Record:001

女マスター単発もの詰め合わせ再録集です。本8冊、無配11本、書き下ろし1本。
サンプルは書き下ろし部分です。

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 くすくす、くすくす。
 あちこちで上がるのは葉擦れのような細やかな笑い声。
 一年で一番短い夜がくる。それは漂白されていても例外ではないが、緑の残る場所が貴重なのは確かで、そこに集中してしまうのは仕方のないことなのだろう。
 ぽう、と。一帯が光を放った。
 太陽の力が強まるためだとも、こちらに遊びに来た妖精達が力を貸すからだとも言われるが、この日の前後に摘まれた薬草は効果を増すという。
 かつて、南極大陸に隠されるように存在したカルデア。彷徨海の表層、エントランス付近を間借りする形作られたノウム・カルデアを経て、現在の拠点となっているのは次元境界穿孔艦ストーム・ボーダーである。
 元々は船長ネモの宝具であるノーチラスだが、虚数潜航艇シャドウ・ボーダーをコアとして格納し、ノーチラスを竜骨としながらも適宜現実のパーツに置き換えられ、完全なる幻想であることを捨てたかわりに空を征くことすら可能になったもの。
 船であることで限界はあるが、かつての拠点同様にマスターをはじめ生き残った者達が人らしく生活できることを最低限の基準として少しずつ拡張、調整されている。
 再召喚されたサーヴァント達の協力もあり、畑や図書館などが魔術的に拡張された空間に整備され、気晴らしができる場所は増えた。
 日の差さない部屋に篭りきりなのは肉体以上に精神の健康によろしくない。かつてのカルデアでドクターが伝えたことはここでも生きており、畑の隣には小さくはあるが温室も作られた。
 人工的だらけの場所にあって、緑は目に優しく、人の癒しとなる。もちろん、実益を兼ねているため中では色々なハーブや花を育てており、日々の食卓に、殺風景な部屋の彩りにと貢献もしていた。
 もちろん、デッキや外周路に足を向ければ日の光を感じることができることも大きいだろう。白紙化された地球では明媚な景色など望めず、季節の移り変わりを感じる要素は薄いが、船内において皆無というわけでもない。
 廊下を一組の男女が歩いていた。片方は濃色の肌と白髪を持ち黒と赤を纏った青年。片方は見た目は少女のような年齢ながら、金の髪と青の衣の対比が目に鮮やかで姿勢も美しい、凛とした雰囲気の女性だ。
「マスターの帰還準備は少し遅れているようですね。先程マシュに聞いた限りだと明日になりそうだと」
「そうか。わざわざ伝えてくれて感謝する。ならば頼まれていたものを用意するのは今晩よりは明日の夕食時の方が良いかな」
「ええ。それがよいかと。サーヴァントといえどこればかりは我々にどうにかできるものでもありませんし」
 穏やかな会話は男女の甘いそれではなく、ただ主を心配するもの。せっかく時間ができたのなら下準備用のフレッシュハーブを取りに行くという青年に対し、この後いくつか通信では伝わらない面々に伝えに行くと言う女性は穏やかに笑って曲がり角で別れた。
 艦内の通信手段がないわけではないのだが、忙しかったり不慣れだったりする場合結局口頭が一番早い。
 夏に向かう季節は日暮れが遅く意識しないと夕食が遅くなってしまうが、食堂はそろそろピークの頃合いだろう。
 マスターが戻らないとわかったのならその分を残しておく必要もなく、戦場になっているはずの食堂に通信を取れと強要するのは酷というものだ。
 今日はあえて当番から外れてマスターからの帰還のご褒美という頼まれものを用意する係だった青年は、宣言通り温室に向かう。
 投影した籠を手に、入り口で一瞬足を止めた。随分と緑が濃い気がするとあたりを見回す。
 普段畑の世話をしているクー・フーリンや妖精に縁深いフィン・マックール。または純粋に魔術師としての力の強いメディアや野生の勘を発揮するタマモキャットあたりならこの時点で気付いたかもしれない。だが、多少緑の気配が濃い程度で見た目に変わったところはなく、むしろ生き生きとして見える草花に惹かれた青年はそのまま足を踏み入れた。
 くすくす。誰かが笑う。
 日は暮れた。夜は人以外の者達の時間だ。
 特に今日は。
 そんなことは知らず青年は奥へと歩を進め、目的のハーブを手にとった。
 ローズマリー、ディル、オレガノ、ミント。いずれも定番のハーブで、世話をしている者の恩恵か育ちもいいためちょくちょく収穫しては利用させてもらっている。
 普段ならば必要量を伝えておいて厨房まで持ってきてもらうため自分で採りにくることは少ないが、自由に収穫していいと許しも得ているため、行動に問題はない。
 籠の中を確認し、量は十分と判断したところで立ち上がると、大きく伸びをして、しゃがんでいた時に固まってしまった筋肉をほぐしてやる。
 猶予が一日ほどあるならフレーバーウォーターも作ろうか。そんなことを考えながら籠を持ち上げた時であった。
 ちかり。
 眼前で光が瞬く。
 少し先の景色が霧の中にけぶっていた。
 反射的に警戒体勢をとり、慎重にあたりを見回す。
 近くの景色は入ってきた時のまま変わらないが、違和感が頭の隅で警告を発している感覚に警戒度を引き上げた。
 ゆっくりと呼吸をして足を踏み出し、視線はふらふらしないように前方へ。
 足元は土。すぐ傍に石を埋め込んだ通路があったはずだが見当たらない。
 少々まずい事態になったかもしれないと思うが表情には出さず歩を進める。どんなことが起こっても興味を持った仕草をすることなくただ淡々と前にだけ進むが、どうにも道に戻る気配はなかった。助けを呼ぼうにも、温室に置いてある通信機は入り口横の一箇所のみ。
 温室に向かったことを知っているのは先ほど廊下で別れたセイバークラスのアルトリアのみで、仮に彼女が厨房で誰かに伝えたとしても、休みのはずの赤の弓兵が戻っていないことに気付くものがいるかどうか。
 霊体化も一瞬考えたが相手が霊的なものであった場合自ら裸になるに等しい。
 時間が惜しいとは思うが体力的には問題ない。問題なのはこの身の対魔力のほうである。可能であるのならばこのまま朝まで耐えるというのが最良だろう。
 温室を捻じ曲げた空間に閉じ込められたこと、そして原因もなんとなく予想がつく。
 声は出さないまま、迂闊だったと苦笑を落とした。
 明日が夏至だと思い出したのはたった今。否、決して忘れていたわけではないのだが、いつから今日かという認識を忘れていたという方が正しい。
 性別があるかどうかは知らないが、彼ら彼女らの中では日が暮れた今からが夏至なのだ。
 耳元の笑い声。うっすらと髪の毛が引っ張られる感覚。前へ進めているはずの足が重い。
 このままだと捕まるのは時間の問題だろうかと考え込んだところでわふんと元気な声が響いた。
 一瞬だけ体が軽くなり、空いていた片腕で落ちてきた白い毛玉を抱き止める。
「君は……」
 流石に真名はまずいと判断するだけの冷静さはあった。
 慌てて続けようとした名を飲み込んで、代わりに前足に付けられてる腕輪を確認する。
 微かなルーンの気配。セタンタがいつも連れている子犬に間違いない。
 きゅうん。幻ではないと告げるように鳴いた彼には、いつものものと別の腕輪が括り付けられているのが見て取れた。しっかりと止められているように見えたが、括り付けられている紐は解きやすい方のもやい結びになっている上にその紐自体にも覚えがある。
「君の主人の腕輪と歳若い方の髪紐か」
「当たりだ。それと追加の届け物だぜ」
 どすん。
 青年の頭に着地するように落ちてきたものは勢いのわりに柔らかい。お手柄だチビ犬、と。ぶっきらぼうに褒める声音にも覚えがあった。
「詳しい話は後回しだ。そのまま前を向いてろ。テメェの体、ちと借りるぜ」
 疑問も回答も。声になる前に視界を何かがしゃらりとよぎった。月をモチーフにした護符のペンダントはおそらくランサーのクー・フーリンのもの。
 肩を覆った布は狂王のマント。
 手の中にあった腕輪はいつの間にか腕に嵌められ、髪紐も同じように腕に結ばれている。仕上げとばかりに指に滑り込んだのはキャスターの指輪だろう。
 あまりにもあからさまにクー・フーリンのものを身につけさせられた青年は困惑を隠さない。
「チッ、虫除け程度にしかならねぇな。仕方ねぇ」
 腕の中にいた子犬に対し伝令だと告げれば、わんと元気よく鳴いて飛び出していく。受け止めろと告げ、頭の上から元々子犬がいた場所へ滑り込んだミニクーちゃんは、マントの端を掴む形で青年の腕の中におさまった。
「うわ……ッ! あの子は大丈夫なのか?」
「心配すんな。ここまでも無事に来ただろ。この中では下手な通信ができねぇからな。物理的な伝達手段に頼るしかねぇんだよ」
 この状態ならあたりを見回すのも歩くのを止めるのも大丈夫だと告げられた青年は、誘導されるまま移動し、石のベンチに腰掛ける。
 記憶によれば、このベンチは温室のほぼ真ん中、休憩所として使えるようにと整備された場所にあったはずだ。
 見渡しても周囲の景色は様変わりしており、現在地など当てにならないことを嫌と言うほど知らしめている。
 そこここで銀や金の光が踊り、弾け、その先は霧に覆われて魔術的に視力を強化したところで見通すことなどできはしない。
 見えたところでどうにもできないということだ。
 座ったことで抱えなくてもよくなったミニクーちゃんはマントの合わせに隠れるようにしながらも尾を伸ばしてバランスをとり、青年を見上げた。
「どうもこの場所に通常のサーヴァントは入ってこれないらしくてな。オレは説明役だ。犬どもじゃおまえさんを見つけることや案内役はできても細かい事情を伝えられねぇからな」
「小さい彼が来たということは、もしかしてキャスターのわんこさん達も来ているのか?」
「ああ、アイツらなら主人と一緒にここの空間そのものをどうにかする方に回ってるぜ」
 薄々感じていたと思うが今この温室は別のテクスチャが重なって異空間になってる。
 続けられたミニクーちゃんの説明に、やはりと思う。
 夏至の日に近付く妖精達と人間達の世界。滅多にないことではあるが、今回はうっかり扉が開いて繋がってしまったのだろう。
「……それは隣人達の、と考えていいのかな?」
「理解が早くて助かるぜ。最初に感知したのはフィオナ騎士団の長、あと緑のアーチャー」
「彼が? いや、そうか。彼も森の隠者の系譜を帯びているなら不思議ではないか」
 緑のアーチャーと呼称されるのはこのカルデアではロビンフッドだ。彼もつくづく損な役回りを押し付けられる男である。あまり人のことは言えないが。
 サーヴァントが入れない場所に犬達が入れるのはおそらく存在を妖精に擬態したからだろう。
 犬の妖精は元々がケルト圏、スコットランドの伝承であるため納得しやすい。
「そういえば説明役ということだが、君はどうやって入ってきたんだ?」
「正体なら今からわかるぜ。この外見はガワだけを借りている。手足が自由に動かせて喋れないと困るからな」
 真名は伏せられたが、ミニクーちゃんの姿をしているだけであってミニクーちゃんではないと告げて、説明の続きをしてもいいかと問う。話の腰を折ってすまなかったと返した青年に頷いて、この後のことを語り出した。
 異変に気付いたフィンとロビンフッドがそれぞれ温室入り口の封鎖と応援要請に食堂に駆け込んだのがほぼ同時。
 夕食時でもあったため、人が多い場所を求めるのであれば理にかなっている。伝言に来ていたアルトリアからエミヤが温室に向かったと声が上がったため、外はちょっとした騒ぎになったらしい。
 結局、基盤の違いすぎるエジプトやギリシャ、日本などのサーヴァントは一歩引いて、比較的近しいブリテンおよびケルトの面々が対処することとなった。
「……迷惑をかけてすまない」
「誰も予想しなかったことだ。謝る必要はねぇよ」
 この後、荒療治になるが外に出せるようにすること、おそらく大きい方の犬達が迎えに来ることを告げてから軽い動作でマントを抜け出す。
「……ッ!」
 名を呼ぶことは、辛うじて思い留まった。
「イイ子だ、弓兵。ガワだけだからそんなに気にする必要はねぇが、万が一があると面倒だからな」