Snowflakes

空は晴れていた。
はらはらと光のかけらが降り注ぐ。
投げかけられた一筋の光に思わず目を細めた青年は、無意識のままに首を捻った。
違和感。
なにかを忘れている。それだけが事実としてあって、それが何かは分からない。
しかし、どれだけ望んでも手繰れる記憶は無く、彼はいつものようにすべてを諦めた。何度も繰り返してきたことに対して、身に付けた技の方が己を守る術を知っている。
魔導院の入り口は閉鎖され、大魔法陣は力を失った。
飛空艇部隊が全滅した今、周囲の様子を伺うためには高い所に登るしかない。
普段から魔法陣にあまり頼らず、己の魔力で移動することが多い彼は、灯台へと足を運んでいた。
陸側を見れば、下の街に火の手が上がっているのが見える。
海側に振り返れば、不自然に浮かんでいた謎の神殿が細かい光の粒子となって崩れ行くのが見えた。
光が雲を切り裂く。どこまでも続く蒼の色と、うっすらと浮かんだ色の帯。
世界の変化を認めると、彼は瞬時に踵を返した。

(中略)

気紛れに覗いた魔法局、その局長の部屋に目的の人物は居た。
元々魔法クラスであるレム、クオンは分かるが、カルラも一緒に居ることに対して疑問を投げたナギに、がっくりと肩を落とした彼女は、すぐに立ち直ると、自分は頼まれたからここに居るのだと告げた。
「私が頼んで来てもらったの。カルラなら私たちが気付かないことにも気付いてくれそうかなって思って」
笑って彼女が居る理由を補足したレムは、脚立の上に座って高い位置の本を探っている。
レムやマキナの言葉から、魔法局局長であった人物がこの世界の神ともいえる存在なのは分かっていた。だからこそ、クリスタルが力を失った世界に関して、何かヒントのようなものが無いかと探しに来たのだろう。
「そのまま作業してていいからひとつ聞いていいか?」
「うん、どうぞ」
伺った気配に引っかかるものは無い。
「……毒殺騒ぎがあったって聞いたけど」
落とした声音に、その場の全員が反応を示した。
事実であることをその反応から把握して、ナギはさらに声をひそめる。
「俺のところには報告も来なかったんだけど?」
言葉は途中で切られたが、雰囲気が逃げを許さない。
ふ、と。わざとらしく息を吐いで緊張を逃がしたのはクオン。
「諜報部が大々的に動けば逆に逃げられる、そう判断したまでですよ」
「なんだって?」
「あの時点で諜報部に属する精鋭メンバーは、ほぼ全員がキミと一緒に出払っていました。しかも、騒ぎがあったエイボン地方とは真逆のメロエ地方にです」
少しは冷静に考えなさいと告げられ、ナギは軽く首を振る。彼らが居たというエイボン地方はどちらかというと蒼龍側。対してメロエは魔導院を挟んで反対側、白虎に近い。
「こちらの内情を知った上での行動ならば通信も危険。そんな状態で物理的に知らせをやれば目立つことこの上ないことくらい分かるでしょう」
もちろん、エイボン地方側に諜報部所属者が皆無だったわけではない。
1組候補生のエンラを囮に裏で主犯を確保したと今朝報告があった旨を伝えれば、渋々ながらも状況を受け入れたナギは溜め息とともに怒りをおさめた。
「やっぱり相当疲れてるんじゃない? 支障が出そうならもう少し休んでた方がいいわよ」
カルラの言はもっともだが、青年は首を横に振った。
「まだ手付かずのところもあるとはいえ、やっとメロエまで進んだんだ。もうちょっと頑張らせてくれよ」
「ナギには一番きついところをやってもらってるから、私たちには何も言えないけど……」
ある程度は誤魔化せるだろうが、流石に共に肩を並べて戦場を渡って来た者の勘は油断ならない。
心配そうなレムの視線を振り切って、青年はお調子者の顔を浮かべた。
「何言ってんだよ。適材適所って言うだろ。たまたま俺がこういうのに向いてただけだって」
「ナギはまたそうやって誤魔化す……なんだろこれ。日記、かな?」
「魔法局局長の、ですか?」
「ううん、字が幼い……あっ!」
クオンの問いに気を散らしたからか、ばさりと派手な音をたてて何冊かの本が崩れる。レムの頭にぶつかってさらに下に落ちていったそれらの表紙には、個性的な文字が踊っていた。
ちょうど下に居たカルラが手を伸ばす。
「どれどれ……んー。これは兄弟姉妹の日記みたいね」
揃いの冊子は、明らかに与えられて用意されたもの。
「ジャック、ケイト、シンク、エイト……」
彼女によって読み上げられていく名前は、いずれも聞いたことのあるものばかり。
大袈裟に髪を払ったクオンがしたり顔で頷いた。
「0組の日記、というわけですね」
「そうみたいね。全部で十三冊」
「十三?」
クオンとカルラのやりとりの中、普通なら流すような数字に、反応したのはレム。
「ええ、十三冊」
慌てて脚立から降りたレムが、扇形に広げてみせたカルラの手元から一冊ずつとって名前を確認する。目の色を変えた彼女に、クオンが近寄った。
「何か気になることでも?」
「おかしいの。彼らは十二人……一冊多いのよ」
「なんですって?」
聞き返したクオンが傍に積まれた本を退避させる。あけた場所に全部を広げてみれば、ひとつだけ名前の無いものがあった。
痛み具合も他のものより酷い。
はらり。
全員が見守る中で繰られたページの先に現れたのは、暗号かと思うような崩しの古典文字だった。
カルラが頭を抱え、レムが苦笑する。
文字自体は魔法書にも度々見られる類のものだが、癖がひどく、読みにくいことこの上ない。
横から覗き込んだクオンも苦笑を滲ませたが、レムほど難儀していなさそうなのは、流石魔法書オタクといったところか。
「貸して下さい……ふむ、どうやら日記というよりは伝説や空想話の類のようですね」
具体的な日付などはなく、代わりにあるのは風や水で臼を回し、粉を引く農夫の話や、光を集めて夜を照らすランプの話だという。
蕩々と続く話の途中で誰かを呼びに来たのであろうマキナが場に加わり、レムとナギ、そしてカルラは同時に顔を見合わせた。

(中略)

「ナギ! よかった、こられたんだな」
急な任務に出たって聞いてたから。
すぐに気付いて駆け寄ってきた金髪の少年に、ナギはいつも通り声をかける。そういえばこの話を持ってきたのは彼だったと思い当たった。
「こっちの方が先約だったからな。ちゃっちゃと終わらせてきたさ」
本当は任務なんか無い。強いて言えば、この集まりに参加することが任務だった。
0組を内偵していたはずのマキナは、少し前から捕まらないことが多くなっている。必然的に9組所属の青年への風当たりは強くなり、結果、0組とコンタクトを取る機会が増えた。
「そうか……すまない」
無理させたかと問う少年に、ナギは全然と答えてからへらりと笑った。
「お礼なら体で返してくれよ」
「今度は何の任務だ?」
「あら、お見通し」
「当然だ」
軽いノリの会話は、少年のどうだとばかりの笑みに負けて、青年が軽く両手を挙げることで終了する。
「まあ、それはまた今度な。今はせっかくだから楽しまないと」
「ナギがそれでいいなら」
大丈夫だ。頷けば少年はほっとしたような表情。
「主役がそんな端っこでなにやってんだよ!」
中央の輪から上がったのは、新参者に仲の良い友達を取られたかのような、ちょっと拗ねたような声。
同時に吹き出した彼らは、しばらく腹を抱えて笑い転げる。
最初の笑いの波が収まるのを待って、少年は仕方なさそうに中心に戻って行った。軽く手を振って少年を送り出してから、青年は適当に空いている席に座る。持参してきた水のボトルに口を付けて、深く息を吐き出した。
「何か食べるか?」
適当に入れてくれたのだろう。両手に持った皿を軽く持ち上げて前に立った銀髪の少女は、0組からだけでなく院内のあらゆる場所で姉貴分と慕われているのをよく見かける相手。細かいところにまで気が付き、気付きすぎて意図を読まれる場合があることから、ナギは彼女を多少警戒していた。
「悪い、任務帰りなんだ。食べ物はしばらくパス。さすがに水は無いと思ったから持ってきたけど」