月影降り花園の石榻

 要請があったのはマスターから。
 特異点解決のためと請われれば否やがあるはずもない。
 場所は花畑。それに合わせて華やかなクレープ露店とのリクエストだったため、元々用意されていた露店の外枠を活用しながらも必要なものを逐次投影して仕上げた。
 冷蔵庫やクレープ用コンロ、各種電灯がどうやって稼働しているのかとか聞いてはいけない。強いて言えば動力はスカディ、ということになるのだろう。これはマスターが移動にと利用しているクルーザーも同様のため納得できなくもない。いや、しておいた方が平和だ。夏の特異点なのだから考えるだけ損である。
 マスターがエリアを抜けるための最低限の売り上げ目標は達成済みとのことだが、今後のことを考えて少しでも稼いでおくという腹積りらしい。
 実に夏に慣れすぎたマスターからの指示である。
「よし、とりあえず最低限の形は整ったか」
 肩慣らしがてら短時間のお試し営業をすることに決めた赤の弓兵は投影品のエプロンを身につけた。
 投影で消費した魔力のことも考えると少しでも回復できる手段を見つけておきたい思惑もあるため、周辺の聞き込みも同時に行えばいいだろう。
 看板はまだ準備中だが、先に投影した諸々の動作確認を済ませようと各種道具を揃えていく。
 生地だけは寝かせておく都合上、先に用意してあったものを取り出し、ハンドミキサーは悩んで一旦保留としたため、生クリームはサーヴァントの膂力を最大限に利用して泡立てる。本格的に店として作るならばそのうち必要があるかもしれないが今はこれで十分だろう。
 水はすぐ近くに設置された水道から調達可能。仕組みは不明なままだが、とりあえず見慣れた形でスイッチをひねれば火がつくのだから、と。解析したい欲を無理矢理放棄し、鉄板を乗せたコンロに火を入れる。
 レードル一杯分の生地を落とし、円に整形。出来上がったものをすぐ横の丸盆に移動させて冷ましている間に次を作る作業を繰り返す。その間に火加減と調理動線を少しずつ調整し、納得がいくまで繰り返した。
「こんなものだろう。本格的には明日からかな」
 練習と調整を兼ねて焼いていたらいつの間にか山盛りになってしまっていた焼き上がりの生地で今度はトッピングを練習していく。
 最初は定番のものから始めて、徐々にメニューを増やしていくのがいいだろう。
 最初の一種類ずつは味見を兼ねて自分で食べたが、さすがに全部は無理というものだ。
 食材を無駄にするという考えはないため、せっせと作ったものを四角く包み巻きにした上でこれまた投影したワックスペーパーを使用したキャンディ包みにし、試食用と称して配る方策をとった。
 興味津々で受け取っていくのは白熊や海豹などだが、言語を解する以上ただの動物達だと思わない方がいいのだろう。よって人間と同じものを食べて大丈夫かという心配は無用だ。たぶん。いやきっと。
 夏の特異点なのだから、動力に引き続き細かいことを気にしたら負けである。
 フラワーパークという場所柄かのんびりと散歩している彼らに店の宣伝をし、時折姿を見せるサーヴァント達にも声をかけて宣伝することも忘れない。マスターからの指示は売上を上げることなのだからこれも必要のうち。
 大きな道には街灯が整備されているが、さすがに夜にまで店を開けるわけにはいかないだろう。少し考えて偵察がてらエリアを回ってみることにした青年は、まだいくつか残っているクレープを小さな手提げ袋に移して綺麗に片付けると、店を閉めた。
「さて……まずはどこへ向かうか」
 花畑の隣は森になっており、そちらでも珍しい植物が見られると聞いているが、同時にエリア管理代行を請け負った者達の塒でもある。忌避するつもりはないのだが、伝えられたメンバーを考えると、魔力が心許ない事情を即座に察せられそうで足は遠のく。
 だとすれば残る選択肢は多くない。とりあえず場所の把握は大事だと広大な花畑を見て回ることにしてゆっくりと歩き出した。
 花達は実に多種多様。
 季節も地域も関係なく、なんなら幻想と現実、生花と造花の区別もない。もっとも、氷の花を造花と表現してもいいのなら、だが。
 中央を貫く川に掛かっている橋を渡り、高台へと繋がっている氷の橋を上る。
 多種多様な花に囲まれていても、常にむせかえるほどの香りに包まれているわけではないらしい。
 うまく風の流れができているのか時折ふわりと漂う香りが心地良いと感じるように調整されているのが実際に歩いてみるとよくわかった。
 食べ物を売るのならここ、と。先に指定された場所にはまったく届いてこなかった花の香りを思うと、逆も然りなのだろう。夢見心地で花の間を歩く時に邪魔な食べ物の匂いは指定された場所以外には届かない。
 一見単純に見える花畑と遊歩道にそんな高度な魔術的仕掛けがあるなど誰も意識しないだろうと思えるだけに、気付けたことが愉快だった。
 パーク全体を見下ろせる高台には噴水が設えられて涼やかな音を奏でている。
 周囲は生垣のように低木が連なっており、噴水の縁に腰を下ろせば色とりどりの景色が優しい緑を飾る可憐な花の色が目に優しい色彩を届けていた。
 さしずめ色に溢れる場所の中間地点に設けられた視覚的な休憩所といった趣だろうか。このあたりはあまり人気がないのか、周囲に動物たちの気配もない。
「どうせなら少し休憩するか」
 段になっている噴水の縁のうち低い方に腰を下ろし、軽く目を伏せて深呼吸。そうしてしばらくすれば爽やかな緑の気配が心を落ち着けていく。
「アーチャー?」
 聞き慣れた声がした。
 目深に下されたフードの奥から覗く瞳は焔色。屈んだ体勢のために垂れた耳飾りがちかりと光を弾く。風に乗って舞い上がる花弁と氷の欠片がそれを彩って、どこか神秘的で現実離れした風景だと苦笑する。
「おい、アーチャー?」
 再度疑問を滲ませた声音が慣れた音を紡いだ。
 緩慢な動作で視線を上げた先に見えたのは周囲の崖に溶け込んでいる青の人影。
 キャスターの彼が来ているとは聞いていなかったが、そもそもが夏の特異点。原因がスカサハ=スカディであるというのならいてもおかしくはない。
「ああ……すまないキャスター。ランサーが居るのは聞いていたが、彼だけじゃなく君も来ていたんだな」
「さっき着いたばかりだぜ。なんだ、おまえさんはまた食事番か?」
 なんとなく甘い匂いがすると近付いた男は青年の胸元で鼻を鳴らした。
 仕草が犬っぽいとの感想は口に出さぬほうが賢明だろうが、思わず頬が綻びそうになる。
「残念だが今回は露店だな。マスターからの要請でクレープ屋をするところだ」
「ああ、それでか」
 少しだけ笑いの気配が滲む声は納得の響き。
 くんと動いた鼻に合わせるように男の口角が上がった。
「クリームと、チョコソースと……チョコチップもか?」
「……相変わらず鼻が利くな、君は」
 嗅ぎつけられたことを認めるように軽く両手を上げて降参の意を示してから日に当たらないようにと自分の影に隠しておいた手提げを取り出す。
「コンロの調子を見るために作った物でな。あまりいい出来ではないが、よかったら」
「ありがたくいただくぜ。外でやるってなると勝手が違うもんな」
 どっこいしょ、と。完全に外見詐欺の声を出して隣に座り込んだ男は、さっそく一つ手に取って口に放り込んだ。
 残っていた材料を均等割して作成したため、ひとつひとつは小さめではあるが、それでも大きさがあるはずの四角いクレープが一瞬で消える。
「ふたくち……」
「別に今更どうこう言うようなことかそれ?」
 派手にはみ出して口端に付着したクリームを拭ってぺろりと舐める仕草はどこか子供っぽいのに、妙な色気があるのが恐ろしい。
 美味いとの声に安堵した青年は、さりげなく視線を外しながらよかったと笑った。
「他にもいくつかあるが全部もらっちまっていいのか?」
「そのつもりだよ。私は一通り味見をした後でね。あてがあるならむしろ貰ってくれると助かる」
「そういうことなら遠慮なく頂いていくとするさね。礼をしなくちゃな」
 そんなつもりじゃないと声を上げた青年の主張を封じるように、男の指が唇に触れる。
 至近距離で探るような視線。
「まーた無茶してんなぁ。ま、おまえさんらしいがね」
 唇から頬へ、指先はそのまま耳の裏まで回り込む。
 エミヤが意図に気付いた時にはもう遅い。
 唇は相手のそれで塞がれ、素早く押し入った舌が口内を蹂躙する。
「キャス、ッ……ぅん……」
 くちゅり。注がれた唾液はほのかに甘い。それが先に食べたクリームのものなのかそれとも魔力のものなのかも意識することなく青年は自ら舌を絡めた。
 何度も角度を変え、時折呼気を逃すように引いては深く口付ける。
 控えめに上がる水音は噴水の音に紛れて、直接体への振動で聞いている二人以外には聞こえない。
 彼らが離れたのは、エミヤが握りしめた男のローブにしっかりと皺が刻まれてからだった。
 唾液に乗せてたっぷりと魔力を渡された青年は酔ったように男の肩に額を預けたまま、こんなところでと抗議の呟きを落とす。
「誰も見てねぇし、しばらくは来ないから大丈夫だ。もう少し馴染むまで休んどけ」
 どうせ張り切って色々準備したせいだろうと笑われれば返す言葉もない。
「君はこの後どうするんだ?」
「そうさな。とりあえずは現状を把握するためにマスターが攻略したエリアを見て回るつもりだ。その後は状況次第になるだろう。マスターからの指示があればそっちを優先するが、何もなければどっかに落ち着くさ」
「確かに。せいぜいワルキューレ達に襲われないように気をつけたまえよ」
 不吉なことを言うなと怯える男の様子をひとしきり笑って。青年は相手の肩に預けていた己の体をそっと離した。
「ともかく助かった。迷惑ついでですまないが、他エリアでも、見て回っている間に魔力補給の都合がつきそうな場所があったら知らせてくれないか?」
「いいぜ。どのみち霊脈に相当する場所は辿るつもりだったしな……手、だせ」
 唐突な要請を疑問に思いながらも素直に手を出したエミヤの掌に落ちてきたのは滑らかな手触りの石の輪。
「貸してやる。調理の都合もあるだろうし、四六時中つけとけとは言わん。だがキツくなったらどこの指でもいいからはめとけ」
 多少の手助けはできるはずだ。
 落ちる声音は硬く、正面から視線を合わせて瞳の色が硬いと感じる時は最終的に言いくるめられて押し切られる可能性が高い時だと知っている。
 エミヤは即座に白旗を上げ、掌で転がる指輪を掬い上げると、嵌る指を探していく。最終的に左の薬指に収まったそれを複雑そうに見ながら、ルーンの気配がすると言葉を零した。
 吸収と変換、そして循環を助けてくれる効果があるのか気持ち楽になったような気がする。
「さすがにそれくらいは分かるか。オレの持ち物にはなんだかんだと刻まれてるからそう不思議でもあるまい。今のおまえさんの霊衣とならそこそこ相性もいいはずだ。師匠の作だろ、それ」
「ああ。いつかの夏の特異点でマスターに同行する際に用立ててもらったものだな。この特異点の主であるらしい極北の女王が原初のルーンを行使しているせいか基盤がそちらに寄っている……のか?」
 むしろ特異点の基盤としてルーンが張り巡らされていると見るべきかもしれないが、いくら思考を巡らせたところで作った本人ではないのだからわかるはずもない。
 素直に助かると礼を告げたエミヤはそのまま深く息を逃して空を見上げた。
「そういえば……勝手に日が暮れれば営業終了かと思っていたのだが、考えてみればここは北極圏だ。時期的には白夜か?」
「いんや。そうでもないみたいだせ」
 季節的に夜になるのかという疑問は当然なのだが、そこは特異点。
 光が消える。
 夕日、朝日の概念はなく、一瞬で変わったところを見るとやはり太陽は人工的に設定されたものなのだろう。ならば夜空とて同じことだ。
 テーマパークという設定からも暗くなる方が都合がいい場所もある、ということなのだろう。
 太陽が力を失った今、闇に落ちた中で星が瞬いていた。
 他のエリアはどうかわからないが、このエリアに限って言えば星の明かりだけでは足元の暗さを払えない。
 月が見えないと呟けば、今は位置が低すぎると明確な応えがあった。
「ああ、今の時間では見えないのか。さすがにこの暗さではマスターも足止めだろうな」
「逆じゃねぇか。休息を促すために夜にしてるような気がするね、オレぁ」
「なるほど。マスターを迎えるのが前提ならあり得るな」
 マスターとは特異点の解決のために動くものだ。ましてこの特異点は自然消滅しないとの報告も上がっている。
 昼夜というわかりやすい区分を設けるのは、人間であるマスターの行動時間を抑制しようと考えるのならば一番効果が高いだろう。
 その後も情報交換と軽い雑談をしながら夜を明かす。
 借りた指輪の効果もあるのか、朝になるころにはかなり回復していた。武器以外のものを立て続けに投影しなければ問題ないだろう。
「……すごいな。これならなんとかなりそうだ」
「付けてる間しか効果はねぇぞ。あんま過信すんなよな」
 調理中に客に見せつけたいなら構わないがと笑う男に、青年はたわけと笑いながら立ち上がった。

 (中略)

「……おねだりも随分と慣れたじゃねぇか」
 本来告げるはずだった言葉は喉の奥に飲み込んで。代わりに吐き出す言葉には煽るようなものを選ぶ。
 するりと移動した手は髪から上衣へ。掴んだ勢いのまま引いて、降りてきた唇に噛み付くように口付ける。
 軽く歯がぶつかったが、その程度は想定の範囲内。
 舌を伸ばし、唇の間から捩じ込むように差し込んで。口蓋を、歯列を擽り、溢れた唾液を絡めて舌同士を擦り合わせる。
 軽く唇を噛んで舐り、遊ぶように舐め上げ、深く潜り込ませた舌先を吸い上げる。角度を変える合間に浅く息を逃しては隙間を埋めるように唇を重ねた。
 くちゅり。押し潰された唾液が溢れ、口端から透明な糸が垂れる。
 青年の喉が上下し、吐き出された息が熱を上げる。
 ひたりと触れ合った胸元で跳ねる心臓が重なり、直接体に響いて。伝播した熱が息を乱していく。
 相手の体重で動きを封じられた格好だが、抵抗する気など微塵もない。むしろ接触面積が増えたことで体温も魔力の気配も近付き、勝手に期待した体が熱を持つ。
「アーチャー」
「は……ッ、あ……」
 求められ、仕切り直した口付けはほとんど重ねるだけの児戯のようなもの。耳朶をやわく揉まれ、服の上から体を撫でていく手が誤魔化しようもなく服を押し上げる胸の先端を探り当てる。指の腹で押しつぶしながら揉みしだかれれば思わず声が漏れた。
 布特有のざらりとした刺激。胸筋を寄せるように手のひら全体で包まれれば余計に勃ち上がった先端が天を向いて存在を主張する。
 片方は弾くように指で捏ねられ、もう片方には濡れた布が張り付く感触。
 とろとろと。濡らされた範囲に軽く歯を立てられ、先端を舐られて腰が揺れる。唇を噛み締めて声を殺し、深く繋いだままの手に力を入れることで抗議すれば、笑ったらしい振動が響いた。
「イイ反応だな。喰いたくなる」
「いくら、君が猛犬だからとて、そのままは……腹を壊すだろ……ッ!」
 強く吸われて語尾が跳ねる。
 暗闇の中では透けた肌の色もわからないが、すっかり熟れて勃ち上がったものは噛んでくれと言わんばかりに息がかかるだけでひくりと震えた。
 あえて中心を外した男は肌が露出している脇の下あたりの大胸筋と鎖骨とを順に軽く噛み、跡を残す。
 直接食わせてくれるのかと戯れの問い。
「聞かなくてもそうするつもりだろう、貴様は」
「今ならマテくらいはするぜ?」
 皮肉に対し、いけしゃあしゃあと言い放った言葉の意味するところは、どのみちやるが多少待ってやることはできる、というあたりだ。
 思わず笑ってしまったが、先に進まず律儀に待っている男を見上げれば、即座に引っ込む。
 ドームに映り込んだ月を背負い、うっすらと発光しているような青白い輪郭に見惚れた。
「……待たなくて、いい。せっかく君がいるんだ。どうせなら直接注いでくれ」
「おま……ッ!」
 絡めていた指を解いて、引き寄せるように背に回す。近付いた耳元で囁くのは相手の真名。
 対価があるのだから一方的な蹂躙ではないが。普段の賢しいキャスターではなく、獲物を喰らう猛犬の流儀でいいのだと低く告げる。
 ぐる。
 獣が唸るような声が聞こえたのは幻聴かもしれないが、勢いよく捲り上げられたタンクトップが敏感になった場所を擦り、直後に追ってきた舌先がべろりと肌を舐めながら先端に辿り着いた。
 歯で挟むようにして転がされながら舌先で舐られ、時折強く吸われて悲鳴を上げる。
 先に濡らされていた方には指が絡んだ。手のひらで全体を包むように揉まれながら親指の腹で押される先端が、指輪の端に当たってひくつく。
 髪の毛ごと上衣を握り込んで。珍しく荒々しい仕草に反応した腰が勝手に揺れるのを押しとどめるので精一杯。
 限界は、予想よりも早く。
 欲情しているのだとわかる、熱を孕んだ息が荒く弾む。
 散々濡らされ、流れ落ちて筋を描き、すでに冷えはじめていた場所を撫でた瞬間に訪れた。
 遥かどこかからどうしようもなく穿たれているそこに息が。唇が触れる。
「あ……ッう……んっ! ア!!」
 嬌声は堪えられず、跳ねた体を晒して。
 布が悲鳴を上げるくらい強く握り込んで、顔を上げてくれるなと告げても、誤魔化されてくれるはずもない。
 男は何も言わず、ただ身を寄せたままエミヤが落ち着くのを待つ。
「……待たなくていい、と言っただろう」
「ああ」
 抗議にも聞こえる声は掠れた。お互い予想外だっただろうと軽口が返る。
 お互い、という部分に反応した青年に出てはいないと主張する男の口調には少しの焦りと見栄が含まれていた。
「あんまりイイ反応されてギリギリだっつーの。堪えるほうもキツイんだぜ?」
「達してしまってもよかっただろうに」
「おまえさんより先にイったら格好悪いだろうが」
 それだけの理由で我慢したと口を尖らせる男はどこか可愛らしい。
 見栄かと告げれば間髪を容れず当然と応えがあって、お互い堪えきれずに吹き出した。