Restriction
「恐いか?」
「いいや」
ゆる、と振られた首。声が少しだけ震える。
「つよがり」
くすり、笑って。男は自分のマントの留め具を引きぬいた。
そんなのじゃないと答える声が不満の色を見せる。
「エース」
苦笑と共に己のマントを外した彼は、相手の名を呼んで気を引くと、細い腕に手にしたものを巻き付けた。
手早く体の前でひとまとめにされ、暗い赤のマントで拘束された青年の表情は驚愕。
「なっ……!?」
開きかけた唇の前に指を立てて、男はしぃーと呼気混じりのゆるい命令を紡いだ。
「……どういうつもりだ」
エースの声が低くなる。怒りが驚きを凌駕したらしい彼の顔には、場合によっては許さないと書かれていた。
男は思わず吹き出しそうになるのを必死で堪える。
体験したことがないことなら恐くて当然で、別に虚勢を張る必要も無いのだが、中性的な外見を裏切って、彼の言動はとても男らしい。
「さあ、なんだろうな」
「僕は逃げないぞ」
「知ってるよ」
本当だと思うからこそ、男も当然のように答える。
言いながらもシャツの衿元から手を滑り込ませて首筋を撫でれば、小さく体を震わせて抗議の姿勢を見せた。
「誤摩化すなよ……んぅっ……ナギ!」
「別に誤魔化してなんかいないさ」
それは言い訳。
青年が気付いているのかは分からないが、拘束はゆるく、そのままなら簡単に抜くことが出来る。
すぐに抜けるかもしれないし、逆に締まっていくかもしれない。唐突な行動は、青年の求めに応じてしまったナギが、己の行動を計る手段だった。
「抵抗出来ないまま色々されるって考えるとちょっとイケナイ気分にならない?」
「なるか!」
エースの叫びは黙殺。
多少やりにくくなったのにも関わらず、ナギは本人に見せつけるようにゆっくりとシャツのボタンを外して、日に焼けていない白い肌を晒した。
きしり。ベッドが上げる文句を無視して肩を押す。
(中略)
呼吸が荒い。
腕が持ち上がらない。
足が地面に吸い付いている。
意思とは無関係に徐々に鈍くなる体の動きに、エースは内心で舌打ちを落とした。
魔力よりも先に体力が持たない。
妨害でもされているのか、通信機は全く役に立たず、一度散開したメンバーと連絡がとれなくなったのはもうだいぶ前のこと。
ただ広いだけの丘が連なる土地では身を隠せるものも少なく、辛うじて段差になった場所に滑り込んで、青年は少しだけ呼吸を整えた。
改めて自分の姿を見れば、マントは半ばで千切れ、袖も裾も盛大に切れて血がこびりついている。
頭上にはまだ皇国の中型輸送艦が行き来し、倒した鋼機の影からはまた新しい敵が姿を現した。
ここは確かに皇国領なのだと、見渡す限り何もない土地が告げている。雪が舞うほどでは無いとはいえ、徐々に染み込む寒さは、普段よりも余計に青年の体力を奪っていった。
全滅させるのも、離脱するのも難しい。
引き際を誤った事を素直に認めざるを得ず、エースは溜め息を落として出現させたカードに視線を落とす。
己の武器を呼び出すことはまだ出来る。この地と相手を考えれば雷魔法のほうが効果が高いため、優先的にそれを使っていたが、青年はどちらかというと冷気魔法のほうを好んで使っていた。慣れぬ分、雷魔法を得意とする家族同然の少女達に比べれば効果は弱い。普段よりも重ねて使うため、魔力も残り少なかった。
ざり。
複数の足音が近付いてくる。鋼機ではなく生身。
近くに軽い着弾の音が連続して、えぐられた土が舞い上がった。
「いるか?」
「ああ、間違いない。このあたりのはずだ」
ぼそぼそとした会話が聞こえて、エースはまだ己が発見されていないことを悟る。
わずかに生えている草をかき分ける音を聞きながら息を殺した。
そうそう素早くは動けない。ならば、できるだけ引きつけろ。自分自身に言い聞かせて、小さな体を活かすように地面に体を押し付ける。
あと二歩。
一歩。
今だと思った瞬間にエースの手から離れたカードは草を散らして飛び、敵の銃の先を切り落とす。
「なっ!」
「くそっ!!」
飛び出したエースはカードを纏わせたまま一人の手元に突っ込んだ。
先を切られた銃は暴発の危険を孕む。一瞬躊躇してから振りかぶった相手の隙を逃さず、青年の意思に従って剣状に連なったカードは、欠片の慈悲も無く相手の体を貫いた。
もう一人が乱射する銃を避けて次のカードを構える。まさに放とうとした瞬間、大腿に灼熱が走った。
少し遅れて、爆発的に痛みが広がる。
「ぐ……ッ!」
「隊長!!」
撃たれた、と気付いたのは目の前の皇国兵が己の後ろに向かって叫んだため。片足を庇いながらもなんとかその場に留まっていた彼は、次の瞬間、地面と熱烈に抱き合う羽目に陥った。
じわり。両足の大腿が血に濡れる。
「よし、確保だ。魔法に注意しろよ」
「はっ!」
上官の命に従って、近くに居た皇国兵が倒れたエースを後ろ手に拘束した。遠慮なく締め上げられる手首が痛みに追い打ちをかける。
銃弾は後ろから。距離があったせいか、一発目は貫通していない。
ほとんど間をおかず続けてもたらされた痛みに耐える青年は、魔法を編む集中力すら確保出来ないまま、あっさりと拘束を許してしまう。
朱か、と吐き捨てた兵に並んで、おそらく狙撃したのであろう隊長格の兵が並んだ。
血走り、残虐な光を讃えた瞳に狂気が宿る。
「……ずいぶんと幼いな。男か?」
エースに限らず、朱雀の兵は若い。それはクリスタルの恩恵である魔力が歳とともに衰退するという特性のためで、その事は白虎側も十分に分かっている。
それでも驚くのは青年の持つ容姿故だったのかもしれない。整った造作は、むさ苦しい男達の間に立てば、一瞬たおやかな女性のようにも映った。
青年の意思の強い瞳は今は引き絞られ、ただ痛みに耐えている。
「確認しますか?」
「そうだな。女なら楽しみようもある」
死者を忘れる世界では、奪われる痛みなど紙よりも軽い。だからそれは、ただの八つ当たりなのだと知れた。
エースの目前に立つ男は、部下を失い、戦場の多くで敗北し、正常な判断をとうに失っている。
「……ッ!」
強く蹴られてひっくり返され、腹の上に軍靴。
スラックスがじわじわと赤く濡れる。
「……男ですね」
「ならば遠慮はいらんな」
引き裂かれた上着から覗いた肌は白。だが、そこに彼らが期待したような膨らみは無い。
女だったからといって手加減する気は最初からないのだろう。他の目的を示唆する言葉から察するに、幸いその兵は男には興味が無いらしいことだけは分かる。
銃口が狙う先は頭部。エースは痛みに耐えながらも、精一杯相手を睨みつけた。
相変わらず仲間達には連絡が付かない。
ここで戦闘離脱となれば、もしかしたら回収してもらえないかもしれない不安はある。同時に時間を引き延ばせばあるいは、という期待もあった。
最後の言葉を皇国兵が告げる。
撃鉄にかかる指先。その一部始終をエースは一歩も引かずに見つめた。
「……さよならだ」