな気遣いを辞する気力もない。
 男が迎えにきた時にも、エミヤは精神的ダメージから立ち直れず寝椅子に懐いていた。
 彼が入ってきた際に同時に人払いをしたのか、いつのまにか傍にいたはずの侍女達の姿はなくなっており、二人きり。
 それは言葉遣いにも現れている。
「なんか随分とやつれてねぇ?」
「……大丈夫だ。他人にやってもらうことに慣れてないだけで」
「ああ。旅生活なら全部自分でやるもんな。おつかれさん」
 さらり、さらり。
 体の下に敷かないようにと寝椅子の背に逃がされ、ゆるく括られた髪が男の指に遊ばれて揺れる。
 戻れるかと問われて頷き身を起こすと、掴まれと腕を差し出された。
「……この移動の仕方はどうにかならないのか?」
「残念ながらならねぇなあ。本来オレだけが入れるっていう設定のところを無理矢理突破するためだからな」
 男の回答を咀嚼すれば、地面に足をつけていてはいけないということに他ならない。
 どこかの魔女や神霊達のように浮けるのならば別だろうが、それでもおそらくは可能な限り密着している必要が生じるだろう。
 つまりあまり意味がない。
 わりと現実的に必要なことだと納得できていまい、即座に諦めた青年はせめてバランスがとりやすいようにと姿勢を正して自ら密着することを選んだ。
「ありがとな。そんじゃいくぜ」
 一度出入りしたことでエミヤの中に部屋への認識が出来上がったからなのか、どんなに曲がっても道行きを疑うことはない。むしろ以前より到着が早くなっている気がするなと考えたところで、同じように思ったらしい男の口から、認識がきちんとできているから次はもう少し短くできるなと声が上がった。
「やはりそういうことが影響するのか?」
「ああ。アンタはこれから行く場所をわかっていて、受け入れてるからな」
 まともに思考できるなら自分の意思では出られない場所に連れて行かれるのを自然体で許容するやつはいない。
 続けれらた言葉はもっともだ。
 理由がどうあれ、閉じ込められるとわかっていて何の感情も動かさない者は、洗脳状態にあるなど、己ではまともに考えられなくなっている状況がまず思い浮かぶ。
 あとは相手への信頼感あたりか。
 改めて、現状に当て嵌めて考えてみると、それなりに長い時間を過ごしてきたカルデアにおいて『クー・フーリンが無理矢理エミヤを己の部屋に連れ込む時は自分でも気付かないまま問題が起きている時だから逆らうな』と学習してしまったが故、となるだろう。
 気付いてしまったことを告げることもできず、エミヤは以前に同じような経験があるからとだけ伝えて苦笑する。
 そうこうしているうちに到着した部屋には、いくつか物が増えていた。
 下ろされた先はソファではなくベッドの端。
 そのまま上がれと身振りで示されて素直に従う。どうやら昨夜ソファで眠ったのはお気に召さなかったらしい。
「今日のところは必要ないだろうが、そっちの箱はアンタの着替えだ。好きに使ってくれ」
「ありがとう。ところで、ひとつ聞いてもいいだろうか」
「おう、なんだ?」
 見張られている以上どうしもうもなく、仕方なくシーツの上に正座をして。
 エミヤは首を傾げた男に向き合った。
「君は精霊祭のために王気を移すのだと言った。あの時ははぐらかされたが、本当は方法もわかっているのではないか?」
「……そうだ。だがそれはオレが強要していいことじゃねぇだろ」
「その方法が予想通りなら、私は何をするのかわかっていて協力すると結論を出した。だからその……構わない」
 手を伸べて。口にするのは遠回しに誘うことば。
 触れ合った指先は色を纏わせて絡み、指の間を擽るようにしながらしっかりと繋がれる。
「……こういう時には名を呼びたかったな。ああ、言わなくていいぞ」
 謁見した時に真名を告げるのを躊躇ったのは、王として行動する男に呼ばれた時に逆らえない気がしたためだが、おそらく今の言動を見るに、合っていたのだろう。
 完全に役に嵌ってしまうのが怖くて、エミヤからも名を聞くことはしなかった。
 こんな状況でも名を聞くことをしないあたり、随分と律儀だと笑う。
「好きに呼んでくれて構わないが」
「いいさ、今のところは。オレを受け入れてくれるんだろう?」
「その返事はさっきしたよ。独りで国を……重要事項を背負う王様は獲物を待たせるのがお好みかね?」
 繋いだ手を引いて。共にベッドへと倒れ込んだ。咄嗟に身を捻った男は器用にエミヤを囲うように手を付き、体重をかけるのを阻止する。
 至近で見つめ合った二人は、同意の合図だとでもいうように軽く唇を触れ合わせた。
 戯れともとれる、啄むように繰り返される口付けはすぐに深くなり、唾液を溢れさせながら舌を絡ませる。
 お互いの口蓋を舐り、舌先を吸い上げ、軽く歯を立てて表面を刮ぐ。
 唇を合わせながらも男の手が衣服の留め具に伸びた。
 ループを引っ掛けるタイプの釦は外しにくいだろうに、器用に片手で寛げていくのはさすがだと思う。
 ちゃりり。
 男の爪が服の下の鎖に当たって音を立てたことで己の格好を思い出したエミヤはびくりと身を震わせた。同じように驚いたような顔をした男のほうも一度離れて、半端に乱され、開かれたエミヤの襟元を改めて辿る。
 濃色の肌に這う金がランプの明かりを反射して存在を主張した。
 細い鎖が二連になって首元から胸の上を通り、脇から背に回って再び首元へと繋がっている。それとは別に腹と背の中心にそれぞれ垂れた鎖が腰に回っているものと繋がり、臍の上あたりを頂点して腰骨に絡むように回り込んでいた。
「これはアンタの好み?」
「そんなわけあるか! いや、止めなかったのだから強くは言えないが」
「ああ、つまり止められなかったわけか。今日の担当者はあとで褒めておくかね」
 自分のために用意されたのなら堪能してもいいだろう。
 笑いながら釦を全て外され、シーツの上に広げられた絹の夜着はもはや肌を覆うことはなく、淡い光沢が濃色の肌を引き立てるようにしながら広がっている。
 エミヤが身につけているのは細い鎖と、腰の横で細紐を結んだ下着だけだ。
 明らかに男の体だというのに、侍女達同様なにも気にしていない様子の男はひとつひとつ鎖を辿り、時にそれと肌の間に指先を潜り込ませるようにしながら刺激して。堪えきれないエミヤがひくりと反応を示すのを楽しんだ。
 肌に触れていく手が普段よりもずっと丁寧な気がするのは閨の相手が少女だと認識しているが故か、それとも。
「イイ反応だな。鎖も似合ってるし、すげーそそるわ。もっと見せてくれよ」
「よく、ない。そもそも似合ってると言われても……ッ!」
 抗議だったはずのものは、揺らされる鎖に沿うように舌先で胸元を辿られれば簡単に封じられてしまう。
 肌に残されていく唾液は魔力を含んで熱く、やわと揉まれただけで期待したらしい胸の頂はふくりと存在を主張して、男の手が鎖を遊ぶ度にちりちりと当たる刺激に反応してひらいていった。
「……ぁ、それ……は」
「ココ、勃ってきてんな。気持ちいいか?」
 ぬろと舐られて濡らされる。じんと痺れるような熱が触れて唇を噛んだ。
 片方は舌と歯、もう片方は鎖ごと摘むように指先で挟まれ捏ねられて悲鳴が上がる。
「ひ、ぅ、ッあ……ア!」
 位置を変え、唾液を擦りつけることで滑りをよくしながら弾くように遊ぶ。
 胸だけでなく腹のあたりまでびしゃびしゃになるほど垂らして濡らされれば、舌の熱さと鎖の冷たさとの対比が強い刺激になった。十分に感度を上げて熟れさせた後で赤くふくれた先端を強く吸われ、腰を跳ねさせる。
 ぎちりと張った鎖が肌に食い込んで未知の刺激を齎す。それが呼び水となってさらに体を震わせていれば、ゆるく抱き寄せられた。
 宥めるように頸やこめかみ、耳朶に軽く唇が触れる。
 吐息が熱い。
 掠れた声で下も直接触りたいと吹き込まれれば、それだけで体温が上がった。