流星を追う

「じゃあ手分けしてくれる? さすがに王様は俺から直接じゃないとまずいと思うから……」
「承知したよ、マスター。では他の者は私のほうで声をかけよう」
赤の弓兵と、そのマスターである少年の手元にあるタブレット型端末には同じものが表示されている。交わされる会話も表示されている中身に関することであった。
気合いを入れ直してから自ら口に出した人物の元へ向かう少年を見送り、弓兵は己が請け負った人物の部屋へ通信を試みる。
多種多様なサーヴァントが集う現代の最先端の設備。
エミヤのように現代寄りだったり、持ち前の興味から電子機器や通信端末を使いこなす者も多いが、本来魔術とは電子機器と相容れないものである。
まして生前の立場を重んじる者の中には、呼び出されることを快く思わない者も存在した。
マスターの少年が向かった人物もそんな一人である。
もっとも、彼本人というよりは彼に従う天空の女王の方がその性質を強く持っているために合わせているところが大きい。
少年もわかっているから労を厭わずに足を運ぶ。
己を神とし、人の営みを慈しむかの王は、此の度の召喚においては鷹揚な姿勢を見せているが、同時に苛烈な戦人でもあった。
己が担当すると告げた人物の部屋にある端末宛に順に通信し、全て繋がらないことを確認したエミヤは、さてどこから回るのが効率的かと考えながら立ち上がる。
シミュレーターの使用予約には該当なし。部屋への通信が繋がらないとなればあとは足で探すしか手はない。
エミヤ自身はよく現代機器を使いこなし、また人間達の手伝いとして修理に駆り出されることも多いため、連絡用兼資料の確認用としてタブレット型端末を持ち歩くことが自然と増えた。
すっかり使い慣れてしまったそれを小脇に抱えて廊下を進む。通信手段さえ確保しておけば、すれ違ってしまっても相手が部屋に戻れば折り返し連絡をくれるだろう。
一番近いのは二箇所にある休憩スペース、あとはレクリエーションルーム。
幸いにも、その後を考えることなく、レクリエーションルームの一角で目当ての顔を見つけることができて胸を撫で下ろす。声をかける前にこちらに気付いたジャンヌ・ダルクに誰に用かと聞かれて、竜殺しの英雄の名を上げた。
「お楽しみ中のところ突然邪魔をして申し訳ないのだが、マスターからの依頼でね」
通信が繋がらなかった為だとわかる用向きにゲーム盤を挟んでバーサーカークラスのヴラド三世と向き合っていた目当ての人物が立ち上がった。
ちらりと目にしたゲーム盤は現代でもポピュラーな市松模様の正方形の盤で勝敗を競うものだが、駒の配置具合からすると、どうも本来の使い方はしていないらしい。同じ盤が三つ隣りあい、さらに黒白の駒は偏っている。
おそらくはゲームとして使用しているのではなく、戦略図的な使い方をしているのだろう。その場にいる面々を見てもそう考えるほうが納得できた。電子機器上のそれよりも馴染むのだろうことも予想できる。
同じテーブルを囲んでいるのは、メインで駒を動かしていたらしいヴラド三世とジークフリートの他に、いち早くこちらに気付き声をかけてきた聖女ジャンヌ・ダルク。
その隣にはゲオルギウスとマリー・アントワネット。
シュヴァリエ・デオンが姫君の傍に控え、聖女を挟んで反対側にはマルタとセイバークラスのジル・ド・レェの姿もある。マスターの少年にとって、グランドオーダー発令後の最初の特異点で縁があった顔ぶれだということはすぐにわかった。随分と豪華な面子だと苦笑しながらも、輪から抜け出てきたジークフリートに対し、緊急レイシフトへの同行を求める。
「わかった。他に呼ぶ者は居るか?」
「いや、ここでは貴方だけだ。今はマスターがファラオの元に出向いているところで……」
聞かれたとて、特に困らない話題だ。自分はアーラシュに声をかけてから戻るため、先に管制室に向かって欲しい旨を伝えたエミヤだが、彼を探すのなら手伝おうと逆に告げられる。
「それでしたらご一緒しても? マスターに用があったのを思い出しましたので……そうですね、お二人が探しに行くというのでしたら、連絡役くらいにはなりましょう」
ゲオルギウスが穏やかながらも有無を言わせぬ口調で追随し、躊躇うエミヤを追い立てる。
レクリエーションルームは倉庫エリアの奥にあり、生活空間に隣接している食堂方面に行くにも、管制系が集まる中央部に出るにも途中まで道のりは同じ。
連れ立って歩きながら、抜けてきた集まりはよかったのかと問えば、たまたまその場に居たものが集っただけの特に約束などもない暇潰しの戦術会議だとの応え。
「あれはこの現界では起こりえないことを手慰みに考えるようなものなんだ。だから気にしなくていい」
「ええ、サーヴァントの身では大軍を率いての戦は無いですからね。そういう意味では頭の体操、ゲームと言えるかもしれません」
なるほど。納得したエミヤは次は片隅で構わないから見学させて欲しいと大真面目に返し、それを受けた二人の間にはゆるく笑いの気配が漂う。
「エミヤ殿は真面目ですね」
「そんなことはないさ。ここだけの話、ただのミーハー根性だよ」
くつり。冗談めかして告げる言葉は、半分本当でもう半分は照れ隠し。肩を竦めるポーズすら見透かされているだろう。
「ならば今度ヴラドに聞いてみるといい。君なら、酒とそのつまみを対価にいくらでも教えてくれるだろう」
「いや、さすがにそれは……」
言いかけてふと気付く。
海賊勢やケルト勢ほど頻度は高くないが、目の前の英雄には、時折何かいいつまみはないかと酒瓶持参で問われることがある。
「もしかしてあれは賄賂なのか?」
「半分当たりだな。そういうこともある」
それは、黒という色を冠して呼ばれていたどこかの自分と彼のためだと。
穏やかに口端を引き上げたジークフリートは、表情よりもさらに穏やかに言葉を零す。
「今ここに現界している分霊とは違う。わかってはいるのだが……なかなか難しくてな」
「ああ……わかる、気がするよ」
笑みの中に混じる複雑な感情を感じ取ったエミヤは軽く頷くだけに留めた。その感覚は自分にも覚えがあるものと同じだろうと考えなくてもわかる。
この現界では、普段の聖杯戦争なら喚び出された聖杯によって調整されるはずの記憶や記録の制限が薄い。それこそ無数にある他の分霊での経験が己のことのように感じられる部分があり、エミヤにとってはとっくに摩耗したはずのものすらその対象のようで。
気付けば伸びた手は己の髪に触れていた。
それでも、触れた瞬間に正気に戻った彼は軽く後髪をかき回すだけで誤魔化すことを選択する。
同行の二人はそれを見咎めず、あのマスターを見ていると奇跡のような出来事でも、必然であったかのように思えてくるから不思議だと笑みを落とす。
不思議と縁を引き寄せ、結びつける人物なのだと。魔術師でもない少年は、彼に従う者達にそう認識されている。
サーヴァントとして現界する面々は死人でありただの使い魔だ。それを自戒として己が存在に刻む彼等でも、せっかくだから楽しいこともしてほしいと無邪気に笑う少年の主張を退けることは難しい。
なぜなら。彼は、それは嬉しそうに笑うのだ。
召喚に応じてくれた者達が、生前または他の聖杯戦争で縁ある存在と会話をしている様子や、戦に明け暮れた戦士が片隅で寛いでいる姿を見て。
成長途中の、どこか頼りなくすら感じる双肩に世界の命運を負ったまま、彼にとって日常だった、平和に見える光景を噛み締めて、精神のバランスをとっている。
察することはできても、決して言葉としては語られないが故に、誰も深く踏み込むことは無く。そんな些細なことで主の心が休まるならと、少年のささやかな願いを退けない英霊達は、因縁深い同士が同席したとしても血を見る機会は多くない。
多少のトラブルは茶飯事だが、小出しにされる衝突は本気になりきれず、どこか戯れの要素を含んで、行き場の無い感情のガス抜きとして機能していた。
カツリ。
そろそろ分かれ道だというところに差し掛かった三人の前に人影。
よおと軽く手を挙げてみせる精悍な顔つきの男は、エミヤと比べてもそう変わりのない濃い肌の色に映える白い歯を見せて笑う。
「部屋に戻ったら端末に通信があったって記録が残っていたからな。出られなくて悪かった」
「いや、助かるよ」
伝言を聞いたのなら用件はわかっているはずだと判断したエミヤは無駄口を控えて移動を促す。
逆らう理由は無いと歩を進める一行は、さほど時間をかけずに管制室に到着した。
レイシフト準備に駆け回るスタッフ達の間に少年の姿はなく、まだ戻ってきていないのだと知れる。
ふらりと離れたゲオルギウスが、モニタに表示されているグラフに忙しなく視線を向けながら、厳しい表情を隠せていないドクター・ロマニの傍に立った。
「マシュ・キリエライトの状態はどうですか?」
丁寧な口調だが、普段の彼ならばまず口にしないはずのフルネーム。画面を睨んだままのドクター・ロマニは傍の人物に注意を払わずに口を開いた。
「厳しいね……薬は効いてきたと思うけど、まだ起き上がれるような状態じゃ……うわぁ!?」
「ふむ、やはりそうですか」
驚きすぎたのか。唇は開閉こそ繰り返すものの、言葉が出て来ないドクター・ロマニを見兼ねて、エミヤはゲオルギウスの隣に立つ。
確証があっての問いだったのかと声をかければゆるりと首が振れて否定が返った。
「確証はありませんでしたが、予想はしましたよ。それはあなたも同じでしょう?」
「まあ、ね。だからこその人選だろう」
マスターの少年が自ら呼びに行ったファラオ・オジマンディアスこそ別だが、エミヤが声をかけた二人は特性により頑健さを持ち、いざとなれば防御にも回ることが可能。
さらにはエミヤ自身も攻守共にこなす器用さを持っている英霊の一人。
ドクター・ロマニを挟んで繰り広げられるサーヴァント二人の会話は苦い。特に小規模の問題解決時に顕著だが、選ばれるメンバーは、短期決戦を想定して防御より攻撃に重点を置いた編成になることが多いと彼らは知っていた。
攻撃は最大の防御と言うと尤もらしいが、実際のところは、消耗戦になった場合に、ただの人である彼の身が耐えられないため、消極的に承認せざるを得ないというところにある。
魔力とはすなわち生命力。
魔術師ではない少年は、礼装の力を借りることでギリギリ必要な魔力のやりとりを各サーヴァントと行なっているため、戦闘行動を除外しても、常に彼自身の生命が危険に晒されている事実は動かしようがなかった。
攻撃に寄る布陣はひとえにマシュの存在に寄るところも大きい。彼女への信頼の表れでもあるそれを、肝心の彼女が抜けた場合にどうするのか。それを考える時期にきているのだろう。
「ではひとつ。ドクターからマスターへ進言していただけますか」
「……マシュの代わりに君を連れて行けって?」
「ええ。私も防御に特化した騎士ですからちょうどいいでしょう。それに、彼が赴くのならば攻撃面でのサポートも可能です」
ジークフリートを示し、悪くない話ではないかと迫る守護騎士の主張は、数秒の睨み合いの末に白旗を上げたロマニによって承認された。
僅かに震える声が騎士の名を呼ぶ。
「聖ゲオルギウス。彼をお願いします……」
「もちろんです。そうでしょう、お三方?」
ふわりと微笑むゲオルギウスの後ろで、ジークフリートとエミヤ、アーラシュが苦笑する。
「この身にかけて」
「ああ。任されたよ、ドクター」
「代わりといっちゃあなんだが、可能な限りのサポートは頼むぜ」
それぞれの性格が滲む承諾の言葉に、目を細めたロマニは無理矢理唇を引き上げて、いつも通りに全力を尽くすと応えた。
「お待たせー……って、あれ?」
入室早々、ゲオルギウスの姿を見た少年が首を傾げる。
「マスター。ファラオの兄さんと話はついたか?」
「え、あ。うん。それはもちろん」
「よし、じゃあそっちの準備は俺が引き受けよう。あんたら、その間に説明頼む」
己の役割をしっかり把握しているアーラシュが少年と入れ替わりにオジマンディアスを伴ってコフィンが並ぶ下層に足を向け、残された面々は手早く残された少年にマシュの代わりにゲオルギウスが同行する旨を説明する。
「サーヴァントの力を扱うとはいえ、彼女は人間です。休息が必要な場合もあります。それに比べてあなたの代わりが誰もできないのは辛いところですが……」
「うん、大丈夫。わかってるよ」
心配かと問われた少年はもちろんだと頷いてから、それでも己のやるべきことをやるだけだと顔を上げる。せめて素早く片付けるとしようと告げて少年の髪をかき回したエミヤには大きく頷いて応えた。
「ドクター、マシュのことよろしく!」
「ああ。だが、彼女が同行しないということは、向こうでの追加戦力の召喚ができないということだ。物資のやりとりも制限される」
どうか気をつけて、と。切実な医師の声音を背に、少年とそのサーヴァント達は下層に降りた。
咄嗟に機転を利かせたアーラシュのお陰か、コフィンの前に立つファラオの機嫌は悪くない。軽く鼻を鳴らした彼は、じろりと少年を睨めつけた。
「随分と萎びた葉のような顔ではないか」
そんな状態で数多の勇士を使うつもりか、と。言葉ほど棘の無い表情に、隣に立っていたアーラシュが吹き出す。
「笑うところではないぞ、勇者よ」
「いやだってなあ……それってしっかり慰めてるだろ」
「そんなことをしてやる義理は無い。だだ、そんな者に使われると思うと腹が立つだけよ」
本格的に機嫌を損ねる前にと身を引くアーラシュは、少年に向けてだそうだがと笑いかける。
「……うん。さっさと終わらせて帰ってくることにする」
「おう、その意気だ。じゃ、ちゃちゃっとよろしく!」
言葉の後半は傍に控えるスタッフに向けたもので。心得ているスタッフに頷いてそそくさとコフィンに納まった少年は狭さを紛らわすために視界を閉ざす。
無意識のうちに唇を綻ばせていたらしい。
「何か面白いことでもあったかい?」
通信越し、こぼれ落ちた声を拾った美女の声にうーんと言葉を濁す。
「面白い、というよりは……どっちかというと恵まれてるなあって思って」
「ふうん?」
「マシュが同行しないってだけでこんなにも不安になってる俺を、みんな気にしてくれる。それが有難いなって思っていたところ」
美女の納得に少年の笑みは少しだけ深くなった。
割り込むように機械音声が進行を告げる。闇の中、もはや聞き慣れたカウントダウンに意識を向けた彼は、大丈夫だと己に言い聞かせて。僅かな浮遊感を共に乾いた大地に足裏を触れさせた。
その眼前でばさりと白と赤の布が翻る。
「無事だな、マスター」
「うん。みんなも……大丈夫そうだね」
「ああ。こっちは問題ない。いや、ちとまずいかもな」
少年を囲む様に位置取りをしたサーヴァント達はすでに戦闘準備に入っている。例外は悠然と腕を組んで立っているオジマンディアスくらいだろうが、彼はその状態からでも指先ひとつ動かさずに周囲を蒸発させてしまうこともできるのだ。
周囲は見渡す限り死の大地と呼ぶのがふさわしいほど干上がった砂地。舞い上がった砂を吸い込んだらしい口内で押しつぶされた音が直接脳に響いた。見越して持ってきた布を頭から被り、口元を覆う。濃色の布の柔らさは、照りつける太陽を遮り、少年に安堵の息を紡がせた。
「随分と良いものを持っているな」
「いいでしょ。一度痛い思いしたからさ。レイシフト先が砂漠って聞いて、準備してみたんだよね」
ひょいと片眉を上げて告げたエミヤに借り物だと返して少年は彼方を見やる。
陽炎が邪魔をするが、己のサーヴァント達の様子から明らかに敵生体であろうことだけは把握できた。
相手がわかるかと弓兵二人に問う。
改めて周囲を見回した二人は同時に口を開いた。
「骨だ」
「骨だな」
骨。鸚鵡返しに声に出した少年を見た守護騎士が笑う。
「アーチャーのお二人の言葉から察すると、大歓迎といったところでしょうか」
「そんなのんびり言うようなことじゃ……うわぷ」
呆れた声は切迫した手に頭を押さえ込まれ、途中で噛んでしまった布に吸い込まれた。一瞬差した影を視界の端に捉える。直後にぎいんと鈍い音。続けて鼻孔に触れるのは血の匂い。
ワイバーンか。そんな呟きを聞く。
先の金属音はいち早く反応を示したジークフリートのもので。少年はなるべく低く保てと押さえ込まれた体勢のまま、そっと布の端を持ち上げる。
影が再びその視界を掠めた。
見える範囲を伺うだけでも、どちらも大軍だということだけはわかる。かといって長期戦は望ましくない。
カルデアからの通信が警告音とともに響いて、焦ったように敵の総数を告げた。
「強制帰還の準備は進めてる! けど、ワイバーンの数が多すぎてアンカー固定が難しい。今のままだと成功率が低くて踏み切れない」
魔術による作用は大きく影響を及ぼす。下位と言えど竜種であるワイバーンはその体内で魔力を生成し放出するため、数が揃えばそれなりに無視できない影響を及ぼす存在でもあった。
ワイバーンの数を減らせばいいのかと問うジークフリートに対し、この面子なら区別せずに纏めて薙ぎ払ったほうが早いのではないかと提案するアーラシュ。
二人の言い分を聞いて、にこりと笑ったゲオルギウスがアーラシュの提案に乗る。
「どのみち数を減らす必要があるなら、強制帰還の必要がなくなる可能性を同時に取りましょう」
どちらも危険なら、マスターよりはサーヴァントが危険に晒さられる割合を高めたいと暗に告げる声は、少年以外の全員に了承される。
「守りが手薄になるとは思わないが、数からしてどうしても長期戦になる可能性が高い。マスターの魔力消費を抑えられるならできる限りそうしたいものだが……」
彼方を見据えたままエミヤが告げるのに合わせて、同じく彼方を見ていたアーラシュが目を細める。
「ライダー、この場でマスターを頼めるか」
「……フン、誰に向かって言っている」
現在の戦力の中で一番魔力食いなのは、高出力攻撃を誇る彼だ。だからこそというのもあるだろう。アーラシュは彼に守備に徹することを求めた。
弓兵の深い色の瞳には鋭さが灯り、口調からは陽気さが薄れ、戦士としての闘争本能が前面に出る。
呼称が変わったのに気付いて笑うオジマンディアスは機嫌よく頷いた。
「勇者の指摘も尤もだ。かつての領土の名残の地。太陽の加護が強いこの場ならば、我が神殿の一部を収束展開することも問題無かろう。さあ、見るがいい」
ゆらり。言葉を重ねるに従って空気が重さを増した。
特に眼に映るものが変化したわけでは無い。だが確実に変化したという実感が忍び寄る。
今この瞬間。ごく狭い、少年と王を包む空間は神殿として作り変えられた。
「こんなものか。わかるか、マスター」
カルデアのシミュレーター内で見るような絢爛たる王座があるわけではない。特異点で見たようにこちらを圧する建物が現れたわけでも無い。
だが確かに、かの王から己のすぐ目と鼻の先までの狭い範囲が切り取られたかのようにぶれていた。
「何が起こってるのかは正直わからない、けど……ここから動いちゃいけないってことだけはわかるよ」
「貴様の目ではそれが限度であろう。だが根本がわかっているのならば目にできるかどうかなど重要ではない。貴様はそこから動かず、ただ見るがいい。己が使役する勇者の姿をな」
そうであろう、パルスの弓兵、赤き強弓使いよ。
王が高らかに呼ばうは、己が認めた勇者。
「そこまで持ち上げられると気恥ずかしいが……期待された分は働かないとな」
軽く振られた手に出現した真紅の弓を握り直し、僅かに視線を逸らしたアーラシュが請け負う。
「数が多すぎるから、あれを全部この周辺で捌ききるのは無理だ。特に空中から来るワイバーンはな。だからというわけではないが、陽動を兼ねて打って出る」
この場はゲオルギウスとその援護をするエミヤに任せると告げて、ジークフリートには悪いが自分と同じ陽動側を頼むと笑う。即座に役割を把握して頷く面々に、それ以上の説明は不要。
「いいでしょう」
「承知した」
「わかった。各々の特性を考えても妥当だな。従おう」
三者三様の返事。
己の役割を陽動と定めた二人はそれぞれ正反対の方向に走りながら、派手に魔力を集め始める。
ワイバーンの群れは、竜種であるという存在故にジークフリートの高められた魔力を無視できず、一斉に標的を変更して殺到した。表情を変えぬまま空を見上げて、竜殺しの英雄は厚く影を落とす存在を見る。おそらくは一斉急降下を狙っているだろうそれらに対し、むしろ固まって落ちてきてくれるならば好都合だとばかりに、彼は手にした剣を一閃させた。
潤沢に使えるわけではない契約者からの魔力を連結し、柄の宝玉に貯蔵された真エーテルを限定解放。本来ならば空を覆うほど長大に展開される幻想大剣の剣気を可能な限り収束して、放つ。
背中の一点を除けば、にじり寄ってくる骸骨兵を相手にする必要はない彼は、ただひたすら宙を睨む。
敵の数が多くとも、この場に宿敵の邪竜は存在しない。なればこそ、彼の行動には余裕があった。
標的が己のマスターに向かぬよう、立ち位置は慎重に。極力節約しながらも魔力を放出することで己はここだと知らしめ、場に存在する全ての竜種に対して放置できぬ危険だと認識させる。
陽動の役割を十二分にこなしながら戦場を駆け回る竜殺しの異名を持つ剣士は、たとえ個々は弱くとも骸骨兵に背を狙われぬよう立ち回り、時に地上と中空両方を纏めて薙ぎ払った。どの程度数を減らせば良いのか聞いておけばよかったかと。表情に出ることはないが、厚い雲のように影を落とす群れを見ながら思考を巡らせる。
マスターとの距離は予定の範囲を出てはいない。
魔力の繋がりを辿れはすぐに存在を知覚できた。会話を試みる気は無かったが、流れてくる魔力に乗ってどこか気遣わしげな気配が触れる。
「大丈夫だ。こちらは問題無い」
音声にて応えるには距離が離れ過ぎている。魔術師ではない彼とでは、念話をすることも難しい。それでも彼は音として現状を口にした。
表情は動かず、敵を見据える眼光の強さも変わらない。声こそ伝わらなかったが、その平静さだけはパスを通して少年の元に届いたらしい。穏やかな安堵の気配が揺れる。
かちん。そうこうしている間に射掛けられる矢を叩き落とし、放たれる火球を叩き割る。ちりりと側面を駆け抜けていく半端になった火球は、標的を見失い、勢いを失ってなお燻り、斬りかかろうとしていた敵を吹き飛ばした。
肉体そのものが宝具として存在している体は、有象無象の骸骨兵から受ける攻撃など意に介さない。
だからこそ彼は。
「くっ……!」
唐突に現れた竜種、その上位種の前に己の身を投げ出す形で立ち塞がった。ぢり、と。交差した腕を焼く火球の色は暗黒。仮初めとはいえ、確かに存在する肉体が燃える異臭が漂い、それは相手の攻撃の強さを物語る。
敵の輪郭がどこか霞んでいるせいもあるだろうか。存在感は薄いくせに無視できない。
ワイバーンにしては大きく、かといってドラゴンと呼称するには小さい。そんな中途半端なその個体は、姿こそ曖昧ながらも、間違いなく他のワイバーン達とは一線を画す存在であるという感覚だけが彼の肌を粟立てた。
訝しみながらも、剣と己の身を持って防いだ火球の重さを噛みしめる。マスターからの魔力供給には支障なく、表面を焦がしただけの傷は取り繕うのも容易。
だが、薄くでも己の肉体に傷をつけることができるという事実が最大の警戒を払うに十分だと彼は考える。
裏付けるように、この個体だけは通してはいけないと、竜殺しとして定義された霊基が脳裏で警鐘を鳴らした。
「統率個体ということか? いや、だが……」
そんな感じはしないというのが本音。見上げる青年の前で一度大きく羽ばたいた闇色の竜は、ゆるりと首を持ち上げて咆哮を放った。
姿からは想像もできないほどの大音声。大きく空気を震わせたそれはおそらくマスターの少年や、反対側で戦っているだろうパルスの弓兵の元まで届いただろう。
ジークフリートは己とつながる少年へと意識を向ける。祈るように告げた決意は自分が必ずなんとかするというもので。言葉にできない意思表示を受け取ってくれるようにと願いながら息を吐き出す。
お互いに無視できない彼らは改めて存在を認識した。
ゆらり、ゆら。竜の尾が揺れて先が大気と混ざる。
青年が愛剣を引いて身構えたのと、竜の口元に炎がちらついたのが同時。
険を増す呼気。鋭く紡がれたそれに合わせて、彼は黄昏色の光纏う剣を振りかぶった。
柔らかい砂の地面は蹴りつけられたことでえぐれるが、それを成した本人は振り返ることもしない。
サーヴァントとしてあることで底上げされたステータスと己の膂力を信頼して飛び上がり、防御と攻撃を同時に果たす選択をする。相手の攻撃が己の身を傷つけるとわかっている以上無防備に受けるつもりはなく、眼前に迫る火球に刀身を立てたままで突っ込み、最小限の労力で攻撃を無効化。ついでに制御を失ったそれが周りのワイバーンを巻き込んでくれればさらにいいと考えながらも、鼻孔に纏わりつく臭気を振り払う。
火球を抜ければ眼前に迫る顎。咄嗟に閉じようとするそこに剣先を突き入れた。
無意識に雄叫びのような声が溢れる。
抵抗する顎、その歯の間に刃を噛ませ、全体重と魔力放出を併用して引き下ろす腕の先に再び灯る黒い炎を見る。
最後の足掻きなのだろうそれを避ける余裕などない。いや、己の背後にある存在を考えれば、避ける選択肢自体がありえない。ならば。
「ぐ、う……あああ!」
剣はそのままに体を振ることで軸線をずらす。
ぼ、と。
不完全燃焼の花火のような音を上げた火球の成り損ないは吐き出された直後に勢いを失い、そのまま元の顎の奥へと落下した。
「まずい……!」
剣士は咄嗟に己の武器から剣気を放出することで推進力とし、全力で離脱をはかる。
先に斬り払い、周囲に撒き散らされた火球の影響もあるのか、近くのワイバーンの動きは鈍く、横からの攻撃を警戒する必要はないだろう。
背を向けるのは命取り。ならばやるべきは一つ。腕をあげて顔を庇い、頭部が損傷するのを防ぐ。怪我自体が軽くとも出血の具合によって視界が奪われる可能性を考慮した判断。案の定、爆ぜた鱗がいくつか弾丸のように腕に突き刺さり、青年は悲鳴を噛み殺す。
血臭を撒き散らしながら落ちていく彼は、腕の隙間から確認した敵だったものがいた場所に、光るなにかを見た。
自爆とも言える状態で四散した竜の体だったものは端から光となって消えゆくが、彼が目にしたそれは、光を弾いたまま、重力に引かれて落ちていく。
一緒に消えないということはその光を放つものの正体はあの竜の一部ではない、ということになる。直感がそれを追えと告げたのに逆らわず、彼は落下しながらも体勢を整え、多少の魔力放出を姿勢制御装置代わりにして煌めきを追った。