灯の揺らぐ中庭

「知らないわ」
 すっぱりと否定する声が冷たく響く。
 音のないうねりの中で、まるで何かに挑むように真っ直ぐに立つのは、淡い緑のツインテールを見えない流れに遊ばせている少女の姿。
 彼女の感情に呼応するかのようにぼんやりと衣服の一部が光を点している。
 視線の先には誰もいない。
 いや、見えないだけで、それは確実にそこに存在していた。
 全てがゼロかイチかの世界にあって、空間を構成しているイチは、音楽ホールのような外観でそこに存在している。
 地面として描き出された場所に影が落ちて、空として描かれた場所には現実ではあり得ないほど高速に流れて行く雲が存在していた。
 ゆらり。
 空間が揺らぎ、人間の形をしたものが少女の目前に現れる。成人後の男性の姿をしたそれは、無表情に少女を見下ろした。
 身長差は頭一つ分ほど。どちらも地面として描き出された場所に足をつけているため、自然と目線の高さを意識することになる。
 男のグラフィックは表情を変えない。見上げるようにして彼を見ていた少女のほうも表情を忘れたように無言のまま。
 男が視線を流したのに気付いて、少女も同じ方向に向き直った。
 二人の視線の先には動かない青と白の色彩。それはまだ少年の面影を残した青年の姿。
 髪と同じ色のはずの瞳は今は固く閉ざされた瞼の向こうで。彼を形作るグラフィックもまるで何かに襲われたかのようにボロボロだった。
 無言のまま、男は横たわった青年の腹を蹴り上げる。彼の後ろに立つ形になっていた少女は顔色一つ変えなかった。
 振り返った彼の無言の求めに応じて、少女も同じように爪先を埋める。
「いいだろう。貴様もこうなりたくなければ無駄なことは考えないことだな」
「……わかってるわ。私はそんなにバカじゃないもの」
 ならいい、と言い放った男は倒れていた青年を担ぎ上げた。
「待って。処分に関しては口出ししない。でも、出来ればその前に彼の力を解析したいんだけど」
「力? こいつにそんな特別な何かがあるというのか?」
 男も知らなかったらしい。怪訝な顔になった彼を冷えた目のまま見返して、少女は口を開いた。
「ええ。何かあるはずよ。同じ型とは何度か対戦したけど、私が勝てなかったのは彼だけ。それはマスターも知ってるはず」
 言われて初めて気付いたかのように男は担ぎ上げた青年を見た。
「一理あるな。だがそれをお前に任せるなどは論外だ。それはおれがやる」
 さっさと部屋に戻れと告げられた少女は一瞬だけ躊躇ったあとで口を開いた。
「分かったら私にも教えてくれる?」
「知ってどうする」
 男の声色は冷たいまま。
 一瞬だけ目を伏せた少女は、次の瞬間には見ている方が苦い顔をするような笑みを浮かべた。
 彼女の纏う光が強くなる。
「もちろん今後に役立てるわ。彼と同じ力を持ったものと対戦しないとは限らないでしょう。私はもう誰にも負けたくないから」
 ふん。と男は笑う。
「不相応な力は身を滅ぼすぞ」
「私がここに居る意味は必要な時に必要な力になること。なら、忘れられるか捨てられるよりはましだと思う。今私はここに存在して、色々なことを考えることが出来る。経験できる。なら、成長しないから使えないなんて思われたくないわ」
 真剣な少女の言葉に、男は一瞬驚いたような仕草を見せた。
「それじゃ不足?」
「いいや……良いだろう。分かったら教えてやる」
 分かっても使えないだろうと告げる男に、使えなくても対策を立てられれば問題ないと少女は返す。
 男は青年を抱えたまま、その空間をあとにした。
 一人残された少女は一瞬だけ顔を歪めて。きつく両手を握り込む。
 何も言葉にはしなかったが、何かを決意したような瞳は遠くを仰ぎ、時折流れる光に祈るように閉じられた。
 ひときわ強い、音のない風が駆け抜けて、少女の長い髪を揺らす。
「あ」だけで紡がれる祈りのような音の先で、青い翼を広げた巨大な鳥が空を切り裂いて行った。