無意識の智

 サーヴァントとしての霊基に多少慣れたのなら次は複数対複数での戦いだ、と。
 己の師匠から指示を受けた少年は、彼らと組んでもらうと紹介された顔ぶれを前に、礼儀正しくセタンタだと名乗り、よろしくお願いしますと挨拶した。
 戦闘開始の時間まであとは勝手にやれとスカサハが退室し、さほど広くもない部屋には男三人だけが残る。
「ええと、あれだよな。師匠が修行の依頼をした……」
「エミヤという。こちらはレオニダス殿だ」
 確かに一度個人戦で刃を交えたことのある二人である。その辺りにもスカサハの意図が見え隠れしていた。
 無言の裏にあるのは『一度戦ったのだから手の内はある程度わかるだろう、うまく合わせて行動しろ』だ。
「うむ。礼儀正しいのはいいが、堅苦しいのは挨拶だけで十分。以後は戦場での呼吸に合わせた言葉で会話をしてくれ」
 まだ馴染み切っていないだろうと笑った男達に対し、少年は隠すこともなく頷いた。ここで誤魔化す意味も利益もない。
 サーヴァントとして現界し、実体化した際には、肉体を動かすためのエネルギーの起点が変わっている。ある程度までは支障などないが、死力を尽くすような限界ギリギリの状況によってはその感覚の微妙なズレが命取りになることもあった。
 ましてやカルデアでの召喚は特殊で、能力をほぼ封じられての現界になる。
 魔力リソースの配分により強化及び再臨という形で力を取り戻せるとはいえ、勝手に調整された感覚を調整し直す必要はあった。
 説明しようとすれば長々としているが、ようは適宜手合わせでもして自分で勝手に修正しろということに他ならない。
「私達はスカサハ殿の頼みで協力している。最終的な目的は君の霊基の調整だ」
 あくまで主体はセタンタにあるため、次の戦闘でも全面的に戦術は任せると続けるエミヤにレオニダスも頷く。
「つまりお手並み拝見、ってこと?」
「そう取ってもらって構わないさ。得手不得手の説明から必要かね?」
「必要ねぇよ。そもそもオレは指示するってガラじゃあない。だから、アンタらも好きに動いてくれていい」
 自分の方が合わせると続けた少年に、顔を見合わせた男達は苦笑を落とした。
 この流れもスカサハの予想のうちなのだろう。
「そうだ。頼みたいことがひとつあったわ……師匠以外の相手を知っているなら教えて欲しい。大雑把で構わない」
「いいだろう」
「ついでだ。ここの設備にも少し慣れるといい。これを」
 男二人は目配せし頷き合った。
 説明役をレオニダス、機械サポートをエミヤが担うことがその一瞬で決まる。
 エミヤからセタンタに差し出されたのはタブレット端末だ。軽い操作説明とともに弓兵の指が画面を滑り、目的のデータを呼び出す。
「今回の戦闘は三対三のチーム戦だ。相手全員を戦闘不能に追い込めなかった場合はポイントで勝負が決定される」
 スカサハは言うまでもないだろうが、残りの二騎も一度戦ったことがある面々だと筋肉を震わせた男はエミヤに視線を送った。心得ている彼は画面を分割して次に備える。
「赤雷を纏う叛逆の騎士、セイバーのモードレッド。それからキャスターのロード・エルメロイⅡ世……こちらは擬似サーヴァントだ。真名は諸葛孔明となるのだが、表面的な主導権が依代の人間側にあるのでそちらの名で呼ばれていることが多い」
 レオニダスの説明に合わせて画面に現れた姿を目にしたセタンタはこいつはわかりやすいなと笑んでから、二人とも見覚えがあると告げた。
「このツンツン頭のほう、魔力上乗せでめちゃくちゃに突っ込んできたやつだろ。もう一人はあれか。遠距離からちまちま攻撃してきたやつか……」
 実践一辺倒の剣技は嫌いじゃないという彼の評価を彼女が聞いたらどう思うだろうか。
 表情からしてエルメロイⅡ世の方には苦手意識があるようだからモードレッドとやりあうのだろうかと画面の説明を添えながらエミヤは予想する。
 少し考え込んだ後で視線を上げた少年は、レオニダスに対してスカサハを、エミヤに対してモードレッドを押し留めて欲しいと依頼した。
「理由を尋ねてもよろしいか」
「簡単だ。この中で一番速いのはオレだろ。だったら突っ込むのはオレの役目だ」
 速さを活かすのなら一番奥に引っ込んでいる奴を狙うべきだと続ける少年に男二人は顔を見合わせて苦笑する。
「Ⅱ世殿は軍師でもある。おそらく作戦は予想されていると思うが?」
「ならその上の速度で突っ込むまでだ。あー……でも師匠に他のメンツを無視して立ち回られると問題だな」
 一見猪突猛進に見えて至極冷静。そんなところが、クー・フーリンであることの所以なのだろう。それは真名として口にする名が違っても変わらない。
 顔を見合わせたまま少年の出方を窺っていた男達はくつりと笑った。
 先に口を開いたのはレオニダス、続いたのはエミヤ。
「そちらは私がなんとでもしましょう。そのための心得もありますゆえ」
「可能な限りサポートしよう。躊躇せず走りたまえ」
 一瞬きょとんとした表情を見せたものの、すぐに表情を崩したセタンタはにかりと笑って拳を握る。
「おう。任せたぜ!」
 こつり。
 応えて拳の先を合わせた三人は時間だとバトルフィールドとして設定された場所へと移動した。ごうと舞う風が熱で肌を炙る。
 燃え上がる街並みが闇を照らす場所だ。夜である分視界が悪いが、逆に考えればそこが利点にもなり得る。今回の作戦ではあまり関係がないが、分析は必要なことだ。
「それじゃあ……くらいつくぜ!」
 セタンタは開始と同時に最短距離でダッシュ。
 同時にモードレッドも全速力で距離を詰めてくる。
 剣を引き寄せて接敵した瞬間にやる気満々のモードレッドと、走ることだけに集中しているセタンタが対照的。
 やる気あるのかという挑発にも動じない少年の瞳はしっかりと標的を捉えていた。
 彼らが交差しようとした瞬間、少年を追い抜くように矢が飛んだ。
 逃げ場を奪う二連射。
「チッ……!」
 一本だけなら少し軸をずらすだけで躱せようが、体を逃した先を塞ぐように次の矢が飛来する。結果、モードレッドの剣は少年ではなく矢の方を捉え、叩き落とすという判断をせざるを得なかった。
 当然のように横をすり抜けたセタンタはさらに加速してⅡ世との距離を詰める。
「させぬぞ」
「お任せを!」
 スカサハの割り込みに対して響いたのはレオニダスの雄叫び。同時に発せられる強烈な戦意を無視できず、スカサハ、Ⅱ世、さらにはモードレットの注意が逸れる。
 ほんの一秒。長くて二秒弱のことだが、それで十分であった。
「せいっ!」
「捉えた!!」
 少年の突きと弓兵の射撃が同時。
 手数勝負に出た二人だ。足を止めることなく連撃を叩き込みながらⅡ世をじりじりと後退させていくセタンタと、派手に矢をばら撒いてモードレットに叩き落とさせることでその場に釘付けにするエミヤの選択はどこか似ている。
「この展開も予想通りなのでは?」
「さて、なんのことだか」
「私とエミヤ殿を彼に付けたのは貴方だろうに」
 ふふ、と。朱槍を翻しながら女は笑う。レオニダスとスカサハはどこか世間話のような気安さで会話をしながら槍と盾を合わせていた。
 あくまで少年の鍛錬なのだという姿勢を崩さない女戦士は、自分が推した男二人が粛々とサポートに徹している時点で作戦が誰の発案なのかを理解している。
 気紛れのようでいて的確に足を止めるために飛来する弓兵の矢を弾き、身を翻しての薙ぎ払いは、背後から回り込んできていた少年の髪先を掠めた。
「ほう……キャスターを押し切ったか。しかし、セタンタ。こちらにきてよかったのか?」
「アイツのことなら心配ねぇさ。それより知らないうちにこっちが落とされて奇襲受ける方が問題だ、ろ!」
 モードレッド以上にスカサハの突破力を警戒している少年はレオニダスと二人がかりで攻撃の手を休めない。
 最初から集中攻撃が卑怯などと言う者はおらず、二対一の状況だというのにスカサハには余裕がある。いや、むしろ本気の殺気を撒き散らす少年の相手を楽しんでさえいるようにさえ見えた。
 会ってすぐだというのに随分とあの弓兵を信頼しているのだなと笑う彼女に返されたのは知っているからという一言。
 面識はない。今の自分の話でもない。だた、クー・フーリンの修行時代の可能性というものが形になった霊基は、他の分霊が結んだ縁を知っていた。ただそれだけの話。
 なるほど。呟いて口端を引き上げたスカサハが予備動作もなしに身を折る。少年も急いで武器を引き戻すが、彼女が狙いを付ける方が早い。
「頃合か」
 魔力が奔る。現れる二本目の槍は宝具開放の予備動作。
「しまっ……」

(中略)

 人気のない廊下にはゆっくりと歩む足音が並んで二つ。そこに小さくちゃりちゃりとした音が重なる。
「何の音だ?」
「あー、そうか。オレが腹減るってことはアイツも腹減るよな。忘れてた」
 唐突に立ち止まって。こっちだと口にした少年目掛けて次第に音が近付いてくる。
 どこか闘気すら感じる気配は、弾丸と思わんばかりの勢いでコーナーをものともせずに最短距離で駆け抜け、勢いのまま少年の腕に飛び込んできた。
 遠心力を利用して勢いを殺し、危うげなくそれを受け止めた少年は、スキンシップだとばかりにやたらと毛並みを撫で始める。
 弾丸かと思われたのは白い毛玉であった。
「子犬?」
「おう。オレと一緒にというか一部として召喚されたみたいなんだが、さすがに師匠との鍛錬に連れてくわけにもいかねぇから留守番させてたんだ。あーもう、悪かったって」
 ぐりぐりぐりぐりぐり。頭突きにも見える動きに笑いながらひとしきり撫でると、落ち着いた子犬がふすんと鼻を鳴らす。
「なぁ、エミヤ。食堂ってコイツに食わせられるようなモンもあるか?」
「あいにく犬用の食事は用意していない。が……まあ、そうだな。多少手を加えれば大丈夫だろうというものは思いつく」
「お、やったな! ホネっこばっかりじゃ腹も膨れねぇもんな」
 厳密に言えばその骨とて魔力リソースでできているのだから食事としても問題無いはずなのだがそこはそれ、気分の問題である。
「さて、あまり期待されても困るのだが」
「大丈夫だろ。アンタが作るなら絶対美味いよ」
 子犬を抱え上げてにこにこと笑う少年に、その自信はどこからと告げようとして青年は口を噤んだ。記憶はないが知っていると聞いたばかりだ。無根拠で大丈夫だと言っているのではないとわかるだけに、頼られるのは少し面映い。
「あ、エミヤ君。お帰り!」
 食堂の扉を潜り、声をかけてきたブーディカに応えながらエプロンに手を伸ばす。
「セタンタ。その子と一緒にちょっと待っててくれ。すぐに戻る」
「おう。楽しみにしてるぜ。な!」
 わふん。
「うんうん、元気がいいのはいいことだ。キミにもその子にもお水が必要かな?」
「オレは自分で汲めばいいからいいけど……広めの器とかある?」
 セタンタの視線は横に置かれたピッチャーの水に吸い寄せられる。
 各自好きに飲めるようにと何も入っていないごく普通のものからフレーバーウォーターまでいくつかの種類が並べて置いてあるが、さすがに人間と違い、犬の身ではコップから飲むのは無理だろう。
 お伺いを立てれば、もちろんと応えがあった。
「ちょっと重いから気をつけて。量はキミが調整してあげてね」
「ありがとう、おねえさん」
「うーん、かわいいっ! 弟みたい!!」
 手渡されたのは陶器製の、口が広めで薄青のグラデーションが美しいボウルだ。
 受け取ってにっこりと笑い、お礼を言ったセタンタは確かに可愛らしく、正面から光の御子スマイルの直撃を受けたブーディカが身悶える。
 そして当の本人はちとやりすぎたかと頭を掻きながら預かった器に水を流し入れ、邪魔にならなそうな部屋の端に寄った。
「とりあえず水な。メシはちょっと待ってろよ」
 後で器をもらえないか交渉しようと心に決め、子犬の傍に座り込む。よほど喉が渇いていたのか、勢いよく口をつけた様子を観察するのは癖のようなものだ。
「こんな端で……ああ、そうか。その子がいるならそうなるか」
「呼んでくれれば取りに行ったのに。悪いな」
「気にすることはないさ。君の分は一番近くのテーブルに置かせてもらうぞ」
 宣言通りセタンタ用の食事を載せていたトレイをテーブルに置き、子犬の分を持ち直して少年に近付く。器は先にブーディカから受け取ったものと対になるような薄紅色。それを受け取るでもなくじっと見つめた少年が顔を上げる。
 瞳は真剣そのものだが、どこか言葉を選んでいるのが見て取れた。
「なあ、エミヤ。疑問なんだが、マスターのレイシフトに同行するならさっきみたいにここを留守にすることもあるよな?」
「まあ……そうだな。我々は基本的にはここを一時的な座として存在し、戦闘中の一時召喚でマスターの戦力になるが、本体のレイシフトが有り得ないというわけでもない」
 素材の獲得や、先程のように戦力強化のための手合わせというのがそれにあたる。
 今のところは短期間であることが多いが、戦闘は日々激化しつつあった。今後も同じだと言い切るのは危険だろう。
「オレ考えたんだけど、オレが不在の時にコイツにメシをやってくれる人を何人か作っておきたいかもって思うんだ。食べなくても支障はないかもしれないけど……」
 番犬なだけに警戒心強いし、いきなりは無理だから少しずつな。
 水を飲み終わって一息吐いたらしい子犬は食事を催促するでもなくその場に座って待っている。首を捻ったエミヤに対し、こいつを一緒に置いてくれと告げた少年に引き摺られるまま、かがみ込んで器を床に置いた。
 今後食事を与えるのは自分と隣の男だと少年が子犬に語りかけたところで理解する。
「もしかしなくてもそういうことか」
「わかってなかったのかよ。だけどさ、厨房に顔もきくアンタなら適任だと思うんだ」
 改めて頼めないかと続けて、青年を見上げる少年の様子は光の御子のオーラ全開であるため非常に眩しい。
 うぐ、と。言葉に詰まったエミヤはうろと視線を彷徨わせた後に子犬を見遣る。こちらからも熱烈な視線を向けられればもう逃げ場はない。
「……仕方ない。確かに全てが管理されたカルデアでは獲物を狩るような真似もできないだろう。となれば、勝手に食事ができるわけでもないのは自明だ。請け負おう」
 仕方がないと口に出してはいても僅かに緩んだ口元は隠せておらず、子犬の見る瞳にも優しさが滲む。直後に御子オーラ全開の笑顔で礼を言われれば尚更だ。
 子犬が食べる様子をしばらく観察して問題がないことを確かめると、立ち上がった少年は自分の食事のために置かれていたトレイの前に座った。