代の空言

ミリテス皇国首都、イングラム。雪深い地に立つその都市は、いつもと変わらず降り積もる雪に音を吸わせて、空に向かって伸びた建物に光を投げかけていた。
アルマダと呼ばれる高級ホテルに、兵士に囲まれた少年少女達が足を踏み入れたのを遠く眺めながら、ミリテスの一般的な市民の服にに着替えた青年は溜め息を落とす。
空を見上げれば、コンコルディアのルシの姿。
最初のルシの名をとって、かの竜も同じくソウリュウと呼ばれている、と。どうでもいい片隅の知識が脈絡もなく浮かんで苦笑を落とした。
機械だらけの街に慣れた人々とって、巨大な龍の姿をしたそれの認識は、外に出るモンスターとそう変わりがないだろう。
警戒するかのように街の中には兵士が溢れ、住人は家の中でじっと息を殺している。
ファブラ協定の発動、コンコルディア女王の訪問。
魔導アーマーの兵器工場に篭って色々とやっている間に激変した世界の立ち位置を考えれば、もはや笑う以外にやることが無い。
「ナギ、準備出来た?」
ノックの音。続けて聞こえた同僚の声に大丈夫だと返すと、扉が開いた。
ひょこりと顔を見せた同僚は、まだ少年と言っても通じるような小柄な体格の男。だが、ナギは彼が自分よりも年上だと知っていた。
色素が薄く、童顔の割に男前で、大雑把な性格とよく毒を吐く口調は、任務の時は一転する。
記憶を辿ると、一緒になった時の嫌な任務の報告書ばかりが浮かんできて、わずかに目を細めた。
ナギの表情に気付いてにやりと笑った彼は、持っていた鍵を遊ばせながら近付く。
「こっちもうまくいったよ。まあ、多少問題はあるけど」
手渡されたのは活動許可証。
「潜入方法はホテルへの日用品、食品の搬入をする業者への変装。軍による見回り有り」
特におかしなものを搬入するわけではないから見回り自体には問題が無い。問題は若すぎる搬入者を疑われる方だが、そちらは別口の理由で問題無いだろうと告げる男に、ナギは疑問符を飛ばした。
「おいおい、まさかカラダ込みとか言わない……よな?」
「さっすがナギ。話が早くて助かるよ。ちなみに支配人と兵士、どっちの相手がいい?」
当然のような笑顔での返事に、見た時から嫌な予感はしていたと告げて、青年はがっくりと肩を落とす。
どっちも嫌だとは言えるはずもない。それはお互い重々承知。
わざわざ聞いてくるところから、変態趣味に付き合わされるか、数をこなせと言われるかの選択だろうと予想すると、面倒になって彼は思考を放棄した。
どっちでもいいと答えると、じゃあ成り行きでと苦笑が返る。着替えた制服を待機組の人員に預けると、すでに準備の出来ている車両に乗り込んだ。
特に疑われることもなく、目的のホテルへと足を踏み入れることに成功する。
「よろしくお願いします」
待っていた担当者に頭を下げて派遣用の書類を出すと、受け取った担当者がちらりと目を逸らして苦い顔をした。おそらく多少裏側を知っているからだろう。
「ご苦労さん。終了したら報告のためにそこの階段から上がって、支配人室に行ってくれ」
「はい」
二人はいい子の返事。簡単な注意だけを聞いて、彼らは作業を開始した。
まずはやることをやらなければならない。
荷物を下ろして指定された場所に運び、書類を見ながら納入数をチェックしていく。
途中見回りの兵に何度か遭遇したが、咎められることはなかった。
絡みつく視線のいやらしさなどまったく気付いていない風を装う二人は、声を掛けられれば作業を中断してお疲れさまですと笑顔をふりまく。
どこか照れたように頷く兵士に、内心で笑いながら彼らは名目上の仕事を終えた。
「これでよし、と」
完了した旨を伝えて車両の扉を閉めると、揃って指定された部屋に向かう。
ここからが本番。言わなくてもお互いにそれは認識していて、一瞬だけ視線を交わすことで頷き合う。
ノックをしたのはナギ。入室を促す声に、扉を開け、先に立ったのは相方のほうだった。
入って正面。支配人とプレートがあるデスクに座っていた男は、撫で付けた髪と貫禄のある体格をしている他は、あまり印象に残らない容姿をしている。何事もすぐに観察してしまうのは、悪い癖だと思いながら、ナギは先に入った相方の隣に並んだ。
「作業が完了しましたので報告に来ました」
ご苦労、と受けた男が立ち上がり、友好的な笑顔で書類を受け取る。
「では確認してくる間、汗を流して寛いていてくれ」
そのまま外に出て風邪でも引いたら困るから、と。もっともらしいことを並べて、入り口とは別の扉を開き、二人を促す。
促されるまま足を踏み入れると、そこはソファの置かれた休憩室のようなスペースになっており、シャワーブースが端に見えた。痩せた少女が一人、ホテルのお仕着せに身を包んで待機している。
わからないことがあったら彼女に聞けとだけ言い残し、表面上は笑顔のままで支配人が退室した。その際に外から鍵をかけたのがわかったが、二人は気付かないふりをしてあたりを見回す。
少女が動き、シャワーブースへと繋がる扉を開けた。
「カゴの上段に着替えを用意しておりますので、まずは汗を流して着替えをお願い致します。今の衣服は一度こちらでお預かりして洗濯いたしますので、カゴの下段にそのままにしておいてください」
「あ、ありがとうございます」
抑揚のない声と表情の無い姿は多少不安を煽る。だが、二人は言われるままにシャワーブースに入った。
最初から分かっていたため、変装用の衣服には特に何も小細工はしていない。はしゃぐ少年を演じながら、彼らは素早くあたりを確認して視線を合わせた。
監視されている。
部屋に入る前と同じように視線を合わせただけで同じ認識を共有して、服を脱ぎ捨てた。
見られているのが分かっていて肌を晒すのは、任務と思えば割り切れはするが、気分のいいものではない。
おそらく選ぶ材料にするのだろうことは予想できるが、もう少し隠しておいてもいいのにと内心だけでツッコミを入れて、彼らはシャワーの蛇口を捻った。
上部に固定されているシャワーからはすぐに温かなお湯が降り注ぐ。
途中、一度人の気配はしたが、暗黙の了解でこれも気付かなかったふりをした。
お湯を止めてカゴのところに戻った時には既に着ていたものが無くなっている。もちろん、気付きはしたが、そのまま何も言わずにタオルで水気を取り、用意された着替えを広げた。
部屋は空調が効いており、薄着でも寒さは感じない。
「さすがに大きすぎない?」
「俺はまだ大丈夫だけど……」
大きめのシャツは袖を何回か折り返して着ることでなんとかなる。だが、同じくゆるく、すぐにずり落ちてしまう下履きは、ナギはまだベルトがあれば大丈夫な範囲だが、小柄な彼にはどう頑張っても無理だったらしく、あっさりと着るのを諦めていた。­
さすがにこれはまずいから少女にもう少し小さいものがないか聞いてみようと言い合って、二人はシャワーブースを出る。
「あれ?」
「誰も、いないね」
狭い部屋だ。だが、どれだけ確認しても、少女の姿は見当たらない。
入ってきた扉と、もう一つあったおそらく外に通じる扉が開かないことを知った風で焦った様子を見せた。
閉じ込められた。いやそんなはずはない、多分ちょっと外すから間違って外に出ないようにと一時的に鍵をかけていったんじゃないか。
そんなやりとりは監視されている以上、必要なやり取りではあるのだが、茶番すぎて笑いたくなる。
こうなったらもう仕方ないから待つしかない。
そう結論付けて、二人はソファに腰を下ろした。
特に娯楽があるわけでもない部屋では、時間を潰すという行為はしだいに苦痛になる。
暇だから寝ると宣言して、布団代わりにひざ掛けをかけて丸くなった相方をぼんやり眺めながら、ナギは耳を澄ませた。壁はさほど厚く無いらしく、わずかながら外の音が聞こえてくる。漏れ聞こえる内容から寝るのを待っていることを把握したナギは、ゆっくりと瞼を落とした。