reproduce

「様子がおかしい」
石段を駆け上りながら無意識に零れた声はかたく、緊張と警戒が滲んでいる。
並走する影は二つ。赤の礼装に身を包んだ濃色の肌と鋼の瞳を持つ青年と、生き物の血管めいた赤の筋が絡む黒い骨格の鎧を纏う焔色の瞳の男。
「山の結界が……弱い?」
「ああ。そもそもこの地の霊脈が弱いな」
違和感を言葉にするならそういうことになるだろう。
応える男のほうも僅かに首を傾げて通り過ぎる木々に視線を流す。知っているはずの街との差は、はたして再演だからか、それとも別の要因か。
少なくとも今は、普段ならサーヴァントの力を大幅に削ぎ、場合によっては現界に支障をきたすこともあるはずの結界がほとんど機能していないことだけはわかった。
馬鹿正直に正面から入らずとも問題がなかったのだろうが、ここまでくれば今更で、わざわざ脇道に逸れずに正門から突入したほうが早い。
「やることは変わらねぇがな」
「同感だ。これは、裏手の池あたりか」
強く、そして既視感のある魔力反応。本堂の裏と表ほど離れていてなお強烈に感じるそれだけで、一番そこにいて欲しくなかった人物だとわかる。
回り込むか乗り越えるか。一瞬悩んだところで向こう側から闇色の光が天に伸びた。中空にかかった真円の月に喰らいつくような、漆黒の光。
「狂王、私の後ろへ!」
その威力を知っているが故に。瞬間的にその場で対処する決断を下して詠唱に入る。
かなり無茶な自覚はあったが、かといってこのまま消えてやるつもりなど毛頭なかった。
伸ばした右腕の先に収束する魔力が堅牢な盾を形作る。
七枚の花弁が開いた瞬間、黒色の嵐が激突した。
「ぐっ……ッ」
最外殻の二枚が同時に砕け散る。歯を食いしばって魔力を注ぎ込むも、更に二枚。
かしゃんかしゃんと割れる音は実際のものではなく、見た目からの幻聴なのだが、まるで薄っぺらいガラス細工のようだ。
普段よりも注げる魔力が限られており、己が持つ盾も脆い自覚はあった。おそらく相手もそのはずなのだが、これが地力の差かと思わず苦笑が零れる。
それ以前に、自分達と同じ影に押し込められた立場であるはずの彼女が宝具解放が可能な理由は、柳洞寺という土地故か。いくら弱まっていると言っても、この土地でこれ以上の霊地は存在しない。
光が放たれたらしい正面の方角には、今にも消えそうなほどノイズが走り、傷だらけの姿であっても周囲を圧倒するほどの存在感を示す白亜の城の姿がある。それだけでマスターの少年は無事だと確信できた。
彼女が受け止めているものに比べれば、こちらに届いたものは威力の端の端もいいところだろう。
「さすがにここで消滅するようならあちこちからクレームがくるか」
「だろうな」
軽口を叩けるならまだ大丈夫だと背後で男が笑う。
「それは本来影でしかないこの身がどれだけ保つか次第だがね」
「足りねぇか」
「おそらくギリギリだな。だがまあ、保たせてみせよう」
肩を竦められない代わりにちらりと視線を流す。
庇っておいて諸共に消滅などということになったら笑えない。男もそれをわかっているはずだが、表情の変化も行動の変化もみられなかった。
信頼の証ととるか、どうなってもいいと思っているのか判断に迷う。
また一枚、花弁が崩れた。
残り一枚になったそれにありったけの魔力を注ぎ込んで青年は黒き極光の先を見る。
ほぼ無意識に魔力を通して強化された鷹の瞳は、いつも変わらぬ凛とした立ち姿をもつ反転した騎士王の姿と、そのさらに向こう側に佇む深淵の闇を人型にしたような影を捉えた。
そもそも。この極光を盾の少女が耐え切ったのならおそらくそこで世界は役目を果たし、崩れ落ちるのだろう。いつかの日々のように。
身丈以上もある盾を支える彼女の精神力に感応するように奮起して、青年は最後の欠片まで凌ぎ切ってみせた。
かしゃん。
最後の一枚が壊れる。
「よくやった」
「……あとは、頼む」
「ああ」
不要な言葉のない短い応えに安堵して、彼はゆると意識を落とした。

非常時を告げるサイレンに慌てて管制室に飛び込んだ少女は、難しい顔をした男女二人組に向かって遅れてすいませんと声を上げた。その後で一人足りない事に気付く。
「あれ、先輩はまだなんですか?」
「ミス・キリエライト。急いで来てくれたところすまないが、そのマスターの様子を見に行って欲しい。この状況で来ていないということは彼がどうなってるか……なんとなく予想はできるんだけれどもね」
「は、はい。至急確認してきます!」
苦笑とともに吐き出された言葉に、蜻蛉返りで出て行くマシュを見送った男女二人組はそれぞれの心情に合った溜息を落とした。
「状況から見てもまず間違いなく予想通りの事になっているだろう。だがそれでも、まずは状況の確認だ。すべてはそこからで、これを怠るわけにはいかない」
「そういうことだよね。ま、現状あちこちから連絡が飛び交いすぎて私達が気軽にこの場を離れられない、っていうのも問題なんだけど。さて、私のほうはマスター君を確認してきてくれたマシュへの対応をするから、とりあえずこの後駆け込んでくるだろうゴルドルフ君への説明は任せたよ、ホームズ」
「やれやれ……仕方がない、承ろう。まあ、彼もそろそろ慣れたのではないかと思うがね」
「どうかなあ……慣れたとしても結局大騒ぎするのは変わらないだろうし」
確かにと頷き合う二人の前に件の人物がどうなっとるのかねの声と共に駆け込んでくる。
あまりにも想定通りの行動に苦笑する気も起きない。
全く同じタイミングで肩を竦めた彼らは、それぞれ己のものと定めた領分を果たすために手元の端末にデータを呼び出した。
打ち合わせ通り、ホームズがゴルドルフの相手をしている間にマシュが戻ってくる。
「確認してきました!」
「ありがとうマシュ。ちょっと時間かかったね?」
「はい、お部屋にいらっしゃらなかったのでちょっと手間取ってしまって。幸い通りがかったディルムッドさんにお手伝い頂いて部屋に寝かせてきました」
「ということは予想通りということだね」
ふむふむと頷く子供の姿のレオナルド・ダ・ヴィンチは手元の端末に視線を落とした。警報はその役目を果たし終えて、すでに止められている。
「一体どういう状況なのでしょう?」
「うん。それじゃあこっちで把握していることを簡単に説明するよ。いいかい?」
すちゃ、と。メガネを装備したダ・ヴィンチは頷いた少女に対して、己が集めた情報を整理しながら語る。
「ええと、今までに入った連絡によると、セイバークラスのアルトリアオルタ、アーチャーのエミヤ、ライダーのメデューサ、バーサーカーのヘラクレスの霊基が消失した。正確に言えば霊基反応自体はこの場に存在しているから、その一部だけが別のところで形をとっている感じだと思うんだけど、基本がエーテル体であるサーヴァントにとってはどれほど違いがあるのかは不明という状況かな。今ここに居る方の彼らは抜け殻のようなもので、意識もないようだ。幸いそれぞれ直前まで同席していたサーヴァント達が身柄を確保して変化があればすぐわかるように一箇所に集めてくれたから特に問題はないだろう」
もう一人、クー・フーリンの名も上がっているが、こちらはどのクー・フーリンかを確認中だと付け足す。
こくり。再び少女が頷いたのを見て取ってダ・ヴィンチはへにょりと眉を下げた。
唯一であるマスターの少年は予想通り眠りっぱなしであるという。本人もそうだが、ダ・ヴィンチやマシュ、そして彼に従っているサーヴァント達にとってもすでに何度か経験している状態のため、最初の頃のようにパニックになることはないが、心配をしていないわけではない。
今回も夢の中でどこかに繋がってしまいそちらに引っ張られたという可能性が高いだろうと予測を立てる。
「この状態の場合、なにもサポートできず待つしかないというのはなんとも歯痒いね」
「はい……」
せめて何か、との思いは消えないが、実際にできることといえば、残された肉体を安全に保つ程度。
ホームズから説明を受けたであろうゴルドルフも苦々しい表情で文句を言いつつ部屋に戻っていった。
「どうか無事に帰ってきてください……先輩」
少女の祈りは実際どの程度聞き届けられたのか。彼女らの願いを他所に、遥か彼方で戦いの幕は上がる。

***

はたりと雫が頬を叩いて少年は低く呻いた。
浮上する意識に触れるのは冬枯れの森の匂い。
「……さむ」
身震いをひとつ。
寒い? 適温に管理された室内ではありえない感覚だ。
警戒が灯り、慌てて身を起こす。開いた瞳はそのまま零れ落ちそうなほど見開かれ、唇は勝手に疑問を紡いだ。
「ここ……どこ?」
呆然とした声に返ったのはざわりと震えた木々の枝音。ああ、森なんだなと把握できる程度で当然のように明瞭な答えはない。ただ、第六感というものがあるなら、この時の少年はまさにそれに従って立ち上がった。
数歩進んで振り返る。
震えた木の音が不自然だった、など。戦士ではない彼に理解できたはずもないだろう。だが、さすがに遠くはあるものの、何かが響くような音は周囲を警戒させるのに十分だった。
それは経験によるものだ。人理を取り戻す、という過酷な旅を耐え切った者故の。
忍び寄る焦りを飲み込んで、少年はまだ半分眠っていたいと訴える頭を必死に回転させる。
みし、みしり。
音が近付く。
己では耐えられない嵐が来る。直感した彼は胸元できつく右手を握りこんだ。
できるはずだと信じる、その願いこそが右手の甲に刻まれたものを起動させるきっかけとなる。熱と光、そして風が強く舞い上がり、空気を裂く音を途中で押し留めた。
鈍い音が至近で響き、衝撃にへたり込んだ少年はがちりと噛み合った黒の影二つを見上げる。
一つは巨体。岩のような体格とそれに見合った重量を持つ武器を構える大男の姿。
一つは少女の面影を残す麗人。大男の武器を押し留めてばさりと翻った旗の意匠も、携えた剣も、身にまとう装束すらことごとく呪いの色を溶かした冷たさを孕む。
「……なんですかそのざまは」
吐き出された声すら冷ややか。
見下ろした姿に息を忘れ、直後に首根っこを掴まれて放り投げられるのを他人事のように見る。旗の柄を滑った斧剣がそれまで少年がいた地面に突き刺さるのを空中を移動しながら目にしてようやく驚きが表面に出た。
「ええええ!?」
「任せました。巌窟王」
何もないはずの空間に吐き出された言葉に笑いの気配が返って、少年の体は宙空で静止した。一拍置いて投げられたのとは真逆の丁寧さで地面におろされる。
「巌窟王……エドモン?」
「そうだ、我が共犯者」
ばさりと広がったコートの裾に少年を引き込んで怪我はないなと確認する男は、すぐさまその身を抱え上げた。流れ弾ならぬ流れ剣戟が衝撃波となって空間を引き裂き、すぐ傍にあった樹が両断される。
「厄介ですね。圧倒的なパワーとスピード。あの調子で振るわれたら私はよくてもただの人間の身など一発です」
溜息を伴った言葉には偽りの欠片も見当たらない。現に先の一瞬で周囲の森はズタズタに破壊されていた。
「ということで邪魔です。さっさと行きなさい。ええ、ここは私一人で十分です」
「そんな!」
サーヴァントが戦うのならその場に留まるべきだと。常にそうしてきた少年は声を上げる。そんな彼をぎろりと睨んだ彼女の唇から零れたのは、気取っていない素の言葉。
「……邪魔だって言ってるのよ。アンタが居たらこっちもこんな燃えやすい場所でおちおち宝具解放すらできないでしょう!? それくらい言われなくても察しなさいよ!」
勢いで捲し立ててから旗を一閃させた彼女の両脇に出現した竜種の影を認めて、少年は息を飲んだ。
「あら、便利なものね。確かにこの地の呪いは、私達のような存在には心地良い」
さあマスター。纏めて灼かれたくはないでしょう。
歌うように軽やかに。悪意と表裏一体の好意を呪いとして彼女は笑う。
「……ヘラクレスを抑えて欲しい、ジャンヌ・オルタ」
「ええそう。それでいい。連れて行きなさい」
最後の言葉は傍に出現した竜種の影へ向けてのものだった。一声。声なき声を響かせたそれの背に放り投げられ、落ちたくなければなるべく密着しろと後ろに跨った成人男性の体格で背を押される。
頷きだけで了承を告げれば音もなく影は飛び上がった。
それまで様子を伺っていたらしい巨体が吼え、かつて竜の魔女と恐れられた女は涼しい顔でそれを受け流す。
「ギリシャの大英雄ヘラクレス……私の好みとは少し外れますが、不足はありません。今宵のダンスの相手をお願いしましょう」
旗が翻り、薙ぎ倒された木々に呪いを孕んだ焔が灯る。徐々に広がっていくそれを必死に細めながらも開けた瞳に捉えて、少年は唇を噛んだ。空に駆け上がった竜は一度その場で旋回すると東に向けて首を振る。吹き付ける風が強くなり、もはや目を開けていられなくなるギリギリまで己を助けてくれた彼女を焼き付けてから瞳を隠した。
ほんの僅かの間だったというのに、からからに乾いた眼球には痛みが走り、きつく閉じたことで押し潰された涙腺から流れ出た涙が表面を潤す。瞼越しに吹き付けてくる風が痛い。残してくるしかなかった彼女の事を、同乗している男のことを考える。
森の中で感じ、そして今なお感じる違和感。その正体を掴もうと必死で頭を巡らせるも、どこか眠っている時のような感覚が抜けない気がした。
「寝てる……?」
思考の過程で引っかかった単語を口内で繰り返し、疑問の糸口を掴んでああと息を吐く。
「巌窟王」
覆いかぶさるようにして支えてもらっているのをいいことにかなり上体をひねって呼びかける。
落ちるぞと唇の形だけでわかる小言が降ったが構わず相手に顔を寄せた。結構なスピードで移動している現在、そうでもしないと身体感覚の強化などできない少年では風に流されて相手の声が聞き取れない。
「これはいつものなんだね?」
最初から疑問系ではあるが、確認したいことはその後の言葉に集約されていた。
夢なのか、それともどこかと繋がってしまったのか。
返答を待ちながら視線を流したのは右手の令呪。
ジャンヌ・オルタは己の願いに応え、一画を代償として姿をとったが、この男はさも当然のように闇の中から現れた。それが二人の最大の違い。
「前者とも言えるし、後者とも言える。ここがどういった空間なのかは俺にもよくわからないが……確かにオマエの予想通りだ、マスター」
先ほどのジャンヌはマスターとしての願いから一時の影として召喚されたそれで、己は少年の闇に潜み傍にある存在としてここにあると明かす。
やっぱり。ほとんど息だけの呟きは即座に風に乗って流され、至近の男にすら届くことはない。
「一時の影、ってことは、カルデアのジャンヌはそのまんまってことだよね。じゃあヘラクレスは?」
「影、と言えばそうなのだろう。アレはこの場に、再演のため用意された力だな」
「再演?」
今度の疑問はその興味の度合いをきちんと言葉として届けるように意識する。
男の方も聞かれることはわかっていたのだろう。返答は滑らかだった。
「そうだ。だが、俺もそう詳しくはない。このクラスであるが故に……先達が持つものを多少把握できる程度だ」
告げられたクラス、そして先達という言葉。それは聞いたことがあった。そもそも男が持つ霊基は普通ならば存在しないはずのエクストラクラス、それはジャンヌ・オルタも同じ。腹の下で存在感を示す影の竜はカルデアに居るはずの彼女なら使役しないもので。呼び出した時の言葉から考えてもこの土地に彼女らに対する何らかの補正があるのが理解できる。
「明確に言えることは、ここが日本の冬木である、ということだ」
さらによく知った単語が男の口から飛び出して、少年は目を見張った。言われてみれば確かに、破壊された森の隙間から見えた城の形に見覚えがあるような気がする。
アヴェンジャー。
冬木。
それらに共通している概念を知っていた。いつか、聖杯そのものだというアイリスフィールと知り合った場所。炎上せずに存在した、どこかの世界の同じ時間軸。
可能な限り風を避けるように細めに目を開く。進行方向には確かに街と思わしき景色が姿を見せはじめ、眼下には山、北に海が見て取れる。
さらには街を分断するように川が流れ、中程には特徴のある赤い橋の姿も確認できた。
その時受けた説明を必死に記憶から手繰り寄せる。
「この世全ての悪……?」
「そうだ。この土地には呪いと、願いが満ちている」
本来ならば特定の姿を持たないはずのそれが、この場所では姿をとっているのか、それがカルデアで見慣れたあの姿なのかまではわからないと続けて、何かを思いついたように考え込む。
「巌窟王?」
「いや、情報が足りんな。今は確実に必要だと思われることを先に……くっ!」
「うわっぷ!」
上体を捻った奇妙な体勢のまま押しつぶされて、少年は苦痛の呻きを上げた。瞬きほどの間もおかず、サーヴァントとしての男本来の動きで半ば強引に体勢を引き戻されて文句を飲み込む。
少年は全身を庇うように広がった男のコートの中で、至近に切り裂かれた大気の軋みを聞いた。庇われたというのになお耳が痛い。
「チッ……随分と腕のいい狙撃手だ。アイツか」
続く男の呟きは半分も少年の耳に入らず、騎乗している竜種の影も続けざまに飛来した矢を回避できずに声なき悲鳴を上げる。魔力で形作られていた翼が引き裂かれれば、あとは落ちるだけ。
「仕方がない。こちらに掴まれ。十分に高度が下がったところで着地する」
「わ、わかった!」
少年を片腕に抱えた男は、飛来する矢を叩き落としながら竜種の影が消滅する寸前で宙に身を躍らせた。
身に灯るは黒き炎。怨念の具現化ともいえるそれをもって空を滑った男は、手近な洋館の屋根に着地して、そのまま天窓から内側へと侵入する。
しばらくそのまま身を伏せて様子をみたが、流石に追えなくなったのか、ひとまず狙撃は止まったようだった。
見上げる先はガラス張りの屋根。周囲には少年では把握できない植物達が所狭しと並んでいる。
「ひとまずは落ち着けるかと思ったのだが、そうもいかぬようだな」
「あれ、は」
これだけの植物がある中、かさとも音を立てずに一段と暗がりになっている場所に長身の影が立った。
うねるように広がる髪が人外の存在を主張し、長い手足をゆらと揺らす様はどこか蛇に似ている。
「メデューサ……」
思わず知った名を零した少年に対する挨拶は音もなく飛来した鎖付きの短剣。ぶわりと立ち上った黒炎が物騒なそれを叩き落とした。

(中略)

「……まったく出鱈目だな、君は」
思わず零れ落ちたという呆れ声。その後で今己は何を口にしたというように眉を寄せるのは、赤色の礼装を風に翻した濃色の肌と無色の髪を持つ青年だった。
マスターである少年が思い描いていたのと寸分たりとも違わない。だが、相対した二人がそれを知るはずもなく、間には明確な殺気だけが流れた。
吹き抜ける風が漂う殺気を押し流していく。先に動いたのは弓兵。
流れるような動作で手にしたままだった長弓を構えて矢を射かける。僅かずつ角度の違うそれは同時に三本。
手にした槍を上げることもない男は、己に与えられた加護によって周囲に風が渦巻くのを見る。視界を奪うほどの風に紛れて赤が翻ったのを逃さず地を蹴った。
ぎゃりり。槍の穂先が地面と擦れて、手荒な扱いに火花を散らす。ビルの屋上を移動しながら絶えることなく飛来する矢は完全に目くらましだとわかっているため、己に与えられた加護に頼るか、手にした槍で捌きながら周囲に視線を巡らせる。一帯のビルはちょうど建設中だか修復中らしい。いくつかのクレーンが据えられており、その腕があることで足場が増える場所。
「埒があかねぇ」
武装の端を風に嬲らせながら視線を巡らせる。ひらりと過ぎる赤はもう一つ向こうの建設中らしいビルに据えられたクレーンの上。魔力の流れを嗅いだ男はあえて近くの比較的小型のクレーンの腕の上で足を止めた。
細められた視線の先で収束する光。それは決して派手なものではない。むしろ最低限で最大の効果を上げるものだと直感が告げる。
周囲の被害を気にする必要はなかった。眼下の街には光があって電車も車も走っているというのに、ちらりと見える人影は黒に塗りつぶされて判然としない。
男は即座に踏み込み、手にしていた槍を投げ放つ。真名解放ではないが大抵のものなら真正面から喰らい尽くす呪いの槍は、過たず射掛けられたものを粉砕した。
それぞれの手を離れた武器が激突し、爆発が起こる頃には男はすでに地を蹴っている。
ぎいと不穏な金属が鳴く。
あえて爆発に突っ込み、相当数の威力を削がれた槍を掴んでそのまま再投擲。それでどうにかなるとは思っていなかったが、数秒でも足止めがかなえばそれだけでこちらの間合いに届く。
空中で一瞬の制止。爆発の衝撃で揺らされ、視界が晴れないうちに戻ってきたクレーンの吊り具を蹴って踏み込めば、槍への対処で身を捻り、そのまま落下して次の足場に移ろうとしていた相手を捉えた。
その手にあるのは陰陽一対の夫婦剣。
「戻れ」
「なっ……!」
捌き切ったと一瞬剣を引いたところへの強襲は、決して予測していなかったわけではないだろう。ただ、それよりも男の速度が上回っただけだ。
呟きほどの声に反応した槍が通り過ぎていたはずの青年の傍を駆け戻ってくる。手に飛び込んできた槍の勢いを殺すようにくるりと回転し、重量を持つ尾を利用して勢いをつけると、青年が立っていたはずの場所を蹴って肉薄。
この距離ならば射撃は困難とみるものの、ゼロ距離で強行してくる可能性も皆無ではない。どちらにでも対応できるようにしながら男はその手に戻った槍を正面に据えて空気を裂いた。
歯を食いしばる青年のすり減る歯の軋みが伝わる。穂先は彼が手にしていた剣に逸らされた。勢いを殺しきれずに砕け散った欠片が周囲を舞い、一瞬後には光となって溶け消える。
ビルの谷間を飛び移りながら一合、二合。
距離を詰められて弓を扱うことを諦めた相手が振るう剣は、激しく打ち合う度に砕け、体勢を立て直した瞬間には元のように握られている。
「おもしれぇ技を使うな。それにしても白兵戦とは……テメェ、本当に弓兵か」
「ご期待に添えずに残念だが、弓兵であっても接近を許した際の心得がある者がいたとておかしくはないだろう。これはその一つというだけだが?」
むしろ接近を許し、弓以外の手段を持つような弓兵は邪道だがね。
殊更煽るような口調に牙を剥いて男は笑った。
「多少の護身術程度で済む太刀筋かよそれが」
「褒め言葉として受け取っておこう」
穏やかに物騒な会話している間にも立ち位置は目まぐるしく変化し、武器同士が噛み合う高い音が響き渡る。
何振り目かの剣を失った青年が、新たな剣を手にすると同時にビルの切れ目から身を躍らせた。
下は高速道路。槍を振りかぶった男が躊躇なく続く。
地上の灯りが近付き、周囲の光を写し込んだ男の瞳は落下の速度に合わせての焔の軌跡を描くかのように燃えた色を残した。
驚いたように目を見開いた青年の反応が僅かに遅れ、それでもなお礼装一枚分の犠牲で反らしてみせたのを見て楽しそうに笑う。
まるで獲物を追うのを楽しむ獣だと内心で相手の行動を評価した青年は危なげなくトラックの荷台に着地した。
即座に反応した男のほうも同じトラックのリアフレームギリギリに着地する。彼の鉤爪のような装甲はトラックの外装をものともせずに食い込み、前傾したまま陸上選手のスタートさながらの加速で間合いを詰めた。
先に辿り着く穂先はフェイント。それでも把握されないようにギリギリの位置で空振りして本命は柄。
「ぐっ……!」
苦鳴は辛うじて迎撃が間に合った弓兵の口から。ぎちりと噛み合った武器は一瞬で、すぐさま受け流すように刃を倒して勢いに逆らわず距離を離す。まともにぶつかればその度に破壊されることを考えれば妥当な選択であろう。
いくらでも換えのきく複製品とはいえ、取り出すための彼の魔力は無限ではない。
立ち位置は逆転し、今度は弓兵がリアフレーム側ギリギリで体勢を低くする。踏み出し時の余波で腰布が大きく翻り、ぴしゃりと大気を打った。
鋭く零れた息と、最下段から打ち上げられる双剣。楽しげに柄で受けて槍を返した男が反撃に転じる。穂先と柄を交互に使った流れるような打ち込みに、再び防戦に回った青年はいくつかの刃を犠牲にしながら機会を伺う。

(中略)

「クー・フーリン」
真名での呼びかけは消えそうなほど。ぐ、と息を飲んでもう一度、今度はきちんと音として相手に届けるために乾いた唇を濡らした。
とうに承知だと思うが圧倒的に魔力が足りない。そんな風に話を切り出す。男の方は言葉を返さず、ただ正面から視線を合わせる。
「この通り碌に動けもしない身で烏滸がましいが、消えるなと言うのなら君の魔力を分けてほしい」
間違いなく言葉が届くようにと、手招きに従い寄せられた尾の先に触れる指に色を纏わせて。誘う様は手慣れているのに、震える指先が全てを台無しにしていることには見ないふりをする。
返事は短い肯定のみだが、それで十分だった。背に回っていた尾に引き寄せられることで距離が近付く。
躊躇なく合わされる唇と入り込む舌。溢れる唾液を飲み込めば、溶けていた魔力が腹の中で暴れるようで。はくと息を紡いで冷静に戻ろうとする思考を意識的に振り払う。
息を吸う余裕もない口付けがそれを助けて、どろりとした欲が頭を擡げた。
「く、っ……」
「抗うな」
当然のこととして息と共に吹き込まれる言葉に頷いて自らも舌を伸ばす。動き自体は鈍いものの、動かせないわけではないそれを使って自ら快楽と思われるものを追い、流し込まれる体液に溶けた魔力を意識して取り込むほど腹の底が灼ける感覚に身を捩る。
嬌声になりかけた吐息を飲み込み、変換できた僅かな魔力を起爆剤にして思考を回した。
武器を投影する時と同じく、根底にあるのは強く、どこまでも明確な想像力だ。己を形作る殻が壊れぬよう己の体を武器と認識して留めおく、サーヴァントだからこその肉体認識。
普段ならば無意識下で行なっていることだが、必要ならば意識して行うこともある。それこそ取り込める魔力を全て費やして生き延びたいつかのように。それが何であろうと糧とするのだと。
「アーチャー」
「問題、ない」
指先はもう震えなかった。ちりと耳飾りを弾いて伸ばしたそれで肩に縋り、起こしてくれと請う。何をするつもりだとの問いには、舌と指先は動くらしいからと返して肩から腹へと額を懐かせた。
乱れた前髪が額に落ちかかる。
摂取するのならこうするのが手っ取り早いだろう。そんな風に笑って、背後から腹にかけて巻くように渡された尾で支え、起こしてくれた男の礼装に手を伸ばす。
肌を大きく晒している彼の礼装を暴き、目的のものを見つけ出すのは容易い。土の上に顔を出した樹の根に座るように促して自分は地面に膝をつき、取り出したそれの先端に躊躇うことなく口を付けて、舌を這わせた。
舐り、溢れる唾液を擦り付け、流れたそれを添えた指で掬って伸ばす。普段よりも格段に拙い口淫になっている自覚はあったが、男の方はあまり気にしないらしい。じわりと滲む欲を舐めとっては嚥下していく。
体に篭った熱はもはやどちらのものか判別が付かない。
じゅくり。喉奥まで引き込みながら口内を絞れば押しつぶされた唾液が悲鳴を上げた。
「オイ、弓兵」
行為は中断しないまま、呼びかけには視線を上げることで応える。自分だけ達しても意味がないと続けられた言葉に驚き、思わず口を離したところで尾に持ち上げられ、横向きに男の膝に乗る格好に収まった。
「君は……ここで最後までするつもりなのか?」
何か問題があるかと当然のように告げられ、溜息の成り損ないを吐き出す。準備をするためのものが何もないのだがと形ばかりの抵抗をするものの、大腿にあるベルトが外されるのを見ながら止めることもなくされるがまま。
服越しに撫で上げられる手に、唇は勝手な熱を零す。
「思ったよりその気じゃねぇか」
「……その言葉は君にもそっくりそのまま返すがね」
今更の指摘。熱は元から腹の奥に溜まっていた。魔力不足のものとは別のそれ。
やわりと欲を遊ぶ男の手に自らのものを重ねて視線を上げる。正面から焔の瞳を覗き込めば先刻のやりとりが思い起こされた。
「私にだって一応欲くらいあるさ。君と本気で戦えるというのに興奮しないはずがないだろう」
これでは戦闘と性行為を区別しない君と同じだが。
事実には違いないと苦笑と共に体重を預けて抵抗する気がないことを行動で示す。本人の意識と接触箇所の増加によって魔力を受け取りやすくなった青年は、次に落ちた口付けで分けられた魔力に酔う間に、下着ごと下衣を剥かれた事に気付かない。腰布だけが残っている状態は謎の拘りを持つ一部の面々が鼻息を荒くしそうな格好だが、あいにくとこの場にいる二人はどちらもそれを気にするような性質ではなかった。
ついとむき出しの肌を淡く辿る男の腕の爪状の武装が喉元に辿り着くまでに溶け消える。
縋れと尾を差し出され抵抗せずに腕を伸ばせば、唾液を絡めた指先が迷う事なく青年の後孔へと触れ、内に入り込んだ。声を殺すように尾に縋った額。堪えるように息を詰めながら軽く振られた髪が擦れる音が散る。
ざわりと揺れる葉擦れの声や背に触れる相手の息遣いが籠らないことに、ここが外だと思い知らされて青年は唇を噛んだ。誰も居ない、誰も辿り着かないことはわかっていても、生前からの価値観がどうしても抑圧する方向に働いて仕方がない。
時折引き抜かれ、唾液を足されては戻されて丁寧に解される。浅い部分を広げるように動く指が時折深く入り込んでは前立腺を押し上げ、水音が上がるのに合わせて寄せられた唇が肩から胸を啄む。行為に慣れてしまっている体はそれだけで受け入れる体勢を整えてしまい、唇は早くしろと勝手な言葉を紡いだ。
多少きつくても構わないからと泣き言を続けて腰を浮かせれば、縋っていた尻尾に押されて倒れかかる。
傾いだ体は肩口で抱きとめられたものの、掴まれた足を高く持ち上げられ、膝を跨ぐ体勢にさせられた挙句、尾に引っ掛けるようにして離される。裸のままの背は男の胸に触れ、尻のあたりにぬるりとしたものが触れた。体を支えようと咄嗟に掴んだのは相手の腰にある棘状の武装か。
慣らしきれないままに持ち上げられた体はさすがに受け入れるにはきつく。だが自ら請うた手前、青年は悲鳴を噛み殺して必死に力を抜こうとする。
「噛むな」
諌めるは唇。宥めるようなそれが青年の肩口に触れてこちらを見ろと低く囁く。
動きを止めた男にいっそ無理矢理貫いてくれたほうが楽だがと告げるも、無言で却下された気配が漂った。
僅かな体重移動で己の意図を伝えてくる相手の目的に思い当たって、腰の武装を掴んでいた手を離す。
それでも待つ姿勢が変わらないのを確認して、青年は片腕を相手の肩から背に回しながら唇を寄せた。
舌の絡む水音が上がる。
口付けを解かないままで少しずつ腰を落とせば、それでいいというように肌を撫でた手はやはり宥めるような色。
見た目に反して気遣う男の性質が現れているようで。こんな時であるのに思わず笑みが零れた。
「なんだ」
「なんでもないさ。さすがにこの状況は私には少し開放的すぎると思っただけ、で」
疑問の声にはゆるい否定を返した。
途切れ途切れに短い息を吐いて、少しずつ奥に引き込みながら、先の言葉をそのまま受け取ったらしい男が頷くのを見る。
肌に触れる手はいつの間にか明確に快楽の芽を探っていた。脇腹を辿り胸を揉んで乳頭を弾く。
「そ、こは……」
舐める方がいいかとの問いに対しては濡れると冷えるからやめてくれと色気の欠片もない応え。またの機会にするかとの言葉はさてどこまで本気だろうか。
代わりにと男の手が移動したのは緩く勃ち上がった前の欲で。丁寧に全体を扱かれれば、押し出された熱が吐息と混ざって相手の肌を撫でた。
うまく力が抜けたことで後ろの熱も奥へと触れる。一瞬だけ息を詰めて。もはや隙間なく埋められたものを感じながら口付けを強請った。
お互いの口内から上がる水音が葉擦れの音に紛れる。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか」
入ったはいいが、これでは動きようがないのではないかと首を傾げる青年に、挑発的な笑みが返った。
「碌なモノもない場所ならこんなモンだろ。パスが繋げられりゃ簡単だが、そのままこちらに意識向けてるだけでも効率は大分違うはずだ」
「君な……それで満足できるなら最初からこんなことを許してはいないのだがね」